第二話 仲間たち
魔導都市デミオン。魔導王国デミオンの名をそのまま冠する、つまりは王都である。
円形をした城塞都市が冠する『魔導都市』の名は、そのまま魔導技術の限りが尽くされた都市であることを意味している。街の中を流れる水路は、すべて水を魔法的に生成する魔道具によって流れを得ており、いたるところに配された魔法灯が、デミオンから夜という概念を消し去っている。貴族たちは昼夜を問わず絢爛な舞踏会にロマンスを求め、城下の民は酒と女と商売に明け暮れる。それがデミオンという都市だった。
仕事を終えたフィアたちは、デミオンの城門をくぐる。彼女たちがいごとを終えて帰る場所があるのも、またこの街なのだ。
夏の日差しにいじめられながら長蛇の列の一員となり、城門を潜り抜けた先に広がる町並みは、彼女たちがいつ帰ってきても活気にあふれている。等間隔に並ぶ魔法灯と、その間に店を構える数々の商店。そこかしこではじける会話の泡沫。行商の馬車から旅人まで、種々の人々が行きかう城門前の大通りは、立ち止まれば最後人ごみにもみくちゃにされてしまうに違いなかった。舗装された石畳の上を、彼女たちは並んで歩く。
「とりあえず、店に入りましょう。暑くてかなわないわ」
「あー? そんな服着てるからでしょ?」
「わっかりましたお姉様。空調魔道具を設置したお店ですね!」
これ以上ない実感を込めてのフィアの言葉。もっともなことを言うノインを遮って、アハトが先頭に躍り出た。普段、飲食店などに特にこだわりを持たないフィアや、そもそもがそもそもなノイン。彼女らが腰を落ち着ける場所を探すとき、頼りになるのはアハトしかいないのだ。
フィアは、アハトの得意げな知識の披露を、疲労の中で聞き流しながら歩く。道行く人々の視線が気になって、フードを被りなおした。アハトの容姿――水色の髪を二つ結びにし、軽装の皮の胸当てにこれでもかと丈の短いフレアスカート。その分惜しげもなく露出される脚部を黒いタイツで包み、編み上げブーツを合わせた、あまりにもあざといファッション――が目を引くのもあり、ノインがガラガラと引っ張る車輪付きのケースの音もあり。フィア本人は気づいていないが、夏場にローブを着込んでいる奇特さまで合わさって、彼女たちはまさに衆目を集める存在だったのだ。
アハトの案内に従って、大通りから一本外れ、ついに魔道具による空調が聞いた食堂に入ると、フィアの身体をどっと気疲れが襲った。
「あー。フィア、情けないんだー」
「こういう時はほんと、あなたが羨ましくなるわ」
「えへへー、ほめらりたー」
「あっ、勘違いしちゃだめですよノインちゃん! こういう時はですからね? こういう時、は!」
「どういう時でもあなたは羨ましくならないわ」
「そんなっ! お姉様……?」
フィアは別に何の他意もないノインを、大人気もなく威嚇するアハトをたしなめる。身長では、元からアハトに大人気などないのだが。
そんなこんなをしつつ彼女らが入った店内は、大衆食堂のような様相だった。木材の温かみを感じさせる店内には適当に丸テーブルが配されていて、思い思いに客が腰かけている。空調魔堂宇の存在が夏には貴重だからか、大通りから外れた割に混雑している。フィアたちは、ちょうど席を立った客と入れ替わりで席に着く。
店員たちはそんな状況だからか、使い走りの若い店員が額に汗をかいて走り回っている。天井に設置された魔道具から吐き出される冷風に涼むフィアは、なんだか優雅な気持ちになりながら注文を取りに来てくれるのを待った。メニューは来る途中でアハトから散々おすすめを聞いている。
「アハトは、噂のパンケーキトリプルってやつでお願いします!」
「ワタシ、コロッケサンドがいいー」
「じゃあ、私はクラブサンドで」
注文の際にお冷がサービスされるのは、水の豊富なデミオンならではだ。氷の浮いたそれをぐいと飲み干すと、彼女たちはようやく一心地つく。他の利用客がする噂話も、ようやくフィアの耳に入ってくる。さすがの魔導都市ということで、話題は『最近、万能の魔法薬の材料になりそうな薬草が見つかって、手に入れれば億万長者になれる』とかいう眉唾なものから、『最近の貴族たちは、不老不死の魔導の研究に税金の半分をつぎ込んでいる』という陰謀論めいたものまで様々だ。
「その不老不死さんが目の前にいますよって言ったら、どんな顔するんでしょうねー」
「……」
「あはは。やですね、お姉様。冗談ですよぉ」
グラスの淵を指先でなぞりながら。アハトはにじませたニヒルさを引っ込める。その危なっかしさにフィアは咎める視線を送ったが、逆に言えば、少なからずそのニヒルに同意をしたから視線しか送らなかったといえる。
彼女らの主たる、マスター・ジーン。まさに彼は不老不死の研究としてフィアやアハトやノインを生み出したのだ。魔装乙女と名付けられた彼女らは、アハトやフィアならば黒鉄の眼帯の中に、ノインであれば黒鉄の右腕の中に魔核を埋め込まれ、それこそ首を落とされても死なないくらいの不死性を獲得している。
その当人として、死にきれなくなった自分たちを羨ましがる誰それがいれば、皮肉も言いたくなるだろう。フィアは自分の右眼窩に埋め込まれた魔装の表面をなぞった。
「あー! きたぁ! コロッケサンドー、おいしいさんど~」
ノインにだけは、そういう感情は一切ないのだろうが。
食事は、ノインのものとあわせて全員分が届いていた。はみだしたコロッケソースで早速口のまわりを汚すノインはもちろん、アハトも甘いものとなると目がなかった。三段重ねのパンケーキをどう攻略すべきか、ナイフとフォークを構えて真剣なまなざしをしている。
フィアも、自分の前に供されたクラブサンドを見やった。三段重ねになったトーストの間にベーコンやトマト、コールスローが挟み込まれ、フィアは予想外にボリュームがあることに驚く。ピックがわざわざ刺してあるということは、差しておかねば崩れてしまうくらいなのだろう。大味な料理だった。
持ち上げると、トーストの軽い手触りの奥に、ずっしりとした重さがある。どこからかじりつこうか、少し迷ったあと、結局正面からかじりつくフィア。
さくっ。小気味のいいトーストの音。シャキシャキとした食感をかみしめると、ベーコンの大雑把な肉の旨味が口の中に広がった。その奥に隠れたマスタードの辛みが、ちょうどいいアクセントになっている。
「どうふぇふか。おいひいへふよね」
「そうね。たしかに」
頬をぱんぱんにしてリスみたいになったアハトが問いかけてくる。素直に感想を答えると、アハトは得意げに魔装に取り付けたクリスタルチャームを指ではじいた。実際、彼女はよくフィアの好みを把握していた。アハトの好むようなスイーツだったりを勧められていれば、フィアがここまで気に入ることもなかったろう。もしかしたら、魔装乙女になる前の自分はこういう食べ物に憧れていたのかもしれないと、フィアは思う。
そうして、フィアとアハトは食事を楽しむのだが、一人、ろくに楽しみもせずに早々に食べ終えてしまった食いしん坊がいる。物欲しそうな目でフィアとアハトを交互に見やるノインに、アハトはけち臭くもシロップのかかっていない一番下の段を、その上小さく切り分けて分けてやり、フィアは優しくも、アハトのナイフを借りてクラブサンドを半分に割ってやろうとして、結果台無しにした。
全員の視線が、その皿の上の惨状に落とされる。
「あー。やったぁ……」
「ちょっと、そんなに悲しそうにしないでよ」
「まぁまぁ。ドジなお姉様もアリですよ」
幼い言動のノインだが、身体はしっかり少女であって、そんな女の子がうつむいてぼそぼそと言葉をこぼす状況には、なんともいえぬ憐憫がある。大したことでもないのに、罪悪感を非常に刺激されたフィアへの慰めに、アハトが入る。それが彼女の不運だ。ノインの魔装の右腕が神速の動きを見せた。
「じゃあ、ワタシはアハトのパンケーキをもらうね……」
「ああああああああ!!! 一番上だけ食べるんじゃないですよ!!!」
ノインは目にもとまらぬ早業で、シロップのたっぷり塗り広げられた一番上のパンケーキだけを食べてしまったのだ。悲しそうにもぐもぐとやるノインにアハトがつかみかかる。世にもくだらないキャットファイトが始まり、店内の注目が集まる。
片や黒鉄の義腕をつけており、片や黒鉄の眼帯をしているとはいえ、両者ともに相応に優れた容姿をしているからか、それなりの盛り上がりを見せてしまう。ヤジが飛び、それを肴に賭けまで始まる始末だ。
店の注目の真ん中で、アハトとノインが向かい合う。
「知ってますか、ノインちゃん。そんなごっつい見た目をしたノインちゃんの右腕にも、アハトのか細い腕で勝てる、そんな拳の戦いがあることを」
「しってるよ。この前、フィアに教えてもらったから」
「もしアハトが勝ったら、お姉様は正式にアハトのものってことで」
「じゃあ、ワタシが勝ったらパンケーキはワタシのものね」
「そんなもの、お姉様に比べれば安いものです!」
「じゃあもういいじゃない」
もはや、フィアの制止も聞かない。やると言ったらやる目だった。
会場の盛り上がりも最高潮だった。汗水たらしていた使い走りの若者が、トレイに賭け金を載せて走り回っている。かくいうフィアも、止める気はもうなかった。
「さ、行きますよ!」
「まけないぞー」
そして、戦いの火ぶたは切って落とされる。
「「じゃん! けん! ぽんっ!」」
そう。じゃんけんである。
拍子抜けした観客たちと、互いの手を見て勝敗を確認する二人。
ちなみに、アハトがチョキで、ノインがグーだ。
「あぁあああああ!!! お姉様が、お姉様が!!!」
「何よ。どうにもならないわよ」
「ごめんなさい。アハトは可愛いだけのダメな後輩なんですううう!」
アハトの叫びが、会場の歓声を引き出した。主に、賭けに勝った快哉の叫びと、アハトがあまりに本気で泣き崩れているものだからと慰める叫びの二つである。アハト派の非難の視線が、なぜかフィアを刺す。そのまま、店の一角でアハトを慰める会が始まる。
対してノインは喜びのガッツポーズとともに凱旋し、一切の容赦なくアハトのパンケーキを平らげた。その豪快さに、金を得て気分の大きくなったノイン派はさらに大きな歓声を上げる。彼らはそのままノインを自分たちの食卓へ誘い、そのまま宴でも始めそうな勢いだ。
結果、フィアは見事に孤立して、この争いの原因になったクラブハウスだったものをつついていた。彼女としては、こうして防寒を決めこむくらいの方が、気楽でよかった。
フィアは、ノインが置き去りにしたケースに手を置く。アハトの魔法がかけられたそれは、空調の聞いている店内でも不自然に冷たくて。コレを置いて自分まで楽しんでしまったら、無責任が過ぎる。
「ちょっといいかい」
その時、不意に声がかかった。
フィアの横に立ったのは、商人然とした中年の男だった。恰幅の良さは、そのまま彼の商才を表しているに違いなかった。特に着飾っているわけでもないが、指にはまった成金趣味の指輪が、自分の財力への自信をひっそり主張している。
フィアは初対面の人物だった。構うこともないと、無視を決め込もうとして――
「君たち、もしかして。巷で噂の『魔獣狩りの少女たち』かい?」
フードを被りなおそうとした手が、ピクリと止まる。フィアな苦虫を噛み潰したような顔をした。
「やっぱりそうなんだね。いやぁ、実は僕は、二年前の氷竜事件にも立ち会わせていてね」
「人違いじゃないかしら。じゃんけんで一喜一憂する私たちに、魔獣が殺せると思う?」
フィアは冷水の入ったグラスを握った。その冷たさが思考を冷やしてくれると思った。きっと、この人間は善意でフィアの嫌う認識を押し付けてくるから。フィアは身構える。
「あぁ、そう警戒しないでくれ。僕は別に、ただ君たちに」
「はいはーい。そこまでですよー。お姉様と話すにはアハトを通してくださいねー」
男がまさに核心へ触れようとしたところで、おどけた調子のアハトが割り込んでくる。フィアは握りこんだグラスを放した。手の内側を伝っていく水滴の感触を、いつもより鋭敏に感じていた。
「ノイン。帰るわよ」
「えー! これからスペシャルコロッケサンドに挑戦するのにー」
「マスターに怒られるのと、コロッケサンドと。どっちがいい?」
「あー。マスターに怒られるのはたしかにダメだ!」
上機嫌の客たちに囲まれて、髪エプロンまでつけて準備万端だったノインが、フィアの言葉を聞くなりぱっと駆け戻ってくる。その間に、アハトが会計を済ませていた。フィアは今度こそ、申し訳なさそうにする男の言葉に一瞥もくれず、二人を伴って店の外に出る。
「さぁ。マスター・ジーンに届けるべきを届けるわよ」
【Tips】魔装
魔核を保護するため、魔装乙女に装備された黒金の装甲。合理的といえばそうなのだが、魔装乙女たちが悪目立ちする原因。