第六話 殲滅戦
白い雲がゆったりと流れて、緑に輝かんばかりだった草原に影が落ちる。風すらも足を止め、高まる緊張の気配に息をのむかのよう。デプンクトのを取り囲む木杭の柵を背にして、教会騎士の誇る騎士団がぴしりと整列をしていた。甲冑に身を包み、丸盾を持ち、帯剣した彼らは数十名の規模ながらも戦慣れした雰囲気を感じさせる。ギルバート率いる精鋭たちは、今日もデプンクトの平和のために剣を抜き放つ、はずだったのだが。
「おれたちは、お前たちが討ち漏らした魔物を討つ。そして同時に、おれたちが魔物を討たねばならなくなった瞬間。お前たちの負けだ。いいな?」
「えぇ、もちろんです! 言ったじゃないですか、紅茶が冷める前に決着をつけると。討ち漏らしなんか出る余地もなく、一網打尽にしてやりますよ! ね、お姉様?」
「えぇ、まぁ。そうね」
フィアは頭を抱える。このなだらかな起伏を見せる草原の先には、何かが蠢く様子が見て取れる。あれが魔物の群れ、百数十体のゴブリンたちらしい。一体一体の脅威はたいしたものではないのだから、ここにいる騎士団総出で討伐にかかるのならば、それはもう一方的に蹂躙できるのだろう。
だが。整列する騎士団の前に立つのは、ギルバートと彼に使えるあの騎士見習い、そして、フィアとアハトとノインだけ。ギルバートと、ついでにその騎士見習いは、あくまで観戦のためにいるのであって。なんと、あの百数体をフィアたち三人だけで討伐しなくてはならない。
それもこれも、アハトの安い挑発のせいだった。
堅物で冷徹な男だと思っていたギルバートは存外挑発に弱く、売り言葉に買い言葉でフィアたちの実力を見せつけることになってしまったのだ。すげなく追い返されるところだったからと、幸運だなんて感じた自分をフィアは内心で呪う。今更ゴブリンに後れを取るつもりもないのだが、『撃退』でなく『殲滅』となればその手間は尋常ではない。
「よし! やりますよノインちゃん! 準備はいいですね!」
「あー! もちろん! ちゃんと準備運動もしたよ!」
できれば今からでも別の道を探りたいのだが、自分の仲間たちはすでにやる気満々になってしまっている。挑発を仕掛けたアハトはもちろん、どうやら観劇に退屈していたらしいノインも、やっと身体を動かせるとウキウキしていた。準備運動まで万全の彼女から、目前の『オモチャ』まで取り上げようものなら、フィアの身に何が起きるかわからない。
諦めとして、ため息を一つ。フィアはフードを上げて素顔をさらした。
「仕方ない。やるわよ」
「えぇお姉様! ぎったんぎったんのばっこんばっこんです!」
「よーし、がんばるぞー!」
ノインが魔装の右拳と生身の左拳を打ち合わせる。
いよいよ戦闘が始まることを察し、後ろに下がったギルバートが騎士見習いから紅茶を受け取るのを、フィアは視界の端でとらえたが。意識の外に追いやる。アハトがすでに詠唱を始めていた。
「氷竜の瞳よ。その氷晶の輝きを恵みたまえ。只人が見るにはまばゆすぎる、至高にして神聖の光」
氷竜の魔核を封じた彼女の魔装から冷気があふれ、ダイアモンドダストの煌めき。祈りを捧ぐように詠唱を捧げる彼女の姿は敬虔なシスターのようでもあり。
「魔術視・純氷」
紡がれた言の葉は、果たして彼女に竜の視野を与える。フィアから見れば、何が変わったともわからないのだが。アハトはかつて、「遠見や透視はもちろん、魔力から熱まで見ようと思えば大体見えるんです」と語ってくれた。その魔術でフィアの入浴を覗いていた。
「見えました」
アハトが胸の前で組んでいた両手をほどく。
「数は数えられませんでしたが、魔獣はいませんね。一匹、統率役として魔力量の大きいやつがいますが、まぁ、普通のゴブリンリーダーでしょう。つまり、力押しで大丈夫です!」
「ありがとう、アハト」
「いえいえ。まあこのアハトちゃんにかかればお茶の子さいさいと言いますか」
貴重な情報を獲得してきたアハトに、フィアは礼を言う。不埒な使い方こそあれ、アハトの魔法の威力は今までの彼女の実績が示したいた。何より、後ろで部下に確認を取ったギルバートが不機嫌に黙り込んでいるのはその証左だった。
アハトは、謙遜しつつも彼女の魔装に括り付けられたクリスタルチャームを指ではじく。それは、得意になっている時の仕草で。
「じゃあ、ノインはどーんでいいよね! ね!」
「ちょっ、これからアハトがお姉様に褒めてもらうシーンなんですけど!」
「えー? そんなのしらなーい!」
つまりはもっと褒めてほしかったアハト。けれど、ノインはそんな事情をくみ取れるわけでもないし、汲み取る気もない。はしゃいだ様子で草原をかけていく。
彼女の魔装の核がどの魔獣に由来するのか、それはフィアとアハトにも知らされていない。ただ、彼女らのように魔術行使に特化した魔装でなく、肉体を用いた接近戦に特化した魔装であって、その結果として余ってしまう魔力が身体強化に回されているのはわかりきっていたから。彼女は仕方なくノインの後を追いかけた。
ノインは、草原を飛ぶように走る。吹き止んだ風が、彼女の後についてくる。アハトとフィアとて、魔装乙女として最低限、人間の身体能力と比べれば高い体力を持つのだが。ノインとの距離は、みるみる離れていく。
やがて、二人の視界にゴブリンの醜い姿が見え始めるころには、ノインは女神の投擲するという必中の神槍もかくや、敵陣に切り込んでいる。
「刻印魔術」
ノインは黒鉄の右手の甲に刻まれた、幾何学模様に触れる。
「黒鱗変化・鉤爪」
それは魔術刻印。魔術効果の応用を捨て、ただ簡便さを求めた魔術体系。
ノインの右手はぎちぎちと軋みをあげ、その形状を変化させる。人間の形を模していた右手が、悪魔のそれへと変わっていく。
「いっぴきぃ、めっ!」
溌溂とした声とともに繰り出す。ゴブリンの矮小な胸部に突き立つ五指。握力任せに引きちぎる!
おぞましい悲鳴。それが殺戮の始まりだ。
人の腰ほどの身長しかないゴブリン扱える武具は少ない。こん棒や短剣、短槍など。およそ『重み』というものにかける。痛みをあたえ、いたぶるための道具だ。
そんなものは、誰よりも魔装乙女らしい魔装乙女であるノインには効くはずもない。彼女はその攻撃のすべてを受け止め、お返しに必殺の一撃を返す。しっぺというのは、するのも楽しいが、される側のスリルも同時に楽しむものだから。
彼女が巻き上げる血風の嵐は、何もゴブリンたちの血だけが作るものではない。ノインという少女の血が、草原に赤い残酷の模様を描き出す。
「相変わらず、見てられないんだから!」
「あー、フィア。くるのおそーい」
「はいはーい。フィアちゃんは痛いの痛いの飛んでいけのお時間ですからねぇ」
そこにようやく、フィアとアハトが到着する。
フィアの詠唱魔法は、威力こそ大きいが取り回しが悪かった。ゴブリンのような小物一匹を倒すのなら、一節の詠唱で済むのだが、それが群体になると、事情が違う。このままではすぐに失血して、死なずとも動けなくなりそうなノインを一度回収するため、フィアは短剣を構えてゴブリンの群れに飛び込んだ。
逆手に構えた短剣が、あやまたずゴブリンの首筋を削ぐ。フィアにはノインのようなタフネスも、あるいはパワーもないのだから。
「其は炎熱。侵し、伝播するもの。詠唱一節・火球」
短かな詠唱。短剣を振りぬいた隙を初級魔法で補う。
ローブの裾をはためかせ、炎の赤に照らされながら刃をふるう。火竜に奉納するかのようなその舞は、ゴブリンたちの中に確実に死屍の山を作り上げている。
たったの一人とは思えないその戦いざまに、愚かなゴブリンたちにも怯みが見える。それでもと、背後からの奇襲を試みた一匹。振り返る様子のないフィアに口の端を吊り上げて。
けれども、それは振り返る必要がなかっただけなのだ。
黒い右腕がその後頭部を捉え、地面に叩きつける。アハトの治癒魔法を受けたノインが前線に戻ってきたのだ。
「おまたせ!」
「今度は楽しくなりすぎないでよ」
「あー! わかってるって」
フィアとノインは視線を交わす。そして立ち位置を入れ替えた。
黒腕を振り回すノインが暴力の嵐として、ゴブリンの群れをかき乱し。その背を守るフィアが、粗削りなノインの隙に付け入ることを許さない。フィアに足りない衝撃力と、ノインに足りない冷静さを補い合う、それは完成されたコンビネーション。
「氷竜の翼よ」
そして、後方から彼女たちを支援するのがアハトの仕事だ。
「その翼に抱かれることをどれほど夢に見たことか。あぁ、私の熱を奪いたまえ。この慕情が届くのならば、私は死をもいとわない」
ゴブリンたちの討滅。それを過たず果たすための魔術を展開する。
「魔術翼・罅隙」
姑息なゴブリンたちは、フィアとノインに勝てないと見るや、両脇を迂回しようとしていた。その進路を阻むように立ち上がる、城壁と見まごう巨大な氷壁。まるで氷竜が翼を閉じるように、壁は中央のフィアとアハトに向かって閉じていく。ゴブリンたちは爪を立てて登ろうとするが、美しき氷の壁に取り付けるような凹凸はなく、耳障りな音を立てるばかり。
「後は頼みましたよ! お姉様、ノインちゃん!」
罅隙はアハトの魔法の中でも、かなり規模の大きい魔法で、その維持のために彼女は挟み込むように閉じていく氷壁の結節点で魔術の維持をしなければならなかった。近づいてくるゴブリンを自慢の編み上げブーツで蹴り飛ばしながら、叫ぶアハト。
彼女に言われるまでもなく、フィアの魔術構築は始まっている。
「其は降り注ぐもの。施すものにして無二なるもの」
あくまでノインの援護に回った今の彼女には、上級詠唱魔法を使う余裕がある。
「素晴らしきかな無償の愛。人ならざるその愛は、理解されぬが運命だろう」
「されど与えよ。与え続けよ。たとえそれが一方的で独善的であったとして」
「元来、それこそが神の愛であれば」
詠唱に導かれ、練り上げられた魔力は炎に転じ、柱となって空へと昇る。太陽を覆い隠した雲を一瞬で干上がらせて。
「詠唱四節・無自覚の悪意」
薄井宇内な熱量が、今降り注ぐ雨となってゴブリンたちに襲い掛かる。避けるという選択肢はゴブリンたちにはない。アハトの魔術によって囲い込まれた面積のすべてを、赤い雨が蹂躙しているのだ。見る間に足元までもが炎の海となり、ゴブリンたちの苦しみの声が幾重にも重なる。唯一魔術の効力外となっているフィアの周囲へ飛び込んだゴブリンは、瞬く間にフィアの魔装の餌食になる。
街を背にしてフィアたちの戦いを眺めていた騎士たちから、感心とも恐怖ともつかない呻きが上がる。彼女らが生み出したのは紛れもなく、この地上における地獄の一種だったから。ただの一人も逃がさない、非情なる鏖殺の釜。
最期の悲鳴の一つまで消し炭にして、ようやく止まったフィアの魔術。釜の中央に立つフィアとノインの視界には、もはや百数十体の焼死体と広大な焼け野原が映るのみ。そのなかでぽつんと立つ、ゴブリンにしては背の高い魔物。
「ゴブリンリーダーね」
「じゃあ、最後はワタシが!」
フィアがその名を呟くなり、ノインが駆けだす。刻印魔術を起動し、今度は鉤爪の代わりに、魔装の前腕部からせりだすブレード。すでに満身創痍だったゴブリンリーダーの首を、それはたやすく切って落とした。
ノインはその瞬間、わかりやすく肩を落とした。立ち止まり、自分の背後で頽れたゴブリンリーダーの死体をツンツンとつつき、本当に死んでいることを確かめてから、深くうなだれた。
「あー、つまんなーい……。ワタシ、しょーかふりょー」
「はいはい、どうせまた来るから、その時はもっと楽しいわよ」
「うー……」
意気消沈のノインに歩み寄り、フィアは彼女をなだめる。魔獣がおらず、忌子を討伐したわけでもない。この街にいるはずの忌子を狙って、また魔物は現れるだろう。
フィアはノインとは違って、とりあえずこの面倒な戦闘が終わって安堵していた。少なくとも、ギルバートに自分たちの戦闘能力をプレゼンするくらいはできたいただろう。
そう思って一息つくと、手を振ってこちらにかけてくるアハトの後ろから、こちらへと歩み寄ってくるギルバートの姿が見えた。どうやら律儀に紅茶の温度を確かめながら観戦していたらしく、紅茶のティーカップを片手にもって歩いてくる様はどこかシュールだ。
先にフィアのもとへたどり着いたアハトは、振り返ってギルバートの姿を認めると、これでもかと胸をそらして得意満面。いつもより勢いよくクリスタルチャームをはじいて。
「ふっふーん。どうですかアホバーカ! これがアハトとお姉様の愛の力です。恐れ入ったでしょう、自分の身の程がわかったでしょう!」
「そうだな。確かに、実力はあるのだろう」
ギルバートは彼女の尊大な言葉を、涼しい顔で受け流し。そして、腰の剣に手をかけた。
フィアの脳裏に嫌な予感が走る。まさか、危険だから排除しようというのだろうか。いかに教会騎士と言えど、国家の極秘研究のサンプルたちに手を出すことは許されないだろうが。
彼の剣呑な気配に、アハトも一度言葉を吞んだ。
ギルバートはついに、剣を抜き放ち。
「しかし、戦士としてはまだまだだな」
剣の切っ先が刺し貫いたのは、ゴブリンどもの死体が折り重なったその内側。汚い悲鳴が上がり、フィアたちはそこにゴブリンが隠れ潜んでいたことを悟る。奇襲の機会をうかがっていたとするならば、いかに死にきれない魔装乙女であっても、それに気づけなかったのは油断でしかない。
「まぁ、アハトは実は気づいてて――」
「こら、やめなさい。みっともないでしょ」
それでも、目を泳がせつつ言い逃れを試みるアハトをいさめ、フィアはギルバートの前に出る。
「ありがとう。助かったわ」
「そうか。まさか礼がもらえるとは思っていなかったな」
ギルバートの言葉はともすれば嫌味だったが、フィアには純粋な驚きのようにも感じられた。
「ならば、おれも相応の礼を返そうか。ほら、持ってみろ」
そう言ってフィアに差し出されたのは、ティーカップだった。剣を振ったのに、一滴も中の紅茶が零れていないことにフィアは目を見張りつつ、受け取る。白磁の上に指を添わせると、淹れたての熱さからはほど遠くとも、まだほんのりと暖かさが残っている。
「お前たちのデプンクトへの滞在を許そう。ただし、何かがあれば即お前たちの首が飛ぶことは、ゆめゆめ忘れないことだ」
【Tips】魔術
魔力をただ物理現象に変換するだけでは、魔術たり得ない。魔法現象を行使者の制御下に置いて初めて、魔術と呼ばれる。魔術はおよそ、人間と竜のみに扱える。