第2話「その世界の名はミドラディアス」
ザザーッ
暗闇。だがこれは鉱山内部の闇ではないのは何故だか分かる。何も無い真の暗闇なのだろうか。しかし何処からか聞こえてくるこのざわめき音は何だ。
(りっくん!)
陸徒は、何も見えぬ暗闇の中でもハッキリと残る意識だけを巡らせていた。
(ねぇ、りっくんてばぁ!)
ここで先ほどまでに起きた出来事を思い返してみる。芦羅鉱山へ侵入した自分達は、警備員から追いかけられながらも、内部下層で発掘された巨大な水晶を発見。
(おーい、りっくんやーい!)
そして空也がそれに触れた途端、強烈な光を発した。ここまでは明確に覚えている。それにしても何だか――。
「りっくぅーんっ!!!!」
「だぁーっ! うるせぇ!! 耳の奥がキンキンいってるぞ」
意識だけの中で回想を巡らせているところ、それを遮断させるかのような、あまりにも耳障りな大声が鼓膜を刺激して我に返り、陸徒は瞼を開放させながら上半身を勢い良く起き上がらせる。
「良かったぁ、ずっと呼び掛けているのに起きないんだもん」
どうやら気を失っていた陸徒を呼び覚ます為に、波美が声を掛け続けていたようだ。
「あぁすまん、心配掛けたな。で……ここは、どこだ?」
状況を把握しようと、首根に手を当てて筋肉を軽くほぐしながら辺りをゆっくりと見回す。
「分からない。どこかの森の中だというのは分かるんだけど……」
波美の言うように、ここは鉱山内部ではなく森の中だった。初めに聞こえたさざ波のような音は風に揺れる木々のざわめきだったようだ。だが考えてみれば陸徒達が森の中にいるというのはどうも不自然だ。鉱山に行ったのは真夜中。だが周囲の明るさや空気のにおい。周りから聞こえる鳥達の囀りから察するに、今は朝方に近い時間帯に思われる。一体何がどうなっているのだろうか。鉱山外部の森の中で、斯様な時間まで彼らは気を失って倒れていたのだろうか。
「俺達、鉱山の外に出て来たのか?」
「それが……何かちょっと変なのよ」
陸徒は状況を確認するように波美へ問いかけると、彼女は苦いものを飲まされたような表情をしながら、上の方を指差した。それに誘導され、陸徒は空を見上げる。
「何だ、ありゃ……」
陸徒は木々の間から見える空を見て驚いた。その色に真っ先に強い違和感を抱く。青空に夕日の色が薄らと溶け込んだような、微妙に紫掛かった色をしていてる。これは妙だ。
「兄ちゃ~ん!!」
するとそこへ、空也の声が木々の奥から聞こえてきた。気絶から目が覚めたばかりである事と、不可解な状況から彼がいない状況にすぐ気が付かなかったが、声を耳にした途端思い出したように陸徒が反応した。
「空也? どこ行ってたんだよあいつ」
「空也くん、お兄ちゃんいた?」
陸徒達のいる場所から右手の方向から空也は走ってやって来た。そんな彼を見るなり波美が問い掛ける。
「ううん、この辺りには何処にも居なかったよ」
「……そっか」
空也の報告を聞いて、波美は表情に影を落として俯く。
「は!? あの変人……じゃなかった、喬介さんいねぇの?」
察するに、鉱山にて共に行動していた波美の兄、喬介がこの場からいなくなってしまったという事だ。確かにこの森の中、見渡す限りでは陸徒と波美、空也の姿以外視界に入ってくるのは森の木々や茂みだけである。空也は喬介を探しに辺りを偵察していたようだ。
「波美さん、そんな悲しい顔しないで。兄ちゃんも目が覚めた事だし、もう一度みんなで周りを探してみようよ」
空也が波美を元気付ける。怖がりな割には不可解な状況であるにも関わらず、見知らぬ森の中をひとりで動き回ってしまうような順応性の高さと、人を気遣う優しい心の持っているところが空也の良い所でもある。
「うん……分かった。ありがとう空也くん」
「よし、それじゃみんなで探すか! ただ、ここは手分けしないで一緒に探すぞ。空也もさっきはいいが、こんな怪しい森をひとりで歩き回るなよ」
「分かってるよ」
こうして陸徒達は、怪しい森の中を歩きながら喬介の捜索を始めた。
「お兄ちゃーん!!」
「喬介さぁーん!!」
周りが開けていない視界不良な森の中、それぞれが大声で叫ぶ。だが帰ってくるのは風に揺れる木々のざわめきだけであった。
それでも諦めずにしばらく探していると、数メートル先の辺りにある茂みから物音が聞こえてきた。
「ん? 今の、お兄ちゃん?」
「たぶんそうじゃないか? きっと変な木の実とか探してたんだよ」
「まったく、お兄ちゃん! そんなとこで何してるの!?」
いち早く物音に気付いた波美が、ひとりで茂みの方へ走って行った。
「え、でもその辺りはさっき僕が――」
その様子を見ながら空也が何かを言いたそうに呟いたその瞬間。ガサガサという音と共に茂みから出てきたのは喬介……ではなかった。
艶のある茶色い体に、頭部と思われる部分から生えている2本の角。立ち上がった全長は空也よりやや低く、即座に頭に浮かぶ印象が二足歩行のクワガタのようであった。
謎の生き物は曇りガラスを引っ掻いたような耳障りな鳴き声をあげ、それと同時に近付いてきた波美に襲い掛かってきた。
波美は全く動こうともしない、声もあげない。恐怖のあまりに何も出来ない状態に陥ってしまっていた。
「波美さん逃げてっ!!」
しかし慌てて叫ぶ空也の呼び掛けにも反応しなかった。
「ちっ」
舌打ちをして、陸徒が波美に向かって走り出した。彼の必死さから、謎の生き物に対する恐怖心などこの時は微塵もなかった事が伺えた。
巨大クワガタが波美に飛び掛かるその一瞬を、陸徒は彼女を押し倒して間一髪回避する。
「おい波美、しっかりしろ!! ったく何ボーっとしてんだ」
陸徒は波美の体をゆすり、声を張り上げながら呼び掛ける。すると彼女は焦点の合っていなかった目に輝きを取り戻して我に返った。
「りっくん、助けて……くれたの?」
「当たり前だ! 何で逃げねぇんだ!」
「ごめん……怖くて、あたし」
波美は声を震わせながら涙を浮かべて陸徒の腕にしがみついた。
「まぁいい。それより、あの化け物は……?」
陸徒は後ろを振り向き、先ほどの巨大クワガタのいた方を見ると、今度は飛び掛かって着地した場所から近い空也の姿を認識する。
それは視界に入った空也を途端に標的へ変えると、奇怪な鳴き声をあげて襲いかかる。空也も恐怖のあまり、腰を抜かして座り込んでしまっていた。
「しまった、空也ぁーっ!!!」
陸徒が必死に叫び声をあげながら空也の元へ駆け寄ろうとした刹那、スパッと何かが切れる鋭い音が聞こえた。すると、空也を攻撃しようとしていた巨大クワガタの動きが止まり、直後両腕が寸断される。
「葉踊刃!」
更に何処からか声が聞こえたかと思うと、巨大クワガタの体が何かに切り刻まれ、黒い煙を出しながら消えていった。
「化け物が……消えた?」
「ど、どうなってるの?」
陸徒と波美は目を見開きながら半ば混乱状態で、対象が消えていく様子を見ていた。
「いや、そんな事より空也っ! 大丈夫かっ!?」
だがすぐに我に返り、ふたりは急いで空也のところへ駆け寄る。陸徒の呼び掛けに、空也は目と鼻の両方から水を汚く垂れ流しながら無言で頷く。
「それにしてもさっきのは一体何だったんだ? でかいクワガタみたいな化け物で、誰かの声が聞こえたかと思ったら、その化け物は倒されるし……そういや、声?」
陸徒は先ほど聞こえた知らぬ声を思い出し、辺りを見回したがどこにも人影は見当たらなかった。しかし人影とは別に、今度はさっきと同じ化け物が次々と現れたのだ。その数およそ十体。
「嘘だろ……!!」
「な、何なのよこの数は……」
「もう……ダメだぁ!!」
陸徒達はすっかり囲まれ逃げ場を失った。さすがにこの数から攻められては成す術は無いと諦めかけたその時。
「あなた達の相手はこちらです!」
またもや誰かの声が聞こえた。だが最初に聞こえた声とは明らかに違う……女性の声だ。化け物達は声のした方向を向く。陸徒達もその姿を確認しようとしたが、視界を埋め尽くすほどの数を化け物の姿に遮られていた。
―其は万物を遮る絶衝の盾となれ―
?『魔防壁!』
突如女性の声で何か呪文のようなものが聞こえた瞬間、白く透き通ったドーム状の膜が陸徒達の周りを囲うように現れた。それに反応したのか、一体の化け物が陸徒達目がけて飛び掛かってくる。
「お、おいちょっと待て!!」
陸徒達は思わず腕で目を覆い隠してしまうが、彼らの身には何も起きなかった。
「何が、起きたの?」
始めに空也がゆっくりと目を開けると、彼らから数メートル離れた位置で仰け反り返って倒れた化け物を発見する。他の個体も同じように飛び掛かってきたが、またもやその膜のようなものにぶつかり弾き飛ばされたのだ。
「これは……バリアってやつか?」
状況から現状を半ば想像で言うも、当然ながら陸徒は何がどうしてこうなっているのか全く理解出来ていなかった。気が付けば化け物達の隊列が乱れて散り散りになっていた。倒れた状態から起き上がるものもいる中、陸徒は改めて先ほどの声が聞こえた方を見る。
するとそこにはふたつの人影があり、ようやくその姿を確認する事が出来た。良く見ると中世西洋風の格好をした女の子と、老人が立っているのが分かる。
「さ、クレスタお願いします」
女の子が老人に命令をする。クレスタというのはもうひとりの老人の名前だろうか。
「はい、お任せくだされ」
そう言って、クレスタと呼ばれた老人は何か呪文のようなものを唱え始めた。
―悠然たる深緑よ、枝針を紡いで槍となれ―
「枝龍線!」
そしてまたもや呪文のようなものから連なる言葉を発した瞬間、強い風が吹く事もなく周囲の木々が荒々しくざわめき始めた。化け物達はその異変に気付いて騒ぎ出す。
すると、突然四方八方から大きな木の枝が化け物達に次々と襲い掛かり串刺しにしていく。上から突き刺されるものや、地面から木の枝が生えてきて突き上げられるものもいた。陸徒達は呆然としながらその光景をただ眺めるしかなかった。
断末魔の叫びと共に、たちまちに黒い煙を出しながら消し飛んでいく化け物達。秒針がいくつも動かないほどの早さで全てを一掃し、辺りはまた静寂なる森へと戻っていった。
「お、おい……一体何なんだよ、これは」
「そんな事言われても、あたしにだって何が何だか……」
立て続けに不可思議な現象を見せられては、混乱するのも無理はない。いつの間にか陸徒達を覆っていたバリアも消えていた。
「皆さん、お怪我はございませんか?」
女の子は彼らの方に寄って来て話し掛けてきた。どことなく上品さを漂わせていて、良く見ると僅かな幼さを感じさせる。陸徒達の年齢と変わらないように思われる。
右手には先端に赤い宝玉の付いた茶褐色の杖のような物を持ち、腰の後ろには弓を装着している。森の中の微弱な風にサラサラとなびく長いブロンドの髪と金の髪飾りに、純白とクリーム色の生地をあしらった衣服を身に纏っていた。明らかに日本人ではなく外国人の風貌である上に、この時代からは到底似つかわしくない中世西洋風の服装。おまけに武器を所持している。陸徒達からすれば、怪しい事この上ない人物であるが……。
「あ、あぁ。ありがとう、こっちは大丈夫だ。それよりあんた達は何者なんだ? それにさっきの化け物は?」
だが、命を危機を救ってくれた事には変わりない。陸徒はまず感謝の意を示した後、単刀直入に疑問を投げ掛けてみる。
「姫に対して何という口の聞き方を!」
意外にも、質問の内容よりも先に言葉遣いを指摘される。老人の口から出た姫という言葉が気に掛かる。
「良いのですクレスタ。それにこの方達は、おそらくこの世界の住人ではないと思われます」
「と言う事はもしやゲートクリスタルによって……?」
「やはり泉に映しだされたものは真実だったと見て間違いないでしょう」
女の子と老人が意味不明な事を話しているが、陸徒達には皆目検討がつかない内容だ。
「なぁ、さっきから何を話してるんだ?」
蚊帳の外にされ、陸徒が事情を聞きだそうと口を割り入れる。
「これは失礼。ところでひとつご確認させて頂きたいのですが、あなた方はどこの国の住人でしょうか?」
「え、何を言ってるの? どこの国って……僕達日本人だけど、ここ日本じゃないの?」
質問の意図が全く理解出来ず、陸徒と波美が困惑の表情を見せるも、空也が素直に反応して老人に問い掛ける。
「ニホン……やはりこの方達は別世界の方のようですな。ここは、あなた方達の住んでいる世界の裏側に存在する世界――」
「その名を"ミドラディアス"と言います」
老人の言葉の後に、女の子が聞きなれない名称を口にする。
「ぼ、僕達の世界の裏側に……」
「存在する、世界?」
「ミド……ラディアス……だって?」
果たして、陸徒達はどのようにしてこの不思議な世界へと迷い込んでしまったのか。先ほどまで共に行動していた喬介は何処へ行ってしまったのか。
そして、裏側に存在する世界"ミドラディアス"とは一体……?