六番星
「大丈夫、星くん?」
晴香は心配そうな顔をして沈黙に浸っている星を振り返って見上げていた。
星は無言のまま晴香をそっと抱きしめ、自分の傍に引き寄せた。
「え、え……?」
晴香は困惑したのか少し動揺したが、星が腕にそっと力を入れたのを感じたのか晴香は目を瞑り星を抱き返した。
抱き合いながら星は晴香の腰に手を回しながら晴香に囁きかけた。
「俺でいいのか?」
「うん……」
晴香の閉じた目からは潤みが生じかけていたが、
「星くんがいいの」
「そうか、俺もこの瞬間分かった。これが恋なんだな」
星は照れたことが今までないのか、下手に顔を赤らめ苦笑いを浮かべていたが、その言葉に偽りはなく晴香もそれが嬉しいのか、
「うんっ」
と星同様に顔を赤らめながら頷いた。
二人は互いの体温を求めるかのようにしっかりと、しかし優しく抱き合いながら時間が経過した。
「おいっ、お前達、なにをやっとるんだっ!」
廊下の向こう側からは一人の男子教師が星達を指差しながら怒声を放ちながら早足で近寄ってきた。
「やばっ。逃げるか」
「うん」
星は晴香の左手を握りながら教師の近づいてくる反対側の廊下目掛けて走った。
「こらっ、廊下を走るなっ!!」
などと男子教師の声が後ろから耳に入ってはきたが、前方を走る星は晴香に振り返り笑みを向けると、それと同時に晴香も楽しそうに小さな笑いを浮かべた。
二人は二人の結束、結びつきを証明するかのように固く両手を握りしめていた。
星と晴香は突き当たりの廊下を右に曲がって、階段を駆け上った。
息を軽く切らせながらも二人は息のあったリズムで上へ上へと足を運び、屋上へと出た。
もうすでに追いかけてきていた教師の姿、声すらも聞こえなくなっていた。
屋上は爽やかな微風が吹き、青空は青く澄みきっていた。
二人は互いの手を握り合ったまま揃って空を見上げ、その真髄まで透明感のある大気に視線が引き寄せられていった。
「ねえ星くん」
「ん、なんだ?」
「やっぱりあの時の男の子は星くんだったの?」
「ああ。きっとな」
「そうだったんだ。……ありがとう」
「ん?」
「ほら、あの時お礼言ってなかったから」
「いや、お礼ならあの時もらったぞ」
「え?」
「晴香は俺が差し伸べた手を受け入れてくれた。それだけで俺は嬉しかった。いままで同い年の人間にあったことがなかったからな」
「えっ……?」
晴香は星が何を言っているのか理解はできなかった。
「同い年の人間にあったことがなかったって?」
「ああ。これはまだ誰にも話してないんだ、だから秘密にしておいてくれるか?」
「うん」
星は一旦晴香から手を放し、屋上の中央まで歩いていき、天を眺めたまま晴香の方を向いた。
「俺は先週まで自分以外、あの時の晴香以外の人間に会ったことがなかったんだ。俺は生まれたときからあの大山で育ってきた。野性の中でな。でも俺はなぜか日本語、言葉を喋れるようになっていた」
晴香はただ呆然と星の言葉を聴いていた。
「それで先週、俺はある男に保護された。それで初めて人間の世界に触れた。それは自然とは待ったく違う。秩序が形となって現れる世界。自然とはまったく逆の世界。俺はそこに魅入られた。それに俺は人間という生き物にも惹かれていった」
晴香は頭を俯かせながら星に問うた。
「じゃ、星くんはいままでずっと一人だったの?」
晴香の問いに星は返答を一瞬躊躇した。しかし鵺のことは他言無用のことである。しかし星は実際に山の中では一人きりの人生を送ってきていた。
「ああ……」
星は言葉を少し濁したが、晴香には聞き取られてはいなかった。
「晴香……?」
晴香は泣いていた。その理由は星には分からなかった。ただ本能に近い感情で生を全うしていた星には他人の感情については未だに疎いからだ。
晴香はゆっくり星に歩み寄り、星の頭を自分の胸元に引き寄せた。
「孤独だったんだね。一人ぼっちだったんだね。寂しかったんだね。でも、もう大丈夫だよ。今後からは私が星くんの傍にいるから……」
初め、晴香の言う言葉の意味が理解できなかった星であったが、自分の胸の中になにやら暖かい何かが流れた。
それは滴が水面に落ち、波紋を描くかのように星の心に安心や安堵といった感情が染み渡っていった。
「ああ。ありがとう晴香」
星は晴香の胸でゆっくり目を瞑り、人間の暖かさ、優しさを晴香から受け取っていた。
二人の時はゆっくりと流れる雲のように過ぎていった。
星と晴香は屋上でその後も数分過ごした後、教室へと戻った。
その時の二人は当の目的である、職員室によることも忘れただ呆然と教室へと戻った。
星が教室の扉を引くと、クラス中の視線が星と晴香に向けられた。そして教壇には先程星と晴香を追いかけてきていた一人の男性教師がいた。
『げっ……』
『うわ……』
「渡部と海星か。やっと帰ってきたな。放課後職員室にまで来なさい」
教師の鋭い視線が星と晴香を釘刺した。
二人は自分達への情けなさと、後に起こるであろう退屈さに項垂れ、
「「はい・・・」」
と同時に答えるに止めた。
星と晴香は並んでそれぞれの席に座り、その後の教師の進めていく授業を片耳だけ開いて聞き、星に関しては質問したい事がいくつもあったのだが、先程あったことを考慮して手を挙げることもできなかった。
そしてあっという間に放課後。チャイムと共に去ろうとする男性教師は教室を出る際、横目で星と晴香の顔を殺気を込めながら睨んだ。
「来なかったら、わかっているだろうな!」
とでも言いたそうな視線を正面に受け止めながら星と晴香は小刻みに本当の恐怖を感じながら首を縦に動かした。
教師がクラスを出て、星は溜息をつき、
「人間でもあんな目をすることがあるんだな……。はっきり言って鵺よりも恐ろしいな」
「えっ、鵺って?」
晴香は間近にいた星の顔を見上げた。
「い、いや、なんでもない……」
星は急いで誤魔化し、
『あ、あぶねぇ、あぶねぇ。鵺のことも他言無用だったな。いくら晴香でもまだ話すには早すぎる』
と自分に言い聞かせた。
「ねえ星くん」
「ん?」
「この後どうする?」
「行かないとまずいんじゃないのか?」
「そ、そうだけど……」
晴香は星に助けを請うような顔で星を見上げてはいたが、
「晴香。例え俺からあの教師から逃げたとしても、一緒に逃げたんだし、晴香は俺の傍にいてくれるといったんだ。当然晴香も一緒だ」
「ちょっ、星くん。こんなところで何言って……!」
晴香は顔を真っ赤にしながら身振り手振り星の言葉を祓おうとしたが時すでに遅し。
星と晴香の目前で下校する為、鞄を担ぐ秀と幸と鞄を両手で持つ美紀たちの興味津々たる満面の笑みが向けられていた。
「晴香、おめでとー!」
美紀は両目を潤しながら歓喜の声をあげ、晴香に抱きついた。
「星、お前、いつの間に我がクラスのアイドル、晴香さんとっ……!!」
秀はやりきれない気持ちと共に星を問い詰め、
「いやーめでたいめでたい。この後はパーティーだな。星の歓迎会も含めて」
幸はうんうんと頭を上下に振り、自分なりに納得したような顔を星に向けていた。
「えっ、う、うん。あ、ありがと、皆」
晴香は頬を紅潮させながらも嬉しそうな声で笑い、
「パーティーってなんだ?」
と星は秀を払いのけ幸に尋ねていた。
「パーティーってのはだな、ようするにお祝いだ」
幸は未だにうんうんと頷きながら答えた。
「おっ、それならさっさと行くか。時間ももったいないしな」
秀はパーティーという言葉に反応したのか、先程とは打って変わった態度で残りの四人を率先して教室を出た。
秀が先頭を歩き、その後ろに美紀と幸が肩を並べながら歩き、晴香と星も同じように歩いていた。
幸と美紀の後姿を見ながら歩いている星は小声で晴香に尋ねた。
「幸は美紀と付き合ってるのか?」
「うん。結構長いかな。あの二人幼馴染なんだって」
晴香も声を潜めながら星の耳元に囁いた。
「そうか」
全員揃って歩いていた五人であったが秀がいきなり止まったので後方にいた四人は軽くぶつかった。
「どうしたんだ、秀?」
幸は怪訝そうに聞いたが、秀は自分の口元に人差し指を添えてシーッと音を出さずに四人に振り返った。
「鬼灯がいるっ!!」
と秀は小声で言った。その顔からは一切の余裕や未来は消え去り、青ざめかけていた。
「いまここで奴にあったら俺達ただじゃすまないぜ……」
幸、美紀、それに晴香にも秀と同じ感覚に見舞われていたが星だけは、
「鬼灯って誰だ?」
と聞いた。
四人は驚いたように静かに息を呑み星を見つめた。
秀は星の肩を掴み、廊下の角から玄関を入ったところにある職員室の目の前で立ち往生している教師を見るよう促した。
星の瞳孔は開き、星は生唾を飲み込んだ。
そう、職員室前で目を輝かし、下校する生徒達の顔をくまなく調べていたのは星と晴香に放課後職員室にくるように言ったあの男性教師だったのだ。
秀は皆を後ろ手で合図を送り、バックするように促した。
五人は鬼灯から見えぬ位置まで後退し、アメフトで言うハドルのような格好をしながら作戦会議に移った。
「いいか、鬼灯はきっと星と晴香さんを探しているんだろう」
「ああ、そうだろうな。しかし執念深い教師だな……」
星は嘆息交じりに言葉を吐いた。
「うん……。どうしよう。あの先生の話うざいし、長いし、きもいし……」
晴香もうんざりといったような顔で応えた。
「そうだね。どうする、幸?」
美紀は自分の隣にいる幸を覗き込んだ。
「そうだな、やっぱ体育館から逃げるか。あそこしか出る場所はないだろう」
「だな、そうと決まれば早速いこうぜ。見つかる前にな」
幸の提案に即座に秀が反応し、秀はまたもや皆を率先して体育館に向けて歩き出した。
四人は一回後ろを振り返って他の教師がいないことを確認してから秀の後をついていった。




