弱い男と強い女
その手紙は、やはり見てはいけないものだった。
全てに目を通した後、僕はベッドの横においてあった丸椅子に腰掛けた。そして改めて、父の死に顔を見る。
――――どんな気持ちで、この手紙を書いたんだろうか。
父は自分が死ぬことを悟って書いたのか、もしくはただの気まぐれだったのか。
もう今となってはわからずじまいだが、聞きたかった。父の声が聞きたかった。
内容にはさほど驚かなかった。驚くより強かった感情が心内にあったから。薄々気がついていた。
高校生の頃に両親の健康診断の結果が無防備にも置いてあったのを見たことがある。そこに父の血液型は、O型。母はA型と書かれていた。中学の頃に習った理科では、確かその血液型ではAB型の僕は産まれないのだ。
その時にはもう気がついていて、僕はそれを隠している両親に腹を立てていた。当時、自分はもう大人だと思い込んでいたので大人な自分に何故うちあけてくれないのだろうか、と。
今考えれば高校生なんて子供でしかない。しかし今も少しだけ苛立ってるということに関しては、僕はまだ子供だった。
「父さん…じゃ、ないんだよな」
ずっと疑っていたことが事実となってしまった今はもう、目の前に横たわる死体をもう父親とは思えなかった。不思議と急に冷めてしまってきていた。元々家族でも何でもないような感覚に囚われた。
目を閉じて、育ての父と過ごした幼い頃を思い出した。
何故だろう。
今目の前にある死体と、同じ人物だとは思えないのは。
実の親ではないと知った瞬間、僕はそれを他人扱いするような薄情な人間だったのか。初めて知った。そして思った。
―――――僕はこんな他人のために、早起きしてこんなに遠いところに来たのか。
虚しくなった。
他人のためにこんなことしてた自分がバカらしくなった。
小一時間ほど経っただろうか。ドアをノックする音が静かだった部屋に響いた。
「あなた、入ってもいいかしら」
声の主は世那だとすぐにわかった。
「いいよ」と答えると、世那は僕の目は見ようとせずに俯きながら入ってきた。
「…母さんとの話は終わったのか?」
「ええ。たぶんあなたが渡された手紙の内容と同じ話をされたわ」
「そうか」
本当は母さんなどと呼びたくない。憎んでる訳じゃない、寧ろ感謝しているくらいだ。
なのに、何だ、このモヤモヤするしているのは。
「…お義父さん、辛い過去をお持ちだったのね」
「そうだったみたいだな。あれは俺も初めて聞いた話だった」
「……大丈夫?」
「うん。大丈夫」
笑って答えた。
世那には弱い部分は見せたくなかった。いつも格好つけていたかった。強いと思わせたかった。否、現状から言えば自分に言い聞かせているようなものだった。
「…僕、本当は血が繋がってないこと知ってたんだ」
「……うそ」
「本当だよ。高校生のときに両親の血液型見て、それで気付いた。自分、二人と他人だったんだって。馬鹿げてるだろ?ずっとなにも言わずに黙って10年以上いたんだぜ。お互いに。僕も知ったことを言わずに、あの二人も真実を口にしずに。過ごしてたんたぜ」
いつになく饒舌になっている自分に自分が一番驚いた。
「こんなの悲劇でも何でもない。あえて言うなら、――――喜劇だ」
笑えるくらいの、喜劇さ。
頭おかしいんじゃないの、こいつ、という心の声が丸聞こえな表情の世那を見て僕は言った。
「ははっ、はははははっ。もう駄目だ。僕はこんな薄情な人間だったんだよ。この手紙を読んだらもう、他人に思えてきた。僕には家族なんていないって!」
「あ、新…」
「僕はずっと独りだったって!」
「そんなことないわ!」
世那が大きな声を出した。この時、今日会って初めて正面から世那の目を見た。
「そんなことない。お義父さんとお義母さんたちと血が繋がってなくたって私がいるじゃない。彩翔だっている。家族がいる」
世那の目は涙で潤んでいた。その表情とは裏腹に、彼女の声や言葉は強かった。
「あなたは弱いわ。弱くて、子供みたいで、馬鹿みたい。それで一人じゃ何も出来なくて。家族だっているのに勝手に独りだって思い込んで格好悪い」
「…やめろ」
「格好悪くって、醜い」
「…やめろって言ってるだろ!!!」
しん、と部屋が静まり返る。
自分の息が荒くなっていることに気付いた。
「そんなの自分が一番分かってるよ…。君の前では弱いところは見せたくなくて、無理矢理格好つけてた。だけどそうやってることが一番弱いってことも」
「…そう」世那はそう言うと、いつの間にか流れていた涙を手の甲で拭おうとした。僕はポケットからハンカチを取り出して、その涙を代わりに拭った。
「…ありがとう」
「言わなきゃいけないのは僕の方だよ。世那、ここまで着いてきてくれてありがとう。君のおかげで今、正気でいられる。いなかったら狂ってたかもしれない」
ありがとう。繰り返し言った。
はぁ、と長めなため息をついて僕は父の方に向き直った。そして両手を合わせて頭を下げた。
「今までありがとうございました。本当の親じゃなかったのに、ここまで育ててくれて本当にありがとうございました」
言い終わってからも、頭を下げ続けた。上げたくなかった。
何故だか、さっきまで何ともなかった目頭が熱くなってきたからだ。
約二分くらい頭を下げ続けて、顔を上げると隣には僕と同じように頭を下げている世那がいた。
「私からも、ありがとうございました。お義父さんが新さんを救ってくれたおかげで私たちは今ここにいます。彩翔とも出会えました。本当にありがとうございました」
ぱっと顔を上げた世那の顔を見ると、その目はまた泣いていた。僕はポケットからまたハンカチを取り出そうとしたら、
「いい。これは拭かなくていい」
と断られてしまった。
別に食い下がる気もなく、すまないと一言添えてポケットに引っ込めた。
時計を確認すると朝の9時を回っていた。静かだった病院にも、患者の姿が多くなってきた。
「ごめんなさい。私一度戻るわね。彩翔も心配だから」
「うん。新幹線で帰るんだよね」
「ええ。でも明日にはまた来るから」
「わかった。たぶん僕は実家にいるから直接来れるよな。ところで母さんはどこに行ったのか分かる?」
「…ううん。話が終わったあとは私が先にその場を離れてしまったから」
「そうか、わかった。一度連絡してみて探してみるよ。じゃあ気を付けてな」
「うん」世那は小走りで病院を出ていった。
姿が見えなくなるまで見送ってから、踵を返して父がいる部屋に戻った。
一人で置きっぱなしにしてしまっていた手紙を回収した。そして読み返した。
やっぱり何度読んでも、馬鹿げてる。ずっと知ってた筈なのに、今日初めて知ったみたいな気分になった。
コンコン、控えめなノック音がした。
きっと母だろうと思って僕は「どうぞ」と声を掛けた。しかしガラリと開いたドアの向こうにいたのは看護師だった。
「この度は申し訳ありませんでした。当病院も力を尽くしたつもりではありましたが、力及ばず。本当に申し訳ありませんでした」
いきなり額が膝につきそうなくらい頭を下げられて、一瞬驚いたがそんな謝罪言葉一つで片付けられてしまうのかと思ったら、腹が立った。
「別に、良いです。謝ってもらわなくても」
「………」
看護師は顔をあげない。僕は苛立って、
「顔を上げてください。もういいって言ってるでしょう」
と言うと、看護師は無言で頭を上げた。
「…他に用がないのなら早く出ていってください。気分悪いんで」
「いや、あのお一つお伝えしたいことがありまして…。奥様はどこにいらっしゃいますか?」
「いえ、知らないです」
看護師は僕から目を反らして、急に不安げな顔になった。
「先程、階段で奥様とすれ違った、なにか様子が変わってらして…。挨拶もしたんですけど、気づかれなかったご様子でした」
「それで?」
「それでたぶんあの足取りだと、屋上に向かってるんじゃないかと…」
「…え?」
「いえ、勘違いだったら悪いんですけど…」
僕は看護師の言葉を最後まで聞かずに部屋を飛び出した。
後ろから呼び止める声が聞こえてくるも、無視。それよりも大事なことがあるから。
―――――母さん、母さん。あの日言っていたことは本当なのか?
それが真実ならもう間に合わないかもしれない。
僕は無我夢中で階段をかけ上がった。
9話目、読んで頂きありがとうございました。
すごい時間をかけてかきあげました。
ちょっとよくわかんないところがありますが、そこは次回のお楽しみということで…。
今後ともよろしくお願い致します。
飴甘海果