第009話 不殺の騎士団長アシュリート・コーディアルとその仲間達(後編)
屋敷は幅300mほどの学校みたいに大きな二階建て木造で、大きな瓦屋根の両端には鯱鉾がある。入口の上には広場を一望できるバルコニー、その上には時計台があった。
2人は土足のまま入る。廊下は沢山の人達が行き来しており、どうやら団長の私邸ではなく騎士団本部のようだ。派手さは無いけれど、造りはしっかりしている。
エメオラは顔見知りらしく、会う人達と挨拶を交わしていた。そのまま進むと奥にもう一棟あり、渡り廊下でつながっている。エメオラは勝手知ったるように先へ進むと、中庭では数人の兵士が何か訓練をしていた。
更に進んで、エメオラは一番奥にある扉の前で立ち止まった。表札には『団長室』と書かれている。
「アシュリー、入るぞ」
そう言ってエメオラがドアを開けると、部屋の中は広かった。手前に応接用ソファがあり、奥では立派な机に向かって一心不乱に書類を読む、少し長いボサボサ髪でメガネをかけた男性がいる。見た目に頓着しないようだけど、着ている王国伝統の礼服は簡素ながらツヤのある布地で、凝った刺繍が施されていた。少し離れて秘書用の机が二つあり、中年の女性2人が仕事中だ。
団長は、2人に気付いて顔を上げた。エメオラやヴィクトス達と変わらない若さだ。白い髭でも蓄えた老将を想像していたリックは、予想外の風貌にやや戸惑った。
「やあエメオラ、久しぶり。ちょっと待ってくれ。この書類を読み終えるから。そこに座ってて」
そう言って団長は、再び書類に目を通し始める。エメオラがソファに座ったのでリックも隣に座った。
ここに入ると決めた以上、団長は生殺与奪の権を持つ絶対的な存在だ。初対面で印象を悪くしたら、後々まで査定に響く。リックは緊張しつつも秘書が持ってきたお茶を飲み、静かに待った。お茶は美味しくておかわりしたいけれど、そこは我慢する。
しばらくして仕事が終わったらしく、メガネを外した団長がやってきて2人の前に座った。ニコニコしていて、目を細めている。周りを温かくするタイプだなと、リックは思った。お茶を一口飲んで、団長は話を始めた。
「いや、ごめんよ。相変わらず書類仕事が多くて。明日まで議会向けに報告書を出さないといけないんだ。ああ、こんにちは、君がリックかい。ようこそ第四騎士団へ。エメオラから聞いていたけど、大変だったね」
リックの件は既に団長まで届いていたらしい。気さくに話す団長の声は柔らかく、リックの緊張もほぐされた。
「あ、ええ。エメオラ様のおかげで一命を取り止めました。感謝申し上げます」
ミズネの回復魔法のおかげで体は元どおりだけれど、場のせいか喋りはうまく出来ない。そんなリックをリラックスさせようと、団長は微笑みながら話を続けた。
「良いよ、気楽にして。僕はアシュリート・コーディアル。長ったらしい名前だから、アシュリーとかアシューとか呼ぶ人が多いね。後で説明するのも面倒だから言っておくけど、コルディア家とは遠縁の親戚さ」
「そ、そうなんですか」
オロソ連邦王国で苗字を許されている者は少なく、王家か侯爵家の血筋にあたるのが殆どだ。だから苗字がある時点で、それとは分かった。
王国の騎士団は、ロクリナス王家及び三侯爵家の所有物である。王家は騎士団を持たず、第一騎士団はコルディア家、海軍主体の第二騎士団はレガナ家、リックが所属していた第三騎士団はゴネラ家の管轄だ。
ただそれは名誉職に近い。第三騎士団でゴネラ家の貴族達を見る機会なんて、入団式で来賓席に座っているのを遠目から眺めるしかなかった。平民が貴族と会う機会など皆無と言って良い。
だからリックみたいなド平民に対しても普通に接する団長に、リックは驚いた。まだ緊張が解けないリックを見て、アシュリート団長は目を細めている。
「珍しいかな? そんな気にしなくて良いよ。ここでは階級なんて無意味だ。団長職も多数決で決まっただけだから、いつ辞めても良いんだ。来年にはエメオラにやってもらおうかな」
「いや、お断りする」
アシュリート団長の軽口を、エメオラは軽く聞き流す。これも、いつもの事らしい。
「それより、私に何の用だ? 《記録の連鎖》のメンテナンスか? あれはもう、私の手を離れているはずだが。他の魔道士達でも運用は十分に可能だが」
エメオラはアシュリートに質問した。だがアシュリートは変わらぬ表情で、目を細めてニコニコしているだけだった。
「ああ、そうだ。あれも様子を見て欲しいな。まあ良いじゃないか、久しぶりに会いたくなったんだよ。一仕事したし、リック君もいるから紹介も兼ねて一緒に行こうか」
そう言うとアシュリートは席を立ったので、2人も後に続く。
「あ、そうだ。みんなに紹介しないとだね」
アシュリート団長はそう言うと、幾つかの部屋に入って回り始めた。そのたび、「今度うちに入ったリック君。よろしく」というように紹介してくれたので、「リックです。よろしくお願いします」と挨拶していく。ちょっと疲れるが、無下にはできない。どの室も、雰囲気は良さそうだ。
やっと外に出ると、広場にはまだヴィクトスとミズネが皆と話をしていた。
「ちょうど良かった、2人とも来てもらえる? 『龍の間』にリック君を案内しようと思って」
団長の呼びかけに2人とも「ああ」「分かったわ」と応じ、ついて来る。リックは身分の高い4人に囲まれ、戦々恐々だった。ヒラの兵隊が将軍達と同行しているようなものだ。格が違う。
(《記録の連鎖》? 『龍の間』ってなんだろう……)
先ほどの言葉が気になるが、質問はしにくかった。だがそんなリックの心中を察してか、アシュリート団長は気さくに話しかけてくる。
「『龍の間』に行くのは少し遠いんだけどね、この騎士団を説明するのに丁度いいから、入団者を最初に連れて行くんだ。見た方が早いから説明はしづらいけど、大丈夫、大怪我したり命を取られることはないから。《記録の連鎖》を見るのは、その後でも良いかな」
「そうですか」
団長の言葉で、少々楽になる。いきなり剣や魔法の実力をテストすると言われても、リックにはまったく自信が無い。命を取られないなら大丈夫だろうと、足取りも軽くなった。
「それに騎士団には決まり事が幾つかあるのだけど、エメオラからは聞いてる?」
「い、いえ、未だです」
「じゃあ、その辺の説明も必要だね」
リックを不安にさせないためか世話好きな性格なのか、アシュリート団長はリックの隣で一緒に歩き、駐屯地の建物の説明など色々と話をしてくれる。
やがて5人は駐屯地のある山から、もっと奥地に進む。道は険しく細くなったけれど、魔物の森とは違い良く手入れされていた。
「……で、僕達は王立高等学院の同期でね、幼稚園から一緒なんだ。エメオラは高等部からだけど。それも言った?」
「いや」
「いいえ」
「別に言う必要もなかったからな」
「じゃあヴィクトスとミズネが侯爵家の出だってことも、言ってないの?」
「え、そうなんですか? 失礼して済みませんでした……」
この4人の仲の良さに、リックは合点がいく。まさか3人全員が侯爵家の一員とは思っていなかったリックは、更に恐縮した。
「まあ、来て早々だもんね。仕方ないか。いま言った通り、ヴィクトスはレガナ家、ミズネはゴネラ家の一員さ」
「そうなんですか?」
「オヤジどもは、金儲けにしか興味ないけどな」
「そうそう、あの人達はそんなもんよ」
侯爵家といっても、不満はあるらしい。エメオラはエルフだから、人間の階級には興味なさそうだ。
「僕たちも、そう大したことは言えないけどね。高校の時にエメオラと会ってからだよ。騎士団設立の経緯も、おいおい話をしていこうか。あ、そろそろかな」
一山超えてやってきたのは、大きく真っ黒な穴を開けている洞窟の入り口だった。穴の先には闇が広がり、内部は全く見えない。
「僕たちが『龍の口』と呼んでいるところさ。どちらもこの中にある。行こう」
そう言って、4人達は入って行った。魔法なのか、皆うっすらと全身が光っている。リックはその光を頼りに、後に続いた。




