第098話 寒いのが苦手な人もいれば暑いのが苦手な人もいる
「ふぅ、やっとここまで来たね」
「そうだね。でも寒いよ……」
「けどこんな軽い装備で行けるって凄いんだよ。僕の村なんか、この5倍ぐらいの重さがあったから」
「それはそうだけど……」
いよいよ神崙山脈越えとなった朝、簡易テントをたたみ支度し終えたリックとセラナは改めて山を見上げた。気温は氷点下20度。くっきりと晴れた空は見ていて気持ちが良い。
リックらが出発するキャンプ地は標高1500mなので雪も深く、背の高い木も生えている。だがそびえ立つ山々は岩肌を剥き出しにし、全ての生き物を拒絶するかのようであった。
ここまでの道のりは遠かった。
オロソは雪に慣れてない者も多く、様々な対策が取られた。
支給されたフニクロ製のヒートゴアテックは、下着や靴下も含め防寒防水で凍傷対策を万全にしている。鎧としての耐久性も兼ね備えており、団員の高い魔法力でモンスター対策も抜かりない。武器も軽めにして、負担を極力かけないようにした。
ただ深藁沓と樏は、扱いを知らないセラナにとって履くのすら難儀した。リックの助けで何とかできたが、歩くのすらまだ覚束ない。行軍練習の最後部では雪が溶けていて滑りやすく、転んだことも一度や二度ではなかった。
馬にも馬沓という草鞋を履かせている。これはカポ村に住むカヴァリアのアイディアで、確かに馬たちは蹄鉄より楽そうだ。ただ蹄鉄の替えが無い事情による苦肉の策でもあった。馬車は持っていけないので、荷物も極力軽くする。
更にカヴァリアの指導でスキー板を操る団員も増えたが、セラナにはハードルが高くて諦めた。
セラナにとって、ここまでの豪雪地帯は初めてである。
ここに来るまでも皆で雪かきして道を作り上げたが、両脇3m以上もの積雪は圧迫されそうで恐怖しかない。フカフカな新雪を踏み締めて歩くのは新鮮で面白かったけど、落とし穴みたいに急に底が抜けてハマって以降、慎重になる。
ただ温泉が見つかったのは僥倖だった。女性も三割いるから、時間帯を決めて入浴できる。終わりが見えない旅での癒しが、ここを離れる今は懐かしく感じる。
一方のリックは北国育ちなので、習得は早かった。
リックの故郷カマ村の冬は、雪に閉ざされ隣村へ行くことすら難しい。子供の頃は雪合戦をして遊んだりカマクラを作っていた彼にとって、冬は馴染みある季節だ。
(いやぁ、ホント、どうなるのかなぁ……)
セラナはもう一度空を見上げた。
リックと一緒に居たくて来た旅だが、モンスターよりも厄介な事があるとは思わなかった。これほどまでに暴力的な雪が恨めしく思う。
それにこの晴天も吹雪へと変わるのはあっという間。ここをキャンプ地にしてから一月経つが、急な天気の移り変わりを嫌というほど味わってきた。海も気まぐれだけれど、山の心変わりはハンパない。そもそも海でこんな重い装具は必要ない。
(大丈夫かな……)
自分が足手纏いにならないかと、セラナは不安だった。
騎士、騎士見習い合わせて総勢60名の精鋭部隊がこの難路を乗り越え、聖典のあるガーダラサへと向かうことが決まる。
セラナは評価を最低点でクリアし、追い返されずに済む。純粋な能力が試されるので、騎士だとかリックの伴侶といった点は考慮されない。運動神経が良いセラナでも、雪は勝手が違っていた。
ルートも問題だった。あの山頂が目的では無く、ガーダラサへ一歩でも近づくのが目的だ。当然ながら少しでも楽なルートを求め、偵察隊が念入りに調べた。その結果、しばらく歩いた後に現れるなだらかな谷を進むと先に進めそうだとの報告が入り、行き先が決まる。
ただしその谷を超えても、あと2000mぐらいは登る必要があるらしい。
高山病を避けるためにも、歩く速度は限られる。
何時ガーダラサへ辿り着けるのか、誰も知らなかった。
神崙山脈は千キロ以上に広がり、人間達にとって壁のごとく立ち塞がっている。突風がひどく、越山する鳥型モンスターはいない。黒龍と白龍も及び腰なくらいだ。ドラゴンとして若いから、仕方ないだろう。
こんな険しい環境の中、樹氷が立ち並ぶ山々を偵察隊が乗り越えて何とか見出したルートだ。絶対に成功させなければならない。
60名は声に出さずとも、不撓不屈の決意で挑む。
それに目的は聖典だけじゃない。
周辺の山では軽く煙がたなびいており、活火山と分かる。温泉があった理由でもあるが、噴火するのかしないのか、するなら何時なのか、作者もリック達も今は未だ知らない。
この火山があの黒い炎と関連があるのかは不明だ。
何となくだけれど、少しずつ近づいてきたようにも感じる。
あるときリックは、なぜ魔族グゲドガに黒い炎を聞かなかったのかアシュリートに尋ねた。
「あ、すっかり忘れてた!」
アシュリートのテヘペロ顔は珍しいが、言葉とは対照的に困った表情ではない。相変わらず心の奥が見えない顔だと思うけれど、リックも慣れたので気にしない事にした。
「聞けば良かったんじゃないですか?」
「いや、覚えてても同じかな。見えてるリックくんだから言うけど、あの炎は聖典より大切な、ザルディアにとっての最高機密事項だと思うんだ。予想される場所も首都に近いし」
「確かに、そう言われるとそうかも知れませんね」
「気候変動は無かったかとカマをかけてみた限り、グゲドガさんは知らなさそうかな。だから、あれ以上は突っ込むのをやめたよ」
「そうなんですね」
一応考えてはいたらしいので、リックもこの質問は終わりにする。
いずれにせよ、考えすぎていても仕方がない。
ここまで来た以上、目的を果たすために行動あるのみだ。
* * *
「お疲れ様。本日、今から予定通り神崙山脈を踏破します。選ばれた60名は、必ず生きて帰ることを肝に命じてください。何があろうと死んでしまっては意味がない。また残った皆も、通信魔法で連絡を取り合ったり物資の補給を頼むこともあるから、よろしくお願いします」
「はい」
皆、真剣な面持ちである。アシュリートが言うように、ここまでの道は開拓されて往来可能になっている。団員達を奴隷にしようとモンスターが強襲してくる報告もあったが、まだ撃退できている。
総勢60名には、ヴィクトスやカヴァリアはもちろん、ライア、リックとセラナ、黒龍と白龍にランロットやジュリアも含まれていた。ちなみにライアは、雪がそこまで苦手じゃなかったようだ。
雪山では一人一人が役割をこなせないと全滅の恐れがある。むかしオロソ北部の山岳地帯で雪中行軍を行った際、部隊200名が遭難して全滅した事件もあった。
連携も万全にして、とにかく命を守るのを最優先だ。
まだ、『氷の女王』と呼ばれる魔族との遭遇はない。
それも気がかりと言えば気がかりだった。
「じゃあ、出発!」
残った団員に見送られながら、一行はキャンプ地を後にした。
まずは白樺の林を進む。凍てつく寒さですっかり樹氷と化しており、遠目では人かモンスターと見間違えてしまいそうだ。
ここから五キロほど離れた先までは道ができている。ちょうど湖がある三つの山に囲まれた谷底で、そこから先は分岐していた。山の姿から団員は『コンドル山』と『伏犬山』、『兎山』と呼び分けているが、『伏犬山』と『兎山』の間を通るのが決まっている。
隊は同じ速度で進むものの、アクシデントが起きたらその限りではない。何かあった場合、その合流地点まで向かうことになっていた。
そして、やはり山は気まぐれで冷淡であった。
* * *
ザザァーー
ヒュゥウウーー!!!!
ドドドォオオ!!!!
1キロほど進んだ時である。
「うわ、吹雪だ!!」
「ちょっとリック、まずいよ! もう周りが見えない!!」
「そうだね、避難しよう! 声が聞こえる人はこっちに来て!」
「はい」
「ありがとうございます!」
さっきまでの晴天が嘘のように、突然の吹雪が団員達を襲う。
ある程度慣れていたとは言え、やはり生きた心地がしない。
集まった七人の団員と力を合わせ、訓練通りにカマクラを作り避難した。
幸い雪質が良いので掘りやすく固めやすいのは助かった。
十分な広さを確保し、体力温存に努める。
「ふう、いきなり災難だね」
「仕方ないよ」
「いつ止むかな?」
「分かんないね。早く止むといいな」
リック達の願いを嘲笑うかのように、雪嵐は一晩中吹き荒れる。だが空気穴の筒を天井に付けて炎を灯して暖をとると、厳しい外の天気とは裏腹に、静かな冬の一夜に変わる。
とにかく休めるときには休むのが一番だ。
……
翌日、外から聞こえる轟音が止む。
「終わったかな?」
「出てみる?」
リックとセラナが先頭になって雪をかき分けつつ外に出てみると、あれほどの嵐がピタリと止んでいた。一面に広がる晴天は、皆に優しく祝福していた。
「いけるかな?」
「行こう!」
はぐれて九名となったが、目的地を目指して一行は進んだ。
「馬は大丈夫だったかな?」
「ヴィクトスさんやカヴァリアさん達だから、大丈夫じゃない?」
「そうかもね。あ、樹氷がきれいだね」
リックは呑気に雪に覆われた木々を見ていた。
だが何気ない風景にも、異変は起こる。
ドサッ!!
「あれ?」
樹氷と思っていた木から、雪が落ちる。
単なる落雪と思ったが、特定の木からボロボロ落ちる。
そしてその木が動き始めた。
ギエェエエァアアーー!!!!!
ギャァアアオオォオオオーー!!!!!
奇妙な声も出始め、明らかに樹氷とは異なる生物がいる。
「うわっモンスターだ! 全員戦闘態勢!」
この中で騎士なのはリックとセラナだけなので、リックは抜刀し先頭に出る。この前の植物型モンスターのトラウマがあるセラナは、後方から弓で援助することにした。
だが、相手は予想外だった。
「うわ、木じゃ無い!」
「こっちに来るぞ!」
「やべぇ!!」
雪をすっかり振り落としたそれは、身長3mはある雪猿人であった。
着ぐるみじゃ無い、本物だ。
何体もの雪猿人が、リックら目掛け襲ってきた。




