鬼蝶と届け物 前
歴史小説とは壮大な創作である。
何年 誰誰が誰誰と戦った。
ネットに書かれている情報は精々その程度、浅い知識しかない作者はどこまでもその一行を想像して100倍の文字数にするしかない。
戦争一つとっても、歴史の教科書で習う以外の戦争って、なかなか情報がない。
つくづくちゃんと勉強して資料も集めて書くまともな小説家のすごさを感じるこの頃。
もちろん作者は、9割創作です。
歴史タグ外そうかな?
天文4年
鬼蝶丸7歳。
祖父に引き取られたその身は、日々の鍛錬と、しっかりとした食生活の賜物か、同年代の中でも比較的大柄な体を誇っていた。
朝霧の中、振り下ろす剣筋は鋭くいまだ無名の剣でありながら、徐々に一本の幹を得始めていた。
刀を朝夕に千、槍を朝夕に千。
昼は読書をたしなみ、時に気まぐれに馬を駆る。
少しずつ鬼蝶丸の世界は広がりつつあった。
今日の鬼蝶丸が気まぐれに向けた馬首の先は、稲葉山城下の刀鍛冶の元である。
いまだ、元服前の鬼蝶丸の腰に大刀は存在しない。
代わりに結婚の折に春に頂いた小刀を腰に差していた。
今日の目的は、小刀の研ぎと、大刀の物色である。
「ごめん」
「ととさま、お客さん」
馬を飛び降り声を張った鬼蝶丸、出迎えたのは同年代の少女だった。
「わかさ、ひっこんどれ…。
なんでぃ、客っていうからどこのお大臣かと思ったら、お殿様とこの鬼っ子じゃねぇか、きょうはどうしたい?」
娘に呼ばれて、奥の土間から男がひょっこり顔を出す。
歳の頃は三十半ばのその男、名を金兵衛といい、刀鍛冶としての腕は高くはないがその仕事ぶりは真面目であり、研ぎや鍔の装飾といった細かい作業を得意とする男である。
また、鬼子である鬼蝶丸を目の敵にしない貴重な男でもあった。
「研ぎを頼みに来た」
「なんでぃ、また無茶な使い方をしたみていだなぁ」
金兵衛の言う通り、鬼蝶丸の小刀は所々欠けたり錆が浮いたりと、お世辞にも良しとは言えない状態である。
「欠けは大刀。
錆びは人の血だなぁ。
坊ちゃんよう、むちゃはほどほどにな」
「朝倉と六角が来てる、人では多いほうがいい」
「おいおい、ということはこりゃ、敵方の血かい」
「峠で物見が一人うろついていた」
「はぁ…、研ぎはかまわねぇが、お殿様に報告させていただきますよ」
「大丈夫、爺様にも敵方の様子を伝えるつもりだった」
敵方に一人で潜入し、それを当たり前のように保護者へ報告するという、あまりの鬼蝶丸のズレっぷりに思わず金兵衛はため息を漏らした。
「わかりやした。研ぎは二三日頂きやす、金はお殿様に請求させていただきますよ」
「うん、お願い」
一礼して鍛冶場を後にする鬼蝶丸。
「きちょう、かえるの?」
「…わかさ?」
その歩みを止めたのは、ジッと家の陰から覗いていた娘の若狭だった。
「また、顔を出す」
「……うん」
こくんと首を振る姿は幼く、同年代のはずの鬼蝶丸の精神的な成長がやはり浮き彫りとなる。
「鬼っ子様よぉ、お殿様んとこ行くんだろ、ついでに大殿さまに届け物をたのまれちゃくれないかい?」
「九郎さまにか?」
金兵衛が持ち出してきたのは布に来るまれた棒状のものである。
刀にしては太く、そして、微かに鉄以外の匂いがする。
「あぁ、整備は一通り済んだ…、しかし、やはり門外漢だからな、できるだけ綺麗にはしたが」
「…ふむ?」
「正直、興味はあるが扱いが難しいしろもんだ。なんも知らん兵士に預けるより鬼の坊主に預けたほうが安心できるってもんよ」
勝手に押し付け勝手に完結してしまった金兵衛。
預かった代物を鬼蝶丸はいぶかし気に眺めてから、あきらめたように馬の鞍に括りつけた。
大刀ではない、むしろ刀ではないだろう。
胸の奥底に燻るような火種を感じながら、鬼蝶丸は馬に飛び乗る。
「また、くる」
「……うん」
「おう、研ぎは仕上げとく、近いうちにこい」
振り向かず颯爽とかけゆく馬の背に寂し気に手を振り続ける娘の姿を一瞥して、金兵衛は鍛冶場へとこもるために歩きながらひそかに溜息を吐いた。
若狭のそれは、まだ自覚もしていない淡く幼い恋心だったのかもしれない。
しかし、決して叶うことのないものだ。
自分はいち鍛冶士。
そして、相手はたとえ鬼子であろうとも、この地を収める明智の子なのだから。
『鬼蝶と届け物 前』
その年。
美濃は荒れていた。
美濃国内において一定の地盤を築きつつある長井新九郎規秀。
明智家のお春、小見の方との縁によって明智荘を味方につけ、深芳野との縁により美濃三人衆の一角稲葉家を味方につけた新九郎であったが、彼にとっての誤算は享禄・天文の乱、大小一揆の余波により美濃一向一揆勢が俄かに蠢いたこと。
その隙をつかれ主家である土岐頼芸の甥、土岐頼純が動いたことであった。
嘗て美濃守護代であった土岐頼武の子である頼純は、再度美濃の覇権を取り戻そうと兵をあげた。
もちろん、その背後に影が無いわけはなく、動いたのは頼純の母方の宗家である朝倉家。
そして、これを機に美濃に楔を打ち込みたい隣国、六角家である。
「頼純め…、定頼と孝景に踊らされおって」
苦々しく言葉を吐き出したのは、美濃守護代の土岐頼芸。
座しているのは稲葉山城の一室である。
頼芸はひどく不機嫌であった。
彼の気に障るものをいくつか挙げるとするならば、一つ、頼純の挙兵によって始まった、朝倉・六角との戦が思うようにいかないこと。
そして、今のこの場、稲葉山城にいる原因である長良川大洪水である。
夏の大雨によって氾濫した長良川は、その勢いをもって頼芸の居城であった守護所枝広館を呑み込んでいた。
奇しくも、その洪水によって朝倉・六角の進軍は停止、戦場は膠着を見ていたが決して好転してはいない。
頼芸自身私兵をこの洪水によって多く失い、今こうして臣下の居城に転がり込んだ情けない状況を決して快くは思っていなかった。
「殿、お加減はいかがでしょうか?」
「新九郎か」
襖の向こうからかけられた声に頼芸は心情をすべて覆い隠し、厳しい顔を崩さす体面を整えた。
「…入れ」
「は、失礼いたします」
襖をあけて入ってきたのは声に違わぬ、若く総髪の男。
いや、その表現は決して正しくは無い。
出会ったころ、まだ彼が西村性を名乗っていたころから変わらぬその姿。胸に浮かぶ燻るような不快感を一切表に噴出させず、頼芸は新九郎へと声を掛ける。
「迷惑をかけるな新九郎」
「いえ、わが居城に殿をお迎えできたのです、望外の誉でございます」
「そうか、許す顔を上げろ」
「は、ありがたき幸せ」
ニコリと微笑すら浮かべ新九郎は頼芸を前に整いを直す。
「して、殿。此度の戦どのような決着をお求めで」
「頼純の完全なる排除だ」
「…っ、…それは」
初めて、新九郎は顔を歪めた。
それも、そのはずである。
昨年土岐頼純の父、前美濃守護代土岐頼武を嵌めて越前へと追放し、頼芸を立てて事実上の実権を握ったのは新九郎である。
ここで、仮にでも頼純を討てば、たとえ元の主君であろうともその跡継ぎを討ったものとして美濃豪族の反感を買うのは目に見えている。
ただでさえ、新九郎は今の地位を築くために頼芸を立てて頼武を蹴落としているのだ。
世は戦国、下剋上は習いといえども、その生き方は決して武士と呼ばれる彼ら戦国に生きるものにとって良しとされるものではなかった。
「討てぬか?」
その言葉は、ひどく冷たかった。
たとえ狙った立場であろうと、その地位に立つまで力を尽くした新九郎を、頼芸は決して信用していない。
美濃豪族をまとめ上げた新九郎の勢力はすでに自分を上回っている、そのことを頼芸は理解していた。
追い落とせる隙があれば、それを利用するのは当然である。
「…っはっ!」
新九郎は頭を下げた。
見えぬその顔は、いかほどの葛藤に歪んだものか。
「…この新九郎必ずや、土岐頼純をうって見せましょう」
低く吐き出された言葉は、這うように頼芸の背を撫でた。
後に彼は思う。
この時、感じた予感こそ、長井新九郎規秀がいつか自分の敵になる予兆であったと。