第003話 エルフの魔道士エメオラ
……!
リックが気づいて目覚めた時は、ベッドの上だった。目を開くと、質素な板張りの天井が見える。どうやら、どこかの部屋にいるらしい。遠くから聞こえる鳥の鳴き声が、耳に心地よい。さっきまでの怒声にまみれた醜い戦場とは、雲泥の差だ。
(生きてる……)
もう死んだものと諦めていたリックにとって、正に奇跡だ。まだクラクラするが、手足の感覚はある。まずは周りを確認するために、上体を起こそうとした。
(え?)
だがリックの意図とは裏腹に、体は金縛りにあったように全く動かせない。全身を包帯で巻かれ固定されていた。目は動かせたものの、顔を少し横に動かすことすらままならなかった。
「う、う……」
怪我もあって口がうまく動かせず、もどかしい。誰かいないかと辺りを伺うが、人の気配はない。
(ここは何処なんだ? もしかして砦の中?)
先ほどの安堵から一転して、リックは不安に駆られた。
帝国軍の捕虜になると、激しい拷問を受けると聞く。人体実験の材料にされて、生きたまま内臓を引き摺り出され怪しげな菌を打たれるなどと、もっぱらの噂だった。だから騎士団では、生きて虜囚の辱めを受けずと、散々教え込まれていた。包帯でぐるぐる巻きにされたのも、死体処理の一環かもしれない。一難去ってまた一難かと、リックは恐怖した。
トン、トン、トン、……
(誰か来る!)
微かに聞こえた木靴の足音はだんだん明瞭になり、部屋のドアがギィっと開かれた。だが顔を動かせないリックは、誰が来たのか知る術がない。恐怖と期待が入り混じった気持ちで、相手の反応を待った。
「気が付いたか?」
女性の声だった。帝国の言葉ではなく、オロソ語だ。
(良かった……)
その声に、ひとまずリックは安堵した。でもリックに近づき世話する様子はなく、看護婦がとる態度とは違う。どうやら、病院ではないらしい。
「うっ!」
気が緩んで意識が戻ると共に、痛覚も蘇り始めた。激痛にリックの顔が歪む。火焔猛牛が発した火球で吹っ飛ばされたのだから、相当なダメージだった筈だ。生きているから痛みも感じるわけで、ありがたいと思うしかない。
耐えられない程の苦痛と格闘する中、先ほどの女性がこちらに近づいてきて、やっとリックの視界に入る。
(え? ま、魔法使い?)
その女性は大きなとんがり帽子に魔導服を身につけていた。黒ずくめの姿は、どう見ても魔法使いだ。帽子に隠れて、表情は伺えない。予期せぬ人物の登場で、再びリックは緊張した。
(もしかして、生贄にされるのか?)
王国の領地内でも、王の力が及ばぬモンスターや種族は存在する。村でも人さらいの鬼婆の昔話が語り継がれており、小さい頃は怖くて泣き出したこともあった。敵味方の判断つかぬ状況である今、油断はできない。
リックの心境を知ってか知らずか、その魔法使いは襲いかかるでもなく話しかけてきた。
「無理するな。まだ回復途上だ。骨も何箇所か折れているし、火傷もひどい。私の回復魔法は弱いから、悪いが数日間はゆっくりする必要がある。ここは私の棲み家だ、安心して休めば良い」
敵意を含まない冷静な口調でリックに話しかけると、魔法使いは帽子をとった。
(あ……)
彼女はエルフだった。長い銀髪は肩までかかり、キラキラと輝いている。リックはエルフを初めて見るが、白い肌に透明がかった茶色の瞳、鼻筋の通った顔は綺麗で、きっと街中にいたら誰もが振り返るだろう。年齢は、リックより少し上に見える。
エルフは意識が戻ったリックを見て微笑んだ。逆にリックは、これほどの美人が側にいる恥ずかしさで顔が赤くなり、さっきとは別な意味で緊張し始めた。無言の間が怖くなり、リックは無理に口を動かし声を出した。
「あ……あ、あ り が と う ご ざ い ま す。あ な た の、お な ま え は?」
たどたどしく話す姿を見て、エルフの魔法使いは少し慌てたようだ。
「無理をするな。わたしの名はエメオラ。見ての通りエルフで、オロソ王国の魔道士だ。敵ではない」
(良かった、同国の人なんだ)
彼女の言葉と態度から予測できたが、改めて説明を受けてリックは安心する。
「済まないな、念話でやり取りをしよう」
エメオラはリックに手をかざすと、オレンジの光がリックを包み込んだ。
『私の言葉が、分かるかな?』
『はい。助けてくださりありがとうございます、僕はリックと言います。第三騎士団所属の二等兵です』
『そうだろうな、あの戦闘に参加していたのだから』
『エメオラさんは何故あそこに?』
『まあ、たまたま通りかかっただけだ』
軍に属さず戦場を平然と歩き回れるのだから、能力ある魔法使いなのだろう。まだ体は痛むものの気が休まると思考も戻り、話をしたくなる。
『あの後、戦闘はどうなったのですか?』
『ああ、しばらく火焔猛牛の火球に手こずっていたが、何とか盛り返して砦の占領には成功した。あいつらの残党は、ハロハ河を泳いで逃げて行った』
『本当ですか! 良かった!』
リックは戦いが勝利に終わったことを知り、喜んだ。あれだけ悲惨な状況で、更に負けたら元も子もない。犠牲を払った価値があった。
『エメオラさんも戦闘に参加したのですか?』
『いや。私はあの騎士団には所属していない』
『僕達の被害も多かったのですか?』
リックの質問に、エメオラは一瞬答えるのをためらったが、言いにくそうに言葉を繋いだ。
『そうだな、犠牲は多かった。最後まで生き残ったのは20人ぐらいだ』
淡々と語られた数字に、リックは驚いた。
『そんなに死んだんですか……』
『新兵は殆ど死んだ。いつものことだ。砦に一番乗りしたは、あのダミ声の大隊長さ。彼は人使いが荒いので有名なんだ。ただ結果として彼の手柄になるから、出世だけは早い』
リックは仲間たちを想った。全員を知る訳ではないが、キトも含め訓練施設で100人ぐらいは一緒だった。短期間だったけれど、彼らと一緒に過ごした時間は貴重だった。厳しい訓練の合間に冗談を言って笑いあったり、それぞれの身の上話に耳を傾けたりもした。あいつらの大部分が既にこの世を去った事実を実感してくると、言いようの無い虚しさと悲しさに捉われ、リックは無意識に涙した。
……ウウゥ……ウウゥ……
咽び泣き始めたリックを見て気を使ったらしく、エメオラはいつの間にか部屋を出ていた。
(ちくしょう!)
リックは悔しかった。自分なら上手くいくはずと、戦いの前は自惚れていた。物語のように自分は主人公になって、最初の戦いで目覚ましい活躍をして隊長から認められ、出世の階段を駆け上がれるものと思っていた。
だが全ては、儚い夢と消えた。
希望に燃えてキトと一緒に村を出たのが、遥か昔のように思える。
ただ、命があるだけ未だマシかもしれない。キト達は再チャレンジの道すら閉ざされた。重い現実に踏み潰されそうになるリックであった。
リックとキトの2人は同じカマ村出身の幼なじみで、小さい頃から仲良しだった。




