お探しの遺書は見つかりませんでした
高校三年目を迎えてもクラスに馴染めない彼女が不登校になったのではとにわかに囁かれ始めたのは、彼女が学校を休むようになって三日ほど経ってからだった。
タイミングから考えて、休んだ初日の時点でその可能性はクラスのほぼ全員が予想していたのではと個人的に思う。
彼女の不登校を納得させてしまう事実を裏付けたのは、他ならない彼女自身の過ちによるものだった。
「やっぱさ、面白がって掲示板に書き込んだりしたの、まずかったんじゃね?」
「でもよ、俺らもある意味被害者だぜ?普段クラスの誰とも喋らねーようなヤツが、クラス中の男子で妄想してたとか、精神的苦痛を受けましたって訴えていいレベルだろ」
「訴えようにも、証拠なんか全部消されたんだから勝ち目ねーし」
「ずりーよなあ。散々騒がせといて、当の本人は俺らに何の謝罪もなくただ学校サボって、ほとぼりが冷めるの待ってんだろ」
「で、休んでる間もせっせと俺らで妄想してると」
「うーわ、気持ちわりー」
呑気に彼女の陰口に興じるクラスメイトの笑い声に聞き耳を立てていた僕は、次の英語の小テストに備えて単語帳を熟読するふりをしながら、不愉快なその会話に小さく溜め息をついた。
『オリジナル小説置き場』
不特定多数に広く公開する気の無さが窺えるタイトルを付けて、彼女は自作のホームページを密かに更新していたようだった。完全に一から彼女のオリジナルで書かれた作品もあれば、登場人物の設定を身近な人物から借りて書いたという作品もあった。
彼女とはただのクラスメイトであり友達でも何でもない僕が、何故そのことを知ったのか。むしろそうなったのは誰の企みによるものだったのか、知りたいのは僕自身だ。勝手にURLをとあるクラスメイトから送りつけられ、クラス内でいつも一人のあの女子が作ったサイトらしいぞという情報を添えられて、何の気なしに確かめてしまっただけなのだ。
僕だけじゃない。クラスのほぼ全員が、そうやって彼女のホームページの存在を知ってしまった。
最後に彼女が学校に来た、あの昼休みの出来事を僕は思い出す。
「――登場人物のネタまとめ、これだよ」
「どれどれ?…うっわ、多くね?」
「これ全部俺らってこと?」
「イニシャルでごまかしてるけど、明らかに俺らだよ」
クラス棟の一番端に位置する僕たちのクラス。教室を出てすぐの廊下の突き当たり部分は、うちのクラスの男子のたまり場になっていた。そこを根城にしているメンバーはほんの数名だったが、この時は僕を含めたほとんどの男子が、十数名ほどの群れがその狭い場所を占拠していた。
各々が自分のスマホで見たり、誰かのを覗き込んだりして、彼女のホームページを面白半分に読み漁っている。そして誰かが口にしたその『登場人物のネタまとめ』という項目を見つけた僕も、自分のスマホでそこを開いてみた。
箇条書きで丁寧にまとめられ、数行の詳細が書かれてあった。O君、T君、S君と、簡単なイニシャルを付けられていたが、当てはめていくと確かにクラスメイトのことを書いたものだとわかった。明るくて誰とでも仲良くなれるとか、ちょっと怖いけど実は優しい一面があるとか、普段から彼女がそういった印象を持って僕たちを見ているということがその文面から窺えた。
「これってさ、好きな男子の順番でまとめたのかな」
「つまり、付き合いたいクラスの男子ランキング?」
「てことはー?」
その場の全員の目が、自然と僕に集まる。スマホから顔を上げた僕は、咄嗟に否定した。
「ね、ネタにしやすいってだけだろ。好きとかそんなんじゃなくて」
「あー。お前確かにひでー扱いされようが何されようが、いいよいいよって許しそうだもんな」
「物静かだけど優しくて心の広い人、だもんなあ」
彼女が書いた僕の紹介文を借りたその一言に、その場の全員が一斉に笑い声を上げる。
困ったようにそれに合わせて笑ったけれど、いい迷惑だった。真っ先に挙げられていたのが僕のことだったからだ。
誰とも接点を持たない彼女のことで、今後何かと僕はからかわれ続けるのだろう。責めるべきは彼女ではないと頭ではわかっていても、僕は少し彼女の行為を恨めしく思っていた。
「あ」
誰かが上げた声に反応して、全員の視線が一斉に同じ方向を向く。その先で立ち尽くしていたのは、彼女だった。
クラスメイトだろうと先生だろうと、彼女は人と目が合うと反射的に逸らす。だが、何か用事があって教室から出てきた彼女は、廊下で待ち受けていた十数人の視線の塊に見据えられ、むやみに目を逸らすこともままならない様子で明らかに凍り付いていた。
やがて無理矢理顔ごと背けて、逃げるように彼女はその場を去った。
この瞬間か、それよりも前からなのかは知らないが、彼女は自分のホームページがこうしてクラス中に広まっていることを知ったのだろう。
(…死ぬほど後悔してるだろうな。こんなことになって)
彼女を心配するようなことを思ったが、僕にとっては所詮他人事だった。
* * *
あの昼休みの出来事があって、翌日から彼女が学校を休んで一週間が経つ。
いじめがあったのではないか。何も知らない先生達は神経を尖らせて、男子女子問わず僕たちのクラスに探りを入れてきたが、全員があらゆる質問に首を横に振って答えた。
何しろ、証拠はもうない。彼女のホームページはまだ残されているとはいえ、例の『登場人物のネタまとめ』の項目も、一目見ていじめに相当する書き込みをされた掲示板も、彼女は全部削除してしまった。
死ね。人権侵害。腐女子きもい。
小説の感想を書き込んでもらうために彼女が設けた掲示板に、クラスの誰かがそんな心ない書き込みをしていたのを僕は一度だけ目にした。さすがにこれはいじめの領域だ。証拠として残しておけばよかったものを、何故か彼女は掲示板ごとまるまる消してしまっていた。
いじめの事実なんてなかった。彼女なりのやり方で事態を収めるつもりでいるなら、僕みたいな他人が余計なことを口外するべきではない。他のクラスメイトだって同じように考えたから、先生達に対して口を閉ざしたに違いないのだ。
彼女を気遣うようでいて、結局はみんな自分の保身に走っている。欠席が続く彼女と自分は無関係だと。
誰もが自分の将来を優先したがる高校三年というこの時期に、他人の心配をしている余裕なんてない。
(……ん?)
誰もいない夜の帰り道の途中で、僕はふと足を止めた。
街の明かりだけが頼りの河川敷脇の歩道。すっかり通い慣れた通学ルートを歩いていて、普段は滅多に気に留めない対岸のそう広くはない河川敷に、妙な明かりを見つけた。
暗がりに目を凝らすと、誰かがいるようだった。おそらく一人、間に挟んだ川とこちらの方を向いて腰を下ろしている。薄ぼんやりとそのシルエットを浮かばせていた明かりは、どうやらスマホの画面が発しているバックライトのようだ。
こんな遅い時間に、川のほとりでスマホいじりか。呆れたようなむしろ感心したような曖昧なことを感じたが、さほど気に留めず僕は止めていた足を進ませて家路を急いだ。
ふと、歩きながらスマホを取り出して画面を開く。歩きスマホの方がよっぽど非常識かと思ったが、それを咎める人なんてこんな時間に誰も通らないことは知っていたから、構わず僕は目的のページを開いた。
(あれ……更新されてる)
開いたのは彼女のホームページだった。例のページと掲示板が削除されて以来、小説だけを残した簡素なトップページのままだったのが、項目が一つ増えていた。
『このページをご覧いただいていた方へ』
文面から察するに、初見の読者へ向けた注意書きか何かだろうか。こういったジャンルの小説を扱うサイトですとか、実在の人物とは関係ありませんとか、そういった類いの諸注意が書かれているのだろう。
(……ん?ご覧いただいて、いた?)
わずかな違和感を覚えて、僕はリンクが貼られたその文を凝視した。初見に対する諸注意ならば『ご覧いただいている』が正しいはずだろう。おそらくは誤字だ。
彼女の小説に一通り目を通していた僕は、誤字脱字の見受けられない丁寧な作りの文章に素直に感心していたし、彼女の文才を普通に尊敬していた。
そんな彼女も誤字に気付かないことがあるのか。そんなことを思って軽くほくそ笑みながら、僕はそのページを確かめもしないままスマホをしまい込んだ。
* * *
翌日の一時間目は自習だった。しかも僕たちのクラスだけではなく、校内放送によって学校全体に指示されたものだった。朝の職員会議が終わるまで、教室で静かに勉強しているようにと。
だが、先生のいない教室内が素直におとなしくなるはずがなかった。誰もが近くの誰かと雑談をし合い、まともに勉強に打ち込んでいるクラスメイトはほとんどいない。
それにしても、異様なほどのざわつきだった。誰もが不穏な様相で口々に話す色んな会話の中に共通の単語が出てくるのを疑問に思い、僕は後ろの席で話し込んでいた男子達に話し掛けた。
「…なあ、さっきからみんな学校近くの川でどうのこうのって、何かあったの?」
「なに、お前知らねーの?つい今朝、かなり下流の方で水死体が見つかったって話」
「嘘だろ」
「身元はまだわかってないらしいけど、自殺とかじゃなくて事故なんじゃねーかってさ」
「なんで自殺じゃないってわかるんだよ」
「知らねーよ。俺らも噂しか聞いてねーし。靴履いたままだったとか、遺書が見つかってないとか、そういう状況証拠しかないからとりあえず事故、なんじゃねーの」
「そういうことな」
「お前、あの川沿い通り道だろ。昨日の帰りとか何か見たりしなかった?」
「いや、特に変わったことなんて…」
そう口にして、はたと思い出した。
確かにいつもと違うことがあった。対岸の河川敷でスマホをいじっていた人影。普段の学校帰りで目にすることはなかったイレギュラーな出来事といえば、それくらいしかない。
まさかその水死体というのは、その人物なのだろうか。伝え聞いた通り事故だとすれば、その可能性はおそらくない。河川敷はそんなに広くないものの、その人影は川のそばからだいぶ離れた場所に座っていた。うっかり足を滑らせて川に落ちるなんてあり得ない場所にいたのだ。
万が一、自殺だとしたら。自らの意思で川に進み入ったとしたら、その人物が最も怪しいということになるのだが。
(…あまり考えたくないな。見ず知らずの誰かとはいえ、昨日まで生きてるのをこの目で確かめた人が、今日になって死体になってましたとかさ)
それからほどなくして、再び校内放送が流れた。今から全校集会を行うとのことだった。急な自習に急な全校集会と、その時は校内の誰もが先生達の勝手な都合に振り回されることにうんざりしていた。
誰もが予想なんて出来なかったからだ。何の話を聞かされるために集められたのか、確かな理由を予測できた生徒なんて誰もいなかった。
――近隣を流れる川の下流で今朝方見つかった水死体の身元が、この学校の生徒であることがわかった。
* * *
この教室のどこにしまわれていたんだろうと、僕は前の席に供えられた小ぶりの一輪挿しの花瓶を見つめる。亡くなった生徒の席に花を供える習慣は実際にあるものなのかと納得しつつ、正直言ってそればかりに目が行ってしまって授業に集中できない。
かつて僕の前の席で真面目に勉強していた、彼女のことばかり思い出してしまう。
どのみちクラス全体は暗く沈みきっていて、誰一人として彼女と仲良くすることなんてなかったとはいえ、クラスメイトの死にそれぞれが表情を曇らせている。
生徒のメンタルケアを第一に授業を進める先生は、教科書を読ませたり質問に答えさせる授業形式を取らず、ひたすら口頭の説明と板書をさせる授業で僕たちのクラスに沈黙を与えてくれている。
そんな心優しい先生の気遣いにも関わらず、先生が黒板に向きっぱなしの隙を狙って、僕は机の陰でスマホをいじり始めた。
表示された画面は、昨日の夜に気まぐれで開いた彼女のホームページのトップ画面のままだった。まだ中身を確かめていなかった、例の誤字を残したままのリンクを開こうとした。
彼女が学校を休んでから川の事故で亡くなるまで、文才に秀でた彼女はどのような文章を最期に遺したのだろう。それがただなんとなく、気になっただけだった。
(あれっ?)
思わず僕は、軽く目を疑った。
『お探しのページは見つかりませんでした。コンテンツが削除された可能性があります』
無機質なエラーメッセージが表示され、軽く苛立ちを覚える。目的のリンクを押したつもりが、どこか別のバナーか何かを触ってしまったのだろう。個人サイトではよくあることだと知っていた僕は、気を取り直してトップ画面に戻った。
『お探しのページは見つかりませんでした。コンテンツが削除された可能性があります』
(……は?)
どういうことだ。一つ前に戻ってトップ画面を表示しようとしただけだ。いくつか残された小説と、例の誤字を残した項目だけの簡素なページが表示されるはずだ。
ふつふつと湧く嫌な予感を抑えて、一旦ブラウザごと閉じる。すぐにブラウザを立ち上げて、念のためブックマークしておいた彼女のホームページのタイトルを探し、開こうとする。
『お探しのページは見つかりませんでした。コンテンツが削除された可能性があります』
あまり何度も目にしたくはないエラーメッセージに、僕は動揺せざるを得なかった。
あれほどの騒ぎになっても決して消さなかった小説ごと、それを載せたホームページごと、彼女はすべて削除したのだ。
少なくとも、昨日の夜まではそうしなかった。わざわざ新しくリンクを貼って、言葉は悪いが懲りもせずにホームページは更新されていたではないか。
(いや……違う)
よくよく思考を巡らせ、彼女の心情を考えながら、僕は確かめようのなくなったトップ画面を思い出す。
『このページをご覧いただいていた方へ』
僕が誤字だと思い込んでいたあのリンクの文面が、文字通りの意味を伝えようとした彼女のメッセージだとしたら。
クラス中に広められたホームページ。その内容のそこかしこを面白おかしく読んでしまった、ほぼすべてのクラスメイトへあてたもの。
もし、リンク先を開いたページに、彼女がそういった意図で書かれた文章が遺されていたとしたら。
(あれは……遺書、だったのか……?)
彼女は、今回の騒動を誰にも謝罪していない。それを詫びるために設けた、彼女なりの謝罪文を載せていたとしたら。
それを償いたいという意思表示を載せた、釈明書だとしたら。
そうだとすれば紛れもなく、彼女は遺書を遺していたということになる。
死ぬことで、何もかも終わらせようとして。
何もかもから、逃れようとして。
(つまり事故なんかじゃなくて、やっぱり……自殺だったんだ……)
僕は、昨日の夜に起こったすべてのことを全力で後悔した。
たまたま見つけたリンクをすぐに確かめて、遺書かそうでないかさえはっきりさせていたら。たまたま見かけた人影が誰だったのか、ちゃんと確かめていたら。
あの夜に見かけた人影が彼女だったかどうかはわからないが、万が一あれが彼女だったとして、それからリンクを確かめてさえいれば、僕はそこへ戻って彼女を思い留まらせようとしていたに違いない。
だが……何もかももう遅い。
どれほど悔やもうが、彼女は死んだ。事故死という扱いで。
彼女が自殺であると主張できる人間は、おそらく僕だけだ。いじめを受けていた。遺書と思われるものを遺していた。せめて彼女に償うために僕が出来ることは、何も知らない先生や彼女の家族に事故死ではないと主張することしかない。
だが証拠も何もない今は、そんな真っ当な主張をすることさえ、彼女の家族にとっては毒でしかない。不運な事故で家族を失って悲しんでいるところへ、紛れもない事実だからと馬鹿正直にそれを伝えることなんてできない。
どうせ悲しませてしまうならという理由で、彼女は自殺を思わせる証拠をすべて消したのだろうか。
だってどう考えても、ホームページを完全に削除してしまったタイミングは、明らかに彼女が自殺する直前だとしか思えないのだから。
――その日、返却された英語の小テストの点数は、至って平凡だった。だが、とある回答の横に小さく書き加えられていた先生のコメントを目にして、僕は憂鬱になった。
『ユーモアがありますね』
回答欄に『Not Found』と答え、欄外に『404』と悪戯に書き加えていたことなど、僕はすっかり忘れていた。
人として大して面白味のない僕に、数少ないユーモアが残されていたことを褒められようが少しも嬉しくないし、誰も喜ばない。
残されていて欲しかったのは、彼女の遺書の方なのに。
この物語はフィクションですが、一部筆者の体験談を交えて執筆しました。
ネット小説を公開するための個人サイトを作っていたこと。クラスメイトをモデルにして小説の登場人物のネタに使おうと、詳細をまとめたページを設けていたこと。それが予期せぬ間にクラス内に広められていたこと。掲示板に悪意のある書き込みをされたこと。そしてそれ以降、クラス中から冷ややかな目で見られるようになったことまでは作中では取り上げませんでしたが、ほとんどハーフフィクションと言っても過言ではないほど私の体験が基になったストーリーでした。
恥と後悔と罪悪感で、死んで詫びたいと強く思っていました。そんな勇気を持てなかった私は、こうして架空の物語に自分自身を投影させ、物語風な設定で飾り立て、空想の自分を死に追いやって自己満足を得たかったのです。
あの頃の無念に苛まれるばかりの自分を、小説という都合のいい媒体の中で楽にしてやることが出来た。一つの作品を締めくくるたびに感じていた達成感に加えて、今回ばかりはそんな特別な感情を得て書き上げた作品でした。