⑫七宝の森〈8〉
明るく柔らかな光に満ちたその場所は、まるで夢の中のようだった。
木々に囲まれた花咲く野に、光の蝶が舞い踊る。
異界の門とは、これといった形のあるものではなく、大きな光の塊であった。あの光の奥が異界へと続いている。
ただ――。
ノギはその光景に戸惑う。それはハトリも同様だった。
「あ、あの、この光……どうしてこんなにあるの?」
光は、七つ。
大きさはほぼ同じ。野原に点々と輝いている。
少しばかり色合いが違うことくらいしか、変わりはない。
「ああ、それはね、七つの世界に通じているからよ」
ハトリの疑問に答えたユラの声は、いつかと同じように伸びやかに美しかった。ハッとしてノギが振り返ると、ユラは緩く波打った長い髪を揺らし、首を傾ける。
この地の清浄な空気に触れ、ユラの体もほんの少し回復したのだろうか。あるいは、やはり無理をしているだけかもしれない。
それでも、大人びた姿で微笑むユラは美しかった。
「ユラ、無理しちゃ駄目だ」
ノギがそう釘を刺すと、ユラはクスクスと笑った。
「これは私のわがままなの。今だけは許して」
そう言われてしまうと、ノギは言葉に詰まる。
「さてと――」
ユラは自分のカバンを開き、中を探っている。ノギとハトリはそれを見守っていた。
カバンからユラが取り出したのは、折りたたんだ白い布地だった。あれは、服である。厚手の生地の少し変わった服だ。白一色でところどころに布のボタンがある。
あの服を、ノギの父は毎日のように着ていた。
「何、あれ?」
ハトリがつぶやく。ノギは小さく答えた。
「『こっくこーと』っていうらしい」
「へ?」
「俺の親父の形見」
それから、ユラはさらにカバンの中から手の平に乗るような長方形のものを取り出した。ツルツルとした質感の珍しいそれを、ハトリは覗き込む。
「うわ! 何これ、この顔……絵じゃないし、何? もしかして、この顔、ノギのお父さん?」
小さな四角の中に、男性の顔がある。笑顔ではないが、柔和な顔つきをした青年。
ノギの覚えている父よりも少し若い。
平凡で、特別目立ったところはない。ノギも母似であるため、ほんの少し目元が似ているかどうかという程度だ。
「そうだ。地味だろ」
ノギは憎まれ口を叩きながらなんとか笑う。
若い父の顔の横には、正体不明の文字らしきものがつらつらと並んでいる。いつ見ても、まるで読めない文字だった。
「この文字、ノギにも読めないの?」
「読めない」
けれど、ノギはその不思議な長方形の一角を指差した。
「よくわからないけど、これが俺の名前の由来なんだって言ってた」
ノギが指差した文字は――『野木 透馬』。
ユラは立ち上がると、七つの光の中でひと際薄青いものへ向けて歩む。そうして、ノギの父親の形見を放り投げた。それらは、一瞬にして渦となった光の中へ吸い込まれる。
そんな光景を眺めるユラの背に、言いようのない愛惜の念が見えた。一度祈るように手を組み合わせ、それからユラは振り返る。
「じゃあ、今度は私の番ね」
そのひと言に、ノギはドキリと肩を震わせた。そんな彼に、ユラは麗しい笑顔を送る。
「ねえ、永遠の別れじゃないのよ。私、体が落ち着いたらちゃんと会いに来るわ。今度は鍵があるから出入りも簡単だもの」
ユラの言葉を、ノギはそれほど楽観的に受け入れられなかった。それこそ、今生の別れであるかのような面持ちでユラの姿を目に焼きつける。
そんなノギに、ユラは静かに歩み寄る。その一歩一歩が、別れへ向かっているとわかるからこそ、ノギはうつむいてしまった。ユラはそんなノギの顔を両手ですくい上げる。
「ほら、そんな顔しないの。笑って?」
「……無理だよ」
情けないほどに弱々しい声しか出なかった。ずっと笑顔を保っていたユラも、悲しげにかぶりを振る。
「私だって、あなたを置いていきたいわけじゃないの。でもね、あちらの世界にあなたが順応できるかどうか、本当はずっと不安だった。私がこの世界と合わないように、あなたにあちらの世界は強すぎるかもしれない。一緒に行きたくても、本当は連れていっちゃいけないって……」
そうして、ユラはハトリに視線を向けた。
「それ以前に……私の体が持たなくてノギをこの世界で独りにしてしまうと思ったら、それが何より怖かったの。でも、ハトリちゃんのおかげでその心配は軽くなったわ。だから、ありがとう。この子、一人でご飯食べるの嫌いだから、ノギのことよろしくね」
「ユラ……」
ユラとの別れを惜しんでくれるのか、ハトリの大きな目から涙が零れ、ハトリはそれを慌てて拭った。
そうして、ユラはノギを愛しげに抱き締める。ノギもユラをそっと抱き締めた。そうして、ユラはささやく。
「ねえ、ノギ、最後ではないけれど、しばらくは会えなくなるの。だから、私のことを昔みたいにちゃんと呼んでくれるかしら?」
ギクリ、とノギは体を強張らせた。ここへ来てそれを言われるとは思わなかった。ぎこちない動きでユラに首を向ける。
「え、と……」
「お願い」
微笑むユラに、ノギはいつも敵わない。ユラの願いはなんだって叶えてあげたいのだから。
ノギは観念して小さくつぶやく。
「かあ……さん」
その言葉に、傍で聞いていたハトリが素っ頓狂な声を上げた。
「はぁあ?」
今、この瞬間に相応しくない声である。ノギは鋭くハトリを睨む。
「うっさい! 黙ってろ!」
「だ、だって、今なんて……」
ユラとの関係を、ハトリには一度も説明しなかったかもしれない。けれど、言いづらかったのだから仕方がない。
「こんな綺麗で可愛いユラに、あんな呼び方似合わないんだから、仕方ないだろ!」
そう、こんなに若くて綺麗で可愛いユラが母親だなどと言って、世間が納得するはずがないのだ。ぎゃあぎゃあうるさく言われるのは面倒以外の何物でもない。
だから、ユラのことを『母さん』だなどと呼ばなくなった。
「それでも私は呼んでほしいのにな」
つぶやくユラの声をノギは聞き流した。
それでも、ユラは優しく微笑んでいる。その目は慈愛に満ちた母親のものである。
「じゃあ、元気でね――私のノギ」
最後にもう一度ノギを抱き締め、そうしてユラは体を離す。悲しくても、ユラは微笑む。だから、ノギもしっかりと前を見据え、白く輝く光の前で手を振るユラを見送るしかなかった。
光の渦はユラの麗姿を飲み込むように煌く。その眩しさに瞬いた隙に、ユラの姿はもうどこにも見当たらなくなった。あんなにたくさんあった光もすべて消えてしまった。
静かすぎるその森の奥で、ハトリはノギに向かってそっとつぶやく。
「えっと、泣きたかったら泣いてもいいよ?」
ノギはムッとした。
「泣いてない。また、すぐに会えるから」
その強がりに、ハトリも微笑む。
「そうね。すぐに元気になって会いに来てくれるわよね」
「ん……」
「じゃあ、戻ろう?」
今度はハトリがノギの手を取る。その手を握り返すとノギは少し大人びた微笑を見せた。
「ああ――」
今流行の異世界トリップ?(超ささやか……)
ノギの名前の由来に合わせて、全員名前は「日本人の苗字」からとってあります。「ノギ」と「野木」、発音はちょっと違いますが。
他は漢字にすると、「由良」「羽鳥(火野)」「妹尾」「桐生」「柳」「入間」「田宮」「江戸」「毛利」「稲見」「室井」といった具合ですね。感想を書いて下さった方は変換する時に気づかれたかも?
似非ハーレムにしてやろうと思いまして、セオがああいう設定です。ノギには最初から選択肢がひとつしかなかったという(酷)




