⑫七宝の森〈7〉
ハトリもユラに会いたいと言ってくれた。
ノギはハトリを連れて自宅に戻る。翼石を使うためだけに手を繋いだはずが、手を放す時、どうしようもなく胸が痛かった。
謝罪してわかり合ったところで、この先のことに結論は出ていないのだ。
ノギはユラを連れて向こうの世界に行く。結局のところ、それしか選べないのだから。
そのことをハトリも薄々は感じているのかもしれない。ノギに寄り添うけれど、口を開こうとしなかった。
自宅の扉を開けると、ハトリは懐かしむように目を細める。そうして、二人は奥へと進んだ。
「ユラ、今戻ったよ」
そうしてユラの部屋の扉を開くと、ユラはベッドに腰かけて微笑んでいた。部屋の中だというのにコートを着込み、その膝にはやや大きなカバンが載っていた。ユラの容姿は、いつものようにノギたちと同世代にまで戻っていたが、無理をしているのは膝の震えでわかった。
「おかえり、ノギ。それから、ハトリちゃんも」
笑顔でその姿を保っているけれど、額にうっすらと汗が滲んでいる。
旅立つ支度をしてノギを待っていたのだ。そのことに、ノギは胸がかきむしられるような思いだった。
ハトリは髪をなびかせ、ノギを通り越してユラに駆け寄った。
「ユラ、そんなに無理してたなんて、全然気がつかなくてごめんね……」
ユラに視線を合わせて膝を突くハトリに、ユラは嬉しそうな笑顔を向ける。
「ハトリちゃん、ノギと仲直りしてくれてありがとう」
「え……あ、うん」
戸惑うハトリから、ユラはノギに視線を移す。ノギはドキリとして姿勢を正した。
「俺も支度してくるから、待ってて」
時は迫っている。これは、仕方のないこと。
そう覚悟したノギに、ユラはあっさりと言った。
「あなたが支度する必要なんてないわ。行くのは私だけ。あなたはここにいなさい」
「え?」
呆然とするノギを見つめたまま、ユラはよろりと立ち上がった。それを、とっさにハトリが支える。
「な、何言ってるんだ?」
ノギの頭は真っ白になって、血の気が一気に下がった。冷静にと思うのに、頭は少しも働かない。
なのに、ユラはこんな時でも笑顔を崩さなかった。
「だって、あなたはこの世界でも生きていけるもの。こうして、大事な人も見つけたのだから、あなたはハトリちゃんとここにいなさい」
「ユラ!」
くしゃりと顔を歪めたノギに、ユラは子守歌のように優しい声音で言った。
「ねえ、この家を守っていて。あなたたちと過ごした、私の大切なこの家を――」
そのひと言に、ノギは何も言えなくなった。苦いものが込み上げて、うつむいてしまう。それでも、ユラは前言を撤回することはなかった。
「さあ、見送って――」
三人は、七宝の森の深部を目指す。雪があるから、ノギはユラを負ぶった。ハトリはそんなユラのショールが落ちないように、肩にそっと手を添えている。
ノギは口を利かなかった。ずっとうつむいて、黙ったままで雪を踏み締めている。そんなノギに時折ハトリが心配そうに視線を投げかけるのがわかったけれど、今は応えられる気分ではなかった。
風が、鳥が、枝の雪を落とす。弱い日差しがぼんやりと森の雪を輝かせていた。
ただ、奥へ進めば進むほどに、少しずつ積雪量が少なくなってきた。それが一定の境界まで来た証だった。
「――ここからは、鍵がなければ入れない領域ね」
ノギの背でユラがつぶやく。
その境界にはキラキラと煌めく膜があった。これが結界ということなのだろう。上を見上げても、切れ目がよくわからない。かなり広い範囲に結界は張られているようだ。推測するに、半円のような形の結界なのだろう。
ユラは結界に向けて手をかざした。その手の平には、水晶や氷のように透き通った鍵があった。鍵についた紐を中指に引っかけている。
その鍵が結界に近づいた刹那、結界の膜が溶けるようにして穴ができた。その穴は徐々に広がり、扉ほどの大きさになる。それを不安げに見守っていたハトリに、ユラはそっと言った。
「この結界は外から進入することはできないけれど、中からは簡単に抜けることができるの。だから、帰りの心配は要らないわ」
「う、うん……」
そうして、三人はさらに奥へと進んでいく。
深部に雪はなかった。
それどころか、その場所は冬だというのにあたたかく、花が咲き乱れていた。これは結界の効果なのか、異界の門のせいなのか。
ただ、冬らしい装いで歩くと暑く感じられた。
その時、ひらりひらりと三人を通り過ぎていく、光そのものと表現したくなるような輝く蝶に、ハトリが思わず声を張り上げた。
「あ、これ、妃蝶じゃない?」
ライシン帝国の霊峰にだけ生息する、稀なる蝶。清浄な空気の中にしかいないはずの妃蝶がこの場にいるということは、それだけこの地が特別であるという証だった。
「この蝶は、私の故郷にはたくさんいるのよ。向こうから流れてきたのね」
ユラの故郷とはどのような場所なのか。ユラは故郷のことをあまり語りたがらなかったから、ノギもよく知らない。語ると望郷の思いに押し潰されそうになるのかと、ノギも語らないユラに訊ねることをしなかった。
想像するだけで、そこは美しい世界なのだと思う。そんなところからこの世界にやってくるはめになったユラは、どんなに落胆したことだろう。帰りたいと強く願い続けていたはずだ。
それでも、いつも微笑んでいた。その強さが、ノギには到底真似できない。
しばらく歩き続けると、ユラはノギの背で寄りかかっていた上半身を起こした。
「ねえ、ノギ、森の深部に入ってから、空気が澄んでいて体が少し楽になったわ。もう自分で歩けるから」
ノギは悄然とした面持ちのまま、ユラの言葉に従った。けれど、体を放してしまうことを寂しいと思った。そんなノギの心を察したのか、それともユラ自身が離れがたいと思ったのか、二人はそっと手を繋いで歩いた。
ハトリはそんな二人を、複雑な面持ちでただ見守っている。
そうして、ついに木々の間を抜け、七宝の森の最深部に足を踏み入れるのだった。
⑫七宝の森《8》+エピローグで完結となります。
お付き合い頂けると幸いです。




