第16話 まさかこんなもので
「ね、ねぇ、その後、猫の様子は……」
「峠は越えて、症状はかなり落ち着いたみたいです。けど……まさか、パラストゥー様に心配していただけるなんて」
私が思わず目を丸めて言うと、パラストゥー妃は視線をまっすぐこちらに向けて、ムキになったように叫んだ。
「なっ、なによ悪い!? ちょっと気になっただけだから!」
だがその最悪のタイミングで、ヴィラの入り口からバハーミーン様が顔を出す。
「ファリン、言うの忘れてたんだけど……ってパラストゥー! なによ、そろそろ死んだか確かめにでもきたの!? 帰って!」
「はぁ!? なんて言い草かしら! 心配して見に来てやったのに!」
そこから再びヒートアップした二人を、どうにかこうにか宥め終えてから……私はようやく、半日ぶりに自分のヴィラへと戻ることができた。しかし事件は、まだ終わりではなかったのである。
◇ ◇ ◇
「ねぇねぇ聞いて、聞いてよ! 今度はソルーシュ様が、何者かに火傷を負わされちゃったんだって!」
大理石に覆われた広間で顔を合わせるなり、レイリはそう勢い込んで口を開いた。重要な話があるから全員集まれと呼び出されたのだが、まさかそんな重大事件が起こっていたなんて。
レイリの話によると、事件が起こったのはつい先刻、皇子が庭で遊んでいたときのことである。母親やその侍女たちがほんの少し目を離したすきに、皇子が姿を消した。慌てて探すとすぐに見つけられたのだが、その時にはもう、腕に大きく爛れるような熱傷ができていたらしい。
それを見たパラストゥー様は、当然のごとく怒り狂った。そして今まさに、犯人探しが行われようとしているというのだ。
妃全員に加え、評定役がわりのサイード様たち三名の小姓が到着したところで……話し合いが始まった。
「サイード様、どうか見てくださいませ、この酷い火傷を!! 可哀そうに、この形はきっと火箸でも押し付けられたんだわ!」
だが烈火の如く怒る母親に対し、ソルーシュ皇子はどこかオドオドと小声で言った。
「ちが、ちがうの、なにもないのにじゅわってなって……」
「何もないのに、庭でそんな火傷などするはずがないでしょう! 脅されているの!? 大丈夫、ちゃんと母が守ってあげるから、犯人の名を言いなさい!」
「でも……」
「ほら、正直に言っていいのよ。あの小母さんにやられたんじゃないの!?」
そう言ってパラストゥー妃が真っすぐ指さしたのは、バハーミーン様の方である。突然槍玉に上げられた彼女は、慌てたように顔を真っ赤に染めた。
「なっ、わたくしですって!? 言いがかりはよして!!」
「なによ、猫に毒を盛ったのはわたくしだと、先に言いがかりをつけて来たのはそっちじゃない! さては、逆恨みしたんでしょう!?」
ソルーシュ皇子は、もともと実年齢よりどこか幼い雰囲気の子どもである。そんな彼はとうとう、母たちのあまりの剣幕にべそべそと泣き出してしまった。こんな状況では、建設的な話し合いなど無理だろう。
――何もないのに火傷するなんて、まさかこれも呪いでは?
そんなヒソヒソ声が聞こえ始めたところで、私はサイード様に耳打ちした。
「庭で火傷を負わせられるもの……ちょっと心当たりがあります」
「本当か!?」
「はい。今からソルーシュ皇子が発見されたという場所に向かってみますから、皆様には上手く言っておいてください」
「いや、俺も同行しよう」
サイード様は小姓の少年たちに短く何か伝えると、私をうながして未だ言い争いの続いている大広間を後にした。
◇ ◇ ◇
「ソルーシュ様に火傷を負わせた凶器が見つかりました。それは……太陽光です」
「「は?」」
サイード様に頼んでバハーミーン妃とパラストゥー妃のお二方、そしてお付きの侍女たちだけを再び広間に集めて……私はそう、静かに告げる。すると二人はきれいに揃って、信じられないと言わんばかりの声を上げた。
「太陽ですって!? いくら日差しが強くても、こんなくっきりとした形に火傷なんてするはずがないわ!」
続けて声を上げたパラストゥー様に対して、バハーミーン様は黙っているが……やはり釈然としないようである。私は二人に交互に目をやると、説明を続けた。
「でもこのとても大きな草が犯人であれば、あり得るのです。これは花独活の一種なのですが、樹液にとても強い光毒性があります」
私は高脚の卓子上に用意しておいた布包みを開くと、中に入っていた『まるで樹木のように大きな草』の一部を見せた。私の腕ほどの長さがある緑色の茎はまっすぐで、その先に白い小さな花をこんもり集めたような可愛い花束がついている。
だが親指ほどの太さがあるこの茎は、木であれば『枝』にあたる部分を切り取ったものだ。先ほど焼却処分を済ませたこの個体の全長はサイード様の頭より少し高いくらいだったが、さらに成長すれば今の二倍近くにも達していただろう。
「光……毒性?」
訝しげな声を上げたパラストゥー様に、私はしっかりとうなずいて見せた。
「はい。それが皮膚に付着しただけでは、特に問題はありません。しかし付いたまま太陽光を浴びてしまうと……火傷と全く同じ、熱傷を負うのです」




