かけがえのない世界
地球が未知のウイルスに侵されてから、約百年が経とうとしている。ワクチンはウイルスの猛威に間に合わず、沢山の人々が犠牲になった。しかしそれに対抗するように、テクノロジーは爆進的な進化を遂げ、人々のライフスタイルは劇的に変化した。ウイルスが蔓延する前と現在では、まるで異世界へ迷い込んだような錯覚を起こすだろう。
人々は外出する際は素肌を直接空気に触れさせぬよう、ボディースーツで身を包み、会話は口元に取り付けられたマイクを通す。つまり互いにコミュニケーションをするには、必ず何かしらの壁を通さなくてはならない。人々の直接的な交感、接触は不可能となった代わりに、映像や仮想空間を用いたサイバースペースが生活の中心となった。家にいてもコンピューターさえあれば、何でも事足りる時代になったのだ。
中学生の碧と美玖は幼馴染だ。小さな頃から兄弟同然で育った。しかし碧の母はウイルスに感染し、去年亡くなった。
美玖は碧より一歳年上だったので、碧にとっては姉のような存在だったが、この時ばかりは悲しむ碧にかける言葉が見つからなかった。
5月は碧の誕生日。
美玖は碧のために、お祝いをしてあげたいと思った。自分に何ができるだろう、まだ中学生なのでお金もあまりない。
美玖は色々考えたが、碧が毎年楽しみにしていたイベントの一つである夏祭りを、VRーつまり仮想空間上で再現する案に決めた。
小さい頃、碧と一緒によく夏祭りの花火を見た。美玖も碧も花火が好きだったし、碧の母が二人を花火会場に連れて行ってくれた。
ウイルスが世界に蔓延するにつれ、日本の一代風物詩、貴重な観光資源である花火大会はなくなってしまった。
実際花火を打ち上げることは難しいが、VRを持ちいればなんでも可能だ。
美玖の兄、紘人がコンピューター科の大学生だったので、昔一緒に見た夏祭りの再現を頼んだ。
誕生日にマシーンの作る無機質な料理は、碧に出したくなかった。
碧の母と一緒によく作ったケーキと、碧の好きな献立の手料理に挑戦することにした。
誕生日当日——。
碧は自分の頭上で上げられる花火を観賞し、とても喜んでいた。
紘人が作った花火と夏祭りの再現映像は見事で、臨場感があった。
本当に自分達が子供の頃に体験した、夏祭りそのものだ。
美玖の作ったちょっと不細工な形をしたケーキも、碧は全て平らげた。
碧の父と美玖の兄の紘人は、二人に内緒でちょっとしたサプライズを仕込んでおいた。
仮想空間上の祭りの人混みの中、手招いている人影があった。碧は涙ぐんでいる。
碧の母、湊だ。
湊は生前に自分の死を悟り、誕生日のメッセージを碧の父に頼んでおいた。
それを紘人が映像化をし、湊の立体型のホログラムとして投影した。本当に、湊が生き返ったようだった。
ウイルスによって奪われたものは計り知れない。ウイルスは人が生まれながらにして持つ触れ合いの欲求を、忌諱すべきものへと変えてしまった。しかし、それを補うように人は、人との繋がりの大切さを実感した。
テクノロジーの進歩は、それを実現可能にする大事な要素の一つだ。
碧と美玖、湊は人混みの中をはぐれないように、しっかりと手を握り合った。
碧は確かに母のぬくもりを掌に感じた。
3つのお題「異世界・手料理・花火」のキーワードを元にした短編です。
人間の生活はいずれデジタルテクノロジーによって補完され、二項対立ではないと言うことを書きたかった気がします。