第63話「失われし人の心 後編」
「うるせぇ! さっきも言ったがな、空也は人間だ。俺の弟だ! 魔族の後継者だの、ふざけた事言ってんじゃねえよ!!」
今の陸徒にはただひたすらバサラの話を否定する。空也が自分の弟、人間であるという事実だけが自分の精神を支えるものとなっていた。その様子を表すかのように、掌から血が出そうなほどに力いっぱいに剣の柄を握り締めて激昂する。
そんな彼の思いとは裏腹に、空也の状態が徐々に異変を見せていく。
「あ……ぐ、あ……兄ちゃん……た、助け……て」
「空也!!
膝をつき両手で頭を押さえながら、悶えるように苦しむ空也を、陸徒は彼の肩を掴んで起こす。
空也の体からは、あの時の暴走時と同じ禍々しい黒いオーラが立ち込め、目の色も血のように真っ赤に染まっていた。
「……そろそろ、だな」
「や、やめ……ろ。僕は、魔族なんかに……なりたく、ない……」
必死に抵抗しながらも、自我を保ち続けようとしているが、空也の外観は著しく変化していく。
癖毛な黒髪は色が抜け飛ぶように白くなっていき、黄色い肌も血の気の無い蒼白へと変色してしまった。
「ぐ、ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
空也は最後に大きな叫び声を上げると、張り詰めた空気が一瞬穏やかな静寂を迎える。すると先ほどまでなにもなかったかのように静かに立ち上がり、ひっそりとその場に佇んだ。
「空也……?」
「ふっ」
陸徒の呼びかけに一切反応せず、空也は目だけを動かして辺りを見回す動作をする。
そして鼻でひと笑いすると、右手を上げて指を弾く音を鳴らした。その瞬間、このフロアに立ち並んでいた多くの教団信者たちが、一斉にして黒い煙を上げながら消滅したのだ。
「!!」
その光景に教団リーダーのデオルが目を見開いて驚愕していた。
「ふふっ。この部屋、ゴミが散らかっていたから掃除してあげたよ」
親の手伝いを楽しそうにする子供のような表情で話す空也だが、その言葉と表情の裏に隠れる残忍さが取って伺えた。
「空也、なんか変だぞ? どうかしちまったのか?」
兄の声が聞こえていないのか、空也は陸徒の問いかけに一切反応しない。更には自分がした行動にも関わらず、先ほどの光景にゲラゲラと笑っているだけ。
するとそこへ、空也に対し怒りの感情を露わにし、声を張り上げて激昂している人物がいた。
「わ、我が教団の信者たちが……。貴様っ! なぜこのような真似をしたっ!?」
デオルだ。先ほどまでバサラと共に空也が苦しみながら変貌を遂げていく姿を見て、薄ら笑いを浮かべて観覧していたが、その状況から一転して今は空也に敵意を剥き出さんとばかりに形相を強めている。
「まさか信者共を抹殺してしまうとは……。予想外な行動ではあったが、いずれにしろもう必要のない人間共だ。消えたところで我々の計画に支障はない」
「バサラっ! 貴様までなに言うか!? これでは話が違う。計画は魔族の復活と少年の覚醒だ。その暁に我々魔信教団を魔族の配下に置くと約束したはずだ!」
「そう約束はしたが、信者共が殺されたのは我のせいではない」
「ク、クソッ! よくも……信者たちをっ!!」
屁理屈じみたバサラの返答を当然聞き入れるわけでもなく、デオルは唐突にマントを翻して、腰から武器を取り出す。それはトンファーのようであったが、棍の部分が刃となったカーラという格闘向けの斬撃用武器だ。
このデオルという男、魔族を崇拝する教団のリーダーという人道外れた生業をしてはいるが、リーダーとして信者たちを大切に想っていたのだろう。怒りに満ちた表情からそのことが充分に伺えた。
早速と取り出したカーラを装着したデオルは、標的に対して攻撃の態勢を取る。その対象は、空也だった。
「魔族の後継者だろうが、最早この際どうでもいい。忠実なる我が信者たちを殺した罪、償ってもらうぞっ!!」
言葉を言い放つと同時に、床を蹴って空也目掛けて突進する。非常に素早い動きだ。
弟の身を案じ、陸徒は止めに入ろうとするも間に合わず、デオルの攻撃が空也に直撃……かと思いきや。
「くっ、な……なんだ? 体が、動かない!」
カーラで空也を斬りつける寸でのところで、デオルは体を硬直させていた。まるで見えないなにかで動きを押さえつけられているかのようだ。
対する空也は、静かに俯いたままなにも行動を起こしていないように見える。バサラは腕を組んだまま壁に寄りかかり、我関せずとも取れる様子で傍観している。バサラの仕業ではないようだ。
すると突然空也が顔を上げ、目の前で動きを封じられているデオルを覗き込むように見ると、無邪気な子供のようにはしゃぎ笑い出した。
「アハハハハッ! 全く動けないみたいだけど、どうしちゃったのかなぁ?」
「くそっ……。そもそも貴様みたいな未熟な人間から魔族に覚醒したことが原因で、このような欠陥品が生まれてしまったのだ」
「……!!」
デオルの言葉を聞いた途端、楽笑を撒き散らしていた空也の態度が一変する。目に力が入り、焦点の合っていないような視線。そして徐々に殺意に満ちた表情へと変わっていく。
「僕、君みたいな人は嫌いだな。嫌いだからここからいなくなってもらおうかな」
意味深なセリフを吐くと、空也は右手でなにかを掴み上げるような動作を見せる。するとデオルが自分の首元に手を寄せようとしながら苦しみ出し、ふわりと体を宙に浮かせる。
これは明らかに空也の仕業。ともなると、先ほどデオルの攻撃を止めて動きを封じたのも彼のもので間違いないようだ。
「空也っ! なにをするつもりだ? やめるんだ!!」
「……兄ちゃんは黙っててよ。もし僕の遊びを邪魔しようってなら、兄ちゃんでも容赦はしないよ」
嫌な予感と異様な恐怖感を覚えた陸徒は、咄嗟に空也を止めようと行動に出るが、口を開いた空也の言葉に冷酷さを感じ、一抹の悲しさから動きを止めてしまう。
しかし、斯様にも豹変してしまった弟が、陸徒のことをまだ兄と認識していた。完全に自我を失っている様子ではない。そう気づいた陸徒は、空也への説得を試みる。
「空也! 俺が誰だかわかるんだよな? お前は魔族なんかじゃない、俺の弟だ。だからこんなバカなことはやめて正気に戻るんだ!」
「…………」
俯き気味の空也は、陸徒の言葉に反応を見せないものの、沈黙を見せている。少なからず聞く耳を持っているであろうと、陸徒は続けて言葉を投げた。
「空也、お前は立派な魔術士だ。クレスタの爺さんも評価してくれていたじゃないか。俺も兄として誇りに思う」
「…………」
「自分を取り戻せ! そして早く元の世界に戻る方法を見つけて家に帰るぞ。父さんと母さんもきっと心配しているはずだ」
「…………」
「目を覚ませ、空也っ!!」
このままでは埒が明かないと思い、陸徒は思い切って空也の腕を掴み、自分に意識を向けさせようとするが——。
「うるさいな! 黙っててよ!!」
空也が陸徒へ顔を振り向いたかと思うと、目を見開いて眼力を彼へ向ける。突如見えない衝撃が陸徒を襲って後方へ吹き飛ばした。
そのまま壁に叩きつけられると、地へ着くこともなく押し付けられた状態になる。もの凄い力で全く抵抗出来ない。まるでとてつもない重力が掛かり、体を封じ込められているかのようだ。
「く、から……だ、が、うご……か」
呼吸すらままならないほどの力は、更に徐々に強まっていき、次第に陸徒の体が壁にめり込んでいく。
石造りの壁が砕けていく音と共に筋肉が潰され、骨の軋む音が耳に伝わってくる感覚が襲う。陸徒はあまりの激痛に気を失いそうだ。
「くう、や……やめ、ろ……。ころ……す、きか……」
辛うじて空也に聞こえるかというほどのか細い声で、陸徒は必死に叫ぼうと精一杯力を振り絞る。だが耳に届いていないのか、無視をしているのか、陸徒を睨みつける空也の表情は変わらず、彼を壁に押し続けた。
意識が遠のいていく。このままでは陸徒の命が危険だ。そう思った矢先、フロアの右手方向の壁が突然砕かれる音がし、砂埃を上げながら奥の暗闇から見慣れた3つの人影が現れる。
「お、明るいところに出たぞ!」
「……迷路脱出」
「ふぅ。やっと陰気な空間から出られたわね」
シルビアとモコ、ステラの3人であった。それぞれの戦いを終えて合流した彼女たちは、その後再び幻術の迷路を彷徨うも、陸徒が壁に叩きつけられた音に気づいてこのフロアへ到着することができたようだ。予想外の出来事だが、これを機と判断したのか、デオルが行動を起こす。
空也のターゲットが陸徒に移っていたことと、シルビアたちが現れたことによる意識の移行から、体が自由に動かせると確認したデオルは、自分に背を向けている空也に対し不意打ちを仕掛けた。
「!! ク、クソ……なぜだ……」
声と気配を消し、完全な不意打ちをしたつもりであったが、デオルはまたもや同じ状態へと陥る。
金縛りにでもあったかのように、空也の目の前でデオルは体を硬直させている。力いっぱいに動かそうにも、全身が麻痺しているかの如く震わせるだけで、一切微動だにできずにいた。
「……君は本当に鬱陶しいね」
空也はそう言いながら、動けずにいるデオルの腹部に手を翳すと——。
ドスッと肉を突き破る気味の悪い音がした。デオルは声にならない叫びを放つ。空也の掌から真っ黒い杭のようなものが現れたと同時に、前に伸びるようにしてそのままデオルの体を貫いたのだ。
「ひいぃっ!」
その光景を見たステラが真っ先に悲鳴をあげる。
「お、おい……あいつ、空也か? なんであんなことを……」
「でも、いつもの空也じゃない」
突然の状況に彼女ら3人は半ば混乱と動揺をしながら騒いでいる。登場して早々にあのような場面を見せられては無理もない。これまでの経緯を知らなかったのだから尚更だ。
「お、お前ら。今の、あいつは……本当の、空也、じゃない」
再び空也の標的がデオルに移ったことで、壁に押し付けられた状態から脱した陸徒は、全身に走る激痛に耐えながら必死で立ち上がる。そして困惑している3人にこれまでの経緯を手短に説明した。
「……俄かには信じ難いわね」
「あの空也が魔族……だって?」
「……空也」
荒唐無稽な話だが、このような状況で陸徒が嘘をつくはずもなく、3人は冷や汗をを垂らしながら驚愕して空也の方へ目を移す。
「お、おのれぇぇ! こ、この出来損ないがぁぁぁっ!!」
するとそこへ、体を貫通された状態ながらもデオルが力を振り絞って抵抗。右手を動かし空也へ攻撃を仕掛ける。
「誰が出来損ないだ!! そんなに死にたいなら僕の魔族の力を見せてあげるよ!」
対し空也は怒りの形相でデオルを睨み、彼のカーラが当たる直前で手に力を加えると、デオルを貫いている杭から黒い炎が噴き上がった。
「ぐおぉぉぉぉぉっ!!」
断末魔の叫びと共に、デオルは忽ちに黒い炎に身を包まれ、一瞬にして消し炭となってしまった。
「お、おい……」
「あいつ、やっちまったよ……」
「う、嘘でしょ……」
「……」
あまりにも凄惨な光景に絶句し、陸徒たちはまともに言葉も出ないまま呆然と立ち尽くす。
跡形もなく焼き尽くされてしまったデオルの体は、パラパラと灰になって空也の足元に降り落ちた。
「おやおやまさか殺してしまうとはな。まぁ正直教団の人間は用済みであったから、丁度良い掃除ができた」
ここまでの出来事に表情ひとつ変えず、あまつさえ微笑しながら傍観に徹していたバサラが冷酷なセリフを吐く。
「さて、一先ず第一目的は果たせた。やり残している仕事があるが、少々時間を費やし過ぎたな。優先事項は空也の魔族化だ。というわけで、我々は失礼させてもらう」
そう言うと、冷徹な銀の男が目の前に亜空間の入り口を作り出す。いつぞやの船の中で見たものと同様だ。このままでは空也を連れ去られてしまう。
「待て……空也を、どこへ連れてくつもりかっ! そうはさせねぇっ!」
掛け声と同時に気合のみで体を奮い立たせ、陸徒は精神力で剣を構える。それに反応するかのようにシルビアとモコも武器を構え、バサラに対して攻撃の体勢を取る。
「……ったく面倒な奴らだ。こちらは忙しいのだ、邪魔をするな!」
バサラが目を見開いて眼力を強めると、刹那不可視の衝撃波が陸徒達を襲う。戦闘態勢を取ってはいたものの、不意を突かれたかのように全員後方へ吹き飛ばされてしまった。
その衝撃により、シルビア、ステラ、モコの3人は一気にダメージを負ってしまった。元々空也の攻撃で重傷であった陸徒は、致命傷寸前までに至る。まさか一撃のみでここまでの状況に陥ってしまうとは、凄まじい力だ。
「大人しくしていれば良いものを。人間というものはしぶとく、諦めが悪い生き物だ。これ以上余計な邪魔をされて時間を無駄にしたくないのでな」
蔑んだ目で倒れる陸徒たちを見下ろしながら、バサラは人間の言葉とは言い難い不可解な呪文のようなものを唱えると、その周囲に黒い煙が立ち込める。煙の中から低い呻き声が聞こえてくると、そこから徐々に禍々しい姿の生物が次々にと出現する。
それは魔族の姿に似通ってはいるが、体は一般的な人間よりも小さく、肌は小豆色。不自然に湾曲した背骨部からは幾重にも棘が生え、口の裂けた豚のような顔に歪な形状をした角が頭部に二本。手足は異様に長く、そして細い。恐怖の象徴とも言える怪物と称するに相応しい形態であった。その数……目視だけでも数十体はいるだろう。
「魔族復活と同時に生み出されたしもべ、アークデーモンだ。ラディアセイバーを持つ者、貴様の始末はこいつらに任せるとしよう。もし、万が一生き残ることができたなら、後で我が直々に殺せば良いこと。ま、せいぜい頑張るんだな」
不敵な笑みと残し、バサラは亜空間の中へと身を投じ、姿を消してしまった。そして空也も……。陸徒たちを気にする素振りも見せずに、躊躇いもなくバサラの後を追ってこの場から去ってしまった。
「ま、待てっ! くう、や……。行っちゃ、だめ、だ。くうや、く、うや……くうやっ……!」
意識が朦朧としながらも、必死に呼び止めようとする陸徒の叫びも虚しく、視界に映るのは、彼らに敵意を剥き出してギィギィと喚き上げるアークデーモンたちの姿だけであった。




