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魔法のおしごと。  作者: 五十鈴 りく
✡第11章✡

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⑪おのえがさねの道〈7〉

 ノギは呆然としたまま、ふらつく足取りでユラの部屋を後にした。

 紫芝ししを煎じるために厨房へやってくる。もう、時間も遅い。軽めの食事と一緒に、ユラの好きな甘味かんみも、多分美味しくないだろう紫芝の後につけてあげよう。

 忙しくて、あまり手の込んだ食事が作れないことに罪悪感がある。ユラの食も、人の何倍も食べていた頃が嘘のように細い。


 まず、火を入れようとした。とにかく寒い。本当に、そろそろ初雪の頃かもしれない。

 ぶるりと身震いすると、家の近くに人の気配を感じた。静かな夜だからこそ、草を踏み締める音が聞こえる。

 ノギは紫芝をまな板の上に置くと、玄関へ向けて歩いた。


 この時間に一体誰だろうか。あまりいい予感はしなかった。

 気を張り、扉を開く。

 ただ、開いた途端に、ノギは固まってしまった。


 そこにはハトリがいた。けれど、ハトリは上着も羽織らず、この寒い夜にワンピースだけでそこに立っている。それも、その表情は尋常ではないほどに思い詰めているふうだった。

 理由はわからないけれど、この様子は急に家を飛び出してきたとしか思えない。


「何……やってんだよ? 風邪ひくだろ!」


 思わずそう言うと、ハトリはノギの姿を見てボロボロと涙をこぼした。

 また、泣かせてしまった。言い方がきつかったのだろうか。その涙に心が揺れる。

 泣かないでほしかった。泣かれると、決意が簡単に揺らいでしまう。そんなふうに、すがるような目をしてこちらを見ないでほしい――。


「……とりあえず、入れよ」


 さすがに、このまま立たせておくわけには行かない。

 ノギは自分の心音に気づかない振りをして、表情を保った。ハトリは震える脚で少しずつ歩む。その歩みは徐々に駆け足となり、戸口から体をずらして立っていたノギに勢いよくぶつかった。

 ぶつかったと思うほどの衝撃で、ハトリはノギの肩に頬を寄せ、震える手を背中に回して強く抱きついた。肩口でハトリの嗚咽が漏れる。冷えきった体が押し当てられ、ノギは困惑する自分に怯えた。


 駄目だと思うけれど、上手く、自分が保てない。

 ハトリが泣くから――。

 これが自分の意志なのか、それもよくわからないままに、手が、その細い肩を抱く。

 か細い涙声が耳朶を震わせた。


「あたし、お妃になんてなりたくない」

「え……」


 頭が上手く働かない。それは一体、どういう意味なのか、と。

 妃と言うからには、キリュウの――あの皇帝の――。


 ハトリが、そうなる流れがあるというのか。

 冷静に考えれば、ハトリは宰相の娘で、高い魔力を持つ。皇帝の妃として条件を満たしているということなのだろう。


 将来、大成したいと言っていた。皇妃となることは、ハトリにとって悪いことではないのかもしれない。そんなふうに思わなくはない。ただ、胸は痛いけれど。

 かける言葉が見つけられず、無言のままのノギをハトリは涙に濡れた顔で見上げた。くしゃりと顔を歪めるその仕草に、感情が揺さぶられる。


「あたしはノギのことが好きなのに……」


 耳を疑う。ハトリが、自分と同じ気持ちだと。

 震える指先と、涙と、これがすべて嘘ならすごい、と馬鹿みたいなことを思った。少なくとも、ノギの知るハトリはまっすぐで、こんな嘘などつける人間ではない。

 だから、こうしてぶつけてくる感情はすべて本物だ。それは、わかっているけれど――。


 目を合わせると、どちらからだったのかもわからないままに、お互いの唇が触れた。この時ばかりは、抑えることのできない想いが先に立ち、ただ現実味もない夢の中にいるような感覚だった。

 この寒さの中にありながら、頭の芯が蕩けるように熱い。合わせた唇の感触を、ただひたすらに確かめる。区切りをつけることができず、お互いの心を探るようにして何度も繰り返した。


 次第に、背中の辺りを握り締めるハトリの手が強張る。息を継ぐ暇もなく、呼吸が苦しくなったのだろう。そんなこと、思い遣るゆとりもなかった。

 やっとのことで頭の熱が抜けていく。


 触れ合った体から伝わるハトリの鼓動を感じながら、ノギは決別を決めた。

 ハトリの頬に添えていた手で、彼女の顔を再び自分に向ける。そうして、ささやいた。


「……次はどうしてほしい?」

「え?」


 ハトリが潤んだ瞳で瞬いた。眼前の、ノギの冷ややかな表情に瞠目している。それは、想いを確かめた後とは思えないようなものだから。

 ノギは冷淡な声で続けた。


「なんて言ってほしい? 言えば、望むようにしてやる」

「何、それ……」


 ハトリは愕然として力なくつぶやいた。それに被せるようにして、ノギは言う。


「でも、心はやらない。俺はユラと生きていくから」


 突き放すしかない。

 大切なものは、ひとつしか選べない。


 だとするのなら、ユラを選ばなければならない。

 ハトリなら大丈夫だ。ちゃんと受け入れてくれる場所がある。

 贅沢なくらいの場所が。

 その方が、よっぽど未来は明るいのだから。


 腕の中にいたハトリが、ノギの胸を突き飛ばすようにして体を離した。再び滲む涙は、もう見せなかった。長い髪が駆け出した背中で踊る。翼石ウィングラピスを使用したその残光だけが、色をなくした冬の草原に煌く。


 そうして夜空を見上げると、ちらほらと雪が舞い落ちた。初めての雪。

 小さく儚い雪が、もうすぐこの世界を真っ白に染めていく。


 ノギは、その場に崩れ落ちるようにしてへたり込んだ。足に力が入らなくなった。

 こんな気持ちは何も知らなかった時の自分に戻りたい。そんなことを思う。


 この雪が溶けた頃には、一緒に消えてくれたらいい。

 自分の想いも。ハトリの想いも。


 傷つけておいて、勝手かもしれない。

 それでも、このまま気持ちを受け入れられないのなら、嫌われてやることがせめてもの思い遣りだと、そう思うしかなかった。だから、早く忘れてほしい。


 カタン、と背後で音がする。振り返るとユラがいた。

 ユラは痛々しい面持ちだった。会話を聞いていたのだろうか。


「馬鹿な子ね」


 ノギは、ハトリには見せられなかった顔をする。痛みに歪めた表情は、ユラをも悲しませてしまうのに。


「仕方ないんだ。俺はユラと一緒に行くから、あいつとはいられない」


 この世界とはいつか別れる日が来る。

 だからこそ、この世界に未練は残したくないと思って過ごした。

 ユラを苦しめる、こんな世界は大嫌いだった。そのはずだった。


 なのに、ひとつの出会いがこの世界の色を変えてしまった。

 終わらせたこの想いを、いつかは振り返る勇気を持てるだろうか。


          【 第11章 ―了― 】


 以上で第11章終了です。

 早いもので、次が終章になります。

 3人の結末を見守って頂けると幸いです☆

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