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魔装乙女は死にきれない  作者: 浜能来
第一章 リビングデッド
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第一話 魔装乙女

 赤い夢を見る。私に唯一残された、最後の夢だ。

 それは、きっと炎の赤で、怒りの赤で、私の罪の赤さで。

 見るたびに赤く染まっていくその夢を、私は大事に抱えている。


 ◇◆◇


 その少女は、森の中を走る。

 亜麻色の髪をした少女だ。質素な麻の服は、彼女がただの村娘であることを示していた。

 森は、彼女にとって遊び場みたいなものだった。村のすぐそばにあるこの森には、危険な生き物もいるけれど、そんなものは両親に口酸っぱく注意されて知り尽くしている。逞しく、がさついた木々の肌も、目の前を忙しなく舞う虫たちも、手の中にぎゅっと握った薬草も。彼女にとっては見慣れたものだ。

 ただひとつ、彼女を追うその存在だけが見たことのない存在であり、ただその存在一つが、森を恐ろしい場所に変えてしまっている。


 めきめき、ばりばりと。背筋の凍る破壊音。


 獣が迫る。馬蹄が森の大地を踏み荒らし、その巨躯が木々をなぎ倒す。

 あれはおよそ動物などではなく、魔獣だと。少女にすら理解できた。

 暴風を伴うその魔獣は、麒麟。風の魔法で際限なく加速する、突風の化身。


「はぁっ、はぁっ……!」


 少女は賢かった。きっと、障害物がなければ自分などすぐに捕まってしまうのだろうと、樹木の密度が濃い方へと走っていた。

 樹木の間を縫うように進むうち、彼女の手は樹木の肌に傷つけられ、血が滲んでいる。飛び出した枝葉が彼女の頬を切り裂き、口の中に入り込む羽虫。それでも、死を感じさせる魔法の風が、彼女の足を止めさせない。


 少女は自分の手に持った薬草を見る。

 そも、魔獣が出るかもしれないとは知っていた。最近村の周囲に現れ始めた魔物は、魔獣の前兆だと大人たちが言っていた。それでも、少女にはこの薬草が必要だったのだ。

 なぜなら、彼女の父親は魔物に襲われ、生死の境で苦しんでいるのだから。

 彼女は目の端に滲んだ涙をぬぐった。胸の底から、新たな勇気が湧いてくる。


 その勇気こそ、彼女に不用意な一歩を踏ませる原因だった。


「きゃっ?!」


 少女は森の地面に転がった。地面から張り出した木の根に躓いたのだ。

 ごつごつとした地面を転がり、背中を木の幹にぶつけたことで止まる。痛みに呻く彼女の前で、死の暴風がピタリとやんだ。


「あぁ……」


 体を起こした彼女の目の前に、麒麟がいた。竜の鱗に覆われた馬ずらが、鼻を鳴らして少女を品定めしている。彼女を包む生暖かい鼻息。恐怖に固まる彼女の眼には、口元にのぞく鋭利な牙が映っていた。

 少女の足元に、暖かな液体が流れた。自分が小便を漏らしたのだと自覚して、少女は本能的にあきらめてしまった自分を悟る。自分はこの魔獣から逃げきることはできないのだ。

 麒麟は満足げに鼻を鳴らし、一度顔を放す。涎を垂らす口元は、その次の瞬間には少女へ食らいつくのだろう。少女は自然と、薬草を握ったままの手を、胸の前で合わせた。


「あぁ、神様」


 立ち向かうのでないのなら、目を開く必要もなく。彼女は視界から魔獣を消せばいなくなるだろうとばかり、ぎゅっと目を瞑る。

 そして、魔獣を殺し、魔物を殺し、人に生きる土地を与えたとされる神に祈る。


「どうか、私をお助けください」


 迫る、麒麟の気配。祈りは祈りでしかなく。一筋の涙。


 その涙が流れ落ちてなお、少女に死は訪れなかった。不安と疑問の中で、少女は恐る恐る目を開く。麒麟は首をたて、どこか少女とは別の方向を見ているのだった。助かったのだろうかと、少女は期待するが、しかし麒麟はどこかへいなくなるわけでもなく。

 少女はじっと、食い入るように森の奥を眺める麒麟を見つめているしかなかった。そして、ふと思った。もしかして、この麒麟も私と同じに、何かにおびえているのかと。


 そして、声がやってきた。


「ねー、アハトちゃーん。ほんとにこっちであってるー?」

「なんですか、疑うんですか? こんなに可愛いアハトの言うことが信じられないのなら、別に一人でどっか行ってもいいんですよ。アハトとお姉様が二人きりになれるので!」

「まったく……。騒ぐなら、私は二人とも置いて行ってもいいんだけど」

「あー! フィアのいじわる! ひどい!」

「そうですお姉様! アハト、寂しくて死んじゃうんですけど?!」

「あんたたちねぇ……!」


 まるで、収穫祭にはしゃぐ仲の良い女の子たちのような姦しさが、静まり返った森の中に響く。それは、麒麟の見やる方向から聞こえてくる。

 少女は、魔獣もおびえているのではと考えた自分がばかばかしくなる。きっと、もっといい獲物を見つけたから、そちらに注意を向けただけなのだ。今のうちに逃げるしかない。

 麒麟は、いよいよ接近してくるその声に、低く唸りを上げ始めた。魔法の風が再び吹き始め、少女がこっそり足元を抜け出しても、気づく気配がない。

 少女は走り出したくなる足を必死に抑え、抜き足差し足、麒麟から距離を取っていく。これで、自分は助かり、父親に薬草を届けることができる。父親は怪我から快復し、魔獣もおなかが膨れて帰ってくれるかもしれない。そして、私は今まで通りの生活に戻れるのだ。


 だがその時、あの子たちは――


「あー! お馬さん! ほらフィア、お馬さんだよ!」


 少女が足を止めたタイミングと、声の正体が現れるタイミングはほぼ同じだった。


 二人組の少女たちだった。

 最初に現れ、あまつさえ魔獣を「お馬さん」と呼んだ少女は、腰まで届く長い銀髪をしている。冒険者然としたそのいでたちに、黒い装甲に包まれた武骨な右腕。天真爛漫な表情には似つかわしくない。


「ノイン。どう見ても魔獣でしょ。ふざけてると痛い目を見るわよ」


 そんな彼女、ノインをたしなめるように、二人目の少女、フィアが木の陰から現れる。夏場だというのに、全身を厚手のローブで覆い、顔もうかがい知ることができない。凛と通る声から、女性だとはうかがい知れる。人に注意を促すわりに、無防備に現れるものだから、亜麻色の髪の少女はひやひやとする。


 敵が現れ、麒麟はいななきを強めた。その剛脚が力をためるように地面をけり、暴風がその身を包む。少女は先ほどまで自分を追い回していた恐怖を思い出し、身がすくんだ。

 きっとあの子たちは、その恐怖を知らないのだ。まだ麒麟とあの子たちの間には距離があり、木々の群れが麒麟の巨躯の突進を阻んでくれると考えている。それはすべて、何の当てにもならないというのに。

 きっと今に、人が死ぬのだ。無垢な少女には、それは自分が死ぬのと同じくらい怖かった。


「逃げて!」


 思わず叫んだ。けれども遅い。

 麒麟はすでに突進を始めていた。

 棒切れのように木々が跳ね飛ばされ、地面の悲鳴のような馬蹄音(あしおと)

 今まさに少女たちを跳ね飛ばす!


「魔術壁・雪花」


 しかし、麒麟の暴風はかき消された。突如現れた麒麟の体躯をも上回る氷壁が、その突進をはじき返したのだ。役目を終えた氷壁は雪が降るように砕け散り、ひるんだ麒麟だけが残る。その体がやにわに浮き上がり、元いた位置まで吹き飛んでくる。巻き上がる土煙と木の葉の中で、亜麻色の少女は確かに、蹴りを放った姿勢のノインを見た。


「氷竜の尾よ。醜きことこそ罪なれば。その美しきによる戒めを、せめてもの慈悲として与えたもう」


 そして、氷壁が現れたときに聞こえた声が、少女の背後で聞こえる。


「魔術鎖・霜柱」


 言葉が告げるなり、空中から現れた無数の鎖が、倒れ伏した麒麟を拘束していく。ひりひりとした冷気は、その鎖までも氷でできていることを示しており、麒麟がいくらもがこうと、その鎖は砕ける気配を見せなかった。

 のたうつ麒麟に、少女が後ずさりをすると、背中にとんとぶつかる気配。


「はーい。忌子ちゃん捕獲ぅー」


 足払いをかけられ、引き倒される。水色の髪を二つに結んだ、愛らしい少女だった。異物感の強い、左目につけられた黒鉄の眼帯は、どうも骨格にそのまま埋め込まれている様相で、その痛ましさに亜麻色の少女はついと目を背けた。その様に、水色の少女の眼帯につけられたクリスタルチャームが、不機嫌そうにきらりと揺れた。


「……まぁ、いいです。お姉様の魔法が見られるもんで、今日のアハトは機嫌がいいですからね」


 言葉とは裏腹に、アハトの少女を拘束する力は強くなっていたのだが、少女はあえてそれを口に出すことはしなかった。それよりも、できなかった。アハトが「お前も見ろ」とばかりに頭を持ち上げられて見せられたものに、目を奪われたのだ。


 麒麟がなぎ倒した木々の中を、まるで神話の開拓者のように歩く、フィアと呼ばれたローブの少女。


「告げる。其は蹂躙者。あらゆる他を圧し、あらゆる他に疎まれるもの」


 おもむろにローブを外す。現れる、短く切りそろえられた、くすんだ赤毛。右目はアハトのように黒鉄の眼帯が埋め込まれ、そこに赤い炎が灯る。

 それは、暗闇に灯る松明のように儚げで、しかし手を伸ばさずにはいられない煌めきで。


「さらば、焼き焦がせ。もはや、愛や友誼も焼け落ちた」


 フィアのかざす手が、麒麟に向かう。魔術など知らない少女にも、魔力の高まりが生存本能で理解できる。


「何をも持たぬ虚しき王よ。さあ、最期に己をくべよ」


 もがいていた麒麟すら、その炎にあがくことを諦める。


詠唱四節(クアドラプル)焼け落ちよ、我情の君(エンド・クリムゾン)


 瞬間、麒麟のいたところに地獄の業火が幻出した。

 周囲の木々を溶かすように燃やし、しかし延焼はせず、対象だけを燃やしつつ魔術の炎熱。麒麟の断末魔すら聞こえることはない。断末魔を上げる暇すらなかったのだろうと確信できた。火葬はやがて終わり、最初からそこになかったかのように火炎は消えさる。その空白を埋めるように、中途半端に焼けた木々が折り重なるようにして倒れこんだ。

 少女はそこまで見届けて、ようやく息を大きく吸った。あまりの出来事に、呼吸すら忘れていた。鼻の奥にむず痒い灰の匂いが、自分を追いかけまわした驚異の消失を告げている。

 ずび。少女は鼻をすすった。安心が涙になってあふれ出していた。


「あの、ありがとうございました」

「え、なんですかいきなり」

「なんですかって、助けてくれたんですよね」

「……あぁ、そういうことですか。別に気にしなくていいんですよ。アハトたちはこれが仕事なんで」


 少女はアハトに礼を告げる。きっと彼女は、自分が変に逃げまどって、あの魔術の餌食になるのを防いでくれていたのだろう。先ほどの魔術にうっとりとした様子だったアハトは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにこともなげに返事をした。少女が「もう落ち着きましたから」と告げると、アハトは少女を地面に押さえつけるのをやめた。

 少女が立ち上がると、ちょうどフィアがローブのフードを被り直し、こちらに歩み寄ってくるところだった。ノインはそんな彼女に追いついて、二言三言声を交わした後、麒麟を倒した跡地へとかけていった。


「あのっ!」


 少女は、フィアに自分から声をかけた。もちろん、彼女にも礼を伝えるためだったのだが、つい声が上ずってしまう。まさか、祈りを聞いて駆けつけてくれた神の使途ではないだろうが、あの強大な麒麟をあっけなく倒して見せたフィアが、少女には英雄にしか見えなかった。

 少女は自分の口をはっと押えて、フィアの様子をうかがう。その大人びた美貌には、困惑が現れていた。


「ちょっとちょっと! アハトのお姉様に気安く話しかけないでもらえます?」


 少女が次の言葉に迷ううちに、アハトが割り込んでくる。


「いや別に、アハトのではないんだけど……」

「だとしても! 一仕事を果たした可愛いアハトを差し置いてなんて!」

「あぁ、はいはい。わかったから」


 どうやら、これがいつものやり取りらしいと、少女には察せられた。ため息をついたフィアが、ぞんざいにアハトの頭をなでてやりながら、彼女を押しのける。


「で、何かしら。できれば、手短に済ませてほしいんだけど」


 そして、改めて少女に声をかけた。少女は舞い上がった。素直な感謝の言葉や、彼女の魔術をたたえる言葉が次々と頭に浮かび、何を言うべきかまとまりがつかない。全部言ってしまえとも思うのだが、手短にと言われた手前、それもはばかられる。ただ、興奮というものはそれで抑えきれるものでもなく。


「あの、ありがとうございました! とってもすごかったです!」


 結局、出てきたのはそんな陳腐な言葉だけだった。自分の表現の拙さに少女が顔を赤くする。なぜかアハトが得意げにうなずいているが、肝心のフィアが微妙な顔をしていて、それが残念でならなかった。


「どうも。だけどね――」

「えっと、さっきのちがくて」


 だから、言いなおそうとしたその時に、少女は風を感じた。

 先ほどまで吹き荒れていた魔法の風と、同じ風のように少女は思えて、しかしあの魔獣は倒れたはず。少女は村の大人たちが言っていたことを思い出した。魔物は自分たちで相手ができても、魔獣は無理だろうと。なぜなら、魔獣たちは、魔核にまで攻撃を届かせない限り、不死身だからと。

 何かがごろごろと転がってくる。銀色のものがごろごろと。


 それは、フィアの足に当たって止まる。ノインの生首だった。


「あー? もしかしてワタシ、やっちゃった?」


 そして、その生首がしゃべったのだ。

 少女の腰が抜けた。今日一日で、彼女にとっては知らないことが起こりすぎている。


「だから、魔核は生きているから注意しなさいって。アハト、頼める?」

「もっちろん。世界一可愛いアハトちゃんは、お姉様のためなら何でもできますとも」


 アハトとフィアは当たり前のように対処していた。アハトが生首を抱えて走り去り、フィアが少女の前にしゃがみこんだ。顔が近づき、顔の一部に金属の埋め込まれた、人ならざるおぞましさ。


「ごめんなさいね。だけど、私たちも人間ではないから」


 感情を殺したブラウンの瞳に、少女が映りこむ。


「だから、ごめんなさいね。私たちのために、地獄に落ちて」


 フィアがローブに包まれた腕を振り、その裾の中に金属の煌めき。首筋に熱を感じて、少女の意識は、そのまま落ちていった。


 ◇◆◇


「こっちは終わったわ。ノイン、そっちは?」

「えぇ、ばっちりです!」


 今回の標的である少女が息絶えるのを見届けて、フィアは立ち上がった。振り返ると、アハトは氷漬けにしたエメラルド色の宝石をもって駆け寄ってくるところだった。その後ろから、ふらふらと頼りない足取りでノインが歩いてくる。


「まってよー。首つなげたばっかだと、うまく体がうごかないんだからー」

「我慢してください! もう、魔核を壊すまで魔獣が死んでいないことなんて、魔装乙女であるアハトたちが一番知ってるじゃないですか!」

「だからワタシ、フィアに言われたとおり、見つけるだけ見つけてアハトのことまってたのにー」


 ぶーぶー言い合う二人は、まるで片方が死にかけたようには見えないし、今ここで、人が一人死んだ後だとも思わせなかった。けれど、フィアは足元の死体を見やる、確かに自分は今、一人の人間を殺したのだ。

 この少女が忌子と呼ばれる存在で、存在するだけで魔物を引き寄せるはた迷惑な存在でも、フィアが人間を一人殺したことには変わらない。


「うわーん! ふぃあ~! アハトがひどいんだー」

「ちょっ……! 危ないでしょノイン!」


 不意に、ノインがタックルまがいの抱き着きをしてきて、慌ててフィアは身をよじった。足元の死体を踏みつけるところだった。なんとか無事にノインを着地させ、フィアは一息をつく。そして、ノインに死体を担いでもらう。彼女はまるで麻袋を担ぎ上げるように、軽々と持ち上げた。


「お姉様?」


 フィアの隣からひょこっと顔を出し、アハトは上目遣いに言う。


「終わりましたね。仕事が」

「えぇ、そうね。仕事が、終わったわ」


 フードを目深にかぶりなおしてのフィアの返事。アハトは微笑みを返した。早く早くと、そんな二人をノインが示す。

 彼女たちは、魔装乙女。魔なるをその身に宿し、魔なるを討ち、新たな生贄を求め続ける、死にきれない少女たち。

【Tips】魔装乙女


魔核を身に宿すことで不死性を獲得した少女たち。その魔装乙女という呼称こそ知られていないが、魔獣を殺す、いかつい黒金の装甲を身につけた彼女らの噂は、確実に存在する。

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