第二十二話 クソッタレ
デミオンの街は、祭りの気配に浮かれていた。
何の祭りか。収穫祭でも、王の生誕祭でも、ましてや戦勝の祝いでもない。一週間前、街の広場で公示された『魔装乙女』という存在のお披露目を行うらしい。
魔装乙女とはなんだ。街の人々は口々に疑問を交わした。どうも、兵士に代わって戦場に立つ存在らしいが、名前からして『乙女』というじゃないか。所詮は女に、戦場で何ができるというのだろう。疑問というのは、どちらかといえば否定的な、懐疑の声だった。
そんな中で声が上がる。どうも、魔装乙女というのは氷竜事件で氷竜を討ち倒した、あの少女らしいと。またあるものは、この前も魔装乙女が、デプンクトという街で魔獣を倒したらしいぞと。彼らはみな、貴族たちから金銭を受け取って声を上げただけだが、内容はあくまで事実。
水面に落ちた波紋が広がるように、噂の輪は広がっていく。どうもただものではないらしい、少女に似合わぬ黒い甲冑を身に着けているらしいと。広がった話のタネは、「どれ、ちょっと見てやるか」という感想につながった。
そして、デミオンに住む商人は、おおよそそういった商機を嗅ぎつける嗅覚を持っているから。商人たちによる、自分の商機を拡大させるための誇大広告が街の中に行き渡り、結果として祭りの様相を呈した。
爽やかな秋晴れの空を、うろこ雲が流れていく。涼やかな空気はそれだけでも人を外に誘い出す魅力があって、デミオンの大通りは賑わいにあふれていた。立ち並ぶ出店は、それぞれに肉を焼いたり、砂糖菓子をこねたりと忙しい。ふんわりと広がる砂糖の甘い香りに、鼻の奥を突き刺す香辛料の匂いが混ざる。
身なりの良いデミオンの住民から、街に農作物を売りに来たついで、物見遊山の田舎者。中には、ローブを着込んでフードですっぽりと顔を隠した変わり者まで、誰もが街の浮かれた空気を楽しみながら、位置取りをしていた。魔装乙女のパレードが、もうすぐその通りを通るのだ。
馬に乗った騎兵たちが、道を開けろと叫んでいる。やぁ、もう来るぞと。期待に沸いた民衆たちが、ぞろぞろと道の真ん中を開けた。
そして、どよめきがやってきた。
『乙女』という言葉の示す通り、彼女らはみな、年端もいかない少女たちだった。けれどもその代わりに、誰もがみな、身体の一部を紫紺の装甲でおおわれている。ある少女は顔の下半分が、あるものは両腕が、あるものは左脚が。鎧を着込んでいるというより、まるでそのまま体に埋め込まれているかのような様相に、人々は困惑したのだ。
対して少女たちは、張り付けたような笑みで手を振っていた。痛まし気な視線や何やをすべて置き去りにして、彼女たちは行進していく。その時、顔の下半分を魔装で置き換えた少女が詠唱を唱え、魔術を発動する。
火炎の魔術。不死鳥を模したその魔術は秋空を舞い、不安と疑念をわだかまらせる人々の頭上で、ひときわ大きく羽ばたくと。それと同時に雄々しい姿を空に散らす。降り注ぐ火の粉は温かで、人の手に触れるとぽぅっと弾けて消えた。
「これこそ、デプンクトで魔獣を討ち果たした魔術! 並みいる小鬼どもを等しく焼き払い、鬼人を灰に変えた魔術である!」
高らかに宣言する騎士。追い打ちをかけるようにほかの魔装乙女たちも魔術を唱える。雷が空を翔けた。勇ましい風が人々の間をすり抜けて、水流の大蛇が唸りを上げる。本来、数年では足りぬ修練を積んで扱う魔術を、いとも簡単に扱う少女たち。
街の人々は歓声を上げた。あれなるは神に祝福された少女たちである。魔物殺しの女神から、天賦の才を授けられし戦乙女である。そう信じて疑わなかった。
事実は異なり、彼女たちは魔に装われ、本当の自身を忘却の底に押しやられてしまった。哀れな魔装乙女であるというのに。
もっと、もっと見せてくれと、前へ前へと押しやる人の波の中。一人だけが人ごみの中から押し出されるようにして出てきた。ローブに身を包んだ彼女だけが、魔装乙女の真実を正しく知っていた。
だから。彼女はパレードに背を向けて歩き出す。彼女には行くべき場所がある。
◇◆◇
街の外れにある墓所に、祭りの喧騒は届いていなかった。たかだか二週間ぶりの帰還ではあるが、不思議とそんな気がしなかった。錆の浮いた鉄柵の一本を指でなぞり、押し開ける。
背の低い墓石しかない墓所だ。見渡せばすべてが見える。中央に不気味に居座る教会堂も、伸びっぱなしの雑草も、そして、墓石に腰かける人影も。フィアは一つ深呼吸をしてから、その人影に歩み寄る。足をぶらぶらさせていた彼女は、フィアが近づいてくるに合わせ立ち上がった。砂利を踏む二人の足音が重なる。
「久しぶりね、ノイン。元気だった?」
「あー。久しぶり、フィア。もちろん元気だった!」
無邪気に力こぶを作って見せるノインは、屈託もなくフィアへ笑いかける。彼女がフィアを攻撃した過去などまるでなかったかのよう。フィアはむしろ、ノインらしいと思った。
自分と違ってひたすら純粋に、自分の信じる者にすべてを捧げられるノインらしい。
「ねー、フィアー? アハトはどうしたの?」
「あの子なら、死んだわ」
「そっかー。残念」
注文した料理が品切れで出てこなかった時と同じ調子で言うノインの軽薄さも、彼女の純粋さ故とも言えた。他の誰が同じ言葉を言っても、フィアは激発したろうが、ノインだからこそ許される。
フィアは魔装に括ったクリスタルチャームをいじりながら、ノインに問うた。
「ねぇ、ノイン。あなたは今日のパレード、見た?」
「見てないよ? フィアが魔装乙女をみんな殺しちゃうから、ワタシがここを離れちゃダメだって、マスターが言うんだもん」
「マスター、ね」
かわいらしく頬を膨らすノイン。フィアは少しいじわるな気分になった。
「そのマスターが何をしてるのか、あなた、ちゃんとわかってるの?」
「えー、どういうこと?」
「いいノイン。あなたのマスターはね。死体を操り人形にして、見世物にして、もう一度死ぬまで死なせ続ける、どうしようもない卑怯者なのよ」
「あー? それって悪いことなの?」
「とっても悪いことよ。そして、あなたも、利用されてるだけ。あなたの身体の本来の記憶が戻れば、ノイン、今のあなたという人格は用済みよ」
「……ふーん。そうなんだぁ」
街の中で見た、サーカスの動物のような魔装乙女の扱いを思い出し。そして、アハトの話を思い出す。
あの哀れな魔装乙女たちと、ノインの扱いはそう変わらない。彼女にファミリーネームがつけられていないのは、ノインという人格を自分の娘と認めたくないというジーンのエゴが、それでも別のファミリーネームで娘を呼びたくないという情愛とぶつかり合った結果の妥協点だ。きっと、魔装乙女の人格復元がなったなら、ジーンは今のノインの人格を消すのだろう。
それは、ノインもうすうすと感じていたのかもしれない。彼女はフィアの言葉に考え込んで。けれどもすぐに表情を切り替えた。
「でもそれって、何も関係ないよね」
「……」
「ワタシはマスターが好き! ワタシはマスターがいなきゃ生まれなかったんだから、ワタシはマスターのために生きるんだもん!」
「そうよね。あなたはそういう子よね」
フィアは微笑む。やはり、彼女はかつての自分が羨ましく思っていた少女だった。乗り越えるべき少女だった。戦わねばならない、友人だった。
フィアはフードを脱いだ。短剣を構える。手心を加えれば、目的を果たせずに死ぬだけだ。
「私は、ジーンに会う。会ってぶっ飛ばす。異論は?」
「あー。ワタシはできれば、フィアとも仲よくしたいんだけど」
「じゃあ、私をジーンのところまで連れてってくれる?」
「あー、それはダメー」
ためらいがちに聞いてくるノインの提案は、彼女自身によって取り下げられた。ノインは大げさに肩を落とすが、一拍置いて顔を上げる。
「じゃあ、殺すね」
――その顔にはもはや、親しみや友愛といったものは、一切なかった。
言葉通りに動き出すノイン。フィアが身じろぎした時には、すでに目の前にノインが迫っていた。繰り出される右の拳を短剣ではじく。魔装の拳は傷一つなく、むしろ受けたフィアの手が重くしびれる。
突然の開戦だった。手の平を返す彼女の急変は、長い間ともに魔獣を狩ってきたフィアでも戸惑いを覚えるほど。
フィアの苦手な近接距離で、今まで見てきたノインの癖を頼りに攻撃をいなし。
「詠唱一節・火球!」
反撃の魔術。燃え盛る火球がノインを一歩下がらせる。
「其は母なるもの。愛を以て子を責めるもの。獅子身中にて刃を持て」
その隙間でもってフィアは次の魔術を編む。わずかの隙を無駄にして勝てる相手ではなかった。フィアは、自分から一歩を踏み出す。
「詠唱二節・魔を裂く炎刃!」
彼女の振るう短剣が炎を宿す。いかなノインとて、魔装の右腕でなければ受けられないだろう。障害を溶かし切る赤い一閃を。
「ウソでしょ!」
ノインはこともあろうに左手で受けた。骨に当たる硬い手ごたえ。けれどもそこで確かに斬撃は止まって。返す右拳を避けるには、短剣を手放すしかない。フィアの手を離れたそれは炎を失って、そのまま墓石の間に投げ捨てられる。
「ちょっとびっくりしたけど」
ノインは自分の左手の具合を確かめながら。
「そんなんじゃ、勝てないよ?」
焼けて傷がふさがっているのを、むしろ幸いと考えたようだった。その手で右腕の刻印に触れ、魔装の形状を変化させる。鉤爪。
フィアも予備の短剣を抜いて身構えるが。
「くぅっ!」
握りこぶしから鉤爪による攻撃に変化した分、ノインの攻撃のリーチは伸びていた。接近戦においては、そのわずかの変化ですら命取りだ。かわせたはずの攻撃がかわせなくなり、唱えられたはずの詠唱が中断される。
「火球っ!」
かろうじて放った一撃。それを、ノインは左手で握りつぶす。
どうせ怪我をしてしまったのなら、盾代わりにする。魔装乙女としての戦い方。
ひるむことを予想していたフィアは、ノインの前に隙をさらす形だ。
鉤爪が彼女の喉元を狙う――!
「つぅっ……!」
フィアはそれを、肩を寄せることでかろうじて防いだ。左肩に走る痛みの数条。崩れた姿勢そのままに蹴りを放ち、一度ノインを退ける。
強かった。
今まで戦ってきたどんな魔獣よりも、明確に彼女は強い。魔装乙女という兵器の性能を、彼女ほど引き出して戦える人間はいないだろう。ギルバートが彼女を魔物と呼んだことを思い出す。ただ目的に向かって、全てを捨てて向かう姿。
「楽しい。楽しいよ、フィア!」
彼女の魔装に刻まれた二つ目の魔術を起動して、前腕から張り出すブレード。彼女は上気した頬で、本当に楽しそうに笑っている。
「だから、使おう? 魔装解錠。もう、殺しちゃうよ」
「……いいの? それで終わりになっちゃうかもしれないわよ」
「いいよ! ワタシ、死なないから!」
「なら、お言葉に甘えて」
フィアは短剣を投げ捨てる。挑発に乗ったわけではない。最初から覚悟していたから。
全てを失わないために、彼女にできる覚悟はこれだけだから。
彼女はためらいなく、魔装に魔力を集中する。後悔を遮断するように、人の左目を閉じて、右の竜眼を開く。炎熱とあふれ出す魔力を魔導陣として再構築する。
「多重積層型魔導陣、展開。全層、同時接続!」
魔導を練る余裕などあるわけがないから。彼女は荒々しく自分の魔力と魔導陣を接続し、そこに記された魔術の数々を同時発動する。
火球が飛び行き、炎の蛇がのたうち、火炎の雨が降った。三層の魔導陣による、極限まで魔術工程を簡略化する、多重積層型魔導陣の本領発揮。
膨大な魔術を、自分の周囲を囲む魔導陣から速射するフィアは、もはや一つの魔導要塞だ。
ノインは笑いながら、墓石の間を駆ける。墓石を盾に火球を防ぎ、火炎の蛇を軽業でかいくぐり、雨が落ちるより早く駆け抜ける。それでも、彼女はどうせフィアの元へ最後はやってくるから。
フィアの目論見通り、数多の魔術をかいくぐったノインは、フィアに飛び掛かる構え。
「詠唱四節・焼け落ちよ、我情の君!」
ならばそこに、魔術を置いておくだけでいい。
魔導陣にノインの相手を任せる間に詠唱を終えた最上級炎熱魔術。火球の何倍もの火力を持った地獄の業火の現出。すでに大地を蹴ったノインはそこに頭から突っ込む算段。
しかし、フィアは自分の目を疑った。その業火を避けるように、ノインの身体が横っ飛びに現れたのだ。地面を転がる彼女を追うように魔導陣から魔術を放つが、やはりそれでは彼女を捉えられない。
次の詠唱に入る。そうするべきだったが、フィアはその前に叫んでいた。
「何したのよ、ノイン!」
「あー、知りたい?」
「教えてくれるならねっ!」
会話を交わしながら、フィアはノインが着地する一瞬を狙いすます。魔導陣から炎の波を呼び出して、彼女の足場を奪うのだ。そうすれば聞かずとも、彼女の空中機動のタネは割れる。
ノインはフィアの意図を察してか笑みを深める。
「仕方ないなー。トクベツだよ?」
そして彼女は炎の波以外の魔術も押し寄せる中、迷いもなくその場で跳躍した。彼女の落下軌道を狙いすまして整列する、数百の炎の矢。着地したところで、火の海と化した墓所に足の踏み場はなくて。
それでも彼女は、楽しそうに笑っている。
「まそーかいじょー!」
そして、彼女の右腕を覆う魔装の鎧がぐずぐずと崩れ落ちる。崩れ落ちるとは正確ではないと、フィアの竜眼はその正体を見破った。装甲をなしていたのは、一つ一つが黒く艶めく鱗であり。細かなその一つ一つが意思を持つように宙を舞って、フィアの放った火炎の矢を防いでゆく。
「黒鱗鬼人……!」
フィアが苦々しくつぶやく。
ノインは鱗を集めて作った足場の上に着地する。火事場にあって、醜く膨れ上がったオーガの右腕をさらす彼女は涼しい様子。付き従う数百の黒鱗が彼女の周囲にとぐろを巻く。
様々な魔法特性を持つオーガの中でも、最上位に位置する黒鱗の魔法特性。その一枚一枚に意思を宿す、もはや魔術の域に届く強力な魔法。それが、接近戦すらこなすノインに備わってしまえば。
「ジーンが自信満々に戦いに出すわけね!」
フィアは魔導陣から呼び出した魔術の波状攻撃を仕掛ける。ノインは一歩進むごとに自分の足場を自分で作り、吶喊してくる。あらゆる魔術を撃ち、あらゆる魔術が防がれる。最短で、真っ直ぐに、一直線に。接近戦が迫ってくる。
フィアは舌打ちをした。詠唱と魔導陣を併用し、急ごしらえの炎の剣を錬成する。魔力を凝縮した、物理的干渉力さえ持った太陽の剣。
上空に踊るノインの身体。黒鱗が剣の形を成し、上段から振り下ろされる。
激突。火花。
巨岩すら砕くだろう一撃に、フィアの体が軋みを上げる。それを逃すノインではない。空中に固定された黒鱗の剣を軸に腕力で一回転。繰り出された回し蹴りがフィアの身体を吹き飛ばす。
砂利の上を弾み転がり、背中や腕やに突き刺さる小石に構わず、フィアはもう一度魔術を放った。それを目くらましに手に持つ剣を投擲。けれども避けられる。
意思持つ黒鱗は、ノインの弱点を完全に補っていた。
それはつまり、接近戦能力以外の欠如。右腕の魔装と、その形状を変える魔術しか持たなかったノインは、防御手段もなければ遠距離からの攻撃手段もなかった。だからこそフィアにだって勝ち目があったのに。
けれども、彼女は魔装解錠のただ一つで、それを覆してみせた。フィアの魔術のほとんどを黒鱗で受け止めきって見せ、ならば詠唱四節級を連発しようと魔力をため始めれば、黒鱗を飛ばして逆に牽制をしてくる。
ずるずると接近戦に持ち込まれ、そして、フィアの知らない戦い方ばかりが出てくる。
剣をふるったかと思えば、その剣を槍に作り変えて間合いを変える。
すでに使い物にならなくなった左手に、黒鱗を螺旋と纏わせての突き。掠っただけでも、脇腹の肉を回転に巻き込み抉ってゆく。
魔装乙女は死にきれない。しかし、痛みはある。
強張る身体に鞭打って、フィアは再び反撃をする。
それでもフィアは届かない。がむしゃらに繰り出した拳は黒鱗の盾に防がれ、逆にフィアの拳が傷ついてしまう。
このままでは負けてしまう。
「無理だよフィア。フィアじゃワタシに勝てないよ」
「そんなの、まだわかんないでしょ!」
「わかるよ。だって、フィアの記憶はどのくらい残ってるの?」
気が変わったのか。戦いの中で気遣う声をかけてくるノインに、フィアはハッとする。
頭に手をやり、思い出す。フュンフの生前の面影は、もうほとんど薄れてしまった。
だけれど、それはフィアの中でもう結論の出た問題だ。
「それが、どうしたって言うのよ!」
「ワタシはね、どれだけ魔装解錠を続けても、限界はないよ」
「……は?」
対するノインの言葉は、フィアの予想を超えていた。
彼女は思わず立ち止まる。ぼたぼたと血が零れて、身体に走る寒気を実感してしまう。
「マスター、言ってたよ。壊れる前提の兵器が、あるものかって」
魔装解錠で記憶が失われるのは、魔核を開放することで、魔獣の本能が人間の理性を侵食するから。ジーンがすでに、その境界線を保つことに成功していたのなら。
ノインはこの膠着状態を維持するだけで、フィアの自滅で戦いを終わらせることができる。
「ねぇ、戻ってきなよフィア。次は殺しちゃうかもしれないよ?」
ならば、ノインが差し出した手を取るべきなのだろうか。
いや、それだけは違う。アハトが自分の命を呈してまで、ノインと全力で戦えるフィアを残してくれたのは、けしてそんな理由ではない。
彼女の信じた、フィアの心の美しさは保たれなければならない。
「クソッタレよ」
「……え?」
「クソッタレって言ったの、聞こえなかった?」
「そっか、フィアは死にたいんだね」
「それこそ馬鹿じゃないの、そんなわけないじゃない」
失望を声色に乗せるノインを笑い飛ばす。それは間違いないようのない彼女の本心で、だからこそノインはたじろいだ。
「死ぬんじゃなくて、これから生きるのよ」
今までのフィアは、人のために生きてきた。妹のために、そしてジーンのために生きてきた。
彼女が罪を犯しても、それでも目をそらし続けられたのは、その気持ちがあったからだ。彼らのためにといいながら、フィアはこれまで、彼らのおかげで生きてきたのだ。
だから。ここから生き直す。アハトの教えてくれた、フィア・ロットのすばらしさを胸に抱いて。死に損なって、行き損なった彼女は今、ここから再び始まるのだ。
決然と立つフィアが、ローブの内に手を滑らせる。
「もう一回だけ、力を借して。アハト」
取り出したその手に乗っているのは、砕けたアハトの魔核。その残骸。




