第101話 お互いに事情はあるもんだ
……
……!
「あっ、起きましたぁ〜!!」
昏睡する少女を見守っていたジュリアの声で、団員達に緊張が走る。九尾狐と思われる銀髪の少女は土着の民族衣装をまとい見かけはジュリアと似ているが、開いた目は真紅だった。
周囲の人間達に気付くと立ち上がり、再び攻撃を試みる。
戦闘意欲はまったく衰えていない。
「くっ……」
だが幾度試しても魔法を出せず、困惑した。
変身しようともがくが、それも敵わず地団駄踏んで悔しがる。
「起きましたか」
大勢の団員が取り囲む中、アシュリートが現れた。
握手を試みるものの、殺気立つ少女は当然拒絶。そのまま噛み付きそうな勢いだ。アシュリートはそんな彼女にも優しく接する。
「初めまして。先程の九尾狐さんですよね? 団長のアシュリートです」
「……」
目を逸らして答えようとしない。全く強情である。
リック達は緊張しながらも、事の成り行きを見守った。
「申し訳ないけど封印魔法をかけたので、変身も攻撃魔法もできませんよ。僕の力が上回って良かったです。数トンの重力場ですから、動くのもままならない筈ですが、さすがですね」
「くそっ、このクズ野郎! 死にやがれ! ◯◯◯◯!!」
初めて発する言葉は甲高く、少女とは思えぬ悪態をつく。
だが彼女が幾ら睨みつけても、アシュリートは全く怯まない。
「そう言わず。ここを通していただければ、何も問題ないんです。どうですか? 通してもらえませんか?」
「駄目に決まってんだろ! ふざけんな!!」
予期していたものの、態度は明白だった。
「困ったな……封印魔法の効力も何時までか分からないし、九尾狐さんに恨まれるのは本意じゃないんですよね……せめて、理由を教えていただけませんか?」
「言うわけねえだろ!! 馬鹿か?」
交渉は予想以上に困難を極める。
相手の弱点や好みを知っていれば対応も楽だが、情報があまりにも少ない。こう取りつく島がないと、徒労感だけがずっしりと残ってしまう。
ちなみに、狐が好む油揚げは持参してこなかった。
その点は失態と言えるかも知れない。
「僕達はある本を探しに行く途中で、本当に通りたいだけなんです。危害は何も加えませんから」
「ふ、お前ら人間を信用しろってか? 無理に決まってんだろ、ボケ! そうやって騙されて死んだモンスター達が、どれだけいるか分かってんのか?」
「そうですね……」
否定したいものの、恐らく事実だろう。
アシュリートも、どう懐柔すべきか思案顔になる。
そんな時だった。
「おーい、崖の下に何かいるぞ!?」
谷の先を探索していたライアの声に、九尾狐は血相を変えて立ち上がった。封印魔法で縛られているにも関わらず、少女は先の道を目がけて一目散にかけていく。
その動きだけでも、団員が恐怖を覚えるのに十分であった。
「行くんじゃねぇ! この野郎っ!!」
ライアらは先に進むための道を造成中で、槍斧の代わりに大斧を振り回し伐採していた。足場は狭く、戦うのは難しい。九尾狐の強襲に驚くものの、ほぼ同じ速さで追いついてきたアシュリートに制されて押し留める。
崖は200mほどの高さで切り立った岩は足場もなく、落ちたら上がってこられない。
「あ、あれ〜? さっ、さっきは何かいたと思ったんだけどなぁ……み、見間違いかな……」
九尾狐の登場に、ライアは声が震えている。ヤバいと思って知らないふりに切り替えたようだ。改めて下を見ても、森と雪に阻まれ視認できない。
九尾狐はそんなライアらを無視し、不安気な表情で崖を覗き込んでいた。団長は再び話しかける。
「九尾狐さん、そろそろ事情を話してくださいよ。助けになるかもしれませんよ」
「……息子じゃ……」
「息子?」
その言葉に、団員らは九尾狐の事情を理解した。
九尾狐も、ようやく話をし始める。
「魔族の血は一代限り。息子はモンスターですらない、ありきたりで平凡な狐じゃ。十匹ほど産んだが、生き残りはあやつだけ。それが少し前の吹雪で崖から足を滑らせ、転落したんじゃ……」
「それは……」
アシュリートも言葉に詰まる。
「助けようにも魔法を使う時のわしの図体は大きすぎで、細かい操作ができん。あやつを此処まで持ち上げるのは無理なのじゃ……せめて静かに死なせてやりたい……」
今にも目から涙が決壊しそうな九尾狐に、もらい泣きする団員もいた。先ほどまでのド迫力な怖さは消え失せ、今はただ、一人の無力な母の顔になっている。
「事情は分かりました。ここは我々の出番ですね。任せてください、息子さんを必ず救出します」
「本当か?」
アシュリートの自信たっぷりな言葉に、九尾狐は信じられないという風の表情をした。やはり、人間に対する不信感があるようだ。
「お前らは、われら狐を食べるだろ? そんな邪悪な奴らに、可愛い我が子を任せられるわけが無かろう……ふざけるな」
口調はさっきよりも弱々しい。
「いえいえ、無用な殺生はいたしません。信じてください。僕たちも先を急ぐ身です。此処であなたを騙しても、得することはありません」
「……分かった。頼む」
その言葉から、団員総出で九尾狐の息子救出作戦が始まる。
まず藁履をほどき、撚って一本の丈夫な縄にした。藁は色々使えて便利なものの、このような形で使うとは思ってもみなかった。みな藁細工の経験があり、あっという間に出来上がる。
縄の先には動物を乗せられるシートを付けた。
準備完了だ。
ここに至り、誰が行くかが議論となる。
縄は太く丈夫であるものの、万が一の可能性は否めない。
重量は軽い方が良い。
銘々が喋り始めてざわつく中、
「私がやります」
ジュリアが手をあげた。
確かに小柄なのでちょうどいい。旅中、衛生兵として経験を積んできたから簡単な手当なら直ぐできる。
しかし隣にいる彼氏のランロットはヤキモキした。
時折激しい風が吹くなか、切り立った崖を降りていくのだ。突発事故が起こるかも知れない。彼氏として心配するのは当然と言える。
「お前がいかなくても……」
「問題ないわ。しっかり支えてくれるんでしょ?」
「あ、ああ。勿論だ」
「ありがとう、信頼してるから」
そう言われて、ランロットも発奮しない訳にはいかない。ジュリアもここまで来ているのだから、能力も当然ある。過保護になることも無いだろう。
「ジュリア、これを持って行って。エメオラ様からもらった回復薬だ。これで少しは楽になると思う」
「ありがとうございます、リック様」
とにかく一刻も早く行かねばならない。縄に体を結びつけ、ランロットを先頭とした団員たちに見送られながら、ジュリアは慎重に降りていく。
……
ヒューー!!
「きゃっ!」
突風に煽られ、ジュリアの悲鳴が聞こえた。
「大丈夫か〜〜!!」
「はい、すいません。大丈夫です!」
そうやってゆっくりと縄を下ろして二時間後、縄の感触が軽くなる。どうやら底に着いたようだ。ランロット達が崖を見下ろすものの、すっかり森の中に隠れている。
「あ、あそこにいる。意外と大きいかも!」
セラナが目ざとく見つけたようだ。
言われてみると、白く光るものが微かに居た。
「乗るかな?」
「大丈夫だと思うけど……」
みな緊張で寡黙になるなか、小一時間ほど経ち青い狼煙が上がる。
縄を引っ張る合図だ。
「良かった。うまくいったみたいだ!」
「よーし、上げていくぞ!!」
青は問題なし、何かあったら赤い狼煙と決まっている。団員たちは喜びながらも慎重に縄を上げていった。当然ながら先ほどより感触は重く、九尾狐の息子が乗っているようだ。
この間、九尾狐は大人しくアシュリートと一緒にことの成り行きを見ていた。初見の時よりは仲良く見えるが、さっきより重力負荷をかけて動けなくしている。九尾狐はアシュリートを憎々しげに見るものの、団長は相変わらず涼しげな笑顔を振りまいていた。
「見えた見えた! 一緒にいるぞ〜!!」
森を抜けて現れたらしく、団員の一人が叫ぶ。その言葉を励みに、ランロットやリックらは縄をしっかりと上げていった。
更に時間が経ち日が沈みそうな頃、ようやくジュリアが無事上がってきた。一同、安堵の表情を浮かべる。
「ありがとうございます〜! 足が折れていたので添え木しました。他にも怪我しています。回復魔法で至急お願いします!」
ジュリアが一緒に連れてきた狐は、九尾狐よりも明らかに見た目が老いている。魔族と化した九尾狐にとって、息子が先に死ぬ事実を理解はするものの、こうした形での別れは耐えられないのだろう。永く生きられるのも、良い事ばかりでは無い。
回復魔法ができる団員達が、総出で老狐を介護する。思った以上に回復できないのは、年齢のせいでもあるのだろう。アシュリートだけで解決可能にも思えるが、さすがの彼も九尾狐の封印で手一杯とみえる。
数日の後、老狐は意識を回復した。
「起きました!」
その足取りはヨボヨボと頼りないものの、九尾狐を見つけると足早に歩いてくる。彼女も目に涙を浮かべながら、老狐を迎えた。
「もうお前らに危害は加えぬ。妾を元の姿に戻せ」
「あい分かりました」
ボンっ!!
アシュリートの封印魔法解除と同時に、九尾狐は元の姿へと戻る。先だっての争いも記憶に新しい団員達は生きた心地がしないが、九尾狐は約束通り団員達へ攻撃する様子はなく、それどころか深々と頭を下げた。
「息子をありがとう。アグラピア様からお前らを我が国から出すなと厳命を受けていたのだが、不問にしてやる」
「誠にありがとうございました。このご恩は忘れません」
やはり、アグラピアはアシュリート達を把握しているようだ。ガーダラサへ行ったとしても無事に帰れるのか、リックに一抹の不安がよぎる。
「お前らが道を造っても、知らない事にしてやる」
「御意」
無事に交渉も成立した。
今は前向きにとらえるしかない。
「だがガーダラサへの道はまだ遠いぞ。火山と毒が蠢く灼熱の地がお前達を待っている。彼の地を統べる牛魔王も、一筋縄ではいくまい」
「牛魔王? 何か好物とかあるんですか?」
「敵に塩を贈るわけにはいかない。だが、まあ言っておけば、人間が大好物だ。食われんように気を付けろ」
「うわ、それは困りましたね」
言葉とは裏腹に相変わらず飄々とするアシュリートだが、団員達はその言葉を聞いて震え上がった。
何れにせよ選択肢はない。先に行くだけだ。
それからしばらく経ったオロソ歴332年3月、無事に山を超える。
春も近づく頃、一行は不穏な土地に足を踏み入れた。




