5.見ぐるしいかお
電気代の事について尋ねようかと、ペンを持って近付いて行く。
大きなその肩を叩き、顔を向けさせる。ペンのキャップを外そうとすれば、大きな生き物から、ずっしりと重い、黒ずんだ財布を手渡された。
あまりにも唐突な事だったので、まぬけな顔を晒してしまう。大きな生き物は、曖昧な笑顔を浮かべていて、もう一度財布を強く押し付けてきた。
使え、という事なのだろうか。だとすれば、相当太っ腹な事だ。金銭感覚が狂っているとしか思えない。
しかし、確認をして、もし取り上げられたりしてはたまったものでない。太っ腹であろうがなかろうが、有り難い。ありがたく生活費にあてさせてもらおう。
私がしかと受け取ったのを確認すれば、大きな生き物は安心したように控えめに笑う。そしてすぐに視線を外し、小さな生き物の下へと戻っていった。
おかしな奴だ、と、鼻先で軽く嘲笑ってみる。自分の鼻息が髪を揺らし、少し不愉快な状態になった。
財布の中身を確認すれば、そこには非現実的な厚さで、札がこれでもかという程に詰まっていて。
意図せずにして、生唾を飲み込んだ。
なんせ通常ならば、到底目に出来ないであろう額なのだ。ああ、この程度の驚きしか出来ず失礼な事を。
考えている事も定まらぬまま、これの元の持ち主を凝視した。
返すつもりなど、毛頭ない。けれど、あまりに不可解過ぎた。理由ぐらい、知ろうと思わずにはいられまい。大きな生き物は私の目線に気付いてないのか、はたまた無視を決め込んでいるのか。小さな生き物と、いっそ不気味なほど無邪気に戯れていた。
私は動かず、見つめたままでいる。ふと、小さな生き物が私を見た。小さな双眸を、不思議そうに丸く広げる。しばらく、眼を丸めたままに固まり、大きな生き物を翻弄とさせていた。
フローリングを、裸足でける。小さな生き物が、私の方へと駆けて来る。
大きな生き物は、ようやく私の方を見た。私が送っていた視線にもようやく気がつき、目んたまを不安げに動かした。
軽い衝撃と、生温い体温を感じながら、私は目線を送り続けた。そして札束をおもむろに見せつけ、それで小さな生き物の頬をはたく。するとそいつは突然に慌てふためき、千鳥足になる。酔っ払ってもいないくせに、おかしなことだ。
そいつは、私の方を見れば泣きそうな顔になった。しかし、何と言う被虐心のそそられない泣き顔だ。これと同じ顔を、小さな生き物にでもさせれば、それはそれは、ひどく弄りたくなる物になるのだろうに。
財布の理由を、例によって文字で尋ねた。窓が都合よく曇っていて、今回は机を汚さずにすむ。
大きな生き物が文字を見れば、途端に似合わない笑顔が浮かぶ。随分とにこやかな、けれど見苦しい顔で、改めて財布を押し付けてきた。
何だ、これは。
私は、突然に押し付けられた理由を聞いていたというのに。それに対して、もう一度押し付けるとは、一体全体どういったつもりだ。
大きな生き物は、見苦しい笑みを顔に貼り付けている。その顔を見て、その顔から繋がる、無骨な毛深い掌を見て、そこに持たれた財布を見て、私はそれを不愉快に感じた。
押し付けられるそれらを、無理に強く跳ねのけた。大きな生き物の顔から、見苦しい笑顔がはがれかける。かわりに、形容しがたい顔へとかわる。いつだかテレビで見た事がある、ムンクの叫びの表情に似ていた。けれど、それとも少し違っている。何にせよ、見苦しい事は変わらなかった。
跳ねのけた腕から遠ざかるようにして後ずさり、落ちていた財布だけを拾った。いくら持ち主が不愉快であろうと、金に罪があるわけではないのだ。金は不愉快ではない。けれど、財布は不快だった。持ち主の匂いが、沁みこんでいる感じがした。
中の札束をぬきとり、固まっている大きな生き物へ、空になった財布を投げた。投げつけた、といった表現の方が正しいだろうか。
大きな生き物が、小さく横に揺れる。大きな生き物のたるんだ頬に、黒ずんだそれがあたったのだ。財布が落ちて、そいつの足にあたり、はねた。
大きな生き物は動かない。微動だにせずにそのままにいる。
突然、生ぬるい体温が私から離れた。
私から離れたそれは、動かないものへと近づいていった。そしてすぐそばにまでよると、せいいっぱいに背をのばした。自らの手を、大きな生き物の頭へと置き、ゆるやかに動かして。
それは、奇妙で奇抜で、どうにも可笑しな図柄だった。
ずんぐりと大きな、見苦しい生き物が、か細く幼い、かわいげのある生き物に撫でられる。
小さな生き物が、震えるほどに背伸びをしているというのに、大きな生き物は、身をかがめる事もしない。無駄に大きなその背のままで突っ立っていて、小さな生き物の手のぬくもりを、放心したようにうけていた。
大きな生き物は、嗚咽をはじめた。
声など聞こえるはずもないのだから、本当に嗚咽したのかどうかはさだかではない。
けれど、大きな生き物は泣いていたのだ。おまけに、口をみっともなしに大きく開けて。鼻水が汚らしく顔に滴り、鼻は赤らんでいく。
大きな生き物はくずれおちた。小さな生き物の胸元に縋り、小さな生き物で鼻水をふいた。小さな生き物は、大きな生き物から逃げることはしなかった。小さな生き物は、そのまま変わらず撫で続けた。大きな生き物が、一体何をしているのかという事すらもわからぬように、眉一つ動かさず撫で続けた。
そして、その光景を、私は見る。私はこの光景を見ていた。この光景が、私は好きなのかもしれなかった。私がこの生き物たちを拾ってきてから、ようやく初めて、私にとって、この生き物たちが疎ましくなくなる。気付かずに、私はふらふらと生き物たちに近寄っていた。
絵などに興味はないのだけれど、こんな絵があるのならばほしいと思う。
大きな生き物が泣き崩れ、小さな生き物がそれを撫で、私がそれを眺めている。その間ずっと、テレビの画面は光っていた。
またも遅くなりましたが、五話完成しました。
今回は自分にしてはやや長めに。だけど相変わらず話し進まないっていう…。いい加減進めるつもりだったんだけどなぁ。
そして特に意識していないと「〜の音がした」とか書いてたりしてちょっとやばいです。
次回辺りでヘッドフォン云々もっかい書いて、設定ちゃんと自覚しよう…。
そしてアクセス解析みると二話だけやたらアクセス多いのは何でだろう。一話より多いって一体…。