子牛と契約と魔物
森の中をリリスと二人、進んでいく。
「ちょっ、ちょっと待てよ、リリス」
「なんじゃ、へばったのか?」
すいすい前を進むリリスが振り向く。
俺はといえば、ところどころ飛び出した木の根や茂みに邪魔されて歩き難い。
なんでか普段着用している靴を履いていたが、なかったらと思うとゾッとするな。
「いや、そんなに速く進まれると見失いそうで……」
「……小さい、と言いたいのか?」
俺の言葉を聞いたリリスが振り返り、頬を膨らませる。
当然、俺にそんなつもりはない。単純に森なんか歩き慣れてないだけだ。
「今は力を失いこんな姿じゃが、本来は目の覚めるような美女なんじゃぞ」
ぶつぶつ文句を言いながら歩き出すリリス。だからなんにも言ってないっての。
それからしばらく、木々を躱し、茂みを分けて進んでいるとリリスが立ち止まった。
「止まれ」
「なんだよ、いったい――」
尋ねる俺に、リリスが人差し指を口に当てて静かにするように促す。
リリスはジッと周囲の気配を探っているようだった。
「こっちじゃ……」
小声で囁いたリリスが静かに歩き出す。
その後ろを付いて歩くと俺の耳にも何かが聞こえてきた。
「動物……?」
「…………」
囁く俺にリリスが黙ったまま歩く。ややあって、少し開けた場所に出た。
そこで目にしたものに、俺は言葉を失った。
牛よりもややズングリとした毛の長い動物が横たわっており、その傍で同じ種類の子供と思われる動物が懸命に鳴き声を上げていた。
「これは、いったい……あっ、おい!」
呆気に取られる俺を置いて、リリスが動物達に近付いていく。俺もその後を慌てて追いかける。
俺達に気付いた動物が飛び退いて威嚇するように唸り声を上げた。リリスはそれを一瞥すると、黙ったまま横たわる動物の前で膝をついた。
「死んでおるな……」
「……そっか」
リリスの言葉に俺は肩を落として子供の方を見る。
俺達が危害を加えないと感じ取ったのだろうか、そいつはまた鳴き声を上げて動かぬ親に擦り寄った。なんだか居た堪れない。
横たわる動物と周りの様子を伺ったリリスが今度は俺の方に視線を向けた。
「トーゴ、見てみろ」
視線で横たわる動物を指すリリスに従って、俺も膝をついた。
「これ、って……」
横たわる動物の死体には見てすぐに分かる傷があった。何かで刺したような痕だ。
項垂れる動物の子を気遣うように撫でながら視線をリリスへ向ける。
「人間の仕業なのか?」
「違うじゃろうな」
リリスは否定すると俺を真っ直ぐ見返した。
「こ奴らはハーブオックスという幻獣じゃ。千年前と変わらなければ人間は幻獣や精霊を崇拝しておる。捕らえようという悪人がおったとしても殺す事はないじゃろう」
「じゃあ、一体誰が……」
「魔物じゃ」
「魔物……」
息を飲み込んだ俺の喉がゴクリと音を鳴らす。とうとう現れてしまったか。
「そこかしこに痕跡が残っておる……少々厄介じゃな」
今の俺達に戦う術はない。ここは気付かれる前に逃げるが勝ちだな。
「よし、行くぞ……」
立ち上がって歩き出そうとするリリスに俺は慌てて待ったをかけた。
「ちょちょちょ、ちょい待て!」
「なんじゃ?」
「この子は?」
俺がハーブオックスの子供を抱き寄せる。
「こんな危険な所にこんな小さな子供を置いていくのか?」
魔物との遭遇は御免だが、だからといって弱いモノを捨て置きたくない。
ハーブオックスはよく分かっていないのか、鼻先を俺の顔に近づけてクンクン匂いを嗅いでいる。
「あのな……」
リリスが面倒臭そうに長い髪を掻き上げた。
「そ奴は幻獣じゃ。己の付き従う者は自身で決める。ついて来ぬという事はそういう事じゃ」
「そんな事、言ったって……」
子供で分からないだけかもしれない。親の死体は見るからに新しい。今まで一緒にいたのなら、すぐに離れられないのも無理はない。
「…………」
俺は無言でハーブオックスを見た。腕の中で親と俺の顔を交互に見ている。
おそらく、リリスが正しい。
俺はこの世界の事は何も分からないし、幻獣だって「なにそれ?」って感じだ。だが、しかし。それで割り切れるほどクールにはなれない。
「なぁ、お前。俺と一緒に来いよ」
俺の言葉にハーブオックスは首を傾げた。分かってないみたいだ。しょうがないのか。俺はリリスだって放っておけない。どっちか選べと言われたら、リリス一択だ。そういう関係だ。
リリスはジッと待っててくれていた。
「そうか。そうだよな。お母さんの下をそんなに簡単に離れられないよな……」
俺は諦めた。この異世界の自然界で何が正しいのかなんて分からないけど。リリスの言うとおり、そういう事なのだ。
立ち上がって最後にもう一度ハーブオックスを見る。
ハーブオックスはジッと親の亡骸を見ていた。俺もその先に手を合わせようと、もう一度ハーブオックスの亡骸へ向き直った。
「…………?」
ハーブオックスの亡骸がキラキラと光を発していた。亡骸から立ち昇るように淡い緑色の光が溢れ出す。
「な、なんだ!?」
いきなりの事に驚いていると光は勢いを強め、ハーブオックスの亡骸が透けるように消えていった。
「…………」
目の前には亡骸から溢れ出た光だけが滞留している。
非現実的な光景に俺がポカンとしていると、光の粒子が動き出し、俺の周りを取り囲んだ。
「ちょっ……なに、なに!?」
俺の周りをグルグル回る淡い緑色の光。それは俺を中心に円を描いて、その先を小さなハーブオックスへと伸ばした。
光がハーブオックスの子供を優しく撫でる。その光に導かれ、ハーブオックスが俺の顔を見上げた。
光が模様を描き、俺とハーブオックスを取り囲む。
「ま、魔法陣……?」
「契約の魔法陣じゃ」
いつの間にか隣に立っていたリリスが教えてくれた。
「手を前に差し出せ。心でハーブオックスを迎え入れるよう念じるのじゃ」
「ん……」
手をハーブオックスへ差し出すと光がハーブオックスへと伸びた。ハーブオックスからも光が伸びて俺の光と繋がる。
囲っていた魔法陣が一瞬強い光を放ってから消えた。同時にハーブオックスから溢れ出た光も消えていく。
ハーブオックスの子供が俺の足元まで寄って来て見上げてきた。
よく見ると愛嬌のある顔だ。頭を撫でてやると気持ち良さそうに擦り寄ってきた。
「ふん。母親に託されてしまったのぅ……」
「そうなのか?」
「見たじゃろ? 幻獣の魔力の導きを。あれはお主と共に行けというメッセージのようなものじゃ」
呆れたようにため息をつくリリスに、自然と笑みを浮かべてしまう。
「だってさ、独りは寂しい、だろ?」
俺がそう言うとリリスは照れたように顔を背けた。
「ふん。とっとと名前をつけてやるのじゃ。そうすれば契約完了じゃ」
名前かぁ……
正直、すぐには思い付かんよなぁ……
「じゃあ、モーちゃんでどうだ?」
「モー? ……安直じゃのぅ」
「いいじゃん。呼びやすくて」
「せっかくならシャルロットとか、なんとかあるじゃろうに……」
「いいよな、モーちゃんで」
俺がハーブオックスに話し掛けるとハーブオックスは嬉しそうに「モー!」と鳴いた。うんうん、気に入ってくれたようだ。
「まぁ、よい。さっさと離れるぞ」
魔物が近くに潜んでいるかもしれない場所に長居は無用だ。
リリスに促されて俺達は足早にその場を後にしようとした。
「……っ!?」
遠くで人の声がした。ハッとなって顔を上げるとリリスもモーちゃんも気付いたようだ。
今のは、悲鳴か!
居ても立ってもいられず、走り出す。横をモーちゃんが懸命に追走してきた。
「ちょっ!? 待つのじゃ! ああ、もー!」
背後でリリスの呼び止める声が響いたが、俺達は止まらなかった。




