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鬼蝶、蛇と出会う

2話目です。


 享禄三年元日

美濃の冬は雪が早い、その日も元日の日を拝むことなくシンシンと雪が降り続ける日だった。

数えで3歳になる鬼蝶丸は、物静かな幼子へと育っていた。

泣きもしない笑いもしない。

世話をする乳母はその姿を不気味に思いすでにいない。

乳兄弟と鬼蝶丸の差はそれほどに異質に開いていたのである。

鬼子だから、というだけでない。

常に虚空を見つめる瞳は、知性を讃えているようでありながら、餓鬼のように飢えている。

しかし、物分かりはいい子であった。

一度立ち入りを注意された場所へは決して近づかないなど、幼子でありながら、不釣り合いなほど達観した理解力を持つ。

その理解力に興味を示したのが、祖父一関斎である。

最近は、朝共に槍を振るい、昼は眠り。

午後は爺の膝に座り、軍学書を眺めるのが鬼蝶丸の日課である。

日課は元旦も変わることなく、時は昼を越え、鬼蝶丸は雪で冷えた体を火鉢で温めながら微睡んでいた。

「ごめん!」

その声は自然と彼の耳に響いた。

目をパッと開け、すっと背筋を伸ばす。

驚いたのは爺である、当たり前だ目の前の孫が浮かべているのは武士の顔。

己が何年もかけて培ってきた戦場の顔を浮かべた孫が目の前にいるのである。

「鬼の顔をするない、鬼蝶丸よ」

「じじ、このこえは?」

「客人じゃあ、九郎が今日訪ねてくるといっておったわ」

「くろうさま?」

「西村勘九郎正利。ともに土岐様に使えとる長井様の陪臣よ」

「そう、わかった」

主の名も、陪臣の意味も心得たように、鬼蝶丸は対面から席を立つと爺の後ろへと腰を下ろした。

「なに、鬼蝶丸よ寒かろう?」

「いい」

「何を気にする?」

「これからあうひとは、たぶん、じじにとってたいせつなひとじゃ」

「ふむ、その心は?」

「じじが、おにのかおをしておる」

思わず一関斎は己の顔に触れ、そして、カカと噴出した。

己が孫に鬼を見たように、孫は己に鬼を見たという。知ったような口を利くこざかしい童の言葉が今は無性に可笑しかったのだ。

笑い声に誘われるようにだんだんと足音が部屋へと近づいてくる。

「…鬼蝶丸よ」

笑いを収め、背を向けたまま、爺は腹の底から声を出した。

「これから来る方を見定めい」

「はい」

背中越しにも背筋が伸びる気配を感じ、爺の顔に笑みが漏れる。

時を同じく一声断りを入れて襖が開く。

女中が顔を出し来客の名を述べた。

これが、「西村勘九郎利政」―――九郎と鬼蝶丸の出会いである。



  「鬼蝶は九郎と出会う」


 中肉中背、大柄ではないがよく鍛えられた体躯、そして、武人らしからぬとても人好きのする笑顔を浮かべた若い男。

それが西村利政と呼ばれる男の第一印象である。

「一関斎どの、このたびは年明けの目出度い日に、相すまぬ。恥を忍んでまいった次第じゃ」

「勘九郎殿よ、火鉢に当たられい、外は寒かろう」

「やや、これはうれしい馳走じゃ。めでたいめでたい」

言葉では申し訳なさそうに嘯いても、その顔は笑顔。

膝をズリズリと火鉢へ寄せて、頬を赤らめながら息を吐く。

この男、ひどく酔っているようだ。

吐き出す息は酒気を帯びており、まだ幼い鬼蝶丸は顔を顰めた。

「いやあ、長井様の屋敷に年始の挨拶にまいったのじゃが、酔った勢いで帰路についたのはいいものの、帰りにひどく降ってきおってな。

つい見えてしまった一関斎殿の屋敷に挨拶を兼ねて、蓑を下ろしに来たしだいじゃよ」

誰に聞かせるわけでもなく言い訳を吐きながら、勘九郎は火鉢に温められた酒を升に手酌で注ぐと、うまそうに煽った。

「くうっ!体があったまるわい!」

「それは重畳」

彼の声は、すっと入ると心のいいところにとんと収まる。

相対する爺、一関斎も機嫌がいいのか、火にかけた徳利の先を勘九郎の持つ升へと向けた。

「うむ、一献」

もう一杯、カッと煽って、勘九郎は一息ついた。

すでに、寒さの火照りは顔になく、酒気の熱がありありと見える顔だった。

ただでさえ人好きする笑みを恵比寿様のようにニコニコと丸めて勘九郎は笑う。

「年始がめでたく、酒がうまい!」

「くく、これだから酒と女はやめられぬか?」

「…いやぁ。女子はのう」

「勘九郎も遊んでばかりおらぬで、そろそろ確とした所帯を持たぬのか?

ほれ、うちの小春なんぞどうじゃ、あれが小さい頃はよう面倒見ておったじゃろに」

爺の世話焼きに動揺したのか、それとも、まだ若き一関斎の末の娘の姿を想像したのか、勘九郎の顔にさらに朱がさした。

すでに三十も半ばでありながら、勘九郎は独り身であった。

主人である長井の娘との話も何度か出ているようだが、いまだ縁談は纏まらず、女子相手は、昔からの手練手管と若く可愛げのある顔を生かして遊んでばかりいる男である。

「二十歳の時分に生まれた娘を、終の連れ添いにするにはちょいと覚悟がなぁ」

「なに言っておる、あれもまんざらで無し。

覚悟なんぞ、子が生まれれば自然と固まるわ」

「さすが先達の言葉は重いのう…」

シュンと火鉢の前で小さくなる勘九郎を見て、一関斎は楽し気な笑い声をあげた。

ちなみに、一関斎の娘の名前は小春。

この時の勘九郎の様子を父から聞き、まんざらでもなかった彼女は、この2年後に彼のもとへと輿入れしていくのだがこれは別のお話。

「ところで、一関斎殿よ。

先ほどから気になっておったんだが、後ろに隠れとる童はだれじゃ?」

小春の話から逸らすために話題を求めた勘九郎が目を付けたのは、一関斎の後ろで静かに座る鬼蝶丸である。

先ほどから、気にはなっていたが、一関斎が養子をとったとも子が生まれたとも聞き及んでいない勘九郎にとっては、初めて見る鬼蝶丸はひどく不思議な存在であった。

愚図ることもなく、静かにこれまでのやり取りを見続ける姿勢もさることながら、まるで歴戦の豪の者のように自らの内の内まで見透かそうとする冷徹なまでのその視線に、先ほどから何度か引き込まれそうになっているのだ。

それらを受けてなお、受け流し続ける勘九郎もやはり只者ではない。

しかし、その彼をしても、この幼子には何か不気味な気配を感じざる得なかった。

「うむ、わしの孫じゃ」

「む、孫というなら光綱どのじゃが、初子は流れたと聞いたが」

「そう、それよ。流れたから今ここに、坊がおる」

初めて勘九郎の顔に笑み以外の表情が浮かんだ。

怪訝なもの、思案するもの、そして、驚愕の顔が。

「……鬼っ子か、坊は」

『鬼子』。

そう呼ばれる存在は、多くは無いが、決して少なくはない。

天魔物の怪の類が生みし子供。

そう称される彼らは大体が疎まれ幼き日に命を落とす。

なぜなら、彼らは親に似ない。

最初は、不義の子を疑われ命を失うことが多かったそうだ。

しかし、それでも何人かは生き延びこの日ノ本の歴史にその身を刻んだ。

有名なのは、源氏の子。

源九郎判官義経であろう。

幼いころに鞍馬寺に預けられたゆえに彼は死を逃れ、そして天狗に育てられた。

その身は軽快であり、八艘の船を一息で飛ぶほどだったいう。

若く美丈夫。

三十の身にて、その体まるで十四、五の身より老いは無く、高笑いのもと自らの館に火をかける姿は天魔の現身のようであったと歴史書には残されている。

義経の例を見てもわかる通り、『鬼子』にはいくつかの共通点が存在する。

一ッ、まるで年を取ることを忘れたように彼らは若い

一ッ、親に似ない、そして、彼らは総じて人を引き付ける顔を持つ

一ッ、特出して高い一能力を持つ、例えば義経であれば、天狗のような身軽さがそれにあたる

一ッ、必ず体のどこかに何かを象った痣を持つ

それら、人を喰った天魔のような彼らを総じてこの日ノ本では『鬼子』と呼ぶのだ。

現に勘九郎は鬼蝶丸に、見たものを惑わすような妖しげな雰囲気の片りんを見ていた。

それは傾国の美女と歌われる悪女たちが纏っていたであろうものと同質のもの、人を狂わせる、いわば『狂気』へと走らせる、あるいは『将器』とも呼べるもの。

その『狂気』の片鱗に犯されるが故に、親に殺される『鬼子』が多いのが事実。

光綱はその狂気に当てられて、鬼蝶丸を否定した。

同じく、その鬼蝶丸を見つめる彼も、親に捨てられた過去を持つ。

三十路を過ぎながらも、まるで元服したてのように若い(・・)。まるで恵比寿のように人を安心させ、人の心にスルリと滑り込む男。

それが、右腕に巻きつく蛇のような痣を持つ西村勘九郎利政という男である。

「坊、名は何という?」

「きちょうまる」

「鬼に蝶、それが坊が背負う宿命よ」

「だから、鬼蝶丸か…」

勘九郎の顔にすでに笑みは無かった。赤かった頬もまるで最初からそうであったといわんばかりに白く冷めている。

『鬼子』は他の『鬼子』の雰囲気に飲まれることは無い。

これまで、勘九郎が見せていた姿は、すべて初めて接する鬼蝶丸を含めた一関斎へと見せていた姿であり、相手が同じ『鬼子』であるならば普通の姿を繕う必要もまた皆無。

あっさりと熱を冷ますと、能面のような顔に浮かんだのはまさしく蛇を思わせる歴戦の鬼の顔。

この美濃の国に蠢動する狡猾なる蛇が見せた素顔に初めて鬼蝶丸の姿が崩れた。

両の手を板間へと付き正座のまま額を床へと付ける姿。

己の主と認めたものへと向ける服従の証。

「なぜ、額をつける鬼蝶丸」

対する勘九郎の声は熱のないひどく鋭利な言葉だった。

「ふふくですか?」

「俺は、服従の理由を聞いている」

「あなたさまが、いずれこのみののこくしゅとなられるおかたゆえに」

勘九郎の目がさらに鋭さを増した。

まるで蛇に睨まれた蛙のように鬼蝶丸は身じろぎせず、淡々としている。

「なぜ、そう思う美濃は土岐様の収める土地ぞ?」

「すでにときさまにちからはなく」

「ならば、わが主、長井様がその地位を継ごう」

ここでいう主とは長井長弘。西村勘九郎利政が使える彼は、まだ幼い美濃守護代斎藤利良の後見人となっており、守護代の斎藤家に次ぐ権力を有しているといってよい。

故に勘九郎のこの言葉は間違えではない。

「すでにながいさまはこのよにおられないのでは?」

「…っな!」

だが、続く鬼蝶丸の言葉が、二人の会話を切り裂き一関斎の口をこじ開けた。

「誠か、勘九郎!」

「……。」

静かに鬼蝶丸を見つめる勘九郎に言葉は無い。

鬼蝶丸は変わらず、勘九郎への姿勢を崩さない。

「なぜ、そう思った」

「ちのにおいがしましたゆえ」

「そうか、鬼子ゆえの…ちからか」

目を瞑り、何か胸に残るしこりを吐き出すように、勘九郎は長い溜息を吐き出した。

正確には鬼蝶丸が嗅ぎ取ったのは、血と混ざりあう焼けるような匂い、はるかな記憶の底で何度も嗅ぎ続けた懐かしく哀愁を伴う匂い。

今の彼にそれが何なのか理解はできなかったが、勘九郎が主である長井長弘を殺めたと断じた彼なりの確たる証拠である。

本能が訴えるのだ、それは人を殺す匂いであると。

人を焼き抉り犯す匂いであると。

まさしく、目出度い元日に身に帯びていていい香りではなかった。

ましてや、彼は今まさに主のもとで酔った帰りだと申し付けて参上しているのである。

「一関斎、相談がある」

「うむ、聞こう」

観念したのか、勘九郎は一関斎へと向けて襟を正した。

「此度の事、いかがしたらよいと思う?」

「勘九郎、先に聞きたいが、誠、長井様を弑逆したのか?」

「ああ、俺が殺した」

その言葉を染み渡らせるように一関斎は目を閉じた。

一時、火鉢の中で薪が弾ける音を残して、場は静寂に包まれた。

「長井の名を継ぎなされ」

「それで収まるか?」

「あとはワシが何とかしましょう」

「すまん、対価はいかがする」

「…春を」

「わかった」

短い会話であった、しかし、二人にとって意味のある重い言葉の応酬であった。

勘九郎を静かに座を後にする、最後にちらりといまだ平伏する鬼蝶丸へ目を向けた。

「いつか、お前がもう一度俺を助ける気になったら、俺のもとへこい」

返事を待つことなく勘九郎は部屋を後にする。

部屋には沈黙する二人と、微かにはじける薪の音だけが残された。


後の顛末を語ると。

鬼蝶丸の生活にこれといった変化はない、朝は槍の稽古、昼は眠り、午後は爺の膝で書を眺め爺の書を読み解く声を聴いている。

しかし、時世は確かに動いていた。

元日を過ぎ一月が半ばを過ぎたころ、美濃を一つの激震が襲う。

美濃守護代斎藤家の筆頭家臣である長井藤左衛門尉長弘が、越前へ追放された土岐政頼と内通したとして、西村勘九郎正利に討たれたのである。

美濃各所豪族に配された書簡の差出人には一関斎の号が書かれており、この出来事の信憑性を一関斎が保証しさらに長井の家は勘九郎が継ぐとの一文で書簡は締めくくられていた。

この時をもって、西村勘九郎正利は長井の家を継ぎ長井新九郎利政となった。

つまり、この一関斎の書簡が反発するはずの長井の重臣達を黙らしてしまったのである。

もちろん、一関斎の保証など本来あまり意味は無い。

この話が全くの嘘であれば、あっさり勘九郎は長井の重臣達に反逆の徒として殺されていたであろう。

しかし、相手が戦国の世を渡る傑物の一人であったことが、この話を真実とした。

一関斎。

またの名を明智民部小輔光継。

長井新九郎利政、または、のちの斎藤道三にして「東美濃の梟雄」と言わしめた男はたった半月で、長井長弘が土岐政頼と内応していた証拠をまとめ上げ、土岐利良へと送り付けたのである。

これに激怒した利良は美濃中へ長弘を討つようにと号令を発した。

筋書きは、それを受けた勘九郎、現新九郎が長弘を見事上意討ちにしたというものである。

事実は時期が食い違ってはいるが、新九郎が長弘を討った筋は通る、結局長井の重臣達も黙り込まずにはいられなかったというわけだ。

半月の間美濃中を逃げ隠れした新九郎はあっさりと長井の名を襲名し、事実上美濃を牛耳ることになる。

そして、鬼蝶丸は、羽化を待つさなぎの如く、変わらず静かな時を過ごしていた。



予定として、14.5歳くらいまではポンポン行く予定です。(投稿は不定期ですw)

主人公がまともに動けるような年齢になるまでは、いろいろ無理がありますので。

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