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いっつも見ている。
画面に集中しすぎて、長い間、忘れていた呼吸を再開する時とか
目が痛くなってきて思わず遠くを見ようと顔を上げたときとか
デスクから顔を上げる時は
まず彼女の存在を確認することが
僕の日常になった
最初はきっと無意識でしたいた事だったはずが
いつの間にか
意識してそうするようになったのはいつからだろうか
職場の風景の一部ではなく
彼女という存在に注目するようになったのは・・・
きっかけはなんだったのだろうか
彼女のデスクに置いてあった飲み物が
毒々しいほどの鮮やかな色のついた缶のもので
モノトーンに近い職場の雰囲気に全くそぐわなくて
すごく違和感を感じたその時からだろうか
(実はそれはハワイのトロピカルジュースの入った缶で、彼女のお気に入りの某有名輸入雑貨店で日常的に売られているのだということは大分後にわかった)
それとも彼女がつけていたピアスが
僕が自分の彼女にプレゼントしたものと同じだと気づいたときだろうか
有名なロゴのついたものブランドのアクセサリー
それを買ったのは街中の目抜き通りの一際目立つ大きなビルの1階にある店
クリスマスや誕生日なんかのイベントの時にしか入らないような特別な空間
彼女のつけているピアスがその店のものだと気づいた瞬間
僕はその店の空気とか流れていた曲とかその店で売っている香水の匂いとか
いろいろなものがよみがえってきて
すこし懐かしくなったんだ
だってその時の恋人とは随分と疎遠になってきていたから・・・
パソコンの画面の右下に表示されている時間をチェックして
昼休みの時間に仕事が一段落できるように調整しながら仕事を進めていく
ちょうど12時になった頃
彼女がデスク周りを片付けて
椅子を下げて立ち上がると
つい自分も釣られたように立ち上がる
でもそんな自分の行動なんて
彼女は気づきもしない
いつもこの時の彼女の頭の中は
食堂のお昼ごはんのメニューを想像しているか
午後からの仕事のスケジュールを考えているか
最近夢中になってるスマホに入ってるゲームのこととか
きっと実際に周りにいる人間のことなんて考えていないのだろう
彼女を追うように
オフィスを出て廊下に出ると
彼女は他の人達と同じようにエレベーターの前で立ってエレベーターが来るのを待っている
僕は仕事の時よりも少しだけ距離を縮めたくて
彼女のほうに向かって少しだけ歩く・・・ゆっくりと・・・周囲にも自分の行動を悟られないレベルで・・・
「向井さん!今から食事ですか?」
少し離れたところから響くような声がして
僕の後ろから追いかけてくるような足音がする
振り向かずとも誰が来ているかわかるが無視も出来ないから振り返ると
案の定、声をかけてきたのは吉村さんだった
僕のことが好きな、少し押しの強い女
つかまりたくないな・・・
彼女を眺めながらゆっくり食事をしたいのに
「向井さん!今から食事ですか?」
向井、という音の響きで、私の頭の中にあった食堂の昼ごはんのメニューがぱぁっと消えてしまった。
声のしたほうを見ると私が出てきた仕事場から女性がこちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
彼女・・・吉村さんが
彼・・・同じオフィスの向井さんを追っかけてきたんだ
後ろにいたから気づかなかったけど、向井さんは結構私の側に立っていた
彼の綺麗な横顔を少しだけ眺める
相変わらず、きりっとした・・・そして少し冷めたような表情をしている
向井さんに声をかけた彼女は吉村さん
直接お話したことはないけれど
私の所属している課の後輩と同期で
よくお手洗いや廊下で後輩と話しているのを何度か聞いている
そしてちょくちょく後輩の席にも遊びに来る
うちの課からは彼の姿・・・向井さんがよく見えるからだ
吉村さんは向井さん狙いなのだ、と後輩は教えてくれた
向井さんとは・・・仕事中、たまに目が合う
といっても、彼は意識してそうなってるのではないと思う
でも、私にとっては彼は少し特別な存在・・・
彼の所属している課はうちの課の隣の列なのだけど
ちょうど私と彼は人をはさみつつも向かい合わせになっていて
彼が顔を上げるとちょうど前に私が見える位置にいるようなのだ
そんなときの彼の顔はぼんやりとしていて
こっちをみていても最初は焦点があってなくて
その表情が、起きたばかりの子供のような顔で可愛い
それに気づいてからは私にとって向井さんの存在は私の人生の楽しみの一部となった
いつもはきりっとした顔で
ピアノを弾くみたいに手を休めないで
細やかにキーボードを叩いている
(ほんとは私の席からは彼の手元までは見えないからあくまでイメージだけど)
その真面目な顔と一瞬のぼんやりした表情とのギャップが楽しくて
できるだけそういうタイミングを見逃さないようにしている
常に・・・というわけにはいかないけどわりとアンテナは張ってるつもり
でも、向井さんは私と目が合ってることにあんまり気づいてないみたい
すこしだけ不自然なくらいお互いを見つめているはずなんだけど
しばらくすると彼はすっと目を離してまた仕事に打ち込み始める
目が悪いのかな、とも思う
でも眼鏡かけてるでしょ?
なんて心の中で反発してみたり思ったりもするけど、実は私はわかってる
目が良いとか、悪いとか、そういうことじゃなくて、きっと向井さんは、私のことなんて眼中にないってことなんだ
私にとって彼の姿を見るのが楽しみになっていても
それは私1人の問題で
彼にとっての私は職場の風景の一部
目立たない私の存在を果たして彼は知っているかどうかすらもあやしい
多分、これは私の一方的な交流
私1人が味わう楽しみ
あきらめの伴った甘い彼への憧れだ