第110話 果たして今から敵のインフレは起こるのか?
「さて、どうしようか?」
崖を登り切ったクルリンが見えなくなってから、アシュリートが4人に相談を始めた。高レベルで魔法や武術を会得する5人であるけれど、彼のような超人的技は繰り出せない。
「浮遊魔法なら使えるが、私一人だけだな。先に行っておくか?」
「いけませんエメオラ様! あんな変態生臭坊主と二人きりなら何をされるか分かったもんじゃないですよ! やめてください!」
セラナの懇願に、エメオラはやや驚いた表情をする。
崩れぬ表情が常のエメオラだから、稀だ。
「心配してくれるのは嬉しいが、あのレベルなら幾らでも対処はできる」
「でも……」
「エメオラ、君の実力は良く分かっているけど万が一はあるからね。他はどうだい? 自力で登れそうかい?」
「俺は力あるけど、どうかな……」
「腕の力だけで登るのは、荷物もあるしちょっと無理です」
「弓がてっぺんまで届けば、ロープを繋げて登れるかも知れませんが……正直難しいです」
3人とも、良い手立てが思い浮かばなかった。
「まあ、そうだよね。じゃあ時間も無いし、スサノヲの力を借りますか。みんな、こっちに集まって」
アシュリートに言われるままに近づくと、以前見た漆黒の気を纏う式神が現れて5人を包み込み、目にも止まらぬ速さで上昇して行った。
ヒューーーー トン
崖の上に5人が現れた時、クルリンは背を向けて魔法か術か何かでエロ動画を視聴中らしく、悩ましい声を聞きながら独り言をつぶやいていた。
「ふわぁ〜 しばらく女いねえし、どうせあいつら数日は来ねえから、ここらで抜いとくか〜 けどあの2人を待っておくのも手かな。この秘術ならアイツらもイチコロだしな〜」
「何がイチコロなんですか?」
「はっ!!!」
アシュリートの声に慌てて振り向くと、すでに5人が居る。予想外の展開にクルリンは驚くものの、直ぐに冷静さを取り戻し立ち上がった。
「よく来られた。さすが見込んだだけある。だがここは単なる第一関門。旅路はまだ長い。急ぐとしよう」
そして何事も無かったように、先頭に立って歩き始める。
5人も後についていく。文句を言うのはガーダラサに着いてからだ。
まるでフライパンの上だった灼熱の砂漠より、山岳地帯は遥かに心地よい。だがリックの心情は穏やかでは無かった。
(秘術って?)
あの言葉が耳から離れない。2人とはエメオラとセラナを指すのは明白だ。とにかく前科があり過ぎるから、警戒するに越したことはない。そんな気持ちで先頭に立つクルリンを見ていると、彼の一挙一動が気になった。
そうこうするうちに、一行は森の入り口に来る。奥は深く、鬱蒼とした先は何も判別がつかない。独自の生態系なのか、見慣れぬ樹木が不規則に生えている。
しかもあちこちから動物の鳴き声がして騒がしい。
リックは腰の剣に手をあてて身構えた。
それに対しクルリンは泰然自若としている。
「お主ら、先ほどは異形の力を借りたようだが、そのようなチートで不埒な行為は許されぬ。ガーダラサへの道は開けぬぞ。悟りは個人で開くものだ」
「それは失礼しました」
どうやら、そういう事には目ざといようだ。
アシュリートが素直に謝る。
「下賎で無知蒙昧なお前らだから、今回だけは多めに見てやらんこともない。だがしかし、ワシのような高位の徳を積むのはお前らが100回転生しても無理だろう。それではとてもガーダラサには辿り着けぬし、下手に死なれたらワシも目覚めが悪い。仕方ないから、魔法でも武術でも個人の能力でやる分には許してやる」
「ご配慮くださり、ありがとうございます」
ここで機嫌を損ねても良い事はない。
アシュリートも丁重に感謝の言葉を述べる。
「んむ。聞けばお前達もブー教と同じ不殺の教えを守っているというではないか。それだけは良い心がけだ。無用な殺生は仏様も機嫌を悪くする」
「はい、恐れ入ります」
「それで、だ。ここはガーダラサへ向かう第二関門で、モンスター達が所狭しとひしめいておる。この中を一体も殺さず進むのだ」
(うわ〜大変だ……)
リックは内心不安になる。野生のモンスターは人間を見ると容赦無く襲いかかってくる。殺さずに追い払う術もかなり会得したものの、見知らぬ土地で見知らぬモンスター相手にうまくやれる自信はない。
「どうやるんですか?」
リックの問いにも、クルリンは薄目で無表情のまま答える。
「簡単だ。気配を消せば良い」
「気配を消す?」
言うのは簡単で子供のころ誰でも一度は試す技だが、実行は忍者の水上歩行並みに難しい。
「ワシは先に行く。お前達も何とかしてやって来い。三日だけ待ってやる」
そう言いながらクルリンは森の中へと入っていく。
モンスター達の気配察知能力は敏感だ。雑草が擦れる音でも直ぐに気づくし、匂いや体温でも分かる。それなのにクルリンが森に入ってもモンスター達の態度は変わらず、いつの間にか彼の姿は森に消えていった。
色々と問題があるものの、修行で鍛えた体は本物のようだ。
「いや、お見事お見事。凄いね、まったく」
アシュリートは、クルリンの技にいたく感動していた。
「それで、どうするんだ?」
ヴィクトスの問いに、アシュリートは答えた。
「うーん、遠回りするにも時間かかるしな……」
さっきクルリンから念を押されたから式神は呼び出せない。
「透明化魔法薬は持ってきたが」
「いや、やめておこう。魔法力のあるモンスターが居たら意味がない」
確かにあれば肉眼では見えないだけで、野生モンスターは直ぐに気付くだろう。みな真剣に悩むものの、妙案は浮かばなかった。
「僕もむかし旅してた頃に経験あるけどね。森と同化するんだ。一体になるという感じかな。そうすると自分自身が森の一部になって、モンスター達からも敵と認識されなくなる。彼が言ったのは、そう言う事だと思う。恐怖や邪念も入るし簡単じゃないけどね。まずは僕から行くよ。今からは個人行動にする。出口で落ちあおう」
アシュリートはそう言って、クルリンに続き森へと入っていった。結局やるしかないということか。少し間を置きエメオラも続く。
「お前ら大丈夫か? 俺もそろそろ行くけど」
「大丈夫です、行ってください」
心配そうに振り返りつつ、ヴィクトスも森の中へ進んでいった。
「セラナが先に行って」
「うん、分かった」
こうして、5人ともモンスターが待ち構える森へと行くこととなる。
リックが入った時かろうじてセラナの姿が見えたが、やがて見えなくなった。彼女は眼が良いし危機回避能力は高い。大丈夫だろう。誰かが死ぬとは考えずらいけれど、次に会うのは何時になるかとリックは少し不安になった。
だがまずは、ここを自力でクリアせねばならぬ。
決意して一歩を踏み込む。
ザッ
足音一つでさえ慎重さが求められた。とにかく戦闘せずに抜けるのが一番良い。幸い足場は悪くないので、ゆっくりと進む。
しばらくして大きな木の下に、ちょうど身を隠せる穴を見つける。動物達の巣でもなく、周辺にも立ち寄った形跡はない。ここで夜を過ごすことに決めた。
火を使うのも御法度だ。
(みんなどうしてるかな……)
少し心細くなるものの、自分を奮い立たせて準備をする。
少し早めに眠りについて、しばらくした時だった。
ゴゲァアアーーーーンンンン!!!!!
グワァアアーーーシンンンンン!!!!!
突然、夜を切り裂くような轟音で目が覚める。
(な、なんだ?)
それは身の丈10mはあるかという武将姿のモンスターであった。厳つい甲冑に覆われ、背後にある激しい光の炎のせいで顔は見えない。右手には長い棒、左手にはランプみたいなものを持っている。
このモンスターが一歩進むたびに森はあちこち照らされ、存在に気付いたモンスター達は銀狼や鬼熊レベルでさえ一目散に逃げていった。
(これじゃ相手を殺すより殺されちゃうよ……)
リックが危惧する通り、人間レベルでは太刀打ちできそうに無い。ザルディアにいた魔族とも違い、単純なモンスターでは無さそうだ。こんなのがガーダラサへの通り道に居るのであれば、簡単に行ける訳がない。
リックは、ここは人智の及ばぬ神が住む大地だと理解した。
(どうしよう?)
この木の祠でやり過ごすのが一番良い。
子犬のように身をかがめ、ひたすら目立たぬようにした。
だが運命は残酷だ。
その武将姿のモンスターは、リックが潜んでいた木を薙ぎ倒した。
バリバリバリッ!!!
「うわっ!!」
思わず逃げ出すリックを、そのモンスターは目ざとく見つける。
『おい人間、お前は何しにきた!! ここを禁足の地と知ってのことか!!』
反響する野太い声は、リックの足をすくませるのに十分だった。
「え、いえ、ガーダラサへ行こうと思いまして……」
『なに? ガーダラサへ行くだと? ますます通すわけにはいかんな!』
「そこを何とかお願いします!!」
土下座して必死に頼むリックであるが、モンスターは非情だった。
『ダメだダメだダメだ!!!』
そう言いつつモンスターは全身が光に包まれ、さらに巨大化する。
ピカピカピカ!!!
ギャウオォオオ!!!!
「え、これ何? 確か……恐竜!?」
20mほどの大きさになった四つ足モンスターは、鼻に一本と額に二本ある大きな角に後頭部の硬いフリルが特徴的な顔をしている。古代書で読んだトリケラトプスにそっくりだ。
元が強いのに、更に変化するとは反則過ぎる。
だがやるしかない。リックは剣を抜く。
それを見て恐竜モンスターはリックに狙いを定め、前足で踏み潰そうとしてきた。
(くそっ!! やられるものか!!)
グサッ!!
リックは剣を思い切り相手に突き刺すと、肉まで通った感触がある。こんなんで死ぬわけは無いだろうが、一撃を喰らわすことはできた。素早く藪に逃げ込む。
『イタっ!! 人間のくせに生意気な! 俺を傷つけるとは許せん!!』
更に怒り倍増となったモンスターは周りの木を盲滅法に薙ぎ倒し、炎魔法をあちこちに放つ。だがリックも防御魔法で対処する。
ガァウオオオーーー!!!! バンッ!!
魔法であるためか延焼はない。
(意外にノロい?)
思ったほど動きにキレがなく、リックの方が縦横無尽に駆けてヒットアウェイ戦法を取る。ちょこまか動くリックをハエのように叩こうとするものの、なかなか上手くいかない。
『クソッ、コラッ!! 止まらんか!!』
「そんな訳にはいかないぞ!!」
一撃は弱いが手数で勝負だ。やがてトリケラトプスは持久力が尽きたのか、武将姿へと戻る。
シュルシュルシュルシュル……
魔力が切れたようで、背丈はリックより少し大きぐらいまで縮んで膝をつく。
『ふぅ……人間のくせに中々やるな。わしはヴァイシュラヴァナ。お前達の住む東では毘沙門天と呼ばれている魔族だ』
「僕はリックと言います」
『リックか。覚えておこう。1億年ほど生きておるが、なかなかの手練であった』
「え、そんなにも長生きなんですか?」
ザルディアであった魔族達から長寿だとは思っていたが、ここまでとは想像していなかった。
『ああ。ワシの仲間達も似たものじゃ。ティラノザウルスだったものや、スーパーサウルスだったものもいる。そのせいでお前ら人間からは勝手に神様だ何だと崇め奉られているがな。負けたことだし、早く行くが良い』
「ありがとうございます!」
こうして、リックは先を急いだ。




