鬼蝶の痣を持つ赤子
歴史好きではあるが、敷居が高く歴史物をなかなかかけなかった作者がウンウン悩みながら書くIF戦国ものです。大筋の歴史改変を行うつもりはありませんが、主人公の動きによって生まれる戦争や、一部武将の女性化、シナリオ的に生まれない武将など存在するためIFとさせていただいております。
私は夢の中で胡蝶となっていた。嬉々として胡蝶に成りきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。
これが夢であるとは全く心になかった。
はっと目が覚めるとは、この身は焔に焼かれていた。
私は考える、焔に焼かれる私が今わの際の夢にて胡蝶となったのか、実は私は胡蝶であって、いま焼かれる私の体こそ夢であるのか。
いずれが本当であるか。
その問答に意味は無い。
たとえ、この身が胡蝶の夢であるとしても、私の歩いた道に後悔は無い。
主を裏切り、その身を焼いた。
同じように私も焔で朽ちる。
伸ばした手は天には届かなかったが、その欠片を掴むことはできた。
たとえて心残りがあるとすれば、もう二度と蝶の、愛した姪御の顔が見られない―――。
だただ、それだけが心に残る。
第一章 鬼蝶丸の章
「鬼蝶の痣を持つ赤子」
享禄元年、美濃、長山城。
春の恵みがその実を揺らす時、その日は比較的風が強い日だった。
静かに雲が流れ、青い空の下、シトシトと日の光を浴びながら雨が降る。
狐の嫁入りじゃ縁起が悪いと誰かが呟いた。
奇妙な空模様を眺めるのは、男が二人。
壮年の頭を丸めた眼光鋭き爺が一人。
似た顔立ち、爺を若くした少したれ目の男が一人。
爺は縁側にて将棋の駒を転がしている。
対して、若い男のほうは落ち着かない気持ちを持て余すように、庭木の間を雨に濡れながらウロウロと歩いていた。
「光綱、落ち着け」
爺がどんと構えた大木のような声を出す。
その声に絡めとられたように光綱と呼ばれた男の動きがぴたりと止まる。
「父上、これが落ち着けるか、お清は初産だぞ」
「あれは気丈な女だ、心配せんでも、玉のような赤子をポンと生むわい」
カチャリと成金を敵陣に差し込みながら、爺は息子を呆れたように見やる。
「しかしだな」
高ぶったような声が、しかし、はっと止まる。
ぎゃあと聞きなれぬ声が、爺の腰かけた縁側の先から聞こえてきたからだ。
二人とも動きは早かった。
爺は盤を蹴っ飛ばし進み、息子は草履を脱ぐことすら忘れ声のもとへと駆けた。
産婆の慌てたような声、おぎゃおぎゃと命を叫ぶ声に惹かれるように、二人はふすまをたたき開ける。
疲れ切った血の気の引いた顔をした妻の姿を見て、二人は同時に息を吐き出した。
顔を見合わせ苦笑を一つ、爺は産婆へ声を掛ける。
「これ、婆よせっかくの孫だ、わしに抱かせてくれんか」
そこまで告げて、はてと首を傾げる、婆の顔がお清と同じかいやそれ以上に青白い。
まるで、物の怪でも見たかのように腕に抱いた赤子を凝視している。
その手には赤黒く染まった布切れがあり、赤子の身を綺麗にしている最中だったのであろうことがわかる。
「おい、婆よ!」
強めに声を掛ける。
はっと気を戻したらしい婆が、慌てたように部屋を見回した。
そして、爺の顔に焦点が合うと慌てたように声を荒げた。
「い、一関さま!」
「なんじゃい」
思わずその剣幕にひるむ爺。彼に見せつけるように婆はその赤子をぐいと持ち上げた、その顔を、いや、その折れそうな小さな肩にある痣を。
「………鬼子やと」
ぽつりと漏れた。
後ろを見れば、目を見開いて固まる息子の姿がある。
「光綱」
「だめだ」
「おい、光綱!」
「ダメだダメだダメだ!認めんぞ、俺の子が鬼子のはずがない!」
パッとその手が腰に伸びる、少しか吊っていない、しかし、小さな赤子刺せば一時でその命は終わる。
「まてや!光綱」
パンとその頬を張った。
ガキの時分以来張ったことのない頬だ、呆然とという態で光綱の険が抜ける。
「お前が認めよう無いのはわかる、だが、この子はお前の子であり、そして俺の孫や!」
「………」
「お前が見たくないというなら、俺が預かる」
「…義父上」
「お清、かまわないな」
目を眇め、初めて腹を痛めて生んだわが子を気丈に見やる母に、諭すように声を掛ける。
「流れたと思って、この子のことは忘れるんうんや」
「…畏まりました」
布団に坐したまま、その身から今産み落としたわが子を取り上げられようというのに、母の顔をした彼女は最後までその身を折った。
それが、わが子の生き残る道であると瞬時に察したのであろう。
父のもとに置けば、いつ息子の身を殺めるかわからない。
ならばいっそ―――。
片手に赤子を抱き襖を閉じる、後ろで気が抜けたように男一人が崩れ落ちる気配がした。
「親不孝な子やな、お前は」
先ほどからうんとも鳴きもしない赤子を抱えなおす。
その肩にはうっすらと痣がある。
「蝶…、見たいやな」
二対の大開の羽は、天に逆立つ鬼の角のようにも、地に食らいつく牙のようにも見えた。
生れた赤子は鬼であり蝶。
「蝶の痣を持つ鬼子…、鬼の蝶か」
すうすうと寝息を立てる初孫に、爺は静かに名を授けた。
「鬼蝶丸、お前は、今日から鬼蝶丸や」
静かに降り注ぐ日の光と雨の音。
その雨が、二人の男の悲哀と母の願いを洗い流すように振り続けていた。