第七話 策謀
「あぁぁぁ……。懐かしいです。デミオンのウルトラパーフェクトサンデー……」
「何それ。そんなのあった?」
「そういう幻覚が見えるくらいには、アハトはもう限界ってことで」
ぐでっとダイナーのカウンターに頬をつけながら、アハトが言う。店主の額に青筋。彼女がつまらなさそうにフォークで突っつくのは、まさにその店主が出した料理なのだから。
ちなみに、その料理名たるや、店主の気まぐれ煮込み。芋やら野菜やら羊肉やらを一緒くたい煮込んだ分、それぞれの具材には様々の旨味が染み込んでいる、まさに田舎の味なのだが。その分、見た目が悪い。
「嬢ちゃん。嬢ちゃんが街を守ってくれてることに免じて、怒ってないだけで。俺はとーっても嬢ちゃんを叩きだしたい気分なのは、わかってくれるかな?」
「いやぁ。そうは言われましても。今どきの最先端を走るアハトには、こういうぐちゃっとどちゃっとした料理は合わないっていうかぁ」
「俺は、一応この街一番の腕で通ってるんだが。それはつまり、この街の食事すべてを敵いまわすって事かい?」
「それ、隣の店のダニエルさんも。通り一本向こうの店のジョセフさんも言ってましたね。団栗の背比べってやつですか?」
「なにをぅ!」
湯沸かしの魔道具を使ったように、蒸気を噴き上げんばかりの怒りを見せた店主が腕をまくり上げた。フィアは頭を抱える。この街に滞在するようになって、はや二週間。この光景も、すっかり見慣れてしまったからだ。
悪天候のため、狭い店内にたむろしていた誰それたちが、騒ぎの気配を聞きつけて集まってくる。
「そこまで言うならやってやらぁ! 嬢ちゃんの言う、『うるとりぱぁふぇくとさんでぃ』とやら、作ってやろうじゃねぁか!」
「そうですか! やれるもんならやってみてくださいよ! ウルトラパーフェクトサンデー鬼盛りデラックスプレミアム!」
「増えてるんだけど」
もはや詠唱である。
しかし、ヒートアップした男どもと、それを利用してスイーツにありつこうとするアハトの勢いに、フィアの指摘は用をなさない。自分ではついていけない領域に行ってしまった人々から距離を取るように、フィアはカウンター席の端にずれて、じぶんの煮込み料理を食べ始めた。この素朴な味わいが、フィアにはむしろ好ましい。
フィアにアハト、ノインの忌子狩りは、難航していた。
何しろ、魔獣が現れない。散発的なゴブリンの襲撃が日を置いておこるものの――すでに、彼女たちが来てから五度の襲撃があった――それを率いているだろう魔獣は一向に現れなかった。魔獣の魔核までなければ魔装乙女は作ることができず、忌子に引き寄せられる魔獣だから、先に忌子の方を狩ってしまうわけにもいかない。
忌子が確かに存在するのは、魔物交じりのフィアも肌で感じるところがあった。何というか、むずむずと落ち着かない感触が、右目のあたりを蠢いている。
それをアハトの魔術視で探してもらい、先に確保しておくのも手ではあるのだが。ギルバートにその動きが露見した時が、いよいよめんどくさい。とりあえずは彼女と立てた策をあてにして、待ちの姿勢に入っているフィアだ
このデプンクトという街は、ギルバートを英雄として扱っている節がある。最初にゴブリンの群れを一網打尽してから村の中へ戻った時の住民の歓待ぶりには、フィアも驚いたものだった。それは裏を返すと、この街のだれもが内通者足りえるという意味だと、彼女は解釈する。下手な動きは見せられない。
そう考えると、自分たちが教会騎士と共に魔物から街を守っていることが露見してしまったのも、考えものだ。フィアは窓の外を見やる。曇天の下で、ノインが子供たちと走り回って遊んでいた。アハトの引き起こすドタバタも見せものとして楽しまれつつあり。ただでさえ目立つ彼女らが、この街でこっそりと動くことはもう難しいのだろう。
結局は、時間がかかっても魔獣の襲来を待つほかはなく、そのどさくさに紛れて忌子を殺すのが最善だろう。フィアのフォークに突き刺され、ほくほくの芋がぐずりと崩れた。店の中心では、牛乳の海の中に種々の果実のはちみつ漬けがそびえたち、アハトがそれをパフェと呼ぶべきか、真剣な顔で悩んでいる。
誰もがそれに集中しているから、店の扉が静かに開くのに気が付いたのはフィアだけだった。
「なんだ。騒がしいな」
「……珍しい。教会騎士サマがこんなところにまで」
「皮肉はめんどうだ」
店に入ってきたのは、ギルバートだった。この平時ですら、騎士服の上に鎧を着ている。いっそ戦狂いとしか思えないその様は、彼があまりに職務に忠実であるからだと、今のフィアは理解している。
彼はフィアに許可を求めることなく、その隣にどっかりと腰を下ろした。フィアは皿ごと間を取ろうとするが、壁に阻まれて中途半端にしかできなかった。ギルバートはアハトたちの喧騒をみやりながら言う。
「魔物のくせに、人のようにふるまうのだな。あれは」
「まだ言ってるの? 確かに、私たちの身体には魔核が埋め込まれているけれど。それでも人間よ」
「魔物とは」
フィアが断言するも、ギルバートは反論する。瞑目しているのは、彼の脳内にある教典を読み返しているからだろう。
「魔物とは、魔なるを内に宿すモノ。生物は元来体内に魔力を持たず、体内に魔力を持った生物が変貌して魔物となる。ならば、魔核をその身に宿すお前たちは、魔物だろう」
「はいはい。よくお勉強したのね」
「それに、外で遊ばせているあれは、明らかに魔物に近いものだ。お前が首輪をつけていなければ、とうに斬っている」
「それは」
揶揄を通り越して返された言葉に、フィアは声を詰まらせる。教典と、魔装乙女の性質による批判なら、フィアはいくらでも受け流せるのだが。今のはギルバート自身が、自身の目で見た感じたことだった。彼の右手は家紋を掘った剣の柄頭に置かれており、フィアが間にいなければ、窓の外にいるノインに本当に斬りかかるのだと告げるようだった。
ならば、「それは違う」と声にすればいい。ノインが魔物ではないと述べてやればいいのに、それをためらってしまったのなら、もはやフィアはギルバートに同意しているようなものだった。
フィアの脳裏に走る記憶。忌子の死体を踏みつけにしそうになることも構わず抱き着いてくる姿。自分が傷つくことをいとわない戦い方。無邪気。
恐ろしい結論似た剃りつきそうな自分を、フィアは強引に引き戻す。窓の外ではじけるように笑うノインを見た。
「それは、違うわよ。だってほら、あの子が魔物なら、あんなに楽しそうに子供たちと遊べる?」
「ならば、あれが魔物に襲われている子供たちを見つけたとして。あれは子供を助けるのか? それとも、魔物を殺すのか?」
「……人間の基準で、あまり測らないでよ。私たちは魔装乙女なんだから」
ギルバートの問いに、フィアは歯噛みしながら答えた。まるで、魔獣を殺し、それに襲われていた忌子も殺す、自分への問いかけのようにも聞こえたからだ。
ギルバートは、フィアの返答に腕を組んで答える。
「つまり、お前たちは魔物でなくとも、やはり人間でもないのだな」
ノインなら、それがどうしたのとこともなげに問い返すのだろう。フィアは羨ましく思う。
けれども、フィアにはそれができなくて。沈黙で受け止めてしまった彼女に、もはや反論の機会は与えられなかった。店主とアハトの勝負に決着がついたのだ。
見た目が悪いのに味はスイーツとして悪くないと、泣きながら完食したアハトと、新境地の開拓に成功した店主との固い握手による引き分け。そうして潮が引くように人が離れていくと、当然ギルバートの存在に気づくものが現れる。となれば、人々が今度はギルバートを褒め称える宴を始めるのは道理だ。
「くだらない禅問答をしてしまったな。要件は別にある。いくぞ」
「えぇ、そうね」
「えっ、ちょ! このアホバーカ! 抜け駆けは許しませんよ?!」
自分を歓迎しようとする人の波も意に介さず店を出ていくギルバートに連れられ、フィアたちは店を後にした。外に出てみれば、どんよりと押し込めるような雨雲から、あめがぽつぽつと零れ始めたところだった。
◇◆◇
ギルバートに連れられてきたのは、教会の隣に併設された、騎士たちの詰め所だ。あくまで教会施設の一部ということで、清貧を心掛けたその建物は飾り気がない。裏庭で鍛錬に励む騎士見習いたちの声を聞きながら、フィアたちは質素な廊下を歩む。埃一つなく、むしろ息苦しかった。ウォールナットの扉も、塗装の艶がまぶしかった。
その扉のうちの一つを、ギルバートは開く。そこはギルバートの書斎であって、書棚には様々の書物が並び、奥に一目で高級品とわかるデスクが一つ。ノインがデスクの前に置かれた椅子に掛けていって思いっきり座り込む。革張りの座面にぽよぽよと身体を弾ませて上機嫌だ。
ギルバートはそれを横目に、部屋の中央に置かれた長机の前に立ち、フィアとアハトを招く。そこにはデプンクトの周辺地図が広げてあった。
「いい加減、魔物の出現が続きすぎている」
ギルバートは重苦しく言った。フィアとアハトの視線を集めながら、地図上にプロットされた赤い点を一つずつ指さしていく。街をぐるりと取り囲む点は魔物の発生地点を示す。これまでの魔物の襲撃の全記録が、地図と彼の脳内とに収まっていた。
「いい加減、騎士たちにも疲れがたまっている。そろそろ状況を打開しなければ、渦を巻いた疲弊感が油断を生み、その油断が街を滅ぼすかもしれない」
「そうね。もう、一か月を超えたものね」
彼の正しさを認め、フィアが頷く。
そも、彼女たちが来てからの二週間だけでなく、この街で戦っていた騎士たちには、ギルバートが依頼を出すまでの期間と、それをフィアたちが受け取り、やってくるまでの期間があったわけで。そう考えれば、二日か三日に一度の襲撃に精神がすり減らされていることは容易に想像がついた。事実この前の戦闘では、隙を見せた騎士の一人が、ゴブリンごときに殺されている。
だからこそ、ギルバートは少なくとも人間ではないフィアたちを受け入れ、負担を軽減しようとしている。
つまらなさそうに話を聞いていたアハトが口を開く。
「つまり、人間ではないアハトたちが、起死回生の発想を見せてくれないかと、そういうことですね」
「そうだ。お前たちも、まがりなりにも魔物を殺すことを生業にするものだからな」
「はぁ。これはまた、ずいぶんと都合のいいことを言うもんですね! 恥はないんですか、恥は!」
「おれは、この街の人々を、女神様の使徒として守らねばならない。そこに、恥があるわけがないだろう」
「ぐぬぬ。この正義の味方は……」
堂々と言ってのけるふてぶてしさは、アハトが正義の味方と例えたように、神の正義という一本の軸でもって、彼が立っていることを示していた。彼は本当に、部下の騎士を、ひいては街を守ることしか考えていないのだ。
知らぬ存ぜぬで押し通せばよいところではあるが、ここで情報を提供すれば、彼女たちは武力以外の価値があると認めてもらえる可能性が高い。
アハトはフィアに視線で伺いを立ててくる。ギルバートは、最後に魔獣と戦う局面になれば、欺かなければならない相手だ。この人間の守護者が、忌子殺しを容認するわけはないのだから。そのうえで、情報を共有していいものかの判断を、アハトはフィアに投げてきている。
フィアは逡巡の後、頷きを返した。ここで信頼を稼いでおけば、動きやすくなる部分もあるだろう。
「では、多少お話をしますけれど」
アハトが一歩前へ出て、地図へ身を乗り出す。小柄な彼女ではそうしないと地図の奥まで手が届かない。
「このあたりの襲撃はアハトたちの来る前のものですけど、それもゴブリンの群れであったことに間違いはないんですね」
「あぁ。本来、魔獣が伴う魔物というのは、そう統一感がないものだとは思うが」
「まぁ確かに、それも異常だとは思いますが」
魔獣が魔物とともに現れるのは、魔獣のおこぼれを狙う魔物が多いからだ。彼らは基本的に勝手についてきているだけで、家族やなにかであるわけでなく、つまりは種族が統一されていないことの方が多い。
アハトはその違和感を端において、別の違和感を指摘する。
「つまり。ゴブリンたちは街を一周するように、移動しながら攻撃をしてきていることになりますよね。これは、ゴブリンの習性としてはおかしいです」
「どういうことだ」
「ゴブリンという魔物は、種を増やすために人間を襲うのは知っていますよね。オスのみしか存在しない彼らは、女性をさらって繁殖をする。だから、必ず女性をさらっていく先としての拠点を用意しているはずなんです」
「なるほど。道理だ」
ゴブリンたちとて、戦場のど真ん中で子作りをするわけにはいかない。子を孕めばその女を出産まで養い、生まれた子を育てさせねばならないのだ。必ず、安全な拠点が必要なはずで。
アハトの指摘はその矛盾を突くものだった。ゴブリンたちはその性質上、戦場を常に移動させながらの戦闘は行わないし、戦う意味がない。このようなゴブリンの襲撃の在り方は、不自然そのものだった。
「それに」
アハトは付け加える。
「ゴブリンはまだしも、それを指揮するゴブリンリーダーを倒しても、魔核のかけらすら落ちないのも気になります」
「魔核、か」
魔核。それは基本的に魔獣の身に存在する器官だが、正確には、魔核を獲得した魔物を魔獣と呼ぶのだ。魔物は成長に従い体内の余剰魔力を濃縮させていって、魔核を作り出す。ゴブリンリーダーともなれば、小石サイズの魔核もどきを持っていても不思議ではない。
だのに、今までの襲撃でそれをゴブリンリーダーの体内から見つけたという報告もない。
「それを踏まえれば、結論は一つです」
「ほう、それは?」
アハトがもったいをつけ、真剣に話を聞く姿勢になっていたギルバートが、珍しく前のめりに興味を示す。アハトはいよいよ得意げに、クリスタルチャームをはじいた。
「このゴブリンたちは、純粋な魔物というより、魔法によって作られた生物としての魔物である、その可能性が高いです!」
「つまり、魔獣の魔法特性というわけか……」
ギルバートが唸る。それは、アハトとフィアがこの二週間の分析から導き出した結論だった。
つまり、今回の魔獣は魔核を持つほどの魔力量を獲得した結果、自分の同胞を自分の魔力から生み出す術を得ており。魔獣単体が軍隊を内包しているからこそ、移動をしながらのゴブリンの襲撃という異常が起きている。
「それで」
ギルバートは思案顔で顎に手をやりながら述べる。
「それで、何がどうなるというのだ」
「わからないんですかぁ? いいんですか? アハトにそれを聞いてしまっても?」
「早く話せ。時間が惜しい」
「ちぇっ。つまんないですね」
答えを急ぐギルバートには冗談が通じず、アハトは舌打ちをする。
そして彼女は、なるべくうざったらしい顔を作って、肩をすくめて言うのである。
「まぁ、そこはアハトにもわかりません」
「なんだと」
フィアには、ギルバートの額に浮かぶ青筋というものが、はっきりと見えた気がした。「教えろ」と「イヤです」の応酬が続くが、感情に流されやすくも最低限の理性の線引きだけは失わないアハトだから、どれだけ熱が入ったところで口を滑らすことはないだろうと、フィアは思う。この結論を基にフィアとアハトが立てた見通しまで、共有する必要はないのだ。
けれども。ここで話しておいた方が良いのではと、フィアの心のどこかが囁いていて。
その迷いを咎めるように、がたっと音が鳴る。
思わず背を伸ばすフィア。ギルバートとアハトも言い合いをやめ、視線をやる。
音の主は、上機嫌で椅子に座っていたはずのノインだ。
「来るよ」
どこか遠くを見据えて、立ち上がったノインが言う。
同時に、書斎の扉が勢いよく開かれた。
「ギルバート様!」
現れたのは、騎士見習いの少年で。
「魔物が出ました! おそらく、魔獣も一緒に……!」
書斎に空気に緊張感が走る。ただ一人ノインだけが、楽しそうに笑った。
【Tips】魔物
通常、生物は体内に魔力を持たない。人間が魔術を扱う際も、体外の魔力を取り入れて行使する。突然変異的に魔力を宿した生物が、魔力によって変質したのが魔物である。