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第37話 Night Flight

 宮殿に戻り私をヴィラまで送り届けると、サイード様は外廷へと消えて行った。陛下への報告は全て、自分ひとりで行うと。


 必ず迎えに行くから待っていてくれという彼の言葉を信じて、私はじっと、不安に身を震わせながら耐え続けた。だが五日がすぎ、そして七日が過ぎたところで……彼が私のところへ来ないばかりか、他でも全く姿を見ないことに気がついた。それは皇帝陛下も同様で、後宮への訪れが全くなくなっていたのである。


 ――やはり、あの報告は何か問題を引き起こしたのではないだろうか。こんなことになるのなら、何がなんでも同行させてくれと頼むべきだった!


 思いつめた私は、とうとうマハスティ様に本当の事情を話すことにした。だが「後宮を出て探しに行きたい」という頼みについては、申し訳なさそうにお断りされてしまった。なぜか宮殿中の警備が強化されていて、チェックが厳しくなっているらしい。


「わたくしの小姓に命じて外を探ってあげるから、あなたはじっとしていて」


 彼女から親身に説得されて、私はマハスティ様のヴィラで彼女付きの小姓の帰りを待った。


 空が暗くなり始めた頃にようやく戻って来た少年の話では、なぜか外廷はどこも張り詰めた雰囲気だったらしい。だがその理由はといえば、はぐらかされるか知らないかのどちらかで、全然聞き出せなかったとのことである。そして肝心のサイード様本人の姿も見つけることはできず、誰に聞いても深刻な顔をして「言えない」の一点張りだったというのだ。


 それを聞いて動揺をあらわにした私に、マハスティ様は気にしすぎだと言って背中を撫でた。でも、単に下賜の許可を得るだけで……こんなにも大事(おおごと)になるものだろうか。


 今夜はこのまま泊まって行くようにとマハスティ様は提案してくださったが、私はそれを丁寧にお断りして、彼女のヴィラを出た。自室へと向かいとぼとぼと歩いていると、悪い考えばかりが頭に浮かんでくるようだ。


 この程度で考え過ぎだということは、私にだって分かってる。でも私はまた、大事な人に置いて行かれるのだろうかと思うと……ただ待っているばかりのこの状況は、この上なく辛いことだった。


 なんでいつも、私ばかりが、待って――


 ――なんで、待たなきゃいけないの?


 私はハッとしたように顔を上げて駆け出すと、自分のヴィラに戻って居室に向かう幕を跳ね上げた。そこで目をぱちくりさせていたのは、小さな白いトラである。


「なに? そんな慌てて」


「バァブル、私、今すぐサイード様に会いたい! 彼を探しに行くのを、手伝ってくれない!? 迎えが来るのをただ待っているだけなんて、もうやめたい。二度と会えなくなってしまわないように、自分から迎えに行きたいの!」


 彼の無事を確かめて、もし危険な状況なら助けたい。そう勢い込んで言った私に、バァブルは小さく首をかしげた。


「それって、お願い?」


「うん。()()()!!」


 私がハッキリとした声音で言うと、彼はニヤリと笑ってみせる。


「確認だけどさ、『連れて来る』んじゃなくて、『迎えに行く』でいいんだよね?」


「そう。()()迎えに行くの」


「よし。じゃあ出発の準備ができたなら、また声をかけてよね!」


「うん!」


 私は急いで鏡の前に立つと、意を決して砂色の髪を左手でつかんだ。あの日サイード様に見つかって以来、ずっと伸ばし続けていた髪――。だが私はかつて何度もそうしたように、毛の半ばに小刀の刃を当てた。


 カツラに納まりきらないからと切り落とされた毛束が手中に残るたび、かつては心が痛んだものである。だが今は、これは自分の意思なのだ。


 私は胸にぎゅっと晒し木綿を巻きつけて少年の姿になると、しばらく着ることのなかった小姓のお仕着せに身を包み、バァブルに声をかけた。


「準備万端だよ。お願いします!」


「その願い、叶えてしんぜようー!」


 待っていたかのようにその小さな両前足で天を仰ぎ、バァブルが吠える。


 するとボムンっという音と共に湧き上がった煙が薄まると、出てきたのは人ひとりがゆったり寝転べそうなサイズ感の絨毯だった。くるくると巻かれている時の大きさは、私でもなんとか片腕で抱えて持ち運べるくらいだろうか。


「え、絨毯?」


「そう。でもただの絨毯じゃないよ。広げてごらん!」


 そこそこ厚みのある絨毯の一辺をつかんでブワりと広げると――それは地面に落ちることなく、そのまま膝くらいの高さにとどまっているではないか。


「うそ、浮いてる!?」


「これで飛んで、壁を超えるよ!」


「えっ、飛ぶの!?」


「そうそう。ほら、わかったなら外に行こう!」


 再び巻いた絨毯を腕に抱き、バァブルの魔法で居眠りを始めた侍女たちを起こさないよう、私はそっと庭へ出る。そして外廷との間を仕切る壁際まで走ると、再び絨毯を振り広げた。


 月明かりの下でおっかなびっくり足を乗せると、絨毯はまるで生きているかのように、ぐおんっと強くたわんで足の裏で波を打つ。これでは足場と呼ぶには弾力がありすぎて、まるで綱渡りのようである。だが私は勇気を出して力を入れると、そこから先は一気に飛び乗った。


「よし。それじゃあ行くよ、慣れないうちはしっかり掴まっててね!」


「うん!」


 端に付いた豪華な房飾り(フリンジ)をぎゅっと握りしめ、うなずき返した瞬間。ぐいんっと引っ張られるような感覚と共に、絨毯は一気に加速した。夜闇の中を壁沿いに滑るように飛びながら、徐々に高度を上げてゆく。充分に加速したところで、ぐっと鎌首をもたげると……絨毯はぶわりと、一気に夜空へ舞い上がった。


「わあっ……!」


 眼下には、まるで広大な宮殿の敷地を一望できるかのような景色が広がっている。夜半にもかかわらず未だ働いている者たちがいるようで、月夜の宮殿の各所には、赤いかがり火の光が見えた。


「あそこ、あまり灯火のないあたり。あのあたりに下ろしてくれる?」


 かつての入念な取材の記憶をなんとか呼び起こし、私は安全に降りられそうなエリアに向かって指をさす。


「それじゃあさ、そっちへ行きたいって、心の中で念じてごらん?」


「え、私が!?」


「その通り。だいじょうぶ、この絨毯の主人(マスター)は、もう君だから」


「……やってみる」


 心の中で強く念じると、絨毯はたちまち加速した。


「うっ、わわわわわ!」


 驚いてとっさに止まるように念じると、絨毯は急停止して私は盛大に前へとつんのめる。さんざん揺さぶられながら、ようやく外廷でも人気(ひとけ)の少ないエリアにふわりと降り立つと、私は絨毯を巻いて両腕に抱えた。


 さて外廷へ忍び込むことはできたけど、もしサイード様が捕らえられているとしたら、居る確率が高そうなのはやはり地下牢あたりだろうか。私が少しだけ進む方向に迷っていると、バァブルがこちらにクリッと青い瞳を向けた。


「アイツのニオイ、たどってあげようか?」


「願いはもう言ったのに、また頼んでもいいの?」


「アイツを探す手伝いが君の願いだからね、これも願いの一部だよ」


「じゃあ、お願い!」


 人とすれ違うたび、両腕で抱えた絨毯で、さりげなく顔を隠してやり過ごす。そうして地面に鼻をつけるようにしてニオイを辿るバァブルの後をついて歩くと、やがて辿りついたのは……あの外廷の奥にある、皇帝陛下の休息所だった。


 垂れ重なる天幕にそっと近づいてゆくと、中から小さな話し声が聞こえてくる。私はすぐにでも突入したいのをぐっと我慢すると、薄絹の陰にうずくまった。そして、かつてもそうしたように、そっと中の様子を探る。


 だがこちらに背を向けて陛下と話しこんでいる人物が着ているのは、小姓のお仕着せではない。陛下のご衣装にも見劣りしないその姿は、まるで――。


「でも、この声は……!」


 どんな格好をしていても、この声を忘れるはずがない。


「誰だ!? ……って、アーファリーン! なぜこんなところに!?」


「あの私、ただ待ってるだけじゃ不安で……。もしサイード様に何かあったなら、助けなきゃって……」


「そんな理由で、再びここまで来るという危険を冒したというのか!? まったく、もしかしたらと後宮の門の警備は強化しておいたのに、一体どうやって抜け出してきたんだ……」


 迷惑、だったのだろうか。彼の呆れたような声音に、私は肩を竦めて小声で謝った。


「ご、ごめんなさい。行方が分からないと聞いてしまったら、居ても立っても居られなくて……」


「いや、心配させたようなのは、本当にすまなかった。それと……そこまでして助けたいと思ってくれたのは、その、とても嬉しく思う。……ありがとう」


 その表情は本当に嬉しい人が浮かべるもので、私はほっとして、満面の笑みを返した。


「いいえ。サイード様がご無事で、本当によかった!」


「そなたら……二人の世界に浸るのはよいが、よもや余の存在を忘れておるのではあるまいな」


 そこに割り込んで来たのは、呆れ果てたような男性の声である。


「陛下!」


「も、申し訳ございません!」


「まあよい。ここまで知られてしまったのならば、アーファリーンにも話しておいた方がよいだろう。まあ、余の目論見(もくろみ)通り、というところだが」


「目論見、ですか……?」


 訝しげな顔をするサイード様に、陛下は苦笑した。


「初めてここで相対(あいたい)した時から強く興味を惹かれておるようだったから、散々機会を作ってやったというのに……あまりにも煮え切らん態度に苛立って、こんな良い女、もういっそ奪ってやろうかと思ったぞ」


「なっ……父上、お戯れを!」


「フン、若いくせに無駄に理性的で、さっさと腹をくくらんお前が悪い」


 気楽に胡坐(あぐら)をかき、ジト目で腕組みをするその姿は……どうにも威厳あるいつもの皇帝陛下のものとは思えない。それに、今聞こえた呼び方は――


「え、父上って……」


 驚いて聞き返すと、返ってきたのは想像もしていなかった事実だった。


「ああ、こいつの本当の名は、メフルザードという。ようやく帰って来た、()の息子だ」


「ええっ、サイード様が、陛下の!?」


 驚く私に気まずそうに頷いて見せたサイード様の正体は、実は皇帝陛下の死んだと思われていた第一子、メフルザード様なのだということだった。後を絶たない刺客(しかく)の手から守るため、あのとき母子共に亡くなったことにして、状況が落ち着くまではと姉に託したのだという。


 だが長じても第一皇子としてアルサラーン陛下の息子に戻ることを(かたく)なに固辞(こじ)する彼に、陛下は一計を案じたということらしい。


「確かに、お前には皇位を継ぐには少々真面目で優しすぎる部分がある。だが……ようやく見付けられたのではないか? それを補ってくれる存在を」


「……はい」


 皇帝陛下は目を細めて息子を見ると、満足そうに笑って言った。


「では、そろそろ夜も更けた。()()()()を、自室まで送ってやれ」


「かしこまりました」


「お前達は、互いの真実(ほんとう)の願いを……見失わぬようにな」


 私たちは深く頭を下げると、部屋を後にした。


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