第102話 景色が良くても体には悪い
「いや〜 これは参ったね。今さら引き返せないし……」
ここに来てから数時間、団長は微笑みながらも同じ言葉を繰り返していた。見かけとは裏腹に事態は深刻だと認識しているようだ。
「まったくだな。春になったからマシだけど、戻るのは時間の無駄だ。かといって遠回りできそうにもないし……あの先に見える山を越えれば、ガーダラサなのか?」
「地図で見る限りでは、そうみたいだよ」
ヴィクトスの顔も冴えない。彼が指差した遠方の山は煙がたなびき、活火山であろうことは想像に難くなかった。更にその向こうにも微かに山影が見える。やっとの思いで超えたものの、 神崙山脈には続きがあるらしい。
しかし問題はあの山ではなく間近にあった。未だ一悶着二悶着ありそうだ。下手すると百悶着ぐらいかもしれない。
「セラナさん、何か見える?」
「いえ……まったく命を感じさせないですね。まるで砂漠みたいです」
「そうだよねえ。あんなのを噴き出すんだから。こんなに綺麗なのにねえ……」
ため息をつきながらぼやく団長の眼前には、赤茶けた大地に深いエメラルドグリーンの沼が点在していた。自然もこんな派手な色を出せるのかと思うほど鮮やかだ。
しかし綺麗なバラには棘があると言うように、この沼もただの沼ではない。まず湯気がたっており水温が相当高いのが察せられる。加えて単なる熱湯ではなかった。
ボコボコボコ……
「くるよ、みんな気をつけて!!」
沼の一つが突然泡立つと、間欠温泉のように水柱が上がる。
今度は意外と近いので、団員たちは後ずさりした。
ボシャーーー!!! ザパーーン!!!
派手な水飛沫をあげて水がぶちまけられると異臭が漂い始め、頭がクラクラして座りこむ団員もいた。さっきからあちこちでこんな水柱が不規則に噴き上がっている。
沼地を見下ろす位置にいるから命の危険は少ないものの、この中を進むなんて不可能だ。この毒水柱は突如として殺意を剥き出しにして襲ってくる。沼の周辺は植物すら生えておらず、近くにある木は枯れていた。残念なことに沼は遥か先まで広がっており、ガーダラサに行くにはここを通るしかない。
「どうします?」
カヴァリアが尋ねるものの団長に妙案は浮かばないようで、返事に困っている。
「魔法で突破できませんか?」
「どうだろう……この人数では自信ないなあ」
珍しく弱音を吐く。単独なら突破できるのだろうが、六十人は大所帯であり皆を無事に防御できるレベルの魔法は彼でも難しい。
九尾狐が言っていた牛魔王どころか、手下のモンスターの影すらない。もしかするとあの火山に居るであろう牛魔王にとって、この毒の沼は外堀かも知れない。折角ガーダラサまであと少しだと言うのに、時間だけがいたずらに過ぎていく。
「黒龍と白龍に運んでもらうのはどうですか?」
「お、いいかな?」
リックの提案に団長も乗り気だが、当の本人は真逆だ。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!! ちょっ待てよ!! さっきから見てるがあの水柱ヤベエだろ! 俺達だって命は惜しいぜ! 飛べる高さも限界あるんだからな!!」
彼の言うことも一理ある。稀にかなりの高さまで噴き上げている。あの毒水がどこまで届くのが不明である限り、リスクを冒すのは危険だ。ドラゴンとはいえ黒龍と白龍も子供だから、数人しか乗せられないので何往復もする必要がある。その間にあの毒水柱にかかればアウトだ。それに行った先こそ牛魔王の手下達が手ぐすね引いて待っているに違いない。順番も含め、リスクはあまりに多い。
「ミズネ様に浄化魔法をお願いするのはどうでしょう?」
「うーん……」
セラナの提案に、多くの団員は同調した。尋常なら不可能に思えるが、ミズネなら出来そうな気がする。だがそんな団員の期待とは裏腹に団長は及び腰だ。
「ポイント設定すれば長距離移動で来てもらえるけど、ちょっとでもずれたら毒の沼にはまるよね。そこに彼女を招待するのは気が進まないな……」
それも確かにそうである。
なかなか良い案が出ない。
物理的な強さと違い、毒の成分を解析できないのも厄介だ。中毒の初期症状で見極める人間がいないと、最悪無駄死になる。それだけは絶対に避けたい。坑道のカナリア役をさせる訳にはいかない。
「エメオラ様はどうでしょう? 毒の分析は経験あるんじゃないですか?」
あの沢山のガラス瓶を思い出して、リックが提案する。
「確かに色々やってたなあ。でもこれに対応できるかは分からないよ……」
「そうですけど、エメオラ様は長く旅をしてるじゃないですか? こういった場所を知ってて、何かいい知恵出してもらえるんじゃないですか?」
「どうかな……」
「エメオラ様ならきっと出来ますよ!」
食い下がるリックを見てエメオラに会いたいだけじゃないかと疑惑の眼差しをかけるセラナだが、この前助けてもらったばかりだし、確かに彼女なら解決できそうにも思えるので胸の中にしまっておく。ちなみに天然のリックにそんな邪心は無い。
「うーん……エメオラ、何処にいるか分からないんだよね……少し前から反応がなくて、遠隔魔法の呼び出しにも応じないんだ。あの古代都市に居たんだから、ミズネよりは近い場所に居るんだろうけど……」
「まずはミズネを会議で呼び出して、相談してみたらどうだ?」
ヴィクトスが提案する。彼も邪な想いがあるかどうかはともかく、このまま議論を続けても埒が開かないと感じたのも事実だ。
「そうだね。じゃあ、お願いしてみよっか」
と言う訳で久々の会議になる。
かなり遠くまで来たので遠隔魔法も難しいかと思われたが、意外と鮮明にミズネの姿が現れた。
『久しぶり〜 みんな元気してた? 何か景気悪そうな顔してない? 久しぶりなんだから、笑顔笑顔!』
元気そうなミズネに対し、万策尽きた団員たちに覇気が無いのは仕方ない。旅もだいぶ経ち、服装や装具には綻びが目立ち、以前より煤けている。肌キラキラなミズネとは対極だ。
ミズネの方も先日の話しぶりでは問題があったのかと思いきや意外に大丈夫だったのかも知れない。ただ空元気の可能性もあるし、遠隔魔法だけでは本意を見極められない。今はともかく、団員たちの眼前に広がる毒の沼への対処が先だ。
『やあ、ミズネ。元気で何よりだよ。実は困っていてね。いま毒の沼が目の前にあるんだけど、渡る手立てがまったく思い浮かばないんだ』
『あらあら、アシュリート様とあろうお方がお困りでありますか。それはそれは珍しいですわね。明日はカエルでも降ってくるかな?』
ミズネの煽りにいちいち目くじらを立てるアシュリートではない。そもそも昔からの仲間だ。
『僕だって出来ないことはあるよ。それで皆と話し合ったんだけど、ミズネ様の浄化魔法ならこの毒を消し去れるんじゃないかと思ったんだ。どうだい?』
『出来ないこともないけどねえ。来るなって言われたし、どうしよっかな〜』
『そう意地悪を言わないでおくれよ。本部の仕事も面倒とは思うけど、こっちも大変なんだよ』
『まあね。査察の意地悪具合はアシューの比じゃなかったし、こんな事務仕事やっぱ私に向いてないわ。代わってくれる?』
『そうしてあげたいのはやまやまだけどね……こっちも立派な役目を仰せつかっている身ですし……』
『じゃあ、いーかなーい』
『そこを何とかできませんかねえ? ミズネ様のお力が是非とも必要なんですよ』
土下座しそうな勢いの団長を見て、ある意味モンスターの方が扱いやすいかもとリックは心の中で思った。まあ言ってる事と実際の行動は別なんだろうけど、もしセラナにああ言われたらオタオタして何でも言うこと聞きそうな気がする。それはそれでセラナが不機嫌になる可能性もあることを、リックは未だ知らない。
『ただね、ポイントを正確にしないと下手にミズネ様が沼にハマっちゃ困るかなと』
『あーら、アシュリート様がそんな心配をしてくださるの? 嬉しいわね〜 私の魔法がそんなに精度悪いと? 初めてパーティー組んだ時から?年、私も修行に励みましたのよ』
『それはそれは失礼しました。ちなみにエメオラの居場所はご存知ですか?』
『どうしよっかな〜 彼女は一人旅が好きみたいだけど』
『いやあ、仲間じゃないですか。困った時はお互い様で』
『そうねえ……じゃあ、行きますか。ただ解毒の保証はないよ』
『いいよ、僕たちじゃ手詰まりなんだ』
『んじゃ用意もあるから明日で』
『ありがとう。くれぐれも気をつけて』
『お気遣いなく』
翌朝、二人が現れた。
まるで団員と一緒にこの旅をしていたみたいに馴染んでいる。
大きな箱を幾つか持参してきた。
「うわぁ〜 絶景絶景! 長生きはするもんだ〜 さすが私らを呼んできただけあるね。こんなの大変だぁ。全部酸性の毒ってこと? 地脈と繋がってるし無尽蔵でヤバくない?」
ミズネはそう言いつつも笑っている。
団員たちと違い、楽しんでいるようだ。
やはり事務仕事から解放されて嬉しいのかも知れない。
「そうだよ、僕らじゃ無理だったんだ。ミズネ様はこれぐらい出来るんじゃないの?」
「アシュリート様からそう言われちゃあ、やるしかないですね」
アシュリートも冗談めかして言う。さっきまでどうしようと悩んでいたのとはまったく違う。それだけミズネに全幅の信頼を置いていると言えた。
よくよく考えてみると、この4人が遠征で揃うのは珍しい。というか、無かったかも知れない。
(この4人で行った方が早いんじゃないかな……)
魔法攻撃担当のエメオラと物理攻撃のヴィクトス、回復魔法のミズネだけでも大抵の冒険は遂行できる。そして彼らを凌駕し使い魔付きのアシュリートが控えているのだから、これほどのパーティーは聞いたことがない。
けれど今はそれぞれの役割がある。もう旅は難しいのかも知れない。
「そうは言っても、準備に時間がかかりそうね……今日はこれでも食べて元気になって!」
ミズネは持ってきた箱を開けた。
「うわぁー 肉だ〜!!」
「お酒もある!!」
中には沢山の食材があった。
団員はミズネのお土産に目を輝かせる。
牛肉なんか旅を始めてから食べた記憶がない。
「どうせ始めるのは明日だから、今日は気楽に宴会してゆっくり休んでね」
「ありがとうございます!!」
そんな訳でバーベキューが始まり、夜まで続いた。
団員みなが久々に楽しんだ一日であった。




