②花菱の野〈2〉
「ところでユラ、『ホノレス』って?」
ノギは、ハトリの存在を無視して視線を外し、ユラに顔を向けた。
ユラはそんなノギに苦笑しながら答える。
「高い魔力を有する魔術師よ。触媒が跡形もなく消えてしまうほど、触媒の持つルクスを使いきることができるの。稀にしかいない才能の持ち主ってこと」
ルクスとは、触媒の魔力とでも言うべきエネルギーである。この値が高いほど、強力な術が放てるため、高ルクスの触媒は高価なのだ。
何度か、ノギも魔術師が術を放つところを目の当たりにしたことがある。けれど、先ほどのような、触媒が灰になって散る光景など見たことはなかった。大抵が、触媒から色が抜けたようになるけれど、形は保ったままだった。
ユラの説明に、魔術師のハトリは気をよくしたのか、えへへ、と照れて笑う。それがノギの癪に障った。だからなんなんだ、と。
「で、そのお偉い魔術師サマが何しに来た?」
敵意をむき出しに吐き捨てる。
けれど、ハトリはそんなノギに怯むこともない。逆に挑むような目をした。
「……あなた、ほんとに触媒屋なの? 全然そう見えないけど」
ノギは冷ややかな目を向けただけで、特に何も答えなかった。愛想を振り撒く趣味はない。
ハトリは小さく嘆息する。
「ちょっと小耳に挟んだの。ここに腕のいい触媒屋がいるって」
腕がいいと言われようと、ノギにおだてられて木に登るような素直さはない。ハッと小馬鹿にしたような声を出した。
「仲買人を通して金を払うなら、依頼は受けてやる。ただ、直接押しかけてくるな。迷惑だ」
その途端、ハトリは一瞬言葉に詰まってたじろいだ。そして、ぼそりとつぶやく。
「それができるなら、何もこんなところまで来ないわ」
「あ?」
ノギがさらに顔をしかめると、ハトリはノギを睨みつけて甲高く言った。
「だから、それができるなら苦労しないわよ! あたしは触媒を取ってきてって頼みに来たんじゃないの。あたしもいくつか仕事を手伝うから、そのアルバイト代を現品でほしいだけ」
「はぁ?」
ユラは、そんな二人のやり取りをハラハラと見守っている。ノギは激昂するのではなく、ふぅ、と力の抜けたため息をついた。
「さっきの触媒……『焔草』は、そっこら辺に生えてる雑草みたいなもんだよな。爪の先ほどの火しか出せない、家庭で使う火種にしかならないモノ」
その微ルクスの触媒をあのように扱うハトリは、やはり優れた才能の持ち主なのだろう。けれど、はっきりとしていることが他にもあった。つまり――。
「お前、貧乏だろ?」
ハトリはそのひと言がグサリと刺さったようだ。目に見えて動揺している。ノギは、にやりと嫌味に笑った。
「やっぱりな。自分で採取できるような触媒にしか触れないんだから、そうだろ」
「う、うるさい!」
弱みを見せてしまった以上、怒鳴ったところで効果はない。
ノギはニヤニヤと笑い続けた。
「金のない貧乏人に用はないな。帰れ」
ハトリは屈辱で顔を赤く染め上げ、ふるふると震えていた。それでも、ノギに情けはない。
「今はそうかもしれないけど、あたしの才能なら、将来有望だもん! 絶対大成してやるんだから! その時になって泣いて謝ったって遅いのよ!」
「いい触媒が入手できなきゃ、どんな才能も持ち腐れだ。野に散れ、この貧乏人」
ノギの口が悪いのは今に始まったことではない。けれど、少し言いすぎたのかもしれない。
ユラはノギのそばにトコトコと歩み寄り、その額をペチリと叩いた。
「めっ。なんてこと言うの」
ちょっと難しい顔をしたユラが可愛い。
ユラになら、叱られることすら嬉しい。ノギは一瞬デレっとした。
反省していないことがバレたのか、そんなノギに、ユラは頬を膨らませる。
「駄目でしょ。ごめんなさいは?」
「ん? ああ、ごめん」
ユラに向かって、ノギはさらにデレデレと謝る。ユラになら、いくらだって謝れる。けれど、それ以外の人間には嫌だ。声に出してそれを言ったわけではないのに、ユラは脱力する。
「もう。私じゃないでしょ? 彼女に」
そう言われた。嫌だけれど、謝らないとユラに嫌われる。ユラにいつまでも子供だと呆れられたくないノギは、渋々ハトリに首を向け、上から目線で吐き捨てた。
「ああ、悪かったなぁ?」
謝ったけれど、ハトリは逆に腹が立ったようだ。目に見えてカチンとしていた。
「金カネって、この守銭奴!! ひとでなし!!」
「ハッ。金のないやつの遠吠えなんて、痛くもかゆくもない。お前に構ってるだけ時間の無駄だ。さっさと帰れ」
赤の他人になんて親切にしてやる義理もない。
疲れ果てた顔をしたユラの背を押し、ノギはハトリに背を向けた。そして一度振り返ると、
「二度と来るなよ。次に来たら容赦しないからな」
絶対零度の眼差しで言い捨てるのだった。
ぽかんと口を開けてしまったハトリをその場に残し、ノギは心配そうなユラを家の中に押し込みつつ、自分も家に引っ込んだのである。