第十三話 亜麻色
息せき切って走るフィア。墓所の扉を肩で押しのけるようにして開ける。夏から秋に代わろうと、墓所の風景は変わらなかった。日の落ちる時間だけが早くて、不気味に赤く染まっていた空が、いよいよ夜の帳に飲まれていく。
飾り気のない教会堂へ近づく。世闇の中に人影がある。マスター・ジーンが自ら魔装乙女を迎えることもなければ、そこに人影が二つある違和感もある。フィアの中で不安が膨れ上がる。
「マスター・ジーン……! お聞きしたいことがあります」
「奇遇だな。私もだ」
教会の大扉の前に立つマスター・ジーンが、フィアの呼びかけに振り返る。紫に染め抜かれた司祭服は変わらぬ折り目正しさで、そのこけた頬にかかる影の濃さだけが増えた気がする。夜の始まりにあって、幽鬼を思わせる様相。
思わず続く言葉を失ったフィアは、さらに衝撃を受けることになる。彼の背後に寄り添う、少女の姿を認めたからだ。亜麻色の髪を、後ろで一つに結んだ少女。
「あぁ、これか。ゼクス・フラクスファルベ。お前の代わりだ」
「ゼクス……? そんなはずはない。その子は、私たちがこの前届けた子で」
「何を言う。所詮はコードだ。同じ設計で再生産したのだから、同じ名前を付けるのは道理だ」
うろたえるフィアから主を守ろうとするように、ゼクスと呼ばれた少女が前に出る。よく訓練された兵士のような、人間らしい余白のない動きで。フィアの視界に魔装の両脚がさらされる。悠久を流れる大河の雄々しさと美しさを秘めた流線形は、たしかにフィアの記憶にあるゼクスのそれと同じ。ジーンの言い分は、理解できた、それでも、心が受け入れなかった。
だってそれを受け入れてしまえば、フィアを支えるものは何もない。彼女の記憶に存在しない妹の顔。フュンフと言う名前に基づき妹だと思っていたあの子は、本当に妹なのか。その可能性は、フィアと言う存在をひどく不確かにさせる。
自分の中に存在し続けた恐怖を、この目の前のゼクスと言う少女は掘り起こしてしまうから。後じさりする脚を必死にフィアは押さえつけ、一歩前に踏み出した。
「そんなことは、どうでもいいのです」
「だろうな。私もどうでもいい」
「魔装乙女と言う言葉を、街中で聞きました。私たちは最高機密のはず。なぜ、その名前が人々に漏れているのですか」
「あぁ、その話か……」
ジーンは、どうでもよさそうに遠くを見やった。『どうでもよさそう』を演じているようにも見えた。フィアにその判別はつかない。ただ珍しく、彼はフィアの疑問にまともに取り合ってくれる。
「私の研究は、その方針を変える」
「……え?」
「不老不死のための研究は、もう終わりだ。この研究は、死なない軍隊を作るために利用される」
「そんな、急に」
「急ではない」
戸惑いの声にぴしゃりとかぶさる答え。
「お前が狩り集めた忌子が、そこから作られた魔装乙女が、どこに行くのかだったな。あれらはすべて、魔装乙女を部隊運用するための、その頭数としてそろえられている」
「――じゃあ。じゃあ私は、軍隊を作るために働いてきたと、そうおっしゃるのですか!」
「そうだ!」
フィアが込みあがる怒りをぶつける。フィア・ロットという存在を台無しにしようとする、侵略者に対する怒り。それを受けたジーンは、教会の大扉を思いっきり殴りつけた。堅牢な木製の扉だ。魔装乙女ではないジーンの拳などではびくともせず、逆にその拳がずり向け、血を流す。
いや、それだけではない。フィアは彼の震えている拳を見て気づく。流れる血は何もずり向けたからというだけではない。それなら、拳の内側から零れ落ちる血液の説明がつかない。そこにはまず間違いなく、悔しさが握りつぶされている。
「あの子の、ノインの実験まではよかった。忌子ではない人間の蘇生に成功したことで、人の功績の上で胡坐をかくことしかできない無能どもは、手を叩いて喜んだ。だからこそ、奴らは魔導の熟成に何より必要な、時間の価値を知らんのだ!」
彼の剣幕に、フィアは口を挟むことができない。
そこにはジーン・シェーファーという男の人生がこもっている。執念、妄念、そしてどこか愛情を孕んだ怒り。フィアの中にそれほど熟成された怒りはない。彼の言った『時間』というものが、記憶を欠いたフィアにはないから。彼の怒りを押しのけられる熱量が、フィアに足りなかったのだ。押し黙るしかなかった。
「もう少しだったのだ! 軍隊の奴らの下に置かれて、まともな研究をできるわけはない! やれ魔法の威力をあげろだの、それ耐久性をあげろだの、くだらない研究に時間を使わせようとする!」
ジーンは自分の内を焼き焦がす怒りを、吐き出すことで鎮めている様子だった。顎髭をさする震えた手つきが、次第に落ち着きを取り戻していく。さんざんばら、貴族や軍隊への愚痴を吐き出して、憑き物が落ちたような無表情で、ジーンはフィアを見下ろした。
「だから、お前を処分するのだ」
「は? 何を言って」
「お前は必ず私に反逆する」
そう言って、ゼクスに顎で指示を出すジーン。ゼクスは無造作に、フィアの足元に何かを放った。フィアが怪訝そうに足元を見やる。クロッカスの首飾り。
「この施設は、正式に魔装乙女という存在が公表されれば、処分される」
フィアの頭の中で、散らばった情報がつながり。
「その際、余計な実験素材は、すべて処分する」
フィアの脳裏で光がはじけた。
「ジーン・シェーファーッ!」
ローブの裾を跳ね上げ飛び掛かる。手には短剣。狙うは喉元。
しかし、割り込む影。ゼクスだ。腰から抜き放った細剣が閃光のごとく奔る。
擦過音の耳障り。カウンターの一撃がフィアの魔装を掠めた。
フィアは飛び退る。裂けたフードがはらりとめくれる。
「やめておけ」
ゼクスの背後から、ジーンの声。
「お前の代わりだと言った。お前を倒せる設計をしているに決まっているだろう」
「知らないわよ!」
フィアは手に持った短剣を投げつける。ゼクスは避けるわけにはいかない。待ち構え、細剣の一振りではじく。
けれどもそれだけの隙があれば、フィアの詠唱は完成する。
「詠唱一節・火球!」
初級魔術である火球も、竜の魔力がこもっていれば話は別だ。
剛と音を立てて飛ぶ火炎は、人間に当たればひとたまりもない。
ゼクスはやはり、その場から動くことはなく。
代わりに、その場でタップを踏む。
「刻印魔術・暴風」
ゼクスの足元から魔力の光。巻き起こる暴風の壁が、フィアの火球をかき消した。
ヒールに仕込まれた紋様でもって、地面に魔導陣を描く魔術形式。
ならば、奇襲には対応できない。
「死ねっ!」
火球に隠れていたフィアは、ゼクスの脇をすり抜ける。
殺しきれない魔装乙女より、先にあの憎い男に刃を突き立てるのだ。
「ぐぅっ!」
けれども、ゼクスの護りは盤石だ。
黒金の魔装の脚が、その見た目に反した軽い動きで、フィアの腹部を重く捉える。たまらずよろめいたところに、追撃の蹴り。腕を上げてガードを取るが、その上から吹き飛ばされる。
墓所の砂利を踏み、一歩、二歩。踏みとどまる。
「どうだ。これが私の研究の恥部。洗脳魔術の成果だよ」
「洗脳……」
予想を超える反撃に多少の冷静さを取り戻したフィア。噛み締めるように呟いた。
フィアの突撃は無謀であったが、その無謀には根拠があった。魔装乙女は生前の記憶のほとんどを失うとはいえ、戦闘技能などは素材になった忌子に左右されるのだ。フィアだって、魔装乙女として蘇ってから必死に短剣の扱いを学んだ。いわんや、麒麟を前にして神に祈りを捧げていた少女が、戦闘技能など持つわけがない。
だが現実は違った。
陽動からの急襲さえあしらう、確かな実力。マスター・ジーンの洗脳魔術が、彼女を都合の良い傭兵へと変えたのだ。
もはや、少女の視線に感情の揺らぎはない。ひたすらに澄み切って、空恐ろしいほどの亜麻色の瞳で、フィアを視界に収めている。
フィアは近接型の魔装乙女には勝てない。詠唱には時間がかかるし、自分より格上の相手を前にして、戦いながら詠唱を構築できるほど、フィアは器用ではなかった。そして、『ゼクス』が近接型であることを、彼女は知っている。
だが、だとしても。震える足で立ち上がる。
あの偽物を打ち倒さなくては。あの裏切り者を打ち倒さなくては。どうして打ち倒すのかではなく、打ち倒さねばならないのだ。
その決意を嘲笑うような突風。
「刻印魔術・疾風」
衝撃、二連。
フィアの後背からの、流れるような回し蹴り。二連撃。
ふらつき、叩きつけられる。墓石を砕く勢いだ。フィアは遅れて理解する、自分が蹴られたことを、魔術で後背に回られたことを。
墓石の残骸に埋もれるような形になったフィアの首が、首の座らない赤子のようにだらんと垂れる。骨が折れていた。
それを自分の手で持ち上げる前に、細剣の刺突が降り注ぐ。身体に刺さる瓦礫に歯を食いしばりながら、地面を転がって避けた。
そのまま曲芸師よろしく跳ね起きて、フィアは勝利への算段を立てる。魔核の力で首の骨が癒合する頃には、結論が出ていた。
魔装解錠しかない。けれども。けれども。
「やめてください」
その時、意味のある言葉を一言も発しなかったゼクスが、始めて口を開いた。
「いと慈悲深き神がなぜ、魔物に裁きをお与えになったのか。それは人の涙を哀れんだからです。ですから人は、人を傷つけてはいけないのです」
縋り祈るように口にして。ゼクスになった少女が、表情を変えずに涙を流す。そのまま細剣を構えなおす姿は、もはや只人のものではない。
フィアは、彼女の背後に神を見た。まるでフィアの罪悪を糺すかのような姿が彼女のためらいを決定づけて。
ゼクスの接近。魔術の加護を受けたゼクスは、それこそ瞬きのうちにフィアに迫った。蹴り飛ばすのではなく、細剣を何度も繰り出して、削る。ローブの下に着込んだ鎖帷子すら突き破る。
隙を見せれば、魔核を狙われる。しかし、このままでは埒が明かない。いかに死にきれない魔装乙女といえど、死にきれないだけ。削ぎ落された肉の再生は追いつかず、顔を守ってあげた腕の片方がだらりと垂れる。
距離を取ろうとステップを踏めば、風が吹く。魔術により背後に回ったゼクスに蹴り戻される。
もはや魔装解錠の選択肢も消えた。竜眼を開いた途端、ゼクスの細剣は魔核を貫くだろう。
一方的な攻防。墓所に吹き荒れる血風に。
「魔術壁・雪花!」
きん、と弾かれる細剣。雪の華が壁として、フィアとゼクスの間に立ちふさがる。
アハトが駆け付けたのだ。フィアの視界が水色の髪を捉え、そこが彼女の限界だ。失った血は多く、朦朧とした意識が膝をつかせる。アハトは彼女を支えるように寄り添った。
「あー? どうしてフィアが怪我してるの?」
遅れて呑気にやってきたノインも、傷ついたフィアを見てにわかに殺気立つ。役目を終え砕け散った氷の壁に代わるように、ゼクスとの間に割り込む。刻印魔術を起動させ鉤爪を構えた。
ゼクスも、ノインの実力を感じ取ってか、睨み合いが始まる。アハトはその間に治癒魔術の詠唱を完成させ、フィアの痛みが和らぐ。
「お姉様、これはどういう」
「マスターに掌を返された。それだけよ」
「マスターに……。あぁ、そういう」
気遣わし気に問うてくるアハトに、フィアはぶっきらぼうに返した。別にアハトに何を思うわけでもないが、彼女には余裕がない。それでも理解をしてくれたアハトに、フィアは心強さを感じる。
「フィア。だれ、この子。ワタシ、あんまし好きじゃないんだけど」
「えぇ、私もよ。だから、やっちゃいましょ」
「あー! じゃあ、思いっきしやっちゃうね!」
鉤爪を構えたまま、ノインがフィアに応じる。アハトも魔術の詠唱を始めている。
これならば。これならあの魔装乙女も敵にならない。最強の矛と、最強の盾が彼女の味方についている。奮い立つ心のまま、フィアはローブの裾から予備の短剣を取り出した。
「あぁ、神の尊い御心を知らない、迷える羊たち」
うわごとのような嘆き。ゼクスが魔術のタップを踏むべく、構えを取り直して。
フィアの意識から外れていたジーンが、いつの間にかその後ろにいた。
「ノイン」
彼はただ、一言告げる。
「敵が違うぞ」
その瞬間、ノインがためらいなく振り返り、鉤爪を振り下ろした。
「ノイン?!」
「ごめんねフィア。でも、マスターが言うから」
天真爛漫の笑顔だった。ジーンの役に立てて、嬉しくてしょうがないという顔。
その猛攻はゼクスの比ではない。なにしろ、彼女の膂力はあらゆるフィアの守りをも押し潰せてしまうから。小細工の必要がない。
胴をざっくりと裂いた傷の痛みをこらえながら、フィアは持ちこたえる。けれど、ノインの二つ目の刻印が起動し、前腕部に現れるブレード。
あの一撃は、必ずやフィアの身体をバターのように切って落とす。
「アハト……!」
思わず、アハトの名を呼んだ。詠唱を終えた彼女はまさに魔術を発動させるところで、魔装にくくられたクリスタルチャームが揺れる。
「魔術鎖・霜柱」
空中に現出した氷の鎖が唸る。ノインの背後に現れた鎖の数々が、彼女を縛らんとして迫る。
そう見えただけだった。
鎖はノインの両脇を素通りして、フィアに迫る。からみつく冷気。いつの間にかフィアの背後からも伸びてきた鎖が、フィアの身動きを完全に縛る。
「アハト……?」
呆然とした声が漏れる。アハトは、フィアからついと目をそらしてしまった。
頼れるものは何もなく、目の前には刃の形をした死が迫っている。
もはや、生存本能がフィアの行動を決めた。
魔装解錠。
氷が炎熱を縛ることはあり得ない。
瞬間的に発生した熱量が氷の鎖の魔力を押しつぶす。自然の摂理のまま、一瞬にして融解して蒸発する、その爆発力。噴き出す蒸気熱にノインが踏み込みを止めた。
その隙にフィアは鎖を引きちぎり、駆け出していた。膨大な蒸気は霧となり、視界を塞いでくれている。心に生まれた期待を踏み荒らされたフィアからは、立ち向かう気概など奪われていた。
心残りは、ある。墓所の地下で眠っている妹を思った。それでも、立ち向かう勇気が起きない。魔装解錠はすぐに閉じてしまった。
フィアは泣く。悔しさを悪態にして吐き出しながら、彼女は逃げる。
【Tips】ゼクスの刻印魔術
刻印魔術を専門とするマスター・ジーンの発案した、応用のきく刻印魔術。魔術刻印の一部だけを魔装のヒールに刻み、それを組み合わせることで、刻印をその場で描く。




