第十八話 再会
「お待たせしました。朝ご飯ができましたよ」
「見習いさん! 今日はスイーツはありますか!」
「作れないって、いつも言ってるじゃないですか……」
「そんなぁ」
絶望するアハトだが、この山の中でどうやって甘味を調達しろというのか。彼女は二日目の朝からこんな調子で、もう五日目にはなるが、学習をしない。むしろ、フィアは礼拝堂の椅子を端に寄せ、長机を真ん中に並べた簡易の食堂に並べられていくものを見て思う。昨日に食べきらなかった山菜を入れ込んだスープと、保存のきく硬く焼しめたパン。パンがあるだけ、マシだろう。
深刻そうに肩を落とすアハトだが、魔装乙女に敬意を払っていたはずの騎士見習いでさえもう愛想をつかしており――最初は彼女のわがままに答えようと、菜園から甘い果実を取ってきたりしていた――完全に無視して配膳を済ませる。純粋なメアですら、もはや風景の一部として認識しており、気にする風もない。
食卓に全員がそろい、食事の前の祈り。フィアは神など信じていないが、無意味に和を乱す必要もない。合わせて手を合わせ、祈りの姿勢を取る。
それが済めば、各々に食事をとるのみだ。騎士見習いは黙々と食事をとり、ミアはメアを気遣うようにしながら、苦手な山菜をメアのスープにこっそり入れている。そしてアハトはといえば、気を取り直して、フィアの口に自分の手で食事をとらせようとしてくる。フィアはそのたびに受け入れてやり、適当に「おいしいおいしい」といってやり過ごした。
実際、こういった質素な食事は嫌いでないフィアだ。スープの塩気に浸して食べるパンは、けして感動を与えるようなおいしさだったりはないのだが、身体にしみいるような温かさがある。礼拝堂での食事ということで、最初は五人で食事をするにはあまりに広すぎてそわそわとしていたフィアも、五日立てばさすがに慣れていた。
「そういえば」
思い出したように騎士見習いが口を開く。
「スイーツかはわかりませんが、今日は甘いものが食べられるかもしれませんよ」
「あぁ、確かに今日は、ギルバート様が来る日ですね」
「ギルバートが……?」
ミアの言葉にフィアのパンを食べる手がピタリと止まった。
「ギルバートが、来るの?」
「来るけど……。あぁ、そうよね。そりゃ困るわよね」
信じたくないというフィアの声色を読み取って、ミアが意地悪い笑みを見せた。
フィアの不安は当然だ。彼女とギルバートの別れは、けして今後の良好な関係につながるものではなかった。むしろ、フィアが危険な存在だと認識されていたっておかしくない。そして、あのギルバートがその認識を持ったのなら、フィアを躊躇いなく斬ろうとするだろう。
思わず腰を浮かせて、座りなおす。今立ち上がったところでどうしようもないのだが、落ち着かないのだからしょうがない。
「よし、わかりました!」
何がわかったのか誰にもわからないが、急に立ち上がるアハト。
「アハトがあのアホバーカをぶっ倒して、甘味を独り占め――じゃなくて、お姉様を守ればいいんですね!」
「何もわかってないわよ」
そんなことをすれば、むしろギルバートの怒りに火を注ぐだけだ。フィアはアハトの肩に手を置いて座らせ、代わりに自分が立ち上がる。騎士見習いが呼び止めた。
「どこか行かれるんですか?」
「ちょっと散歩でもしてくるわ。もしかしたら、夜更けまで帰らないかもしれないけど」
「ギルバート様は、別にフィア様のことを嫌ってはいないと思いますよ。でなければ、頼みを聞いたりはしません」
「あの男の場合、自分の好き嫌いの話じゃないでしょ」
「それは、まぁ……」
そう、あの男は自分の好き嫌いでなく、自分の信じる正義で動くから。忌子を助けるなんていうのは彼の正義の範疇でしかない。それに、あの男の好き嫌いの話であるのなら、気になるフィアではない。食卓を後にして、教会の正面扉である、礼拝堂の扉に手をかける。
「あっ」
「む」
かけたところで、向こうから扉が開かれた。そして現れる紫紺の騎士服に軽装の鎧を身に着けた、気難しそうな男。ぶつかりそうになって、フィアが一歩引く。
「なぜお前がここにいる。魔物交じり」
「……相変わらず、ずいぶんなご挨拶ね」
結論、フィアは少し行動が遅かったということになる。彼女の目の前には、すでにギルバートがやってきていた。
◇◆◇
ギルバートはデプンクトの教会騎士の筆頭として、街を離れるわけにはいかなかった。だからその代わりとして、定期的に生活物資を運ぶついでにこちらに来るという、そういう手はずになっていたらしい。フィアをずいと押しのけて入ってきたギルバートの後ろから、行商に使うような大きな木箱を抱えた従者が二人。見るからに疲労困憊といった様子で、山の下からずっと運ばされて来たのだろうと誰しも想像がつく様子だ。
少しでも早く木箱を置いて楽になりたい。そう顔に書いてある彼らをどかして外に出るほど、フィアは人の心がないわけではない。彼らを招き入れる形で教会の中へ戻り、そのまま外に出る機会を失ってしまった。
「おい。どういうことだ」
「お前にそうやって言われる筋合いないんですよーだ。べー」
というより、アハトとギルバートだけを残して外に出るのが不安だったのだ。椅子に座ったアハトを見下ろすギルバートに、彼女は舌を突き出して返事している。
「ちょっとね」
フィアが間に割って入る。ギルバートはじろりとフィアを見た。
「私がちょっと、追われてて。ここに匿ってもらってるの」
「魔装乙女のあれか」
「あれが、何のことか知らないけど」
「あれはあれだ。口にするのもおぞましい」
渋面を作るギルバートは、本当に口にするのも嫌なのだとわかった。それは、そうだろう。魔装乙女が国の矛として戦うなど、彼の信ずる神からすれば考えるのも穢らわしいのだろう。
対して、フィアはひとまず胸をなでおろしていた。あわや顔を合わせるなり抜刀ということになるのではと心配していたことを考えれば、ギルバートの渋面など気にならない。
「ミア。メア。すまない、遅くなった」
「そんな……! むしろ、早すぎて驚いているくらいで」
「不自由な生活をさせているからな。おれの家のものに、夜から馬を走らせた」
さらりと言っているが、それは従者たちもたまったものではないだろうと思う。えっちらおっちら、長机のところまでやっと木箱を運んできた二人は、重い荷物を持って山登りする苦行を、寝不足の中で行ったことになる。どすんと、慌てて騎士見習いが片づけた机の上に荷物を置いて、彼らはふらふらと隅に寄せられた長椅子に倒れこむ。ひとえに哀れだとフィアは思った。
「それで、アホ! この中には何が入ってるんですか?」
「……おれの名は、ギルバートだ」
元からあんまりというか、意味の分からない呼び方でギルバートを呼んでいたアハトが、ついにただの罵声でギルバートを呼ぶ。アハトにつられてメアも興味津々といった様子でいなければ、怒りを爆発させていただろうという様子だ。
ギルバートが騎士剣を抜き放ち、魔術の光を帯びる。神の意志を宿した一閃が、木箱のふたを撫ぜた。アハトがふたをぱっと持ち上げると。
「なんでこんなに、服ばっかりなんですか!」
ふたを持ち上げた勢いのまま卒倒した。フィアもアハトの様子に興味をかられて中身を覗くと、それこそ膝を抱えたギルバートだって余裕でしまえそうな大きな木箱に、色とりどりの衣服が詰まっている。
「女性というのは、多くの衣装が必要だと聞いた。違うのか」
「こんなとこで生活してて、着飾ることなんてないでしょ?」
「そういうものか」
フィアも苦笑いをこぼすしかなく、メアは目を輝かせて次々に衣服を引っ張り出しているが、あのミアですらぎこちない笑みだ。これでギルバートが冗談だとか言い出すのならまだ納得できたフィアだが、どうもそうではないらしい。いたって真面目な顔をしている。
復活したアハトが、まぁでも服なら……という感じで、口をとがらせながら一着手に取る。広げて、愕然としたように言う。
「これ、お姉様のサイズに合わないじゃないですか……!」
「なんで見ただけで私のサイズがわかるのよ」
お願いだから黙ってくれとフィアが思うのを、誰も責めないだろう。
女子三人がそうして木箱の周りに群れる中、騎士見習いが控えめにギルバートに声をかける。
「あのう。ちなみに、食料の方などは……」
ここで忌子二人の面倒を見て、一緒に暮らす彼としては死活問題だった。突然やってきたフィアたちのために、黒パンの備蓄を数え直していた彼の姿をフィアは見ている。この前お礼として、ヤギを狩ってきたりはしたが、ヤギはパンの代わりにならない。
ただこの常識の欠落した正義狂いなら、パンがないならヤギを食えとも言いそうだと思って。フィアは不安とともにギルバートを見上げる。彼は「ふむ」と一拍置いて。
「それも、その箱に入っている。二重底だ。食事に飽きているころだろうと甘味も――」
「それを先に言うんですよギルバート・ローエングラム!」
言うや否や、猛烈な勢いでアハトが服の山を掘り始めた。さびれて礼拝堂に、色とりどりの布が舞った。
◇◆◇
ギルバートが持ってきた甘味とは、クリームだった。パンに塗って食えと、そういうことらしい。メアとアハトと、ついでにミアは、見るからにほおを緩ませて、クリームを乗せたパンを頬張っている。騎士見習いも、十二分な量のパンがあってほくほく顔だ。
「お前はいいのか」
「えぇ、私はああいう甘ったるいの、苦手だから」
フィアは席を放して座り直し、スープに浸してパンを食べている。きゃいきゃいとした女子の輪に入るよりは気楽なのか、ギルバートはフィアの側に立っていた。座ればといいたくもなるフィアだが、余計なことを言って「魔物交じりの隣に座るなど、おれの矜持が許さん」といわれても腹が立つだけなので、
あえて黙っていた。
そうなると、特に彼らに会話はなかった。フィアはギルバートを空気か何かと思うことにして、ぼーっとアハトたちの様子を眺めていた。あの中に混じりたいとは思わないが、やはり見ている分には、ああして和気あいあいとしている方がいい。
「あれは」
そうしていると。ギルバートが唐突に口を開いた。
「あれは、お前が踏みとどまって、残したものだ」
「デプンクトでのことを言ってるの?」
「そうだ。ずっと、気になっていた」
ぶっきらぼうな口調ではあるが、そこにデプンクトに滞在していたころ、常に感じていた敵意というものは薄いように思えた。気のせいかもしれないが、ギルバートとの会話に応じてもいいかと思う手助けくらいにはなっていた。
「……わからないわよ」
素直な答えを口にする。
この数日、フィアは自分の見逃したミアとメアがどういった子であるのか、見続けてきた。普通の子だった。羨ましくなるくらい普通で、お互いに思いやりがあって、特別何が恵まれているとかはなくとも、幸せそうだなと思った。
同時に、それは自分が今まで奪ってきたものを見せられてきたとうことで。時折、アハトがこの場所を選んだのは、もしもの時の手土産のためでなく、これを見せつけるためだったのではないかと恨めしくなる。フィアは今日、鎖帷子を着ていなかった。その重さが苦しかった。
「おれは、お前を魔物の一派だと思っていた。魔力に侵され、欲望を満たすことしか考えられない、低俗な獣だ」
「別に間違ってないと思うわよ」
「妹か」
「あなたの鋭さ、ほんとに嫌いだわ」
あの一瞬のやり取りでこぼした言葉すら覚えている。なんとなく腹が立ったフィアが、椅子に座ったままにらみ上げると、ギルバートと目が合った。てっきり自分など眼中に収めていないだろうと考えていたフィアは面食らう。
「だが。あの時の苦しむお前は、うつくしいと思った」
「うつっ――?! へぇっ?」
そして、そこに予想外の言葉が投げ込まれて、フィアは裏返った声を上げた。彼女自身ですら聞いたことのない声だったから、礼拝堂にいた誰もの注目を集める。頬に上がる熱を自覚して、フィアはローブのフードを急いで被った。心臓の音がこもるみたいで、彼女は無駄にうるさい自分の心臓を呪った。
「話は最後まで聞け」
「ちょっ、やめなさいよ!」
それで自分の話をないがしろにされていると感じたのか、むんずとフィアのフードを掴んで引きはがしにかかるギルバート。もはや小さなパニックを起こしたフィアはやたらめったらに腕を振り回し、そのうちの一振りがギルバートの鼻面を捉えた。
「むぅ……」
「あっ、ごめんなさい」
「まぁいいだろう」
それがちょうどよく、二人に冷静さを取り戻させた。飛び掛からんばかりだったアハトが腰を下ろす。
「とにかく、人は悩むものだ。弱いものほど、現実と折り合いをつけたがり、中途半端に賢しい選択をする。お前は、そうではないのだろう」
「……あんたはどうなのよ」
「おれは、神の使徒だ。迷いなどない」
フィアは先ほどの恥ずかしさもあって、ふいと顔をそらした。相も変わらず、少しずれた解答ではあったのだが、フィアはそこまで気が回っていない。
「だから、おれはお前が魔物なのか、人間なのか。確かめようと思う」
ギルバートの言葉が耳朶をうつ。
「お前は、あれをどう思う」
きっと、気持ちが浮ついてしまっているからだとフィアは思う。いつもは理性が答えを考えるのに、心の奥の小さな部分から、その答えはするりと流れ出た。
「いいなって、そう思うわよ」
「そうか」
ギルバートはそれだけ言って、何も言わなかった。フィアを魔物として扱うのか、人間として扱うのか。それは教えようとしないというより、お前ならもう自分でわかるだろうと、そう言われているのかもしれなかった。
ギルバートはその後、アハトに「お姉様との距離が近すぎます」とどやされたり、それをミアとメアに庇われたり。勝手に周りで起きるわちゃわちゃとした喧騒を無関心にやり過ごして、自分の従者たちが目を覚ますと、彼らを引き連れてさっさと帰っていった。
あとは今まで通りの日常だ。アハトが多少騒がしかったけれど。山菜を採って、途中で見つけたヤギを狩り、また夕食の席を囲む。
自失に戻ると、フィアは誘われるように眠りに落ちた。
そして、赤い夢を見る。
【Tips】ギルバート
神の使徒として修練を重ねることに人生を費やしてしまったために、人間としての常識を失った男。貴族であるがために婚姻の話は普通にあるのだが、なぜか毎回向こうから断られてしまう。
※今後の更新予定
《11/20》
・12:00 第十九話
・18:00 第二十話
・21:00 第二十一話
《11/21》
・12:00 第二十二話
・18:00 第二十三話
・21:00 エピローグ(ここで完結)




