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魔装乙女は死にきれない  作者: 浜能来
第四章 二度と泣かないように
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第二十話 届け

「何してるんですか」


 アハトがフィアに割り当てられた部屋を出ると、廊下には腕を組んだミアが待ち構えていた。大方、何かしら騒ぎの気配を感じて起き出してきたのだろう。寝巻きのミアは、フィアの部屋から漏れ出した冷気に当てられて、寒そうに身をさする。

 アハトは、生身の右目の目元を親指の腹で擦り、万が一にも涙が残っていないか確認する。


「あぁ、ミアちゃん。ちょうどいいところに」

「……なんで、こんなに寒いんですか」

「寒い? なんのことかわかりませんね」


 小首を傾げてとぼけるアハト。めんどくさそうに顔をしかめるミア。フィアが間に立ったこともあり、だいぶ関係は軟化したが、それでもまだ気安い関係ではない。

 お姉様が言うのだから、もう少し仲良くしたかったけれど、アハトは思う。今は多分、それくらいのがちょうどいい。


「どうせ、部屋に入ればわかります。それより、メアちゃんも連れて、この部屋に隠れててくれますか?」

「こんな寒い部屋に……? ですか?」

「その代わり、アハトは星が落ちてきたって、この部屋だけは守りますよ」

「……」

「どうします?」

「……わかりましたよ」


 笑顔でアハトが問いかければ、ミアは不承不承といった様子で頷いた。踵を返し、メアを起こしにいくのだろう。アハトも自分の行くべき方向へ足を向けかけて、思い出したようにミアを呼び止めた。ミアが苛立ちを滲ませながら振り返る。


「なんですか」

「もし……なんと言いますか、アハトが帰ってくる前にお姉様が起きたら」


 さらっと言い切ろうとして、アハトは思わず言葉を切ってしまった。言いたくはないけど、言わなければいけないから。アハトは拳を握って言葉を続ける。


「アハトのことは忘れて逃げてほしいって、そう伝えてもらえますか」


 フィアの部屋を見やって、その奥のフィアをもう一度見ようとするようにして。


「いやよ」


 そんなアハトに、ミアがぴしゃりと言う。予想外の返答に、ぽかんとするアハト。そっぽを向いたまま、ミアは続けた。


「そんなに未練がましい言葉、言いたくないから」

「……あはっ。手厳しいですね」


 だから、生きて帰ってこいとか、そういう演劇じみたセリフではないと、アハトは確信できる。おそらく本当に言ってはくれない。そのおかげで逆に、生きて帰りたいと思えてしまったのが、なんだかおかしかった。

 アハトは今度こそ、礼拝堂に向かって歩き出す。夜の廊下には一人分の足音しかなくて、その寂しさが、自分はフラれてしまったのだと思い知らせてくる。アハトを愛して、側にいてくれる人はいない。


「だけど、愛する人はできましたから」


 アハトはスキップを刻んだ。鼻歌まじり、静かな夜の廊下をダンスホールにして。踊る相手はいなくても、踊りを捧げる相手はいる。無茶で無謀と笑われようと、恋と愛嬌が支えの乙女の道だ。

 追いかけると決めた相手くらい、命を張って守ってみせる。お姉様の大事な記憶ものを、万が一にもなくさせない。

 礼拝堂の高い天井の下、くるくるとターン。人気のない食卓を通り過ぎて、外へと通じる扉の前まで踊り歩く。そこでぴたりと、足を止めた。二つ結びの髪を結い直し、装備に緩みがないか検めて、腰のポーチの中の魔法素材を確かめる。そして、長く、緩く、息を吐く。


「さて、行きますよ!」


 威勢よく言い放ち、アハトの戦闘準備は整った。礼拝堂の扉を、編み上げブーツに包まれた可愛らしい足で蹴破る。


 ◇◆◇


「やっぱり、ゼクスちゃんでしたね。わかってましたよ」

「……」


 月明かりに蒼く色づいた、雑草のそよぐ庭で。二人の魔装乙女が向き合っている。秋の冷たさを伴って吹き抜ける風は、その間に張り詰める緊張を、より硬質なものに変えてゆくようだった。木々の隙間に満ちた闇の中で、虫や動物までも息をひそめる。


「どうしてここがとか。そういうお決まりのことは聞きません。今のアハトは悪い子なので、お姉様に見つかる前に、さっさと終わらせなきゃですからね」

「……」

「……ほんと、張り合いのない」


 軽口をたたくアハトを前にして、ゼクスはただ構えるのみだった。

 その身に暴風の加護を与える。神速の魔装としての両脚と、切っ先を鋭く光らせる細剣。そのどちらもが、ただアハトを殺すためだけに存在している。感情のない、ひたすらに純粋な、亜麻色の髪の暗殺者。

 アハトは心の中で舌打ちをした。少しでも、会話に乗ってくれる相手の方がやりやすかった。

 接近戦を得意とし、特にその間合いに踏み込むことに特化したゼクスは、アハトやフィアのような詠唱魔術を扱うものにとって天敵以外の何物でもない。会話に乗せて、感情を揺さぶって、隙を作れればという目算は今なくなった。


 けれども、こうして睨み合いを続けていれば、不利になるのはアハトだ。

 魔装解錠をして、今も開きっぱなしの魔装の左目からは、とめどなく魔力が、そして彼女の記憶が流れ出している。魔力が切れれば当然彼女の負けだし、何より、記憶がなくなってしまえば、アハトに戦う理由は残らない。

 ――アハトはお姉様に、こんな怖いことを強いたんですね。

 ふと、自分がフィアに魔装解錠を使うよう仕向けていたことを思い出して、それがアハトの行動を決めた。腰のポーチに手を突っ込む。


「捧げるは剣魚の鱗。こいねがうは穿つ水流!」


 彼女の手から水棲の魔物であるソードフィッシュの鱗が宙に放られ、その一つ一つが魔力のきらめきを見せる。幾本もの水流が槍として、ゼクスへと突き進んだ


「氷竜の尾よ――」


 その結果も見ず、アハトは次の詠唱に入る。

 魔装乙女があの程度で死ぬわけがない。

 突風一陣。

 彼女の予想した脅威が、予想以上の速度でやってきた。


「ぐぅっ……!」


 黒鉄のヒールが肩にめり込む。回避が遅れていれば喉を潰されていた。

 ゼクスはアハトの魔術を避けるでもなく、被弾しながら突っ込んできたのだ。


「捧ぐっ、鬼人の爪!」


 短縮詠唱。魔物ではなく、魔獣の素材を用いるからこその荒業。

 不可視の衝撃力が、アハトの前に迫ったゼクスを吹き飛ばす。

 ゼクスは雑草の上をごろごろと転がるが、それだけだ。衝撃を殺し切って、その後立ち上がる彼女。衣服にこびりついた土や草の切れ端を気にした風もなく、零れる自分の血液を気にする風もなく。ただアハトを見据える。


「――その美しきによる戒めを、せめてもの慈悲として与えたもう」


 その時にはすでに、アハトの詠唱は始まっていた。

 刻印魔術を起動しようと、魔装の脚を打ち鳴らすゼクスだが。そのタイムラグが命取りだ。


「魔術鎖・霜柱!」


 風の推力を得て突進しようとしたゼクスを、真正面から打ち据える氷の鎖。出鼻を潰され怯んだゼクスを続く鎖の数々が縛り上げていく。負傷した肩の痛みに脂汗をにじませながら、アハトがポーチの中から魔法素材を取り出す。それはかつて、フィアの魔核となった火竜から採取され、ジーンの墓所に死蔵されていた、火竜の牙。


「捧げるは火炎の竜牙。唸れ、たけれ、吠え叫べ。焼いて焦がして全てを滅せ」


 魔装乙女となって二年。魔術師としては未熟とそしられる年月も、ただ一つの魔術に専念したのならばどうか。彼女が自力で習得した代償魔術の、その集大成。


「魔術撃・劫火!」


 憧れの炎が、彼女の手の内の牙を代償として吹きだした。

 麒麟と氷竜では、魔獣の格が違う。もがこうとも氷の鎖の戒めから脱することのできなかったゼクスは、その炎撃を避けることができなかった。

 悲鳴。

 瞬く間に炎の中に沈んだゼクスが、アハトの前で初めて声を上げた。彼女は激しくもがくが、氷竜の鎖は火竜の炎で溶かされつつも、いまだ千切れず。アハトは荒く息を付きながら、その様を見る。


「これで、終わってくださいよ」


 言ってから、アハトは後悔をした。叶わないとわかっている願いを口にするほど、虚しいことはないからだ。ゼクスが鎖を引きちぎれないのは、アハトの炎がフィアのそれと比べて弱過ぎるから。きっと、魔装を焼き落とすことすら難しい。


 魔装を焼かねば、魔核は焼けない。

 魔核を焼かねば、魔装乙女は死なない。


 捧げた牙一本の分だけ燃え続け、魔術の炎が消える。黒焦げの人型だけがその場に残り――


「あぁ、嘆かわしい」


 アハトの頬を掠める一閃。熱に刃こそ潰れていても、その膂力でもって焦がし抉る。


「嘆きたいのはこっちです、よ!」


 舌打ち混じり、アハトは力任せにゼクスを蹴る。魔装乙女の端くれであるとはいえ、魔術を得意とするアハトの攻撃力などたかが知れている。それでも、ダメージを負っているならば。

 編み上げブーツに包まれた可愛らしい足が、ゼクスの上体を蹴り飛ばす。けれども彼女は踏みとどまる。魔装の両脚は煤に汚れているだけ。


 返す蹴りの一撃が、アハトの腹部を捉えた。呻き、顔が前に出て。咄嗟に彼女は顔を引いた。魔装の左目の前を通り過ぎる細剣。背筋の凍る風切り音。

 たまらず距離を取るアハト。その間に回復魔術を詠唱し、肩や頬に出来た傷を塞ぐ。ひとまず態勢を立て直せたことに安堵するアハトだが。

 彼女の視線の先、力なく揺れる上半身。それに対して軽快に動く魔装の両脚で、ゼクスはタップを踏む。ヒールに刻まれた紋章が大地に刻印を描き、魔術を起動する。


「刻印魔術・小癒」


 ゼクスの亜麻色の髪がふわりと持ち上がる。恵みの風が足元から吹き上がったのだ。その風が触れたところから、焦げた皮膚がぽろりとこぼれ、新たな皮膚が再生してくる。厳しい黒金の両脚の上に、小柄な少女の上裸が乗っている。


「なんなんですか、まったく」


 口の端を釣り上げて悪態を吐くアハト。手だけでポーチの中をまさぐり、魔法素材の残数を確認する。火竜の牙は残り四本。

 どうする。そもそも、なんでわたしがここまで……

 アハトは慌てて頭を振った。まだだ、まだ忘れちゃいけない。静かなる氷竜が内から自分を食い尽くそうとしている。

 今すぐこの左目を閉じて、お姉様に助けを求めれば。魔装との接合部は霜焼けを起こし、痺れるように痛む。


「ううっ」


 庇うように上げたアハトの手は魔装に届く前に、そこに括られたクリスタルチャームに触れる。

 それは、アハトの想いの形。


「この、くそったれぇ!」


 アハトはポーチの中から適当に魔法素材をひったくって、代償魔術を起動させる。魔力の煌めき。殺到する十二の雷撃。

 ゼクスは回復したばかりの身体で躊躇わずに走ってくる。雷の直撃。少女の生身が反射として痙攣するも、魔装の両脚は気にも留めない。

 アハトの多様な代償魔術を、ゼクスは全て受けきる。そうして接近したゼクスの攻撃にアハトは苦しみながら、それでも致命の一撃だけは避け続ける。

 ジーンの洗脳魔術によりゼクスに植え付けられた戦闘術は、人と戦い慣れた魔獣のそれに近い。隙を作り、次の一手で急所を打つ。アハトの二年にわたる戦闘経験が彼女を生かす。


「捧げるは火炎の竜牙――」


 その最中、再びゼクスの拘束に成功し、代償魔術を構築する。牙を二本同時に捧げての、多重発動。

 視界を白く染めるほどの爆炎でもって、ゼクスを焼く。けれど、それでも足りない。反撃に再び距離をあけるアハト。麒麟を跡形もなく焼き尽くしたフィアのような火力が、彼女にはない。


「嘆かわしい」


 治癒魔術による再生。薄桃色の真皮を晒しながら、焼き直しのように同じセリフを口にするゼクス。アハトはどうしようもない無力感を覚える。


「なぜそれほどの力を持ちながら、その力を人に向けるのですか?」

「……うるさいですよ」

「耳を塞いではなりません。神に見放されてしまえば、人はひどく、儚いものなのです」

「うるさいってんです!」


 アハトはやけくそに火竜の牙をもう一本取り出す。


「捧げるは火炎の竜牙。こいねがうは地獄の大火!」


 魔法素材として最上位に位置する竜の素材は、単純な詠唱でも十分な魔術になる。魔力に変換された牙は、炎の大波となってゼクスを平らげようとする。

 その裏で、アハトは祈るように膝をついて魔力を練り、詠唱を始める。


「其は暴力、暴虐、暴威。あらゆる猛々しきの征服者」


 ハッタリだった。

 本来ならフィアと二人で詠唱を重ね作り上げる、魔導の名を冠する魔術。火竜の核と氷竜の核を同調させて放つ、純粋にして最強の一撃。アハト一人で発動させられる道理はないが。

 魔装を焼き落とせないアハトが魔核を狙う方法はもはや一つしかない。魔装解錠。ゼクスにその切り札を出すだけの脅威を与えなければいけない。

 アハトが最初から魔装を解錠していても、自分は一切魔装解錠をしなかったゼクスだ。アハトは、きっと彼女がジーンから、アハトたちの魔術についての知識を与えられているのだろうと推察する。ならば、この魔術が万が一にも発動させてはいけないものだと判断するのではないか。

 それこそ祈るように、自分の作り出した炎の壁の向こうを透かし見ようとするアハトのもとに、それはやってきた。


(それが、最後の魔術ですか……!)


 炎の壁を切り裂き飛来する、風の刃。かつて麒麟が使った魔法と同じもの。

 回避、その思考を即座に却下。


「なれば、何とする。この身を焦がす爆炎をどこにぶつけよう」


 ここで詠唱を止めてしまえば、いたずらに貴重な火竜の素材を消費したことになってしまう。正気を引き寄せるため、アハトは風に身を切らせながら詠唱を続ける。水色の髪が千切れ飛び、脚を包むタイツが裂けて鮮血が舞う。

 痛みにより声をあげそうになるのをぐっとこらえ、魔術を唱う。目眩めくら撃ちの魔術は直撃こそしないものの、鋭い痛みが絶え間なくやってくる。

 攻撃はやまず、風刃にかき乱された炎の壁が、そのどてっぱらに穴をあける。その先に見える、ゼクスの姿。


 魔装解錠などする様子もなく、ただ細剣を構えるゼクスの姿。


「……ま、そうですよね」


 詠唱を放棄するアハト。咄嗟に横へ転がり、突進を回避する。

 万策が尽きていた。無様に地面を転がり、立ち上がったところで。

 ゼクスは攻撃を外すことなど織り込み済みといった様子で、再び細剣の切っ先をこちらに向けなおす。それがそのまま、ゼクスとアハトの戦力差だ。


「ほんと。アハトって肝心なところで役に立たないですよね」


 アハトは振り返って口にした。

 今までどれだけ魔獣を狩ってきても。アハトがとどめを刺したことはない。

 フィアの魔術があった。ノインの膂力があった。

 アハトといえばちょこちょことその周りを動き回っていただけ。


 あぁ、そうか。アハトの中で納得が生まれる。


「氷竜の翼よ。その翼に抱かれることをどれほど夢に見たことか。あぁ、私の熱を奪いたまえ。この慕情が届くのならば、私は死をもいとわない」


 おんぶにだっこの私が何を言ったところでフラれてしまうのは当たり前じゃないか。

 ゼクスの風刃が、今度は狙い澄まして飛来する。ゼクス自身が来ないのならむしろありがたい。

 鋭利な刃が胸当てを切り落とし、肩口が大きくさける。

 しかし、この未練を果たさないで、どうして死にきれるだろう。


「魔術翼・罅隙かげき


 ゼクスが身構える。どうせアハトの魔術に攻撃手段はないというのに。

 地面から生えるようにして立ち上がる二対の氷壁。それはアハトとゼクスの間に道を作るように屹立し、ゼクスをアハトの方へ追い込むように閉じていく。

 アハトはゼクスの方へ手を突き出し、挑発する。


「さぁ、タイマンと行きましょう」


 その一言で、意図を読みかねるように視線をさまよわせていたゼクスの迷いが消えた。

 それでいい。アハトは手を下ろし、魔法素材の詰まったポーチへ手を伸ばす。

 ゼクスもヒールを打ち鳴らし、その身に風の加護をまとう。


 勝負は、次の一瞬で決まる。

 アハトにはその確信があって、それはきっとゼクスも同じで。

 最後の瞬間を前に、閉じていく氷壁同士が擦れあう、ぎぃぃと耳障りな音だけ。


 冷や汗すら凍り付く。ひりつく重圧。


 ポーチの中で魔法素材が擦れる音すら大きくて。


 アハトは、息をすることも忘れている。


 疾駆。ゼクスが均衡を破った。

 突風の加速はゼクスを神速の域へと至らせ。

 細い剣が狙うはアハトの魔核のみ。


 それはアハトの読み通りだ。

 ポーチから取り出すとっておきの素材。

 これが最後の代償魔術。


 そして、剣閃と魔術が交差した。


「――ああ、嘆かわしい」


 アハトの脳裏に星が散る。まるで脳みそを直接殴られたかのような衝撃。


「最期まで、己の罪には気づけなかったのですね」


 ゼクスの細剣が、アハトの魔装に突き立っていた。自分の顔から生える金属の棒を、アハトは朦朧とする意識で眺めていた。血の気が引く。急速に体が重くなっていく。魔装乙女の命を保つ、魔核が砕かれてしまったのだ。欠片となって、きらきらと零れ落ちていく残骸を、アハトは視界の端に映し。


「えぇ、気づく必要なんかありませんからねぇっ!」


 その魔核の残骸を握りしめた。

 慌てて剣を引こうとするものだから、空いたもう片方の手で細剣もむんずと掴む。刃の潰れた剣をどれだけ引こうと、アハトの指が切れて落ちることはない。


「捧げるは、氷竜の想い。その命!」


 アハトの手の中で、氷の青色をした魔核が光を放つ。

 代償魔術は、その代償となる魔法素材に応じて、魔術の威力が高まる。ならば、最高の魔法素材とは何か。魔物でもなく、魔獣でもなく、その最上位たる竜の素材の中にあっても最高の素材とは――

 表情を変えずとも、抵抗を激しくするゼクスに、アハトはにぃっと笑う。


「愛する人を手元にとどめる、美しい檻などありはしない」


 竜の魔核による、詠唱補助も付けた大魔術。

 ゼクスは剣から手を放そうとするが、できない。

 アハトの代償魔術が、すでに彼女の手を凍り付かせていたから。


「愛する人を蔑ろにする、醜い恋などあってはならない」


 もはや正しく唱えられているのかもわからない。

 舌すらも、泥沼の中にあるかのように自由にならない。

 だけど。それでも。


「それでも、私はあなたに愛されたかったから!」


 届け。届け。届け。

 脚を蹴折られようと、横腹に風穴が開こうと。

 私のすべてを捧げたこの想い。


詠唱四節クアドラプル檻に封じられぬ(ジェイル・オブ・)我が恋よ(ロマンチカ)!」


 流出する氷の魔力が、世界を白く染めた。

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