5
「お疲れ様でした」
金曜日の夕方、会社のビルを出ようとしていたら、ちょうど中に入ってこようとする向井さんとすれ違った。
あまりに真正面に来ていたので、無視がしずらい状況だったから
覚悟して、でも小さい声で挨拶をした、
万一、気づかれなくても平気なようにって、本当に自信なかった。
彼は考えに没頭していたのか、その声に気づかずに通り過ぎようとして・・・止まった。
「澤村さん・・・お疲れさま、今帰り?」
「はい、あの・・・向井さんは出先から・・・」
「そう、やっと先方と話がついてね、今から報告書作成と、打ち合わせ」
「お忙しいですね・・・お疲れのところ、ひきとめてすみません、それでは」
やっぱり邪魔だったと早々に引き上げようとした。
やっぱり、この人と対等に会話するなんて無理だ。
妙にてんぱってしまうし、逃げたくなってしまう。
声かけなきゃ良かった。
自分がすごくみじめだ・・・
「澤村さん、えっと約束、あれ、来週以降でもいいかな?」
意外なことに、澤村さんが人の往来を避けるように2、3歩横にずれた。
私も彼に合わせるようにして動く。
なんとなく、目を離せず、会話が続いていく。
「・・・約束・・・えっ? ああ、勿論です、気が向いたときでいいです、声かけてください」
「いや、僕がお願いする立場だから、そんな風に言わないで」
彼が表情をくしゃっとさせた。
初めて見る、困ったようなその彼の表情にドキッとしてつい視線を彼のスーツのほうに落としてしまう。
しっかりした生地で、濃いグレーに近くから見ないとわからないような細い線が入っている。
シャツを見ると、一日動いていたからだろうか、少しだけしわがよっているところがある。
そんなところまで見えるほど近くにいることに、慣れない私はくらっとめまいがした。
「そんな風にそっけなく言われると・・・なんか傷つくな」
上から降りてきた言葉にはっとして、顔を上げると
仕事をしているときの彼とは違う
飲み会の帰りに送ってくれた時と同じような
ただ優しい顔で私を見下ろしていた。