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第11話 『呪い』は噂が作るもの

 ここ後宮(ハレム)を構成する建物の多くは一つ一つが小さめで、開放型の渡り廊下で網目のように連結されている。四年ほど前に空調(エアコン)用の魔道具が全館に配備されるまで、諸々の構造が風通し最優先になっていたためだ。


 そんな渡り廊下には一応屋根があるものの、午後の傾いた日差しはしっかりと差し込んでくる。私は肩にかけていた薄手のショールを広げると、頭にふんわりと被り直した。


 この淡い桃色のショールは、マハスティ様から「着ようと思って買ったんだけど、やっぱり色味が若すぎたから」と、先日譲っていただいたものだ。私にもちょっと可愛すぎるかなと思ったけれど、なんだかんだで最近一番のお気に入りである。


 そんな午後の陽気のもと、サイード様と連れ立って歩くこと、しばし。件の呪われていると噂の廊下にたどり着いて、私は通路に敷き詰められた石畳へと目をやった。平たく削り出された大理石の敷石は美しいけれど、濡れたりすると元からまあまあ滑りやすい。だがこの部分だけ特に滑りやすいのには、理由があった。


 ここの廊下は後宮でも外廷に近い位置にあるという関係上、外廷にある建物の屋上から覗き込めるようになっている。それがこの宮殿の密かな観光名所になっていることが一昨年に発覚して、通路沿いに目隠し用の樹木が植えられたのだ。


「ここの敷石、他の場所と比べて、ずいぶんと黒ずんでいるでしょう? これは通路に沿うように植えられている木の樹液が、敷石に堆積(たいせき)しているからなんです。その樹液のせいで、ここは他の廊下よりもかなり滑りやすくなっているのかと」


「確かに植物の周囲は汚れやすいが、この黒ずみが樹液だと? この木は特に樹液の出やすい品種には見えないが」


 首を傾げるサイード様に、私は葉っぱを一枚ちぎって見せる。そのまま指先で断面を辿ると、たちまち緑の線が肌に描かれた。


「ほら、傷口からあふれ出るほどの品種でなくとも、樹液はどんな木でも少しずつ出ているものなんです。特にここの木は通路にかからないよう小まめに剪定されているので、余計に断面から樹液が落ちやすかったんだと思います」


「なるほど。だがその理屈では、妃のみが転ぶ理由にはならないと思うのだが」


「答えは、この靴のせいですね」


 私はゆったりとしたバルーン状になっている脚衣(きゃくい)の裾を軽く持ち上げると、靴を見せるように右足首を傾けた。


「この、今妃たちの間で流行している西方伝来のかかとの高い木靴……これは靴底が狭く不安定で、かつ素材も木製で滑りやすいのです。でも使用人たちのように底の平たい獣皮の靴を履いていると、めったに滑ることはありません。それが使用人たちは無事で、妃たちだけが転ぶ理由ですね」


「なんだ、そんなもの、その靴を履かなければ良いだけではないか。知っていたのなら、なぜもっと早く皆に注意しなかったんだ?」


「それは……かかとの高い靴って、脚をとても長く綺麗に見せてくれるんですよ。その代わりに履いて歩くと指先がとても痛むのですが……その痛みに耐えて、滑りやすいことも薄々気づきながらも、皆さま好んで履かれているのです。それなのに危ないからやめろだなんて言ったら、絶対にウザがられるじゃないですか」


 今回の噂の出どころは、どうやら後宮で働く使用人たちだ。危険なことに気づきつつ、それでも必死に自分を美しく見せようとする妃たち。その様子に呆れと妬みが混じり合い、面白おかしいヒソヒソ話にされているのを……実は通りがかりに、聞いてしまったことがある。それが口から口へと伝わるうちに形を変えて、今のような呪いの噂となったのだろう。


「まさか……滑ると分かっていてあえて履くなど、俺には理解できん」


 呆れたような顔をするサイード様に、私は困ったような笑みを返した。


「そこは価値観の違いでしょうか」


「君も、そうなのか?」


「それはまあ、せっかくいただきましたので……」


 実のところ私自身には特に陛下の目を引きたいという動機はないんだけれど、これは木靴が流行し始めた頃に、デルカシュ様に贈っていただいたものなのだ。せっかくいただいたものを履かないのは申し訳ない気がするし、なによりみんな履いているから、一人だけ履かずに浮きたくないというのが本音である。


 でも実家などの支援者がいない私が、流行りの靴をすぐに手に入れるのは難しい。だから「この色、貴女にきっと似合うわ!」とこれを手渡されたときは、本当に嬉しかったのだ。だから少々痛くても、履き続けているというわけである。


「分かっていてやっていることならば、改めて危険を周知したところで反発を生むだけだろうな……」


「ですね……」


「とはいえ、大事な身である妃たちが転びやすい状況は看過できん」


 サイード様は深くため息をつくと、困ったように腕を組んだ。今はその治世を盤石にしたい時期なのに、皇帝陛下にはまだ幼い皇子が一人と、皇女が二人しかいないのだ。妊娠初期の妃がそれに気付かず転んでしまう事態は、できるだけ避けたいことなのだろう。


 しばらく無言で解決策を考え込んでいたらしいサイード様の口からようやく出てきた解決策は、根本的だが労苦を伴うものだった。


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