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第32話 瑠璃色の誘惑

「お母さま、おかえりなさいませ!」

「なさいませー!」


 ゴルバハール様のヴィラに入ると、そこで遊んでいた二人の少女が顔を上げた。少女たちはそれぞれマハスティ様とゴルバハール様の娘、つまり皇女である。六つ歳の離れた二人の皇女は母親たち同様に仲が良く、よく一緒に遊んでいるようだ。やはり環境が似ている者同士は、仲良くなりやすいのだろうか。


 西方風にカーブを描いた猫脚の椅子をすすめられて腰を下ろし、私はあらためて部屋の壁面に目をやった。そこにはところ狭しと丁寧に額装された絵が飾られていて、絵画の蒐集(しゅうしゅう)に目がないのだというゴルバハール様らしい感じである。


 私はその隅っこにひかえめに飾られている額を見つけて、思わず注視した。どうやら薄い銅板を叩いて凹凸をつけ、絵の具を使わずに立体的な絵画を表現したものらしい。それもいい感じに(いぶ)されて、渋みのある色になっている。


「あの絵、凹凸による光と影の対比がとても素敵ですね。いつの年代の作家の物ですか?」


 そう私が問うと、ゴルバハール様は少しだけ頬を赤らめながら言った。


「あら、これは最近デルカシュ様から習って、わたくしが自分で作ってみたものなの。拙くて、お恥ずかしいわ」


「えっ、ゴルバハール様が作られたのですか!? この深みのある部分の色使いは、どうやって……」


「ああ、それはいぶし液というものを使うのよ。白酢とアモンの塩で作れるの」


 なっ……銅の黒化を、そんなに簡単に起こす方法があったの!? 黒化は人為的(じんいてき)に起こすことができる……ならまさか、()()も!


 これは言うべきか言わずにおくべきか私が迷っている間も、ほか四名による会話が進んでいく。しばらくして、マハスティ様の言葉が耳に入ってきた。


「――それにしても、今年の新年はつつがなく済んでよかったわ。それにここのところ、後宮の雰囲気が全体的に良くなってきているわよね。問題が起こっても疑心暗鬼で終わらせず、皆が納得できる答えを示してくれるアーファリーンのおかげでしょう。感謝しているのよ」


「そんな……」


 そう言われると、いよいよ黒化の疑問は口にできなくなってしまった。それにこれまでも気がかりな点をいくつか無かったことにしてるから、なかなか後ろめたいものがある。


「そ、そういえば、ゴルバハール様がおっしゃっていた珍しい絵画とは、どれでしょう」


 私が慌てて話題をそらすと、ゴルバハール様は満面の笑みで控えていた侍女に合図を送る。すると部屋の外から、侍女二人がかりが必要な大きさの絵画が運び込まれた。


 そこに描かれているのは、オアシスとそこで沐浴(もくよく)する乙女たちの姿である。そのオアシスの水面は、見たことがないほど鮮やかな青で描かれていた。


「まあ、とっても美しい青色ね!」


 感嘆の声を上げるマハスティ様に、ゴルバハール様はニコニコしつつ物騒な答えを返す。


「この色は『世界で最も美しい青色顔料』と言われておりまして、本物の瑠璃の宝玉を砕いて作られるものですの。あまりにも高価なもので、この美しい瑠璃色を手に入れるために借金を重ねて身代(しんだい)を潰し、自殺してしまった画家の作品なのですわ」


「あら、美に魅入られるって、怖いものねぇ……」


「うふふ、アルサラーン陛下は青がお好きらしいから、これを見に来てくださらないかしら!」


 美しい青を追求して破滅してしまった画家の絵かぁ……。ちょっと不吉なような気もするけれど、好きな人にとってはその『いわくつき』な来歴にも、たまらない魅力があるのかもしれない。


 その後もしばし、楽しくお茶をした後に。今日はこのまま泊まるというマハスティ様の娘を置いて、私たち四人はゴルバハール様のヴィラを後にした。


 帰路の途中で厨房に用があるのだというアーラとレイリを見送って、マハスティ様と歩き続けていると。彼女はしばしの無言の後に、やっぱり誰かに話をしたいといった様相で、口を開いた。


「喜んでいるゴルバハールには申し訳なくて、さっきは言えなかったのだけれど。実は陛下が青を好まれるのは、ホルシード様がお好きだったかららしいのよね……」


 それでさっき青の話を聞いていたときに、マハスティ様も笑顔がちょっとぎこちなかったのだろうか。不穏な来歴のせいかと思っていたんだけど、まさかここで、あのときに聞いた名前が出てくるなんて。


「そういえばホルシード様って……以前少しお名前をうかがったことがあるのですが、陛下とはどういった関係のお方なのですか?」


 ここぞとばかりに質問した私に、マハスティ様はぽつぽつと語り始めた。


「ホルシード様は、アルサラーン陛下の覇道の途中に亡くなった、ひとり目の奥様よ。だから今でも、第一妃は欠番なの」


 この後宮には、正妃の部屋がある。だが完成してからずっと、空き部屋になっていた。表向き、ここはいずれ立太子した息子とその母親が入ることになっているが……実は現在、中には第一妃ホルシード様の肖像画が飾られているのだという。


「それほどまでに……どんなお方だったのでしょうか?」


「わたくしも、人づてに伺っただけではあるのだけれど……」


 ホルシード様は皇帝陛下より一つ年上で、まだ気軽なただの部族長の息子だった幼い頃から、親しく育った幼馴染だったのだという。だが彼が砂漠の未来を憂いて統一戦争を始めたことで、悲劇が起こった。――敵対する部族の者に人質にされた彼女は、自ら命を絶ったのだ。


『どうか貴方の信じる道を、まっすぐに歩んでくださいませ。わたくしはひと足お先に、地獄でお待ちしております』


 愛する妻と生まれたばかりの息子を(とら)われ、思わず武器を捨てようとした若きアルサラーンの目の前で……彼女は笑って、突きつけられた刃へと自らの首をすべらせた。そして息子も、その時に――。


 以降の彼は、まるで人の情など全て棄て去ってしまったかのように、冷酷に、その血塗られた歩みを進めていった。そして、この砂漠の大帝国は築かれたのである。


「――でも跡継ぎがいなければ、陛下が亡くなった途端にまた戦乱の時代に戻ってしまうわ。それに妃も子もたくさんいれば、悪意ある者の矛先(ほこさき)を少しでも迷わせることができるでしょう? この後宮は、そんな妃や子らを守るために作られたの。けっして、人質を閉じ込めるために作られたものではないのよ……」


「そんな経緯が、あったのですね……」


「皇帝は、絶対強者でなくてはならない。弱さを見せてはならない。そんなあの方のお心を、わたくしは少しでもお守りしたい。叶わぬ想いだとは、分かっているわ。でも……この後宮(ハレム)が、少しでもあの方の癒しとなるように」


 そこで彼女は立ち止まり、しばし沈黙すると……私へと向き直り、どこか(かな)しそうな笑みを見せた。


「だからね、いつも問題を解決してくれる貴女には、本当に感謝しているのよ」


「それは……恐れ入ります。でも、お役に立てているのであればなによりです」


 再び無言で少し歩いて、第二妃であるマハスティ様のヴィラの前で別れると――その少し離れた隣には、話に聞いたばかりの正妃のためのヴィラが見える。


 私はその中を、少しだけのぞいてみたくなった。彼女は一体、どんな女性なのだろうか。浮ついた気持ちではないはずだけど、なぜか、気になって仕方がない。


 建物の裏からそっと窓縁(まどべり)に近づくと、私はこっそりと窓にかかっていた薄幕をめくり、中へと目を凝らした。アーチ状にくりぬかれた窓の向こうには、薄暗い部屋が広がっている。向こうの壁に掛けられた額縁を見つけ、さらに目を凝らそうと思わず身を乗り出すと……部屋の中から、甘い香りが漏れていることに気がついた。


 この脳を(とろ)かすような、どこか甘ったるくも感じる匂いは、香木(こうぼく)()いたものではない……毒気(トルエン)だ!!


 慌てて辺りを見回すと、入り口の前に皇帝陛下の護衛を務める小姓が二人立っている。これはつまり、今まさに陛下が中にいらっしゃるということなのだろう。私は思わず入り口の方へと駆け出すと、護衛に向かって叫んだ。


「すみません、今すぐ中に入れてください!」


「なりません! ここで瞑想されている間は、誰も通すなと言い付けられているのです!」


「いいから、陛下が危ないの! 強い毒気が、この部屋に!!」


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