VSはぐれオーク
木を躱し、茂みを飛び越え、走りながらも音を最小限に抑えるよう気を配る。
視界が開ける一歩手前で身を屈め、木を影にしてその先を覗き込んだ。
「……あれは」
大柄な二足歩行の影は人の形をしていない。でっぷりとした輪郭に醜い豚の顔。腰蓑に木と石でできた槍を持っている。豚の魔物だ。
その視線の先には女の子が二人、身を寄せ合って縮こまっていた。
「待てと言っておろうがっ!」
「あいてっ!?」
後ろから追いついてきたリリスに後頭部をどつかれた。痛い。
豚の魔物を見たモーちゃんが興奮したようにモーモー鳴き、俺と同じように木陰から様子を伺ったリリスがフンッ、と鼻を鳴らした。
「オークじゃな。一匹でいるところを見るとどうやらはぐれのようじゃ」
「はぐれ、オーク……」
あとで聞いた話だが、オークは群れになると数匹で活動するのが普通らしい。
「オークは人間の男は殺し、女は連れ去って種の母体とする……ま、言ってる意味は分かるじゃろ?」
つまらなさそうに説明するリリスに俺は息を呑んだ。
よく見ればはぐれオークの手には引き千切られた布がある。うずくまっている女の子の物だろうか。あのはぐれオークは女の子を押し倒そうとしているのだ。
「助けなきゃ……」
「どうやってじゃ? 言っとくが、半端な人間ではオークを倒せぬぞ? あっさり殺されるのがオチじゃ」
リリスがニヤリと笑う。
「でも、リリスなら……」
「今の妾では難しいのう。あの小娘どもを巻き込んでもいいなら話は別じゃが……」
オークと女の子達を引き離さなければならないという事らしい。
「分かった。俺が注意を引きつける」
どのみち女の子達を見捨てる事はできない。
俺とリリスが力を合わせれば、なんとかなる……ハズだ。そう思っていたら、横で興奮したモーちゃんが自己主張するように一声鳴いた。その目には、闘志が漲っていた。
「どうやら、あのはぐれオークはモーの敵らしいな」
リリスの言葉に戦う理由が増えた。
「よし……」
なんとしてでも女の子達を救出して、モーちゃんの親の敵討ちを果たす。
なんとかなるだろ、多分。めっちゃ怖いけど。豚ってあんな凶悪な顔してたっけ?
思わずブルっちまってる俺を見たリリスがため息を吐いた。
「やるなら気を失わぬようにな。そうすれば【不死性】のスキルでなんとかなるじゃろ」
「……やってやる」
俺は自分に言い聞かせて茂みを越えた。モーちゃんが後ろをついてくる。
リリスの言葉を信じるなら、俺は死なない。滅茶苦茶痛そうだけど。だが、女の子を見捨てるくらいなら痛い方がマシだ。命の保証はされているのだ。
俺とモーちゃんは動けない女の子達の真反対に位置取った。
「おい、豚野郎!」
震えそうになる体を叱咤するように腹から声を出す。
女の子達に手を伸ばそうとしていたはぐれオークの動きが止まり、こちらを振り向いた。怖っ。
はぐれオークはそんな俺を大した脅威と見なかったのか、すぐに興味を失って女の子達に向き直った。
「くっそ……」
せめて先にこっちを狙ってくれれば、距離を稼げるのに。
はぐれオークに向かって走り出す事を一瞬躊躇った俺の前をモーちゃんが走り出した。勇敢過ぎるだろ、モーちゃん。
いや、モーちゃんからすれば親の敵なのだ。当たり前だ。負けじと俺も足に力を込めて走り出した。
勢いに乗ったモーちゃんがはぐれオークの尻に体当たりをかます。重量の差でモーちゃんの方が後ろに吹っ飛んだ。
効果はあったのか、はぐれオークはこちらに向き直った。
「ナイス、モーちゃん!」
だが、喜んでばかりもいられない。はぐれオークの手にした槍で突かれれば、モーちゃんは一溜まりもない。
「ドチクショーッ!!」
俺は破れかぶれではぐれオークに飛び込んだ。勝算なんかない。だが、相手が女の子を襲うオスの魔物だ。で、あればやる事は一つ。
懐に飛び込んだ俺は思いっきりはぐれオークの金的を蹴り上げた。鈍い感触が足に伝わって怖気が俺の背筋を走るが構ってなんかいられない。俺も必死だ。
「どうだ……!」
すぐに距離を置いてはぐれオークの様子を伺う。
はぐれオークは苦しげなうめき声を上げて膝をついた。よっしゃ、はぐれオークにも金的は効果絶大だ。
と、思った瞬間、はぐれオークは勢い良く立ち上がった。
「まっず……!」
魔物相手には金的ですら大したダメージにはならなかったらしい。
薙ぎ払われたはぐれオークの左腕が俺を襲う。咄嗟に頭を庇うが、はぐれオークの一撃は俺の胴体に当たって、俺を吹き飛ばした。
「うっ……がっ……」
ゴロゴロと草の上を転がってようやく止まる。
「いてぇ……」
なんとか体を起こそうとするが、うまく動かない。
痛みは徐々に収まってきているが、回復までには時間がかかりそうだ。
当然、はぐれオークが待ってくれる筈はない。
「ぐっ……」
腕に無理やり力を込めて体を起こそうと試みる。視界の端に駆け寄ってくるモーちゃんの姿が見えた。
(くるな、モーちゃん……!)
声を出そうとするが俺の口から漏れるのは掠れた呼吸音だけだ。口の中が血の味で満たされていた。
それでも、俺の視線に気付いたモーちゃんが足を止めた。
安堵したのも束の間、はぐれオークの影が俺の上に覆い被さる。
(やべぇ……!)
そう思った時には、はぐれオークが手にした槍を突き出していた。思ったより柔らかい音を立てて、粗末な槍が俺の腹部を貫く。
「……ぐふっ」
胃からこみ上げてくる感覚に抗えず、俺は吐いた。
真っ赤な血の塊が衣服と先の見えなくなった槍を濡らす。容易く背まで突き抜けた槍を思わず掴む。
はぐれオークは槍に俺を突き刺したまま、槍を高々と掲げた。遠くで女の子達の悲鳴が聞こえる。
痛い? 熱い? よく分からない。分かるのは喉を這い上がってくる血の感触だけ。やべぇ、死ぬ……?
眼下で気色悪い笑みを浮かべたはぐれオークが槍を揺らして俺を見上げていた。
くそ……なんか、腹立つ……
その腐った笑みを浮かべながら女の子を襲おうとしてたのか?
そんでいま、俺を釣り上げて勝ち誇っているのか?
ムカつく。めっちゃ、ムカつく!
我知らず、手に力が篭っていた。
腹を貫かれ、普通なら死んでもおかしくないような傷を負わされているにも関わらず。俺の体は力を失っていない。どころか、怒りが増すにつれ、槍を摑む手にだんだん力が篭っていく。
「うっ……ガアァァァァ!」
自分でも驚くような雄叫びを上げて、俺は槍を摑む手に全力を注いだ。粗末な槍がその力でバキリと音を立てて折れる。
驚きに表情を歪めるはぐれオークの前に俺が落ちる。
槍を掴んでいた手が痛むが知ったこっちゃない。そのムカつく顔面、じゃがいもにしてやらぁ!
「ガァッ!」
口から血を吹き溢しながら、固めた拳をはぐれオークの土手っ腹に叩き込む。はぐれオークの体がくの字に折れた。
同時に嫌な音がして、俺の腕も折れた。だが、脳のリミッターが外れているせいか痛みは気にならない。
空いた手ではぐれオークを引きずり倒し、地面に叩きつけて、その顔面を思い切り蹴り飛ばした。今度は足から変な音がする。知るか!
「リリス!」
「ま、及第点かの」
俺の呼び声に応えたリリスは女の子達の前に陣取って、手をはぐれオークにかざしていた。俺も体を投げ出すように、はぐれオークから距離を取る。
リリスの掌の前に漆黒の炎が現れた。遅れてはぐれオークがノロノロと起き上がる。
「醜悪な豚が。丸焼きにしてくれる! 来たれ闇よ! 煉獄の炎で敵を焼き尽くせ!」
リリスの掌から放たれた炎がはぐれオークを包み込んだ。
はぐれオークは耳障りな声で絶叫し、のたうち回って、やがて動かなくなった。
「た、倒したか……」
動かなくなったはぐれオークを見て、一気に気が抜ける。
俺は大きく息を吐いて、その場に座り込んだ。




