第69話「森からの危険な脱出劇」
「ダメだっ! 逃げ切れない!」
「やはり戦うしか……」
陸徒は腹をくくり、ステラを背負ったまま片手で剣の柄を握る。シルビア、モコも同じくして武器を手に取り、押し寄せる大群を迎え撃つつもりだ。
シルフィも同様に戦闘の準備を、と思いきや、彼女は意外にも陸徒たちの行動を遮るかのように話を振ってきた。
「もう、こんな状況であの数相手にまともに戦えるわけないでしょぉ。みんな無茶ばかりしようとするんだからぁ。ここは、私に任せてねぇ」
この緊急事態にも拘らず脳天気に笑いながら、シルフィは自分の魔術書を取り出す。
「子供たちを襲うようないけないモンスターちゃんには、ちょっときつーいお仕置きが必要ねぇ」
ドヘルズペインたちは目前。臆することなくシルフィは一言放つと、魔術書を開いて素早く呪文を唱えた。
―死の樹海に潜めし飢餓の精霊よ
今場に存ずる者を蹂躙せよ
ここに饗膳の生贄を授けん―
「妖徨狂森!」
初めて耳にする術だ。陸徒を始め、シルビアたちも一体何が起きるのかと困惑しているが、術者本人以外にもう1名、正体を知る者の表情が戦慄していく。
「ちょっと! いきなりそれを使うっ!?」
それは言わずもがな、法術のみならず魔術の知識も人並以上に長けているステラであった。
「ステラ、そんなに慌ててどうしたんだ?」
「説明は後で! とにかく早くこの森から出ないとアタシたちも巻き込まれるわっ!!」
「さぁみんな急いでねぇ」
ステラの言動から事態の緊迫さが見て伺える。無論術者本人もそれは適当に理解しているため、全員を誘導して森の外目掛けて走り出す。
術の正体は一体なんなのかと思っていた矢先、突如と森の中が不自然に騒めき始めた。森に住むドヘルズペインたちは、真っ先にその異変に気がついたのか、陸徒たちの追跡を停止し、慌てふためきながら周囲を見回している。そして次の瞬間、目の前で起こる恐ろしい光景に一同が絶句する。
森に群生する木々が突然動き出し、周辺に蔓延るドヘルズペインたちを襲う。枝が手のように動いては、対象を持ち上げてそのまま体を引きちぎった。鮮血や臓器が無残に飛び散る。他にも幹が口のように開くと、森の住人を次々と捕食していく。まるで森の木々が飢えた肉食動物のように獲物を蹂躙しているかのようだ。
「こら、なにみんな突っ立ってんのよ! 早くここから出るわよっ!」
あまりの凄惨な光景に、思わず陸徒たちは唖然として立ち尽くしていたが、ステラの声に我に返る。確かに早々に立ち去らねば、皆もあのドヘルズペインのようにされてしまう。
「ダメだ。怖くて足が動かないよ……」
そこへ、連れていた子供たちが恐怖におののき、泣きながらその場に座り込んでしまった。
幼い子供にこのシーンは酷だ。正直陸徒たちも彼らと同じ状態になりかねない。それほどまでにシルフィの唱えた術は常軌を逸していた。とはいえ、ここで立ち往生している場合でもない。
「ったく仕方ないわね。陸徒、アタシを降ろしてこの子たちを。みんなもお願い!」
連れ出した子供は4人。ステラ以外の面々がひとりずつ抱えればなんとかなるが。
「ステラ、お前は大丈夫なのか?」
「アタシは大丈夫。アンタが負ぶってくれていた間、怪我は法術で少し治したから。まぁ正直、法力はもうほとんど残っていないんだけどね。最後にこれだけは頑張るわ」
普段は強がりを見せるステラも、余裕がないためか、言葉とは裏腹の苦心の表情が滲み出ているのが見てとれた。だがここは状況から考えて彼女に任せる他ない。
全員が子供たちを背負ったのを確認すると、ステラは簡潔に作戦を説明する。これよりとある術を掛けるので、効果が発動した後、全速力で疾走しろとのことだ。
―其は地を縮す疾速の風―
「瞬速走!」
早速とステラが法術を唱える。すると途端に子供たちを除いた各人の足が光に包まれる。この術は、かつてステラが魔信教団の幹部と戦った際に使用した、術の補助を受けた者の素早さを上昇させるものだ。これも通常は術者本人のみが対象とされるものだが、ステラの特殊能力により、対象者の広域化を図っている。
術の発動を確認し、一斉に駆け出した瞬間、周囲の木々が陸徒たちを狙って枝を槍のように突き出してきた。とうとう彼らも標的とされ始めたようだ。
法術の力なしで走っていたらならば、間違いなく回避できずに直撃していた。それほどまでに降り注ぐ枝の槍の速度は凄まじかった。しかしそれを上回る俊足で回避し、槍は地に突き刺さるのみ。
陸徒たちはあまりの速度に、進行方向の草木に衝突しないよう避けるのに精一杯なレベルだ。
襲い掛かる木々の攻撃を潜り抜け、距離にしておよそ300メートルを10秒程度で疾走した。おかげで飢餓の森から脱出することに成功。無論シルフィの魔術の効果は森の外までは及ばない為、外へ出て途端に辺りが静寂に包まれる。全滅したのか否かわからないが、ドヘルズペインも陸徒たちのもとへ向かってくることはなかった。
「はぁはぁ……なんとか、逃げ切れたか」
安全を確認すると、酸欠に陥りそうになるほど息を切らせてその場に倒れ込む陸徒たち。ステラの術はあくまでも動に発生する抵抗力等を補正するものであり、体力には影響されない。従ってフィジカル面は基本的に対象者自身に依存するため、使用後はとてつもない疲労感に見舞われる。
「危ないところだったわねぇ」
そんな中、さほど疲れ切った様子を見せず平然としているシルフィ。皆と同様に子供を1人背負って全速力で駆け抜けたにも拘らず、加えてこのメンバーの中で最も走ることが得意ではなさそうであるのにだ。常におっとりして不思議なオーラを出した謎めいた人物であるが、更にその印象が強くなったことであろう。
「んなことよりシルフィ! なんだよあの術は!?」
「え~、どうかしたのかしらぁ?」
「え~じゃねぇよ! もう少しで俺たちまで巻き添え食らうところだったんだぞ!」
「そうねぇ。ステラちゃんのおかげで助かったわねぇ」
(俺が言いたいのはそこじゃねぇ……。駄目だこの人、ぶっ飛んでやがる。アーシェラ女王が扱いに苦労するのもすげぇ頷ける)
陸徒はシルフィの奇天烈なキャラクターに圧倒され、うな垂れながら問答を諦めた。その様子を余所目に、ステラが先ほどの術の詳細について淡々と説明を始めた。
「あれは木属性最上級の術。飢えに苦しむ木の精霊トレントの意識を木々に宿すことで、術が放たれた場所を生きた狂気の森に変え、その範囲に存在する生物を残虐なまでに殺し尽くすのよ」
「魔術士でもないのにそこまで知っているなんて流石だな。って感心している場合じゃねぇ! ステラ、その場にいる生物ってことは、つまり始めからその術は敵味方関係なく攻撃する仕様ってわけか?」
「そうよ。あの術の恐ろしさは各属性の最上級術の中でも上位を争うほどのもの。先の説明の通り、諸刃の剣だから使いどころの見極めはシビアだけどね」
「そんなやばい術をあの状況で使っちまったのかい」
呆れと戦慄の混ざった驚愕の顔で、記憶に新しい術の現象を脳内で再生しながら冷や汗を垂らす面々。当人は我関せずとも言わんばかりに素知らぬ顔でただ笑顔を撒き散らせているだけである。
「みんななにをそんなに恐い顔しているのぉ? 無事に助かったのだから良かったじゃない。結果オーライよ」
このような調子では怒る気にもなれない。陸徒が溜め息をついていると、しばらく発言をしていなかったモコが口を開く。
「あれだけのドヘルズペインの大群を食い止めるには、相当な威力のある術でなければならない。だから1度で確実に相手を全滅させることが可能な術を使うのが得策。あの判断は間違ってはいなかったと思う」
「森は木の属性が付与されているから、あの術の力を最大限に生かすことができたしね。だからアタシも、そのエロい格好のお姉ちゃんを一概に責められなかった」
意外にもモコはシルフィの行動を擁護するようなコメントを残す。そして更にはステラまでもが付け加えるように賛同の意見をする。
彼女らの言うように、絶体絶命のピンチを覆す術を、あの土壇場で即座に発動させた機転の良さは評価に値するだろう。性格こそ多少の問題はあっても、魔信教団本部でも見せた、シルフィの類稀なる魔術の能力の高さが伺える。
「まぁアタシの天才的かつ迅速で的確な判断があったからこそ、全員助かることができたんだけどね!」
シルフィに対し徐々に感心を示し出してきたところが、ステラのこの余計な一言で忽ちに台無しとなる。だがこれにより、先ほどまで肝を冷やしていたような張り詰めた空気が、全員無事に生還できたことへの安堵へと変わる。
「なに調子こいたこと言ってんだよ! しかし、本当に無事で良かったな。みんな相当に疲れちまったが、捕らわれていた他の子供たちも助けられて一件落着だ」
陸徒が最後に締めると、皆少しずつ疲れが和らいできた体を起こす。気がつくと外は既に夜が明けようとしていた。
前方に見える、地平線から顔をゆっくりと覗かせる太陽と共に、一行はアヴァンシアの町へと戻る。




