僕が本当に結婚したい相手は「暴走令嬢」です
「ドラ、君がまた婚約破棄されたって聴いたけど」
僕がそう云うと、ドラ・ワイドは本から目を上げた。めがねがきらっと光る。
「ねえ、ザグ・ザソウル。そういうのって、面と向かって訊くの、どうかと思うよ」
「あ、ごめん」
「まあ、事実なんだけど」
ドラはふっと、鼻から息を吐く。
ここは、アシャンテ王国の国立学校、その図書館だ。図書室、じゃない。邦の学校には、小さな図書室があるだけだったけど、ここには大きな建物がまるごと書庫みたいな図書館がある。ドラの家にある書庫を百軒くらい集めてまとめたような場所だそうだ。
とにかく、どこを見ても本、本、本。どこもかしこも本だらけで、多分王国民とここの本の数を比べたら、ここの本の数のほうが多いんじゃないかと思う。アシャンテはそんなに大きな国じゃない。
その図書館に年中いりびたっているのが、ドラ・ワイド、僕の幼なじみだ。
年齢は僕の一歳下で、十六歳。少しだけ上を向いた可愛い鼻と、滑らかなはちみつ色の肌、しっとりした漆黒の髪の持ち主だ。ただし髪の毛は、上流階級女性にあるまじき短さで、肩胛骨を覆うくらい。上半分を器用にまとめてお団子にしている。
いつも淡い色合いの、ふんわりした裾と袖のドレスを着ている。これは三十年くらい前に流行った型で、今これを着ている人間はほとんど居ない。僕のおばあちゃんくらいかな、直に知ってるひとで云えば。
彼女はあんまり、外見にこだわらない。お気にいりの耳飾りは、小さい頃に彼女が母方のおばあさまにねだって譲ってもらったもので、ずっとつけている。貝殻がぶどうみたいに吊り下がったものだ。装飾品と云えば、それくらい。
でも彼女は、凄く可愛い。のんびりしていて、優しいし、博識だし……。
それに、僕よりもずっと強い。大きな〈力〉を持っている。
図書館七階の、露台にある小さな円卓を、僕達はつかっている。ドラは毎日そこで、日にあてても問題のない本を積み上げて、読んでいるのだ。授業もうけずに。
「どうせ、破棄されるの。だから、婚約なんてしない、結婚もしない、したくないって、あれだけ云っているのに。わたしよりも強いひとなら、気まぐれを起こしてくれるかもしれないけどね」
「ドラ」
「本当のことでしょ? 誰も「暴走令嬢」なんて相手にしないし、したくない」
僕は頭を振った。ドラはそれをなぐさめだと思ったようだ。優しい微笑みになって、向かいに座った僕の手を軽く叩く。「ありがとう、ザグ・ザソウル。優しいのはあなただけ」
そうじゃない。僕が彼女と結婚したいから、否定したんだ。
僕の家とドラの家は、どちらも「旧王家」だ。
アシャンテで旧王家というのは、今は「パルディオ」「カフジ」「プレミール」「ヴォルト」の血をひいた家を指す。これは、アシャンテを建国した五人のうちの四人。
残りひとりの「ガルダン」の子孫が、今の王家だ。
といっても、これは不動のものじゃない。王さまの〈力〉が弱くなったり、権力が維持できない状態になったり、凄く強いひとが旧王家から出てきたりすると、アシャンテではほとんど毎回、戦が起こる。
他国と争う訳ではなくて、国内で争うのだ。玉座を狙って。
アシャンテでは、王さまになれる人間というのは決まっている。
建国した五人の誰かを祖先に持つ、男性であること。
それだけだ。それ以外は、完全に力で決まる。権力でも財力でも、勿論〈力〉でもいいけど、ほかの血筋のひと達を黙らせる必要がある。まあ、同じ血筋同士で争ったこともあったらしいけど、それはまれだ。
これは主の御心に従った結果の王位の継承で、だから文句をつけるひとは居ない。それをかえようとしたひとも居ない。
何故なら、そうやって王位を継いでいくと、主と約束をしたことで、アシャンテの人間は〈力〉を手にいれたからだ。いつつの家系のどれかが途絶えても、他国へ行ってしまっても、それ以外の家系の人間が玉座に座っても、アシャンテ王国から〈力〉は失われる。
〈力〉の多寡は、凄く大きな要素になる。
〈力〉は、僕らのようなアシャンテの上流階級なら、誰だって持っていて当然のものだ。一般市民でも持っていることがある。空を飛んだり、なにもないところから火を出したり、水を出したり、いろんなことができる。
ひとによってできること、できないことはあるし、〈力〉の強い弱いもある。基本的には、顕現した時期がはやければはやい程、〈力〉が強く、できることも多いということになっている。
それで、僕は四歳、ドラは三歳で〈力〉が顕現し、幼すぎる〈力〉の保持者がはいる僧院へやられた。
僕はパルディオ、ドラはカフジの子孫だ。本来なら、僕らがこんなふうに、授業をぬけだして一緒に図書館に居るような、親しい仲になることはない。玉座をめぐる争いはいつ起こるかわからないし、争いが始まったら僕らみたいな大きな〈力〉を持った者は、家系をまもる為に戦うからだ。
でも、僕もドラも、顕現がはやすぎた上に、〈力〉が強すぎた。親や家族が制御できるものではなかったのだ。
だから、同じ僧院に預けられた。〈力〉を弱める〈力〉を持った僧が居るところだ。そこで僕達は、自分の力で傷付かないように〈力〉を弱められ、三年間、一緒に暮らしながら、〈力〉を制御するすべを学んだ。
僕がドラを好きになったのがいつだったか、覚えていない。ただ、気付いた時には好きだった。それだけだ。
だから、楽しい三年があっという間にすぎて、それぞれ〈力〉の弱化を完全に解かれ、家族のもとへ戻ることになった時、僕は哀しかった。ドラも哀しんでくれた。僕の為に泣いてくれた。
ドラに再会したのは四年後、王立学校へはいって一年経ってだった。新入生のなかに彼女が居たのだ。「暴走令嬢」ドラ・ワイドが。
四年の間に、彼女はかわっていた。
昔は無邪気に笑ってくれたのに、みんなの前ではむっつりしていて、すぐに図書館へ逃げ込んでしまう。友達をつくろうとする様子さえなかった。というか、彼女に近寄る人間が居ない。「暴走令嬢」と噂して、こわがって怯えた様子で距離をとるだけだ。
彼女が授業をうけなくても、教授達はなにも云わなかった。
云える訳がない。彼女はとんでもない〈力〉を持っていた。それを暴走させて、大勢に怪我をさせたから、彼女は「暴走令嬢」と云われているのだ。
彼女は図書館へこもっていて、僕も次第に授業をぬけだして、そこへ通うようになった。教授からの文句はやっぱり出ない。だって、僕も大きな〈力〉を持っているから。
彼女ははじめ、僕を避けた。でも、段々と、僕が居ても逃げなくなった。
そう。逃げているんだ、彼女は。自分の為にじゃない。ひとを傷付けないように、ひとの為に逃げている。
「ザグ?」
「うん」
「あなたこそ、結婚はまだなの?」
ドラは本をテーブルへ置いて、ぱたんと閉じた。
僕は脚を組みかえる。唸り声が出てしまった。
「なあに?」
「ああ、うん。まあ……いろいろとあるんだよ」
「いろいろって」
「いろいろは、いろいろだよ」
ドラは糖蜜色の目で僕を見て、数回瞬いた。僕は肩をすくめる。
彼女はそれ以上、僕からはなにもききだせないと思ったようで、ふうん、と納得したようなしていないような声を出し、別の本を手にとった。
僕は席を立ち、露台の端まで歩いていく。
実際のところ、僕の婚約は、そろそろ果たされようとしていた。
親の思惑はわかっている。僕を結婚させて、莫大な持参金を得る。それだけだ。
旧王家と云っても、どこもかしこも潤っている訳じゃない。パルディオの家系はこのところ、主との約束を違えて途絶えそうなくらいに金がなかった。
どうしてか? それならはっきりしている。旧王家のなかで、パルディオが一番、玉座に座っていない期間が長いからだ。それだけじゃない。パルディオの子孫が王になったことは、ほとんどない。
そもそもパルディオの家系は、初代と同じで、物理的な〈力〉を持たないことが多い。
例えば、土を変化させて壁をつくったり、敵を凍らせたり、そういう〈力〉じゃないのだ。
僕らパルディオの家系に多くあらわれるのは、幻の〈力〉だ。
ありもしないものをあるように見せる。
存在しない音を聴かせる。
見える筈がないものを見せる。
幻の〈力〉は強くても、尊敬はされない。何故って、卑劣だからだ。
そりゃあね。
例えば、同学年に居るガルダンの子孫、王太子のログ・ガーブは、木に干渉する〈力〉を持っている。
敵に対しては、木の枝や根を操って攻撃し、戦い以外の時には植物を健やかに生育させる手助けをできる。つまり、戦いが起これば敵を蹴散らし、戦いがなければみんなのおなかを充たすことのできる〈力〉なのだ。
でも僕は、幻を操るだけ。
戦いには凄く便利だろう。敵には僕の姿が味方に見えるようにしておけばいいし、例えば敵同士にお互いを敵と思い込むような幻を見せることだってできなくはない。そうしてしまえば、簡単に仲間割れさせてしまえる。
それは、アシャンテの価値観では、卑劣で卑怯なことなのだ。
卑劣な〈力〉を持っていても、婚約には役に立たない。パルディオの子孫のなかでも特に卑劣だというのが、みんなの僕に対する評だ。僕は幻の〈力〉しか持たない。
それも特大のものだ。それだけ僕が卑劣だというのが、みんなの意見である。
だから、そんな僕に婚約者が居るのは、はっきり云って奇跡に近い。主の恩寵だとは、両親の意見である。僕はそうは思わない。こんな邪魔っ気な婚約がなければ、ドラと一緒に僧院へこもることだってできたのに。
もし彼女がいやがらないなら、結婚だってできたかもしれない。
ドラが本を閉じた音がする。
「お午だね」
「うん」
「ご飯、食べる? ザグ」
「どうしようかな」
「ねえ、わたし、おいしいトマトを食べたい」
「……アル卿に分けてもらう?」
下を見ていた僕は、振り返って、手すりに体を預けた。ドラはにっこりして立ち上がり、僕が数回瞬く間に本を棚へ戻してきた。
「ザグ、行こう」
「うん」
僕らは手をつないで、露台から飛び降りた。
ドラが〈力〉をつかってくれたので、僕らが怪我をすることはない。彼女が〈力〉を暴走させたことがなかったら、きっと王太子の婚約者になっていただろう。そうそう、いつつの家系は、婚姻することもある。その場合、子どもは父方の家系に組み込まれることになっている。
ただし、そんなことはめったにない。問題が起こりかねないからだ。とっても厄介でとっても煩わしい問題が。
でも、そんな問題を気にしなくてもいいくらいに、彼女の〈力〉は強い。暴走さえなかったら、彼女は今頃王太子妃だったかもしれない。
ドラは裸足で歩いていく。彼女はくつをはくのを嫌う。締め付けられるのが嫌いなのだ。だからドレスも、いつの時代かわからないような締め付けの少ないものを着ている。
そういう些末ないらだちが、暴走につながるから。
彼女は数m先まで云って、笑顔で振り向いた。
「ザグ、綺麗なものを見せて」
「いいよ。なにがいい?」
「ながれぼし」
僕は頷いて、右手をあげ、それを真下へおろした。ドラははしゃいだ声をあげ、それからくすくす笑う。「お花が降ってる」
「あ、失敗した。ごめん」
「いいよ、綺麗だから。流れ星よりも素敵かも。ありがとうね、ザグ」
ドラが嬉しそうで、僕は嬉しい。
授業棟から、生徒達が出て来るのが見えると、ドラの笑顔は消えた。彼女は立ち停まり、怯えた顔でそちらを見ている。
僕は彼女に駈け寄って、華奢な体を抱え上げた。幻の〈力〉しかなくても、これくらいのことはできる。
僕はそのまま、剣衝洞へ向かって走った。
「ザグ、ありがと……」
「……ううん」
僕は剣衝洞の手前、ぶどうの棚のところで、息を整えていた。年に二回成る品種のぶどうで、一回目は収穫済み、二回目がそろそろ熟れるくらいになっている。
ドラは、かがみこんだ僕の側に来て、せなかを撫でてくれた。「わたし、弱虫で、ごめんね」
「……ドラは弱虫じゃないよ」
僕は姿勢を正すと、笑みをつくった。ドラは眉を寄せている。「行こう。アル卿、いらっしゃるだろうし」
「うん……」
剣衝洞は、今、プレミールの子孫であるアル・テルスター卿と、その妻が暮らしている。王家や旧王家の者、それに国にとって大きな功績をあげた者は、寮ではなく、個別に建物をあてがわれ、そこで暮らす。
それはなにも、強いからとか偉いからとか、それだけじゃない。僕やドラのように〈力〉が強すぎれば、危険があるからだ。暴走した場合、寮の建物が壊れるくらいではすまないかもしれないからね。
いつつの家系には、強い〈力〉を持つ者がうまれやすい。だから、最初から、問題が起こらないようにさきまわりして「隔離」しておくのだ。
「ドラ、あし、切っちゃうよ」
「大丈夫」
ドラはいつの間にか、藪の向こうに立っていた。にこっとして、僕を手招いている。彼女は華麗に〈力〉をつかう。
僕は微笑んで、ドラに追いついた。ドラは僕の手を握る。僕はドラの手を握り返してから、こぢんまりした建物へ向かっていった。
「ごめんください」
声をかけると、従僕のイオ・ニアスフードが出てきた。鼻の頭が土で汚れている。「はい……ああ、ザグ卿」
「こんにちは」
僕は軽く頭を下げる。ドラもだ。イオは戸惑ったふうにしたけれど、すぐににこっと笑ってくれた。
「アル卿は居ますか?」
「はい」
「それじゃあ、取り次いでください」
「かしこまりました。そちらでお待ちください」
示されたベンチに、ドラと並んで座った。イオは建物の脇へ走っていく。アル卿は裏庭に居るのだろう。
ベンチがちょっときしんだ。これは多分、アル卿がつくったのかな。彼は農作業にこっているけれど、最近は大工のまねごともしているらしい。
僕もドラも、僧院ですごした時間が長すぎた。
そこには、一般市民の子も預けられていた。〈力〉を持たない家族のなかに、突然うまれた〈力〉のある子達だ。家族は対処のしようがないから、〈力〉を扱えるようになるまで僧院に預ける。それにまざって一緒に育った僕達は、王侯貴族らしい言葉遣いも立ち居振舞も、できなくなってしまっている。
別に、あらためることはできた。でもしなかった。そんなことをしたって、すでに地に落ちている僕の評判はどうにもならない。
僕の婚約は、僕の〈力〉が卑劣だけれど有用で、もしかしたら次の王になれるかもしれないから、できたものだ。婚約者は僕を嫌っている。親に云い含められていなければ、すぐにだって婚約を破棄するのにと、そう云っていたのを聴いたことがある。現に彼女は、特に僕に隠すでもなく、恋人をつくっている。今までに何人居ただろう。
僕だって、親が勝手に決めなければ、それに僕の家が貧しくなければ……。
「ザグ?」
「……うん」
ドラは心配そうに僕を見ていたけれど、アル卿がざるを抱えてやってくると、それに気をとられた。僕とドラは立ち上がって、なんとかそれなりに見えるくらいのお辞儀をした。
アル卿は相変わらず、あまたの戦いで負った傷だらけだったけれど、僕らに対してやさしい。プレミールの子孫なのに、パルディオの子孫の僕にも、カフジの子孫のドラにも優しくしてくれるのだ。
彼が心優しいメサ・ベルデ嬢を妻に迎えたのは、当然のことだ。ベルデ家は王家に忠実だし、メサ嬢は可愛くて(勿論、ドラのほうがずっと可愛い)優しい。でも、ずっと〈力〉が顕現しなくて、王太子の婚約者だったのに、半年くらい前に婚約破棄されてしまった。それをアル卿が救った。
「今日は妻が居ないので、こんなものしか出せんが」
「ありがとうございます、アル卿」
「あとできちんとお手伝いします」
僕とドラはそう云って、アル卿が持ってきたきゅうりやトマトをぱくついた。トマトは味が濃くて、酸っぱさと甘さが丁度いい。きゅうりはぱりぱりしたものとしゃきしゃきしたものがあって、品種が違うそうだ。
イオが戻ってきて、アル卿の妻がつくったという漬けものと、パンをくれた。メロンの未熟果を浅漬けにしたものと、干しぶどうのはいったパンだ。
めいっぱい、アル卿夫妻の丹精した食べものを楽しんだ僕らは、アル卿の手伝いをした。彼は今、授業を半分くらい休んで、農作業に精を出している。
僕とドラは、甘い匂いのする液体を、ざると布をつかって漉した。土壌改良の為にそれをうすめてまくのだそうだ。今日はしないみたいで、漉したものはつぼへいれた。〈力〉は、僕もドラもつかわない。
メサ嬢は、友人のカン嬢と、女中と一緒に出掛けたそう。農家まで、苗を買い付けに行ったらしい。
僕の婚約者も、ドラのもと婚約者達も、〈力〉を持った王侯貴族だ。という訳で、校内に居る。顔を合わせることもある。
毎日アル卿のところへおしかける訳に行かないので、僕らは普段、お午は大広間で食べる。好きな席で食べていいし、僕らが一緒に居ても誰も困らない。という訳で、僕とドラはいつも一緒にご飯を食べていた。
ドラのもと婚約者達が、ちらちらと僕をうかがっている。なかには、不快そうにしているやつも居た。自分から婚約をなかったことにしておいて、どうして僕に文句があるような様子をするんだろう。幾ら僕が卑劣でも、ドラの婚約を邪魔するつもりはない。ドラは僕みたいな貧乏人と結婚して、苦労する必要はないのだ。
一方で、僕の婚約者は、お気にいりの男子生徒と同じテーブルに居た。様子からすると、あたらしい恋人のようだ。
僕は彼女に文句を云う権利はない。卑劣な〈力〉をとったらなにも残らない僕は。
ドラが彼女を横目で睨んでいた。
「わたしも、アル卿みたいに暮らしたいな」
僕とドラは、図書館の裏を歩いていた。
「できる? 僕らはたまに手伝うだけだけど、毎日は大変だよ」
「できないと思う」
「なにそれ」
「でも、やりたい」
ドラは子どもみたいに口を尖らせ、僕の腕を両手で掴んだ。「わたし達、〈力〉がなかったらよかったね」
「……〈力〉がなかったら、僕達出会わなかったよ」
ドラは顔をゆがめた。「意地悪、云わないで」
こんなふうにただ、時間がすぎていくんだ。
僕らはこうやって、親しい友人のまま、卒業したら縁が切れる。
別の家系だから。
それに、強すぎる〈力〉を持った同士、それぞれの家系が手放そうとしない。彼女の婚約の相手は、カフジの家系の男ばかりだ。
「ザグ・ザソウル。決闘を申し込みたい」
「は……?」
いやな予感はしていた。
ドラがあおい顔で、僕が暮らす毒爪洞へ逃げてきたのだ。たまたま、朝の散歩をしようと外に出ていた僕は、いつものふわふわしたドレスの彼女を抱き留めた。
そこに、毒爪洞の前の川を、わざわざ橋をつかわずに飛び越えて、彼女のもと婚約者達がやってきた。
僕に決闘を申し込んだのは、そのうちのひとりだ。名前は忘れた。ドラと結婚していたかもしれないやつの名前なんて、覚えたくない。
そいつがそう云うと、ほかのやつも険しい表情で云った。
「僕も、ザグ卿に決闘を申し込みたい」
「わたしもだ」
「あの」
遮る。「ちょっと待って。どうして僕と決闘を?」
「ドラ嬢がわたし達との婚約をいやがったのは、君が居るからだろう、卑劣卿」
ドラが婚約をいやがるのは、彼女がひとを傷付けるのをおそれているからだ。僕は関係ない。
反論しようと口を開いたが、ドラが僕をぎゅっと抱きしめてきて、それでわかった。
こいつらが云っていることは、まったく間違いという訳ではないらしい。
「ドラ?」
僕はおそるおそる、訊いた。
「あの……まさかとは思うけど。ドラが結婚をいやがっていたのは、ひとを傷付けたくないからだよね? お母さんにそう云ったって云ってたよね。自分が傷付けないですむ強い相手がいいって」
「……そう」
ドラは涙をうかべた目で、僕を仰いだ。
「ザグ・ザソウル、あなたはわたしくらいで傷付けられる相手じゃない」
ああ、なんてことだ。
ドラのもと婚約者達が笑った。
「卑劣な幻の〈力〉になにができる?」
「ドラ嬢はお前を買いかぶっているようだな」
「ばかな話だ……」
ドラは僕にしがみついて泣いている。「ごめんね、ザグ、わたし……ザグの婚約を邪魔する気はなかったの。ザグの邪魔をしたくないから……」
「いいよ、ドラ」
僕は頭を振った。「僕も、君を邪魔したくなかった。それに、親のいうことに逆らえなかった。僕は弱虫だから」
ドラのもと婚約者達が尚更笑う。
そう。僕は弱虫なんだ。
負けたことがないから、負けるのがこわくて戦いたくない。
僕はにっこり笑った。ドラが僕を好きだとわかったことが嬉しい。
右手をふりあげ、ゆっくりとおろす。もと婚約者達が悲鳴をあげた。
幻の〈力〉は、ないものをあるように見せたり、聴こえない筈の音を聴かせたり、それだけだと思っているひとは多い。単なる目くらましにすぎないという理解だ。
普通はそうだ。パルディオの子孫でも。
でも、四歳で〈力〉が顕現した僕は、もっと強い〈力〉を持っている。
大勢に、耐えがたい幻の痛みを与えることができるくらいに。
決闘で〈力〉をつかうことはなにも卑怯じゃない。幻の〈力〉そのものが卑怯なのはどうしようもない。それは主の責任で、僕の責任ではない。
ドラのもと婚約者達は、その場に倒れて動かなくなってしまった。〈力〉を解いたけれど、僕の〈力〉はあとをひく。彼らはしばらくうなされることになるだろう。
僕はドラを左腕に抱えたまま、溜め息を吐いた。
「ドラ」
「ごめんね、ザグ、あなた、〈力〉をつかいたくないって云ってたのに」
「いいんだ」
僕は肩をすくめた。「ドラくらいには、僕の〈力〉を見せてもいい。卑劣だと云わないでくれるから」
「ザグの〈力〉が卑劣なら、わたしの〈力〉も卑劣だよ。ううん、〈力〉そのものが卑劣。普通の人間ならつかえないものなんだから」
ドラの言葉は僕の胸にしみるようだった。
僕は深呼吸する。
「ああ、やらなくちゃいけないことがあるな」
親は僕に怒るだろうし、もしかしたら縁を切られるかもしれない。それが法的に根拠のあることでも、主の前で僕がパルディオの子孫であることはかわりがないから、僕はアシャンテから出ていくことも、旧王家から外されることもない。
僕はアシャンテ内で、ずっと肩身のせまい思いをすることになる。これからずっと。
僕はドラと一緒に、前庭を歩いていた。「だいじょうぶ?」
「どうかな。ドラ、一緒に来てくれなくてもいいよ」
「いや」
ドラは険しい顔で頭を振る。「わたしの為にしてくれるんだもん。わたしにだって、責任、あるから。一緒に怒られるよ」
「ドラ」
「ザグ、だから、これからずっと一緒だからね」ドラは心配そうだ。「わたしが失敗しても、居なくならないでね」
「そんなことしないよ。ドラこそ、僕が失敗しても呆れないで」
ドラは微笑んだ。
前庭に、生徒達が出てきた。そのなかには、僕の婚約者も居る。彼女は僕とドラが腕を組んで歩いてくるのに、表情をかたくした。
僕達は彼女へ向かって歩いていった。彼女は立ち停まり、僕らも立ち停まった。僕は深く、息を吸う。
「ジュバ・イワール、君との婚約を破棄したい――」
2022/05/20加筆修正しました。