第007話 魔物の森にて
(うわっ……)
村でも数年に一度ほど、山の奥深くに入り込んだ村人がモンスターに襲われる時はある。だが歴史も古いリックの村はモンスターを避ける手段に長け、直接の遭遇はしないで育った。第三騎士団の兵器・火焔猟犬等の聖獣達を初めて見たときはギョッとしたものの、味方を襲うことはない。だからこんな間近にモンスターの鳴き声を聞く機会は初めてだし、我が物顔で徘徊する野生のモンスター達を想像するだけで、リックは震え上がった。
怯え焦り始めたリックを見て、エメオラは申し訳なさそうな顔をする。
「大丈夫だ。魔物と言っても低級モンスターばかりだし、私は慣れている。安心してくれ」
「あ、はい」
確かに、エルフは森を住処とする種族も多いと聞く。冷静沈着なエメオラの様子を見てリックも多少はやわらぐが、そうは言っても不安である。
ガゥウウウ!!!
「うわっ、来たっ!」
いつの間にか、目視できる位置に鬼熊が現れた。腕がリックの胴体の二回りはある太さで、立ち上がった姿は村にある教会の屋根まで届きそうなくらい、とてつもなく巨大だ。
薄暗闇に光る鋭い眼は、リック達獲物を狙うそれである。襲ってこられたら一たまりも無いだろう。リックは動けない体を無理に動かして、這いつくばってでもテントに入ろうともがいた。
「大丈夫だ、下手に動くと怪我をする。ここで待っておけ」
エメオラはそんなリックを静止して鬼熊の前に進み出ると、詠唱を始める。すると右手が青白く光り始めた。
「風球!」
バシィ!!
エメオラの右手から発せられた青白い風球は、鬼熊にヒットする。
ギャァアオォオオ!!!
ボキボキッ! ドスッ!
風球の爆発で吹っ飛ばされた鬼熊は、何本かの木々をなぎ倒したあと、大木にぶつかった。すると倒れ込んだきり、ピクリとも動かなくなる。どうやら一発で仕留めたらしい。
「し、死んだんですか?」
エメオラの技に、リックは感嘆した。回復魔法や移動魔法は苦手らしいけど、騎士団に所属してるだけあって、攻撃魔法は得意なようだ。世話になっているのでエメオラを信用はしていたものの、ちょっぴり不安だったリックの心証は改善された。
「いや、気絶しているだけだ。この間に防御陣を引く。待っていてくれ」
エメオラは特に表情も変えず、今度はリックやロバのいるテント周辺を詠唱しながら歩き始めた。そう言えば、今の騒ぎでロバは全く鳴き声を上げなかった。よほど場数を積んでいるのか、年寄りで耳が聞こえないかなんだろう。そんなことをリックが思っているうちに魔法陣が完成したらしく、赤い光が周りを包み込んだ。
グォ、オ!
さっきまで倒れていた鬼熊も、のそのそと動き出した。まだフラフラするのか足取りは覚束ない。だがエメオラ達の強さを知った鬼熊は、反撃することなく森の奥まで逃げていった。この一部始終を見ていたのだろう、他に襲ってくるモンスターはいない。
ロバは夜が早いのか、既に寝ている。ここでようやく、リックはゆっくり動いてテントに移動した。中は広く、二人の寝床が厚い布で仕切られている。これならお互いを気にせず眠れそうだ。軽く夕食をとり、就寝した。
ギャァウウ!!!
キィイー、キィイー!!
襲ってこないとは知るものの、遠くで鳴くモンスター達の声は未だはっきりと聞こえる。やはりリックは気になって眠れず、時々寝返りを打つが、やはり落ち着かない。まんじりともせず、リックは夜を過ごした。
翌朝、リックは寝不足のまま四つん這いで寝床を出ると、エメオラは既に起きて朝食を準備していた。
「おはよう。良く眠れたか?」
「はい、おかげさまで」
本当は全然違うけれど、心配させないように無難に答える。
「簡単な朝食だが、少しずつ固めの食事を加えてある。ゆっくり食べてくれ」
「ありがとうございます!」
エメオラは、スープと簡単な煮物をお盆に載せて持ってきた。確かに、昨日よりも固形分が増えている。
「美味しいです!」
「そうか、それは良かった」
リックは一口一口丁寧に味わって食べた。だいぶ食べ終わった後、リックは気になっていたことを聞いた。
「今はどこに向かってるのですか? ノモニルの方ですか?」
普通、騎士団の駐屯地は都市郊外に置かれている。第一騎士団は王都カルタホ、第二騎士団は沿岸部の大都市バンダルバス、そして第三騎士団は内陸北部にあるドゥンファが中心だ。
そう言えば、第四師団の駐屯地を聞いたことがない。ただそれ以外にも大きな都市には、戦場に赴くための駐屯地がある。ここから近いと言うならば、国境近くで一番大きなノモニルがそれにあたる。あの戦闘の時も、ノモニル駐屯地で一泊してから戦場に赴いた。だからリックは、てっきりノモニルに行くのかと思っていた。
「いや、第四騎士団の駐屯地はノモニルと逆方向だ。すまないが、この辺りに用もあるので、あと二日はかかる。君のおかげで団長の期限にも間に合う。我慢してもらえないか」
「ええ、分かりました」
予想とは違ったけれど、既にリックはエメオラに全幅の信頼を置いているので、素直に従った。一度捨てかけた命だ。例え彼女が悪魔の化身でリックをこれから酷い目に遭わそうとしても、それを運命として受け入れようとリックは覚悟していた。
一休みのちに、テントを畳み、再び出発する。相変わらず道は細く険しいものの、ロバの足取りはそれほど変わらない。このペースで進むのだろう。
「君はどこの出身なのだ?」
手綱を引きながら、エメオラが話をかけてきた。リックの身の上に興味を持ったようだ。
「カマ村です。ウシュマとドゥンファの間ぐらいにある村です」
「そうか。だいぶ遠いな」
「はい、こんな所まで来た人はいません」
「そうだろうな。確か、沈丁花が取れるのだったかな」
「え、知ってるんですか?」
「ああ、薬草として使わせてもらっている。髪の毛がからまるから、自分で採るのは面倒でな」
エメオラが、リックの村の特産物を知っていたのは嬉しかった。他には何も取り柄のない村だ。第三騎士団に入った時も、「どこそれ?」と小馬鹿にされていた。エメオラは他にもリックの身の上話を聞いたものの、自分達の話はしようとしなかった。
鬱蒼とした森を抜けて小さな草原にたどり着くと、エメオラはロバの歩みを止める。陽も高く、眩しい。見たことの無い花や草が生い茂っていた。
「すまん、貴重な薬草があるんだ。少し待ってくれ。お腹が空いたら朝の残りを食べると良い」
「分かりました」
スープをリックに手渡し、念のためにと防御魔法をかけた後、エメオラは草原をあちこち歩き回り始め、時々しゃがみこんで何やら観察していた。気になった草があったら空のガラス瓶に入れて、ロバの鞍に載せていく。
リックには彼女が一体どんな草を求めているのか見当もつかなかったものの、黙って待っていた。しばらくして一通り終わったらしく、全てをロバの鞍と荷台に載せた。リックの居場所が少し狭くなったけれど、文句は言えない。
「ありがとう、じゃあ行こうか」
「お願いします」
「ミル、行くよ」
エメオラに引かれ、再びロバは歩み始め、深い森の中に再度入って行く。細い道が続くが、誰も通り過ぎる人はいない。魔物の森と言われるだけあって、一般人は近寄らないのだろう。気楽ではあるけれど、相も変わらず遠くに聞こえるモンスターの鳴き声が、心を落ち着かなくさせた。
しばらくすると道がだんだん登り坂になり、エメオラの足取りも重くなる。自分の体重が負担になっているだろうと申し訳なく思うリックだが、何もできないので黙って横になっていた。小一時間ほど後、荷台が水平に戻る。傾斜がなくなったようだ、森が開けて空が見えたが、陽は傾き始めていた。
「今日はここに泊まる。昨日よりはモンスターが出てこないから、安心してくれ」
「はい」
そこは、山の麓で少し開けた場所だった。ゴツゴツした岩肌で、硫黄の匂いがする。
「温泉があるんだ。体を癒すのにちょうど良いだろう」
「ありがとうございます!」
リックを案じて、立ち寄ったらしい。エメオラの案内で導かれていくと、確かに温泉があった。包帯は後で取り替えるからと言われ、そのまま入る。
(ふう……生き返る)
温泉はちょうど良い温かさで、心地よかった。エメオラはテントを造設中で、リックは一人で温泉を堪能する。少しずつ、体も元通りになってきたようだ。昨晩と違い、夜はモンスターの鳴き声も聞こえず、リックはぐっすり眠れた。
こうして旅が続いた三日目だった。
「やっと着いたぞ」
エメオラの言葉を聞き、リックは前方を見た。