第十七話 静かな生活
森の教会での生活は、基本的には自給自足だ。
ミアとメア、そして騎士見習いが、フィアが来た時に教会の裏手でしていたことは何かといえば、すっかり野生化した菜園から野菜を収穫していたのである。ミアがフィアに気づいて取り落としたのも、お化けみたいに膨れ上がった茄子だった。
「まったく。お姉様にこんなことをさせるなんて、何考えてんですかねあの騎士見習いは」
「あの子に言われたんじゃなくて、私、自分で行きたいって言ったんだけど」
「素晴らしいですよね、山菜取り! 山の静かな空気で汚れた心がきれいになる気持ちです!」
「あんたのそういうとこ、ちょっと怖いけど好きよ」
その延長として、フィアたちは山の中に分け入って、山菜取りをしてた。アハトの結界の範囲は広く、教会より山を下りなければ、かなり自由に行動できる。ミアとメアはここに来て十日以上たっているからか、かなり慣れた様子で斜面を歩いてゆく。
「この辺りはこの前取りつくしたから、今日はもう少し奥に行きましょう」
「うん」
ミアは、いまだフィアに油断をすることができず、しかしアハトの手前不用意な言動もとれないというところで、メアとの会話を通してこちらに話をするという手法を取っているようだった。メアはといえば、フィアにもアハトにもおどおどしているばかりだから、フィアとアハト、ミアとメアの間には見えない壁があった。
むむむ、と眉間にしわを寄せるアハト。
「ここまであからさまにのけ者にするとは。あとで指導が必要ですかね」
「…………私と二人きりになれなくなるけど、いいの?」
「はっ! そっちの方が百万倍大事でした!」
ひしっと抱き着いてくるアハトに、フィアは内心で後悔する。言わなければよかったかもしれない。だけれども、別に無理に仲よくしようとも思わないフィアだ。それでアハトの、宗教まがいの指導が入ると思うと不憫でならなかった。
枯れた沢に沿って歩く。二人横になって歩くにも狭い道だが、当てもなく歩くよりは迷いにくいし、歩きやすい。時折、倒木が倒れて道を塞いでおり、手をついて乗り越えると樹皮に張り付いていた苔が掌について緑色になった。途中、ちょうどよく開けた場所を見つけ、その周辺を散策することにする。木々の間、遠くでヤギが耳をそばだて、フィアたちを見ていた。
今まで、魔獣を追って森に入ったりはしても、基本的には忌子の周囲、人の生活圏で戦ってきたフィアだから。自然の中を歩き回るのは新鮮で、興味深そうに視線をさまよわす。やがて、しゃがみ込んで木々の足元を探り始めるミアとメアにならい、フィアもアハトと一緒に食料を探し始めた。
「見てくださいお姉様! キノコ、キノコです!」
「ウソでしょ。そんなどくどくしい色のキノコ、食べる気?」
「いやいや、よく見てください。茶色のじみーでばばくさい色のキノコより、この真っ赤でビビッドな感じのが絶対美味しいですって!」
「あっそ」
見るからに危ない色をした、ソーセージみたいな見た目のキノコを指さして騒ぐ。触るだけで危ないキノコもあると聞いた気がしたが、どうせアハトも魔装乙女であるし、放っておくことにした。フィアが落ちている木の実を拾い集めていると案の定、後ろでアハトが悲鳴を上げる。人の不幸を笑うフィアではないが、こうもきれいに間抜けをされると面白くなってしまう。
自分はせめて、同じ轍を踏まないようにしよう。そう考えて、心の中でアハトに両手を合わせるフィアだが、実のところ、山菜に毒があるかなど彼女にだって区別がつかないのだ。
籠の中でころころ転がる木の実たち。このうちいくつかに毒があってもおかしくない。
あの子たちはどうやっているのだろうと、フィアは気になった。
見やると、メアが拾い集めミアが検分するという分担作業を行っているようだった。メアがてててっと探し回り、とととっと持ち帰ってくる山菜を、ミアがあれはダメ、これは大丈夫とテキパキ区別していく。ちょうど彼女が捨てた緑色の木の実が自分の籠にも入っていて、フィアは慌てて捨てた。
「いい加減、毒のあるなしくらい覚えなさいよ」
「だ、だって。ミア姉が全部教えてくれるし……」
「もう。そしたら、いつまでも私が一緒にいなきゃいけないじゃない」
ミアはそっけなく答えるが、それでもメアはえへへと笑っている。そんな妹に、ミアもなんだかんだといいながら頭をなでて労ったり。どこか懐かしい気持ちで、フィアはそれをしばらく眺めていたのだが。やがてみられていることに気づいたミアが、メアの手を引いて場所を変えてしまう。さすがにこれ以上見るのも気が引けると、フィアも山菜採りを再開したところで、治癒魔術で回復したらしいアハトが隣にやってきた。
「お姉様、アハトたちも役割分担しましょう」
「イヤよ」
「そんな! 見てください! こんなに集めてきてアハト、えらいですよね!?」
「こんなにって……ちょっ! さっきのやつも入ってるじゃない!」
「あぁっ! 何も投げ捨てなくても……」
地面に散らばる山菜を、おいおいと泣きながら両腕でかきよせるアハト。どうせ、これで自分も頭をなでてもらえるとでも思ったのだろう。というか、めそめそとそう言いながらかき集め、ちらちらとフィアを期待の視線で見上げていた。往生際が悪かった。
フィアは頭痛のする思いだ。時折、素晴らしく頼もしいこの妹分は、どうしてこう残念なのか。
フィアはもう一度、ミアとメアを見やる。メアが張り出した木の根に躓いて、ミアがそれを支えていた。毒キノコであざとさを演出しようとする妹分より、よっぽどあちらの方が羨ましかった。
その後、山菜取りを終えて帰った四人。フィアの籠に入っていた山菜は、全て騎士見習いによって捨てられた。毒があったのだ。
◇◆◇
二日目。教会の空き部屋をあてがわれていたフィアは、窓から差し込む朝日で目を覚ました。
カーテンなどというものもなければ、窓にはガラスもはまっていないが、木々の葉の揺らめきが自然のカーテンとなっている。うっすらと埃の舞う、ベッドにナイトテーブル、古ぼけたワードローブだけの部屋。吹き込むそよ風に、寝起きの身体をぶるりと震わせながら、フィアは身を起こした。手櫛でくすんだ赤毛を梳き、簡単に身づくろいをする。朝食は騎士見習いが用意してくれているはずだから、着替えをして礼拝堂に出ていかねばならない。
夏場でもローブを着続けるフィアといえど、寝るときには鎖帷子と一緒に脱いでいる。鎖帷子の下に着る。簡素な肌着一枚のフィアは、ずしりと重みのある帷子を手に取った。普段の癖として手にとってしまったが、今は切る必要がないのかもしれない。
それこそ、生き方次第では。これを捨てることもあるのかもしれない。
それをこの生活の中で考えなければいけないのだと、フィアは再確認する。そして、とりあえず今はと首を通した。
ローブまできっちりと着込んで、フィアは廊下に出る。
「おはようございます、お姉様」
「……おはよう」
なぜかアハトが待ち構えていた。朝からばっちりフル装備の可愛いあざとい妹分。廊下は秋の朝にしてはひんやりとしていて、こういう時はまず間違いなく、アハトが魔術視で覗きをしていた時だ。朝からわーぎゃーといいたくないので、フィアはあくびと一緒に文句を飲み込んだ。
「朝ご飯にしますか? 井戸でお顔を洗いますか? それとも、ア・ハ・ト?」
「自分で作った朝ご飯でもないのにそこまで言えるの、あなたくらいよ」
相変わらずの調子のアハトを軽くあしらって、フィアは歩き出す。アハトも何事か言いながら後ろについてきた。フィアは目元をぐしぐしと擦る。まずは顔を洗うことにした。
教会の裏にある勝手口から出て、菜園の手前に掘られた井戸を目指す。
「「あ」」
そこで、ミアと出くわした。彼女は顔を洗ったあとのようで、金髪の一房が濡れて頬に張り付いている。あまり見られたくもなかったようで、慌てて指先で髪先を撫でつけた。
「おはよう」
「……おはよう、ございます」
フィアは一応、挨拶をしてみた。ミアは一瞬戸惑ったように言葉に詰まり、けれど育ちの良さか挨拶を返し、アハトににらまれて慌ててかしこまった。フィアが肘でアハトを小突く。
「いいのよ別に。この子、ちょっとおかしいんだから、気にしないで」
「そうは言っても。言いましても」
「こらっ、アハト」
懲りないアハトにフィアが拳骨を落とすと、アハトは舌をちろりと出して見せた。反省の意、というには軽薄に見える仕草だが、フィアはため息一つ、ひとまず良しとする。曲がりなりにも自分たちを守ってくれている人間が、自分のせいでちょこちょことやられているものだから、ミアはどこか落ち着かなそうにしている。
このまま会話を打ち切ってしまう方が楽なのだろうが、もしかしたら自分が殺すかもしれない相手に、敬意を払えと要求することはフィアには気持ちが悪い。自分より小さい相手だからと、子供をあやすような口調にならないように意識して語り掛ける。
「大丈夫だから。口ではいろいろ言うけれど、それこそ私がやれって言わない限り、貴方たちの不利益になるようなことはしないから。だから別に、素直に接してくれていいのよ」
「……」
「妹を殺そうとした相手に敬意を払うなんて、イヤでしょ」
「――まぁ、そりゃね」
根負けしたように、ミアが肩を落としてため息をついた。
「じゃあ、適当に喋らせてもらうけど、別にメアのこと許したわけじゃないから」
「えぇ、別にそれでいいわ」
相変わらずぶすっとして言うミアに、フィアは気にすることなく返した。むしろ、関係が関係だけに、多少ぶっきらぼうに扱われた方が気楽というものだった。お互い話はまとまったと感じたところで、やはり茶々を入れずにいられなう一人。
「だそうですよ! よかったですね、まったく!」
「……とんでもなくかっこ悪いわね、あんた」
フィアの背後に隠れるようにして、小悪党のごときセリフを吐くアハト。処置なしと眉間をもむフィアに、初めてミアがくすりと笑った。
「お互い、手のかかる妹を持つと苦労するね」
「えぇ、まったく」
それじゃ、とだけ残して、ミアは教会へと戻っていった。
「お姉様、嬉しそうですね」
「そう?」
アハトに言われて、フィアは自分の頬に触れる。確かに緩んでいるのかもしれなかった。自覚してしまえば少し、皮肉な気持ちになってしまう。
フィアは井戸に歩み寄った。井戸のへりに置かれた木桶にはまだ水が残っていて、それを掌にすくう。顔をつけると、ひんやりとした感覚が皮膚を引き締める感覚。
自分の結論次第では、彼女を殺すのに。フィアはその冷たさの奥で思った。
【Tips】毒キノコ
言わずもがな、カエンタケがモデル。




