第二十三話 終劇
「其は希望。人を生かすもの。人を殺すもの」
「いいよ。やってみなよ。ワタシが勝つから」
ノインは、詠唱を始めたフィアを攻撃しなかった。自分の周囲に黒鱗を漂わせ、フィアの魔術を待っている。最後の一撃まで受けきって、それで勝とうというのだろう。自分を作ったジーンへの信頼と、戦いを愉しむ彼女らしさ。
「さらば、我が道を止めてみよ。このあらゆるを踏み砕く覚悟ごと」
彼女はきっと、魔核を代償にした攻撃魔術だとでも思っているのだろう。
だが、フィアにそんな魔術は使えない。代償魔術は、アハトだって努力して身につけたものだ。
「さらば、我が道を作ってみよ。進み続ける私の先を行けるのなら」
だからフィアは魔核に求める。
本当にお前が、魔獣の最上位たる竜の核だというのなら。魔術の極致たる竜だというのなら。
「できぬだろう。ならば、私がこの手でお前を掴む」
できるだろう。そうでなければ、私が自力でやってやる。
「詠唱五節・命を、我が手の内に」
そして、魔術が完成した。
それは火竜の魔術だった。そしてフィアの魔術だった。魔装解錠により曖昧になった人と魔獣の境界が、火竜の魔核になかった魔術を創造する。
赤熱するフィアの魔装。白煙を上げ、溶け落ちる魔核。溶岩のようになったそれが、どろりと流れ出す。
「フィア……?!」
ノインには、魔術が暴走したようにでも見えたのだろう。しかしそれは違う。
魔術の効果通りに零れ落ちたフィアの魔核は、彼女の手の上でアハトの魔核に触れ、ぬめりと絡みつく。そして、そのまま引き上げる。
「うそ、まさか。そんなのむりだよ」
ノインの呆然とした声がフィアに届く。溶解したフィアの魔核は、アハトの魔核にまでその熱を伝え、溶かし、混ざり合ってフィアの魔装に収まろうとしている。
「そんな、魔核と魔核の融合だなんて」
それは、二つの魔獣を、一つの魔獣に作り直すことに等しくて。
「無理だよ、そんなの!」
「やるのよ、それでも!」
アハトが、無理だと言われた戦いに勝ったのだから、
そのお姉様が、無理から逃げるわけにいかなかった。
そして今、フィアの魔装の中に二つの魔核が収まった。
「あうっ……!」
◇◆◇
脳が重く締め付けられるような感覚が襲い来る。咆哮ががんがんと頭の中に反響する。二匹の竜は互いに自我を譲ろうとせず、じりじりと存在が押しつぶされていく感触。
火竜は荒々しく猛り狂っていた。我はまだこの世を壊したりないのだと叫んで喚く。
氷竜はそれを諫め、世の美しさを説いていた。自分の言葉が届いていないことなどお構いなしだった。
そのあった圧倒的存在感はフィアを矮小な存在のように思わせて、けれど、彼女の背には救うべきものがあって、守れたものがあって、そして、背を押してくれるものがあって。
だから彼女は立てた。
竜のような強い力はなかったけれど、彼女は立つべきだから立つ。
ねぇ私と、手を組んでみない?
◇◆◇
やたらめったらに流れ出していた魔力が収斂していく。猛る炎熱も、凍てつく冷気も、打ち消しあうことなく共存して世界を滅ぼすのではないかという魔力量。それがただ一つの人型に収まってしまう。
「フィア……?」
まるで、そこにいる少女が、本来の彼女ではなくなったのだと感じているような、不安げ。
フィアはそれに応じるように、ゆっくりと顔を上げる。
「えぇ、私よ。私が、フィア・ロット」
彼女の黒鉄の魔装の中に光るのは、神の妖しさを宿した、紫紺の竜眼。
「ウソ。ウソだ、そんなの!」
わななきながら、ノインは地を蹴った。彼女の直感的な危機感がそうさせたに違いなかった。
魔導陣の展開すらなくなった無防備なフィアへ、ノインは駆けてくる。
右腕に黒鱗をまとわせ、鉤爪を作り、振りかぶり。
対してフィアは腕を前に掲げただけだった。その一動作が、魔術を唱えた。
《魔術壁・雪花》
地面からせりあがる氷の壁が、ノインの爪を防ぐ。
「そんな!」
フィアはノインの驚きをよそに、一歩踏み出し腕を薙ぐ。
《魔術鎖・霜柱》
《詠唱四節・焼け落ちよ、我情の君》
氷の壁がそのまま鎖へと変換され、ノインを縛らんと押し寄せる。攻撃を阻まれ、身体の浮いた状態では、ノインといえど全てをかわし切れなくて。その場に足止めされるノイン。そこへ集まる炎熱の魔力の気配。
ノインは慌てて黒鱗を動かし、鎖を断ち切り後退する。彼女のいた場所に地獄の業火が現出し、取り残された黒鱗を溶かしつくす。その中を悠然と歩むフィア。
竜は、魔術を唱えない。ならばなぜ、竜の魔核には詠唱魔術が刻まれているのか。
それは竜という存在そのものが、詠唱だからである。魔術の頂点として永きを生きる彼らの身体には、記憶というものが染みついている。だから、竜というのはその一挙手一投足が魔術なのだ。
今のフィアは、その竜の境地に立っている。
彼女はノインへと歩み寄っていく。その一歩一歩が魔術となり、ノインに襲い掛かっていく。多重積層型魔導陣ほどの連射速度がなくとも、そのすべてが必殺の威力を持つなら話は別だ。
「くぅっ……!」
氷が彼女を捉えようと忍び寄り、触れただけで全身を焼いてしまいそいうな炎が降り注ぐ。
懸命に防御するも、黒鱗は確実に消費されていく。
「其は暴力、暴虐、暴威。あらゆる猛々しきの征服者」
その上で、フィアはノインを侮ることをしなかった。
かつての彼女が羨んだ怪物が、この程度で終わるはずはないのだから。
《あぁ、美しきもの。その怒りを鎮めたまえ。尊き貴方の怒りを与うにたるものなど、もうこの世にはいないのですから》
肉声による詠唱と、肉体による詠唱と。本来二人で行うはずの融合魔術を、フィアは一人で唱えあげる。
「なればなんとする。この身を焦がす爆炎をどこにぶつけよう」
《なれば見上げましょう。天上にはまだ、不遜なるものがおりますれば》
いや、一人ではない。フィアは確実に、自分の側で魔術を唱う、アハトの姿を見た。
「かくて竜は天を見上げる」
《その雄々しくも美しき瞳に敵を映し》
フィアの右手を輝く魔力が包んだ。炎熱でもなく、氷結でもなく。反発する二つの魔力をそれでも溶かし合わせた、無垢にして純粋なる魔力の光。ただの破壊エネルギー。
「「神殺しの咆哮よ。在れ」」
最後の黒鱗を失って、ようやくノインがフィアの接近に気づく。だが、すでに遅い。
「究極魔術撃!」
破壊力の怒涛が、彼女の拳と共に解き放たれた。
それは、あらゆる物理存在を自壊させる、絶対の暴力。ぎりぎり正中線をそらしたノインの、しかし左肩に拳があたり、最初から存在しなかったかのように彼女の左半身を消し飛ばした。有り余る破壊の力はそれに飽き足らず、墓石を消し飛ばし、墓所の地面を抉り、どこまでも飛び去って行く。世界の一部を直線状に削除した。
ノインがその場に崩れ落ちる。不自然にくりぬかれたその身体は、もはや魔核の存在で命をつにでいるだけなのだから当然だ。立ち上がろうともがくも、彼女はすでに機能的に戦うことが不可能だった。肺が欠損してしまって、もはや声も上がらない。
なのに、彼女は無事な右腕で、必死にフィアの足に縋りつく。
「やっぱりすごいわよ。あんた」
自分も、もっと純粋に自分の目的を信じられたら。これまでの悩みはなかったのかもしれない。けれど、それに打ち勝った自分を誇りたいとも思う。
フィアはノインのもとに跪いた。必死に訴えかける彼女の言葉を、唇から何となく察する。
マスターだけは、マスターだけは殺さないで。
あの男に、どれほどの価値を彼女は見出しているのだろう。フィアにはわからないが、それはきっと、フィアにとってのフュンフのように、自分にしかわからないものなのだろうと、それだけはわかった。
フィアは自分の脚を捉えるノインの右手を優しくほどく。絶望を顔に乗せるノインに謝りながら。指を一本ずつ、これ以上傷つけないように。いやいやと頭を振るノイン。
ジーンの死は彼女にとって死よりもつらいのだろうと、それだけで察せてしまった。
だとしても、フィアは進む。
身体を引きずってでもついてこようとするノインの気配を背に感じながら、彼女は教会堂へ向かって歩き始めた。
◇◆◇
教会堂の扉を押し開いて、中へと入った時。フィアの身体に異変は起こった。右腕が割れるように痛みだしたのだ。思わず自分の腕を抱き、教会堂の扉にもたれる。痛みはひどくなるばかりで、しかめた目を開くと、フィアはその原因を見た。
彼女の腕に亀裂が走り、その隙間から竜の鱗が迫り上がるように這い出してきていた。彼女の痛みは自分の腕が別の何かに置き換わる痛みだった。
自覚してより鮮明になる激痛に、目を開けていられない。瞼の裏が明滅する。
その苦しみがしばらく続いて、彼女が恐る恐る目を開けると、彼女の右腕はすっかり竜鱗に覆われて、異形の右腕となっていた。
そして、整然と並んだ長椅子の奥、一段高い内陣から見下ろす視線。
「人と魔獣の境界を、曖昧にしすぎたな」
「ジーン・シェーファー……」
相変わらずの気難しげな表情で、フィアの標的が立っていた。彼女は腕を庇いながら立ち上がる。言いたいことは山ほどあって、しかしその全てが等しく重みを持つことだから、彼女の口からは言葉が出ない。ただ彼をきっと睨みつける。
「そう睨むな」
「あんた、どの口で……!」
「殺したければあとで殺させてやる。それより、まずは妹だろう。ついてこい」
ふざけたことを抜かすジーンに、牙を剥きかけたフィアだったが、言いたいことを早口に全て言われてしまって、その牙が抜ける思いだった。傲慢な態度を崩さなかったジーンが、自ら内陣を降り、地下へと続く廊下への扉を開ける。
「どうした。来ないのか」
「えっ、あぁ。行かないわけないでしょ」
扉を開いて待つジーンに、フィアは慌てて返事をした。廊下へと歩むジーンの半歩後ろを追う。彼の背中を見たことはあまりなかったが、不思議とその背中は小さく見えた。
「ノインを、殺したのか」
その小さな背中がフィアに問う。淡白なその様子に苛立ちもするが、それがジーン・シェーファーという男だから、フィアは無駄に声を荒げずに返事をした。
「……殺してないわよ。でも、あなたを殺せば後を追って死のうとするのかもね」
「そうか。それは。どうなんだろうな」
「何よ。私は、あんたの人生相談を受けるような仲じゃないんだけど」
「相談したつもりなどない」
曖昧な物言いをするのに苛立って語気を強めて返事をしても、彼には一切届いていないようだった。
彼は独り言だと前置きして、つらつらと話し始める。
「私は、お前が不思議でならない」
「どういうことよ」
「フィア・ロット。私はお前という個体を、自己を一人では肯定できない、薄弱な自我を持つ個体だと認識していた。だから、お前に貴重な火竜の魔核を与えたのだ。妹さえ手元に置いておけば、お前が反旗を翻すことはないと思ったからだ」
「……殺されたいなら、今ここで殺してもいいけど」
ジーンとフィアは廊下の突き当たりまでやってきた。ジーンが壁を覆う絵画の額縁の装飾を押し込み、隠し扉が開く。地下通路の底なしの闇が口を広げている。
フィアがいつもの癖で魔装に火を灯そうとすると、血液に煮湯を流されたような痛みが走った。やめておけ、と見透かしたように言われ、フィアは渋々、ジーンの手から松明を受け取る。
頼りない灯りに照らされながら、二人は階段を降りる。
「しかしどうだ。お前は妹が私の手中にありながらも叛逆し、そして今は、私の喉元に手をかけている。その腕、人であった時の記憶はすでに使い果たしたのだろう」
「えぇ、もう何も思い出せない」
フィアは記憶を探るが、彼女の見続けた赤い夢の内容は、もう思い出すことができなかった。フュンフが妹であることも、魔装乙女になってからの自分の振る舞いから、まぁそうなのだろうと納得する程度。
それでも、フィアはフュンフを救けたいと思うし、彼女と同じ悲劇を量産したジーンを許す気もない。
「なぜだ。私にはそれがわからない。もはや感情的な原動力も失って、私から妹を奪ったところで、お前が救けられる見込みもない。なのにどうして、お前はそこまでするのだ」
「……」
ジーンの言葉に、フィアは自分の右腕を見下ろした。醜く姿を変えた、人ではないことを証明する竜の腕。握って、開いてみても、やはりそれはフィアのもので間違いがない。
ほんと、なんでかしら。
そう思うだけで、フィアの心に溢れ出すものがある。それは、魔装乙女になってからの記憶の全て。人殺しをした罪、ゼクスになってしまった少女の最期の表情。あるいは、ノインとの楽しい日常。ミアとメアの仲睦まじい、羨ましい暮らしぶり。ギルバート。アハトが自分に向けてくれた、好意の数々。
フィアは自信を持って、竜の右手で拳を握る。
「そんなの、今の私がそうしたいと思うから、それだけよ」
「できるかどうかもわからないんだぞ」
「それでも、やってみなきゃ。誰かのせいにするのは、もうやめたのよ」
「……そうか。そういうものか」
話しているうち、二人はフュンフの寝かされている中層まで降りてきていた。もう少しでフュンフに会えるというところで、ふと、フィアは思い至る。
もしかして彼は、自らの娘を蘇らせるための魔装乙女という計画が自分の手元を離れようとしていて、それにしがみつくのか、手放すのか、フィアに決めさせようとしていたのかもしれない。それこそ、彼女がノインを殺してしまえば、それで終わりというふうに。
「だから、あんたも自分で決めなさい」
フィアは不機嫌にジーンを押しのける。ただの人間である彼は、フィアの膂力に押されるがままよろめいて、フィアはその間に前へ出た。ずかずかと妹の囚われている部屋は歩いて行って、扉を開ける。
果たして、そこにフュンフは眠っていた。相変わらずの青白い顔で横たわる、家族の情など微塵も湧かない彼女が、しかし自分の妹だ。
フィアは軽々と、竜の右腕でその身体を担ぎ上げた。目の前に海魔の下半身が垂れてきて、これは住む場所も考えなきゃなと考える。
再び廊下に出ると、ジーンが追いついてきたところだった。彼が口を開く前にフィアは自分の考えを押し付ける。
「あなたのこと、私は殺さないわよ」
「……なんだと?」
「だって嫌だもの。あなたの分の責任まで背負いたくないし、ノインが泣くのもやだし」
ならば、フィアの罪をどうやって償うのか。
「魔装乙女なら、私が全て眠らせてあげれば、それで済む話だしね」
そもそも、既に貴族たちに魔装乙女の製造魔術が伝えられているなら、ジーンを殺したところでしょうがない。
「そうか。私に、何か望むつもりか」
「そんなわけないでしょ、めんどくさい」
フィアの心の中など知らず、誤解をするジーンの隣を、フィアはため息をつきながら通り過ぎた。殺す気が起きないだけで、ジーンを憎む気持ちは残っているのだ。
「でも、そうね。そういうことなら」
ただ、そんな中で一つだけ、彼女にはジーンに告げるべきことがあった。
「ノインの気持ちだけは無駄にしないでよね」
それだけ言い残して、フィアは再び歩き始め。魔装乙女の墓所を、去った。




