第109話 やっぱり人生は常に修行
武器・魔道具類の修理や食料確保といった旅の準備も進み、クルリンという力強い味方をつけての出発は翌々日となった。澄み渡った青空が旅出を祝福しているかのようだ。やっと最終目的地に辿り着ける思いで、リックは感無量であった。
「案外、すぐ決まったね。落ち着いた感じの人で、頼り甲斐ありそうだね」
「そうだね。リックには及ばないけど」
「いや〜そんなことないよ」
最後尾で無駄にイチャイチャデレデレしながら、門へ向かう。出国ゲートは3つあり入国ゲートよりも広いスペースがとられている。並んでいるのは十数人しかおらず、直ぐにアシュリートらの番となった。
門番は若い女性で、6人から通行証を受け取ると顔色がサッと変わる。
「あ、あなたアレですね。食い逃げ10件13ゴールド、万引き5件20ゴールド、キャバクラでの迷惑行為8件100ゴールド、ソープランドで嬢への違法行為20件300ゴールドの損害が報告されています。今から裁判を開廷します。被告は大人しく従ってください」
ドン、ドンッ!!
門番の女性が裁判官の帽子を被り、開廷の木槌を叩く。
ガラガラガラガラーー!!!
「え、なに?」
「なんだこりゃ?」
ここに至り天井から鉄格子が降りてきて、ゲートが閉じられた。
逃げ場はない。
どうもこの為の広さだったらしい。
しかも外から中が見えないようで、他の出口は滞りなく審査が進みこの鉄格子を気に留めるものは居ない。女性は相当な術師のようだ。
何の身の覚えもないリックやセラナは慌てふためく。
今や裁判官となった女性は、6人の誰とは言わなかった。
あんなことやったら裁判より前に私刑されるリックは、当然ながら身に覚えがない。セラナとヒソヒソ話をする。
「も、もしかしてヴィクトスリーダー?」
「え、多分違うよ……」
当人はどこかソワソワしており、アシュリート団長とボソボソ話をしている。いかにも怪しい。今まで恩を受けてはいるものの、酒癖の悪さはリックも知っている。人を悪くいうのは憚られるが、この中では一番可能性がありそうだ。セラナも納得してしまうだろう。
裁判官の凛とした声が響く。
「それでは被告人、クルリン前へ」
「え、クルリンさん?」
リックやセラナが戸惑う中、名指しされたクルリンは目を半開きにして微動だにしなかった。右手は錫杖を手にし、見た目は功徳あふれる高僧だ。しかもガーダラサへの案内役を買って出た訳で、とてもそんな風には思えない。
だが彼女は、そのまま続けた。
「被告、罪状を認めますか?」
「……」
「被告クルリン、黙秘ですか? 今から証拠を山ほど出すけど、覚悟は良いですか? 証人を引き受けた方も多数いますよ? 今ならまだ少しは叙情酌量の余地をもうけますが?」
「……」
「ふうん。黙秘するなら減刑無しで良いですね」
「……」
シャラン、シャラン
クルリンは暫くの沈黙の後、おもむろに錫杖をふって鳴らした。閉鎖空間なので、その音があちこちから響き渡る。
「色即是空・空即是色。祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。万物は流転し猛きものは儚く潰えるのみ。ヘンミャーミョーギョーナナヨーナナゴードゥドゥーヤラヤラナノドーラーウーラーオーラームーニャーナガヤードオヤーソオヤーーナーマーダームーダー……」
そのまま裁判官には答えず、お経を唱え始めた。
さすがお坊さん、お腹から出る力強い声が周辺を震わせグワングワンと反響して、リック達は耳が痛くなってきた。メンタルにくる。この状態が続くなら、さっさと裁判を終わらせて欲しいと思った。もしかすると、それが狙いにも見える。
だが裁判官は全く怯まない。
それどころか眼がますます本気になってきた。
こんなに怖い女性を見るのは、会った頃のエメオラぐらいだ。
「いや、それはそれ。あんたの罪を裁く必要があるんだけど。認めますか?」
「フーニャームーニャーゴーヤーウーヤーオーヤー……」
クルリンは、相変わらずお経を唱え続ける。
「良い加減にしろぉ!! ゴラァア!! 認めんのか!!」
鬼のような剣幕で裁判官が怒鳴った。
この女性がこんな声を出せるのは意外すぎる。
どうやら坊さんとの攻防は日常茶飯事のようだ。
ここに至り、クルリンもお経を唱えるのをやめた。
「空蝉の世であればかような雑事に身を惑わされるかも知れん。だが我は修行の身。世俗事は一切絶っておる。全ては修行だ」
偉そうに言っているが、その中身は今いち分からない。
「困るんだよね、坊さんそんなのばっかで。悟り開く前にやる事あるだろ。だから信者減ってるんだよ」
「あの嬢達も契りを交わし天国へと何度も行ったことだろう。礼を言われこそすれ、非難される謂れはない」
「いや、むっちゃ怒ってんの。嫌がって無理矢理だったの。マジであんた、出禁されて店に変装してむりやり嬢指名したでしょ? 本人連れてくる? あんたのアレ切り取りたいって言ってたの、1人や2人じゃないけど」
「ふっ、これだから凡人は……」
凡人のリックも、彼の正当性は理解できない。
「そりゃ凡人だけど、こっちも街の治安を守ってるんだよね。このままなら特製のワニとピラニアが百匹いる拷問池に1週間住んでもらうけど良い?」
そこまで言われ、クルリンは目を開けた。
心はともかく、澄んだ綺麗な目だ。
「ふっ。お前らは本当にしつっこい。もうウンザリだ。口を開けばあーしろこーしろ、あれはダメこれはダメ。そして言われのない罪を被せて罰金はらえと馬鹿の一つ覚え。嬢の一人や二人、なんだというのか。生きていれば良いこともあるのだから、日銭を稼げば良いだろう。どうせ金目なんだろう。あーもいやだいやだ。これだから田舎もんは」
ここに至り、クルリンはアシュリートをちら、ちらと見ている。
アシュリートも気付いたが、意図が分からずキョトンとしていた。
「地獄の沙汰も金次第というではないか? そんな端金、お前らにくれてやる。天国への浄財だ、ありがたく貰っておけ」
チラ、チラ
「ほれ、ガーダラサへの案内人が言うのだ。お主らも分別がつく身であろう。賽銭など何処に出しても同じだ。仏様は全て見ておる。ほれ」
(え? まさか団長に金を払わせようとしている?)
リックは信じられないものを見ている気分であった。
幾ら旅の案内役とはいえ、関係ないことで無駄な出費を強要できるはずが無い。しかも先ほどの言い値は結構な額だ。あれを払うなんて狂気の沙汰とも言える。出発初日にいきなり味噌をつけるこの出来事に、リックは幸先不安になった。
だが、アシュリートは事情を全て飲み込んだようだ。
「仕方ないなあ。保釈金は幾らですか」
その言葉に、門番の女性どころかヴィクトス達も驚く。
ただエメオラだけは無表情で事の成り行きを見ている。
「いいのか、アシュー?」
「そうですよ。こんなクズに金払うんですか? ちょっとお兄さん、あまりにも気前良すぎますよ? 何か弱み握られてるんですか? なら恐喝罪加えてもっと罪状増やせますよ」
「いえいえ、そんな事はないですよ。ただ僕たち、先を急いでいるんです。ここは何とか出来ませんかね?」
呑気とも言えるアシュリートの言葉に、門番はため息をついた。
「え、まあ二度と来ないと約束するなら、先ほどの損害賠償と法定費用一割で良いですけど。書類作成するから、そいつのサインは欲しいな」
「二度と来るわけなかろう、こんな田舎町」
悪態をつくクルリンに、ツッコむ者は居なかった。
追い立てられるように街を出て、一行は歩き続ける。
昼となり太陽の照り返しで、一歩踏み締めるたびに足も痛む。
汗も滝のように流れ、気を緩めると倒れそうになる。
晴れやかな蒼天が恨めしかった。
アシュリートが先頭の時は無理をしなかったけれど、このクルリンとか言う僧は5人を気に留めるでもなく、軽装でひたすら歩いていく。追いつくので精一杯だ。修行の成果であるのか、息一つ乱さずに進む様は見事ではある。
一方の5人は彼よりの何倍も多い荷物を背負っており、その差は歴然だ。エメオラだけ一人魔法でも使っているのか、涼しげな顔である。彼女は旅慣れているせいかも知れない。
「本当に大丈夫かな……」
「きっと大丈夫だよ、団長が選んだ人だし」
「そうかな……」
先刻とは真逆の言葉がセラナから出る。
反論しつつも、内心は同じく信じきれないリックであった。
だが神崙山脈を目指して進んでいるのは事実であるし、どうみてもあの高く険しい山々を素人が踏破できるとは思えない。
ここは彼に任せるしか、選択肢はないと言える。
アシュリートらも同じ気持ちであるのだろう。
文句一つ言わずに先を進む。
その日はやっとあったオアシスでテントをはり、一夜を過ごす。
クルリンは袈裟のまま岩の上で寝ていた。
翌日も砂漠を踏破するだけの1日だった。
その翌日は、ようやく草地が混じり、砂が潰えていった。
さらにその翌日からは平坦な高原へと風景が変わる。
やっと神崙山脈が身近な存在となってきた。
そしてそれから三日後、一行は断崖絶壁の下に辿り着く。
ほぼ直角に近く切り立った崖だ。
「え、ここからどうするんですか? 行き止まりじゃないですか?」
焦って思わずリックが非難めいた言葉を吐く。
ここに至り、騙されたのではとの疑いがもたげてきた。
(これ、盗賊とか僧兵が出てきたらヤバいんじゃないか?)
アシュリートやヴィクトスが負けるとは思えないが、クルリンの味方が大勢やってきたら、微妙な状況だ。思わず腰に吊るした剣を抜きかける。
それに対し、クルリンは至って冷静な表情だ。
意地悪という風でもない。
「ガーダラサへは、ここを登らねばならぬ。ワシはワシの流儀で行くが、お前らも何とかしてみろ。上で待っておいてやる」
そういうと錫杖を背中にくくって崖の下に立ち、念仏を唱え集中し始めた。
「フーギャーナカラーホーノーボクヨーテーシームギャナーホンラーヤーレーゴーナーイーホーフーマー……」
やがてオーラが立ち上る。リックだからはっきり見えるのかも知れないが、強者の風格を思わせた。そして崖の直近まで迫り、左右の拳を握る。
「ウォリャアアァアアーーーー!!!」
ガンッッ!!!
右手で崖に正拳突きをかます。右腕が崖にめり込むと、すかさず左腕も一撃を放つ。そしてまた右腕、左腕と交互に崖を貫き、あれよあれよと登って行った。
「修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だー修行だーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダーシュギョーダー!!!!!!!!!!!!!!」
5人を置き去りにして、あっという間に小さくなる。
「すごいね! 人間ってこんな事できるんだ!」
アシュリートだけ、目を輝かせながら彼の姿を見上げていた。




