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魔装乙女は死にきれない  作者: 浜能来
第三章 未来にはなれなかった
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第十二話 帰還

 フィアの目の前には、白く、急峻な山脈の威容があった。純白の山頂にはさらにキラキラとした雪の粒が降りかかり、なだらかな斜面からはごつごつと、黒々とした塊が屹立している。きっとその下には、どろどろとした暴力的なまでの甘味が隠れているに違いなかった。


「さぁ、帰ってきましたよ! アハトのウルトラパーフェクトサンデー鬼盛りデラックスプレミアム!」

「ほんとにあったのね。そんな頭の痛くなる名前の食べ物が」

「あー。ほとんどクリームのかたまりだぁ」


 アハトがパフェ専用の柄の長いスプーンを振り上げ、クリームの山に切り込む。すくいあげられたのは一から十までクリームで、それを美味しそうにほおばる姿に、フィアは自分が食べたわけでもないのに胸やけのする気持ちだった。鉄色のコーン型の器からはみ出した、ウルトラパーフェクトサンデー鬼盛りデラックスプレミアム。魔装乙女三人は、デミオンへと帰ってきていた。


 デプンクトは、フィアが魔装解錠で魔獣を倒してしまって、完全に魔物の被害がなくなった。街を襲っていた魔物はフィアが魔獣を倒した途端に事切れて、つまりはすべてマルチプルオーガの増殖の魔法で作られた魔物だったのだ。あのオーガについてこようとした魔物は、その魔力の確保のために食われてしまったのだろう。

 フィアは教会騎士の施設で療養を取った。街の一部を焼いてしまった彼女だから、少なからず敵意の視線を向けられることこそあれ、強力な魔獣を一人で倒したのだ、誰も彼女に石を投げようとか、そういうことは考えなかった。

 何より。あの竜の魔導を見たものが、彼女に攻撃をしようと考えること事態、ありえないのだが。フィアはそんな、感謝の中に憤りと畏怖が入り混じった視線の中で街を歩くのが、むしろ気楽でさえあった。

 そして、彼女は一週間ほどデプンクトに滞在し、またも馬車に同乗させてもらってデミオンへと帰ってきたのだ。その間、ギルバートと会うことはなかった。


 馬車旅を強要されたノインの機嫌を取るために入った店は、デミオンの中心部に近い、大商人や役人までもが利用するような店だった。研究のためとはいえ、魔獣を討伐する彼女たちは、金銭的に困っているわけがない。最初は怪訝な顔をした受付の執事服を、金を積んで黙らせて、下手な地方貴族の屋敷より装飾のこった店内の、隅の席をあてがってもらった。

 最初こそ、自分たちの領域に入り込んだ異物を品定めするような視線をちらちらと感じたものだが、流石に社交界を知る人間たちは、そこで突っかかるのではなく無視を選んでくれる。陰では散々に言われるのだろうが、ひとまずはそのおかげで、フィアも新調したローブのフードを気兼ねなく外すことができる。


「それにしても、魔装解錠を使うなら教えてくださいよ! アハト、お姉様の雄姿を見てみたかったです!」

「そんなこと言われたって。別に使いたくて使ったわけじゃないもの」

「それは、そうでしょけどぉ~」


 ノインは、目の前に供されたステーキに夢中だ。鉄板の上でじゅうじゅうと脂をはじけさせるステーキを、フォーク二本で引きちぎりながらばくばくと食べている。

 食事に専念したノインは文字通り、脇目もふらないから、アハトの会話の矛先がフィアに向かうのは通りだった。素っ気ないフィアの返事に、アハトは口にくわえたスプーンを不満げに上下させている。ただ、どう考えても、魔装解錠を得意げに見せびらかす魔装乙女はいないだろう。


 魔装解錠。

 魔装乙女に搭載された、最終決戦兵器。素材とした魔核の特性に従い、強烈な魔法行使を可能とする。魔術の極致とされる魔導を、竜の魔核によって魔術を行使するだけのフィアが使えたのは、火竜の魔核の潜在能力と、それを魔装解錠のシステムに落とし込んだマスター・ジーンの才覚のおかげだ。

 ただ、強大な力の代償として、魔装解錠を行えば魔装乙女の人間的な部分が侵食を受けていく。わずかに残った生前の記憶が消えるだけならマシな方で、魔核はやがて人格を飲み込み、魔装乙女を人間大の魔獣に変える。

 ゼクスは、かつてのフィアを守ってくれた存在は、氷竜に対抗するために魔装解錠を使いすぎ、理性を欠いた無謀な戦闘の果て、氷竜と相打ちに終わったのだ。


 そんな魔装解錠を見せてくれとせがむアハトに、しかし悪意はないのだろうとフィアは思う。彼女はほかの魔装乙女が魔装解錠を使い、傷つくさまを見たことがないのだ。


「何? もしかして、私が魔獣になりかけて苦しむさまが見たいの、アハトは」

「え……。あぁ、いえ! もちろん、そんなわけないじゃないですか! あはは」

「……」

「えと、ごめんなさい。もしかして、怒らせちゃいました?」

「怒ってはないわよ。ただ――」

「ただ?」

「いえ、何でもないわ」


 フィアはぎこちない笑顔で、手を振った。自分の手元に届いていた料理の存在を今思い出したとばかり、ナイフとフォークを手に取って、食事を始める。

 焦げ目のついたチーズがとろりとかかった、鮭のムニエル。色味を添えるパセリを蹴散らして、ナイフでチーズを塗り広げる。そして、フォークで刺したムニエルにナイフを立てると、まるで抵抗を感じさせずにふわりと裂けた。立ち上る湯気が、フィアの鼻元をくすぐる。

 口に入れてみて、フィアはやはりという感想を持つ。やはり、この繊細な味付けは、自分にはよくわからなかった。あのデプンクトの煮物のような、大胆でいて素朴な、わかりやすい味が良かった。

 これも生前の暮らしが影響しているのかとも思うが、欠損した記憶ではよくわからない。


「実際」


 恐る恐ると言った様子のアハトが、パフェに隠れようとするような様子で口を開いた。


「お姉様の記憶は、どのくらい残っているのですか?」

「どれくらい?」

「ほら、人格の侵食が起こるのは、人格の礎となっている記憶が侵食されきってからだって。マスターが言ってたじゃないですか」

「別にそんな、言い訳しなくたっていいわよ」


 少し聞き返しただけで早口にまくしたてるアハトが可愛くて、フィアはその頭をなでた。水色の髪がしゅるしゅると手の下で流れ、アハトはくすぐったそうに目を細める。妹がいればこんな感じなのだろうと、ふっと思ってしまって。


「そうね。もう、次に魔装解錠をすれば記憶はなくなってしまうんでしょうね」


 恐ろしくなって、フィアはぱっと手を放した。アハトは残念そうな声を漏らすが、それだけだった。「わかりました」とだけ言って、目の前のパフェとの格闘に戻る。フィアは自分の赤い夢についてアハトに話したことがあったから。聡いアハトにはそれだけで察しがついたのだ。

 ノインがそんな様子をじっと見ていた。ステーキを食べ終わったわけでもないのに、フォークを握りしめたままフィアのことをじっと見ている。


「どうしたの。飽きた?」

「うー。ちがうけど」


 ノインはまっすぐにフィアを見つめていた。銀色の髪を長く伸ばした、外見で言えばだれよりも女性らしい少女。


「きおくって、そんなに大事? ノインは、マスターがいればそれでいいけどなぁ」


 言うだけ言って、ノインもステーキを食べることに戻ってしまう。「そんなに魔装解錠が見たいなら自分ですればいいのに」「アハトの魔装解錠なんて、見ても面白いもんじゃないですよ」そんな会話をフィアは聞き流す。

 誰もが食事をしていて、それが当たり前の空間で、フィアだけがそれをしていない。フォークはこつんこつんと皿を叩き、おなかはすいているのに、どうしてか食事を口に入れる気が起きない。ひどくめんどくさくて、必要性を感じなかった。


 ――なぜ、自分は忌子を逃がしたのか。


 することがなくて、それだけに、余計な思考が走る。なぜ自分が魔装解錠をしたのか。魔装解錠までしておいて、そこまでしておいてなぜ忌子を逃したのか。よくわからない。よくわからない自分が自分の中に生まれていることだけがわかる。

 迷走する思考を押し流したくて、ようやくフィアは、目の前の食事を食べ始めた。


 ◇◆◇


「うー。ねぇこれ、動きづらい」

「そんなのは当たり前です! おしゃれは我慢。アハトが夏場、どれだけブールの中が群れるのを我慢してると思ってるんですか?!」

「しらないよー……」


 フィアはアハトに連れられるまま、服飾店へとやってきていた。口八丁でそれらしい衣服を売りつけようとする店員はすでに置き去りにして、アハトは試着室の前、山と積み上げた商品の数々をノインに着せては脱がし、脱がしては着せていく。

 今回の衣装は、アハトのチョイスにしては珍しく清楚なワンピースだ。控えめな刺繍が上品さを演出し、ノインの流れるような銀髪によく似合う。アハトはその様を顎に手を当ててじっくりと眺めている。奴隷市で好みの女を探す、いやらしい金持ちの目つきだ。


「どう思います。お姉様」

「あぁ、いいんじゃない?」

「そうですよね。やっぱり、おっきいおっぱいっていいですよね」

「何その巧妙な罠」


 一瞬で巻き添えを食らい、変態の仲間入りを果たすフィアだった。フードの裾を引っ張って、なるべく顔を隠す。

 だが実際、フィアの目から見てもノインは豊満な胸元をしている。普段は冒険者よろしく防具を身に着けているから目立たないのだが、その抑えがなくなると途端に目立つ。特にワンピースは、身体のラインが出るから尚更だ。当の本人はまったく頓着がなくて、防具を身に着けるときに「きゅうくつでヤダ」と駄々をこねるくらいだが。

 やはり、ノインは女性として外見的な魅力がある。アハトの傍若無人な振る舞いに迷惑そうな顔をしている店員も、ノインが試着室のカーテンから現れるときだけはアハトと似たような目つきをしていた。

 フィアはどうも、布一枚のあまりにひらひらとした着心地が落ち着かないらしく、しきりに体をひねっては、裾をつまみ上げる。


「そんなにおしゃれが好きなら、アハトが自分で着替えればいいのにー」

「もちろん、やりますけど! アハトとノインちゃんとじゃ、似合う服が違いますからね」

「あぁ、確かに」


 口をとがらせるノインへの、アハトの返答。その下に隠した事実に思い至り、フィアは先ほどの仕返しとして言ってやる。


「アハトは、すっとんとんだものね」

「お、お姉様……?」


 この世の終わりみたいな声を上げたアハトは、空気が引っかかる起伏すらないのか、音もたてずに床にへたり込んだ。

 平均的な成人前の娘としての身体を持つノインに対して、アハトは身長もなければいろんなところの厚みもない。まさにすっとんとん。おそらく、魔装乙女になる前の肉体年齢がそもそも低いのだろうが、かなしいかな、魔装乙女になった時点で肉体の成長は止まっている。彼女は永遠のすっとんとんなのだ。

 それゆえ、彼女の絶望は男子はもとい、いかな女性でも想像ができないだろう。アハトの悔しさは涙となって滲みだす。


「うぅっ、ぐふう……。そんな、お姉様は顔を埋めることができるようなましゅまろおっぱいにしか興味がない、えっちなおじさんを心に飼ったような女性だったなんて」

「ちょっと。誰もそこまで言ってないわよ」

「言いました! 女性としてのぬくもりがない。もはや貧乳を通り越して抉れてる。お胸と背中がくっつくぞって!」

「……はぁ」


 泣きじゃくりながら大声で主張するアハト。いかな役者とてこうはいかない。こうも存在しない非を並べ立てられるのは、どちらかといえば詐欺師。

 フィアは頭を抱えた。そも、目立つことを嫌うフィアだから、この周りの視線が集まる状況は居心地が悪くてしょうがない。仕方なしと、アハトを慰めようと身をかがめるのだが、それが彼女の間違いだ。

 さめざめと顔を覆う手の隙間で、アハトの瞳がきらりと光る。


「隙あり!」

「えっ? ――きゃっ!」


 常では考えられない、高い悲鳴を上げるフィア。かがみこんで咄嗟の身動きのとりにくくなったフィアに、まるで蛇のようにアハトが絡みついたのだ。その手がいやらしくフィアの身体を這い、普段はローブに隠されてわかりにくいフィアのシルエットをはっきりさせていく。


「ちょ、ちょっと。ノイン、やめさせなさい!」

「えー。たのしそーだけど」

「そんなわけ――ひあっ!」


 フードを避けて、耳元に息を吹きかけられ。フィアの背筋が跳ねる。それでもフードをめくりきらないようにしているのは、配慮というのか。

 どちらにせよ、いよいよアハトの手は彼女の欲望のままに動き出す。鎖帷子を着込んだフィアだから、彼女の手にはごつごつとした感覚しかないはずのだが。変態とは、ただ肉の感触を求めるのではない。それならば、豚肉でも買ってきて魔術で人の形に成型し、それをもむだけでいいのだ。彼女はあくまで、フィアの生娘らしい反応を楽しんでいる。


「お姉様がっ、いけないんですからね! お姉様がっ、アハトを怒らせるから!」

「謝る。謝るから!」

「ふへへ。もう遅いんですよ! もう誰も、アハトの欲望を止めることはできないのです!」


 涎を垂らし、一般には美少女とされる顔を台無しにしたアハトの手が、ついにフィアの胸部に迫る。慎ましやかな胸元は別に触られたって減るものではないが、この変態じみた少女に触られると、何か大事なものがなくなる気がして。危機感により多少の思考を取り戻したフィアが、冷静に肘撃ちを後背のアハトにお見舞いする。


「ぐえっ」


 柔らかい感触。どうやら、脇腹へきれいに入ってしまったらしい。

 悶絶するアハトに、一抹の申し訳なさを感じるフィアだが、これで手を差し伸べては元の木阿弥だ。ローブの乱れを正し、店の出口へ足先を向ける。


「外で待ってるから。気が済んだら出てきてちょうだい」

「はい、お姉様……」


 ノインに気遣われながら、苦し気に呻くアハト。

 フィアは色とりどりの衣服を品定めする裕福そうな娘たちの間を縫って、店を出ていく。アハトはきっと、生きていたころはこういった娘たちのうちの一人だったのだろうと、フィアは思った。あるいは、もっと身分の高い、貴族の娘。氷竜が襲った舞踏会にいたということは、そういうことだ。

 店の外に出る。以前、デミオンに帰ってきたときから、一か月は過ぎた。街に吹く夕方の風は秋の気配を伴い、フィアの頬を涼やかに撫でる。店のショーウインドウに並ぶのは、暖かそうな出で立ち。

 フィアは、アハトになる前の少女の首を裂いた時を思い出す。氷の竜の冷気の中で、フィアは彼女のドレスを真っ赤に染めた。


「何を、覚えているのかしらね」


 フィアの赤い夢を、アハトに語って聞かせたことはあっても。アハトにどんな記憶が残っているのか、フィアは聞いたことがなかった。

 おそらく、自分の最期の瞬間ではないのだとフィアは思う。もしそうであるのならば、アハトがあんなにも自分を慕ってくれる理由がわからないからだ。もしかしたら、ゼクスと二人で現れたところだけを覚えていて、フィアは都合の良いことに英雄か何かになっているのかもしれない。それこそ、あの劇のように。

 だとすれば、それはもう申し訳ないなんて言う言葉では収まらない。きっと、地獄に落ちたそのうえで、一生付きまとう罪悪だ。

 それでも彼女を拒む気は起きず、むしろ好ましく思うのはなぜか。フィアは一度フードを外し、髪をかき上げた。くすんだ赤髪は、あの水色の髪と違ってすこし、手に絡んだ。


 ため息をついた。ショウケースにもたれる。

 どうであるにせよ、彼女はあくまで自分と同じ立場にいるだけで、他人なのだ。お姉様と慕ってきたところで本当の妹ではないし、ならば、フィアが彼女の深いところに立ち入る権利もない。

 フィアは街の通りに視線を置いた。どこを見るでもなく、人通りに視線をさらわれるまま、時間を潰す。秋、収穫祭の迫る季節。どこか浮足立った人々の会話の声は大きくて、そこから他人の生活を覗き見ることには、俗っぽい楽しみがある。フィアがそうして、時間を無為に過ごしていると。


「魔装乙女って、聞いたことあるか」


 そんな声が耳に入った。また氷竜事件か、あるいはデプンクトでの話が噂となって流れたか。教会騎士もいる街に、あれだけの魔獣がはいりこんだのならば、辺鄙な街のうわさでも届くのかと意外に思った。

 少女には似合わない、武骨な黒い魔装をぶら下げる彼女たちだ。噂になるのは慣れている。それでも、フィアは不思議な引っ掛かりを覚える。時間だけはあったから、何度もそれを反芻して。そして、気づいた。


 彼らは魔装乙女という呼称を知っている。


 フィアはガラスにもたれていた身体を起こした。

 今まで、デミオンで氷竜事件の当事者として知られても、デプンクトの人々に広く存在を認知されても、彼女を魔装乙女と呼ぶ者はいなかった。それはそうだ。魔装乙女の正体は秘密裏に行われる不老不死の研究であり、しかも、この国で広く信仰を集める魔物殺しの女神に言わせれば、禁忌そのものの存在。誰がその名を広めるというのか。

 だのに、庶民の会話で、魔装乙女という言葉が現れる。


 誰がその名を広めたというのか。

 フィアには皆目見当もつかない。意図が読めない。ただ、何か根本的な部分で自分たちの扱いが変わろうとしているのかもしれない。そんな不安が冷や汗として、魔装の縁をなぞった。

 普段の彼女なら、冷静にもなれただろう。今の、忌子を逃がした彼女には、その不安は大きすぎる。

 気づけば、フィアはマスター・ジーンのいる墓所へ駆け出していた。

【Tips】ウルトラパーフェクトサンデー鬼盛りデラックスプレミアム


シェフの気まぐれ、もとい悪ふざけ。上流階級では誰も食べるわけがない、本当のメガ盛り。メガすぎて目が点になる。

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