喚ばれた平凡少女さん
それは、ある日の夕方、大学からの帰り道。
ぼんやりとしていた意識が強制的にこちらに引き戻され、弾ける感覚。
あぁ、これはきっと死んだだろう。
イレギュラーのあまりネジが外れ、一周回って冷静になった頭がそう言った。
麻痺する感覚、声にならなかった声。
それが彼女の最期――になるはずだった。
――嫌だ……死にたくない
――それなら、僕と一緒に来るかい?
――あなたは誰、どこに行くの
――僕は……。
差し伸べられた手は、自分を救うものか、掬うものか。
どちらでもいい、もう一度やり直せるなら。
今度こそ私は。
木々が風に揺れ、音を立てる。
夜の森だ。最後にこんなところに来たのはいつ以来だろうか。
辺りは紫色に輝いている。少しして、それが自身が座り込んでいる地面から放たれているものだと気が付いた。
彼女と違い、まっすぐで長い、銀色のポニーテール。その毛先が小さく揺れた。
「あなたは誰」
「僕はオルシエル。君の召喚者――ネクロマンサーさ」
最期に聞いた声が、明るくそう告げた。
「私は浅木 芽亜。……オルシエル、さん、は、ネクロマンサー?」
「死霊召喚者ということさ。うーん、どこから説明すればいいか……。
そうだね、僕も正直、何から話せばわからない。だから質問タイムにしよう。君は何を聞きたい?」
「全部」
「まあそう言わずに、もっと具体的に」
「はぁ……。じゃあ、そうね。私は死んだのよね」
「そうだね、事故で即死。相手の不注意。残念だったねぇ、君は真面目に生きてきただろうにさ」
全く気の毒がっているような素振りも見せず、おどけた仕草で彼は嘲笑った。
「じゃあどうしてここにいるの、ここはあの世なの?」
「違うよ、ここは君の世界とは全く異なる世界。
君たちの世界は『物質の世界』と呼ばれている。魔力に恵まれていない代わりに、物質的な側面からアプローチし、大きく文化や生活レベルを向上させた世界。
ただ、異なる世界に働きかけるには魔力が必要不可欠だから、君達は僕らの世界のことを知らないだろう。
君達から見たこの世界は『魔法の世界』なのかなぁ」
何のことだかわからないが、大型トラックが突っ込んできた記憶はあるのだ。
ぼんやりしていた意識が現実に引き戻された。
一瞬の出来事だったが、あの記憶、あの衝撃。
あれが夢でもない限り、自分が死んでいるのは間違いないし、そうなれば自分がこうして話せているのはここが全く異なる世界だからかもしれなかった。
それに、最期のあの声。
――それなら、僕と一緒に来るかい?
――僕は……召喚者さ。
――まだ消えたくないと願うなら、僕の手をとるといいよ。
まだ消えたくないと願うなら。
その言葉に、躊躇いがちに手を伸ばした記憶。否、手というものがその時の私にあったかはわからないが、それはそれとして。
「つまり、私は死んで、あなたに召喚されてここにいるのね」
「そうだねぇ」
「それで、あなたの目的は何なの」
「目的?――そうだねぇ、悪霊退治を手伝ってほしい」
私こそが悪霊ではないの、と問うと、彼はまたおどけた仕草でへらりと笑った。
芽亜は幽霊、つまりアンデッドの一種だ。
どうやらこの世界には他にも幽霊がいて、アンデッドは生者に強くアンデッドに弱い、つまり、アンデッドはアンデッド相手に効果の高い攻撃ができるそうだ。
そして、ネクロマンサー、つまり死霊召喚者は契約している幽霊を誰にでも認知させることができたり、回復ができたりと、何かとサポートすることができるらしい。
それを活かして、悪霊退治稼業で儲けようという考えらしい。
「せっかくの能力だからねぇ、有効活用していかないと」
「まぁいいけど、戦わなければならないのでしょう? 負けたら私はどうなるの?」
「その死霊と契約しているネクロマンサーと、アンデッドのみ、幽霊を消滅させることができる。
つまり、君が悪霊に負けたら消滅する」
「つまり、死ぬってこと?」
「そうだね、通常通りの死だ」
「それって、死ぬ時期を遅らせただけじゃないの」
「へぇ、永遠の命が欲しかった?」
芽亜の口調を下回る低い温度の瞳が彼女を射抜く。
「別に」
ただ、この漠然とした満たされなさを埋めるには、時間が足りないような気がしただけに過ぎない。
森を抜け、ひたすらオルシエルについていくと、町に入った。
木でできた民家や商店らしき建物が並んでおり、道はしっかり綺麗な色合いに舗装されている。
ここは物質の世界ではなく魔法の世界だと言っていたが、案外栄えているようだった。
『果物屋 本日閉店』『魔法道具屋 定休日』不思議とこの世界の文字は読める。それもオルシエルの力なのだろうか。
さらについていくと、少し外れたところに入った。
こじんまりとした一軒の木造建築。オルシエルは扉へと歩を進めた。
彼が右手の手のひらを扉にかざすと、ドアが勝手に引かれ、中に入れるようになった。
「君にも僕の魔力の一部を注いである。君の魔力でも入れるから、また試してみるといいよ」
「魔法を、私が使えるの……?」
「そうだよ。……どしたの、なんかそわそわして」
「何でもないわ」
じゃあ箒に乗って空を飛んだり、手から炎や水を出したりなんてこともできるのだろうか。
オルシエルに言えば笑われそうだが、やはり心は踊る。夢を見ているような気持ちだ。
「ようこそ、ここが僕の自宅兼事務所だよ。そして、君の家でもある」
明るい笑みで招かれたそこは、どう見ても普通の民家だった。
「……どこで商談とかするの?」
「一階はキッチンやリビングと僕の自室、二階は君の部屋だから……地下?」
「怪しさ全開ね……」
「まあまあ、細かいことは気にしない。
地下に通じている入り口も裏にあるのさ。解錠して、誰でも入れるようにしておかないとね。
とりあえず今日は眠るといいよ。――あぁ、死んでる君はもう眠る必要なんてないのかな」
まただ。
物腰柔らかで気さくな男だが、時々嘲笑うような表情をする。
先ほどの発言も、悪意があるとしか思えない。
「あなたには感謝するけど、不快ね」
こちらだって、死にたくて死んだわけではない。だいたい、召喚しておいてなぜそのような言い方をするのか。
不快感を隠さず、指定された部屋に入った。
扉に手をかざせば、そっと開く。ここは今までの常識が通用しない世界なのだと改めて思い知る。
飛び込んだベッドの柔らかさだけが、疲弊しきった心身を癒してくれた。
「私は――何でこんなにも、生きたいのかしら」
楽しいことなんてロクにない人生だったはずだ。つまらない、くだらない、価値がない。
それなのに、あぁ、それだからこそ。後悔がとめどなく溢れてきて、どんな形であってもこの世に留まり続けたかった。
「たとえどんな形であろうとも」
この漠然とした満たされなさの正体を知り、満たしたい。それでもまだ消えたくないのだと。何者でもないまま死にたくはないのだと。
芽亜は一人、決意を新たにしたのであった。




