⑪おのえがさねの道〈2〉
疲れ果てて家に戻った。
体力的にではない。疲れたのは心だ。
ノギは扉を開いた。
まず、ユラとあの力のことを話さなければならない。きっと、ノギが想像している通りの答えが返ってくる気がしたけれど、それは確かめなければならないことだ。
「ユラ、ただいま」
扉を開けると、ユラは椅子に座ってノギを待っていた。
「おかえり、ノギ」
そう言って微笑む。ハトリのことが心配で寝ていられなかったのだろうか。今はまだマシでも、油断はできない。
「寝てないと駄目だろ」
ノギが言うと、ユラはごまかすようにまた笑った。
「ねえ、それで、ハトリちゃんは?」
ノギもユラを安心させるために笑顔を作った。ユラの正面の椅子に座る。
「無事だ。念のために病院施設で検査してるけど」
詳細を語ると長くなる。それに、平静を保ちながら最後まで話せる自信がなかった。こんなにも自分は動揺してしまっているのだと、改めて思う。
だから、話をそらすわけではないけれど、こう切り出す。
「……なあ、ユラ。俺、ユラがいないのにいつもと同じような力が使えたんだ。これって――」
まっすぐにユラの瞳を見据える。ユラはそれでも笑顔を絶やさなかった。
きっと帰って早々、ノギがこれを訊ねてくると待ち受けていたのだ。
「うん、それはノギ自身の力」
「俺の?」
「そうよ。もう、あなただってわかっているでしょう?」
そう言われてしまえば、納得するだけだった。ノギにも、太古の民の血が流れている。ユラのような純粋なものではないけれど、それは確かに。
「俺の血は薄いから、そんなことはできないと思ってた……」
ノギは机の上でぐっと手を握り締める。ユラはその拳に優しく触れた。
「できなければ、本当はね、私が力を与えることもできないのよ」
そんなことは初めて聞いた。ノギは目を瞬かせる。
「治癒能力まではないと思う。けれど、自分の体をコントロールすることくらいはできても不思議じゃないわ」
不思議はない。本当はそうだったのかもしれない。
自分は血が薄いからできない、と誰かに言われたわけでもなく、ただ自然とそう思い込んでいた。
「自分にはできない――そうした思い込みが、あなた自身の力だと気づかせなかった。実はね、ここ最近は私、僅かにしか力を貸してなかったのよ。……貸せなかったって言った方がいいのかしら」
やはり、そうなのかと。ノギは眉尻を下げてユラを見つめる。それは、捨てられた子犬のような顔だった。だからか、ユラは困っていた。
「ねえ、覚えている?」
「え?」
「去年の終わり、雲立涌の丘でのこと。私、あの場所が合わなくてすごく縮んでたでしょ?」
「うん」
「あんなにも力が出ないこと、今までになかったの」
小さな子供の姿になって、何日かもとに戻らなかった。
「あの時、実は力なんてまったく分けられなかった。なのに、ノギは大きな獣を片手で持ち上げて投げ飛ばしたりしてたね。ああ、もう大丈夫なんだって、あの時に確信したのよ」
ユラがサポートしてくれていると信じて疑わなかったあの頃。あれは、自分自身の潜在能力だったと。
「それに、血が薄いと言うけど、だからこそ私のように場に影響されることがほとんどないみたいね。逆によいこともあるわ」
クスクス、とユラは軽やかに笑う。ノギは、よくわからなくなっていた。考えなければいけないことだらけで、頭が上手く働かない。
「なあ、ユラ。あれからずっと、俺に力を貸せないくらいに弱ってたのか? まだ大丈夫だっていつも言ってたのは気休めで、ほんとはずっと我慢してたのか?」
この能力がノギ自身のものであると教えてくれなかったのは、弱っている自分を覚らせないためだ。
ユラの顔は困惑気味だった。
「島亀さんに会った頃、少しだけ回復したんだけど、その後、また消耗して――」
それは、イルマとの戦闘で怪我をしたノギを癒したせいだ。治癒術はユラの命を削るような負担がある。今さらながらにそれに気づいた。
雲立涌の丘で縮んだユラは、しばらくもとの姿に戻れなかった。あれも、力が戻らないのにノギの怪我を癒すことを優先しようとした結果だったのではないだろうか。
「後は水龍との戦いで、なるべくノギに力を貸したくて、ちょっと無理しちゃったかな……」
考えれば考えるほどに愕然とする。
いつでもユラは、ノギのことを一番に考えてくれていたから。
けれど、もう、ごまかせないところまで来てしまった。ユラが無言で苦笑してしまうのはそういうことなのだろう。
このままでは、ユラは生きていけない。ユラが助かる方法はひとつだけだから。
「ユラ、俺、頑張って金を貯めるよ。今までみたいなペースじゃ駄目だ。早く金を貯めて、キリュウを納得させる。だから、ユラも頑張って……」
大切なユラ。
絶対に、何を犠牲にしても諦めることなどできない願いがある。
だからこそ、他のことに心を奪われていてはいけない。それだけはどんな時も自覚していなければ。
ユラは、何も答えない。
ただ、悲しげにノギを見る。揺れる瞳のその意味を、ノギはいつも汲み取れない。
☆ ★ ☆
それから、ハトリがノギたちの家を訪ねてきたのは、季節が変わった頃だった。
秋から、初冬へ。冬の始まり、白花の月。
朝晩に冷え込みを感じる、そんな時。ノギはこの気温がユラの体に悪影響とならないか、そればかりを心配していた。
ハトリのことが気にならなかったわけではない。けれど、会いに行くためにはユラを置いていかなければならない。ただでさえ、今、仕事の時はユラを置いていっている。だから、それ以外はなるべく家にいてあげたかった。ユラは気にしなかったかもしれないけれど、ノギが気にしてしまう。
どうすればいいのかわからなかったのも事実だ。
ハトリはもう、あの粗末な自宅にはいないのだろう。出生が明らかになったのだ。親元へ戻ったと考えた方がいい。だとするのなら、宰相を父親に持つ令嬢だ。そうそう、会いになんて行けない。
ハトリは、玄関先で迎え入れたノギの顔を見た途端、複雑な笑顔で瞳を潤ませた。けれど、それから努めて明るい声を出した。
「ごめんね、もうちょっと早く来たかったんだけど、色々あって」
それはそうだろう。ハトリの境遇は目まぐるしく変化したはずだ。
今、目の前に立つ姿でさえ、前とは違う。何がと言うわけではないが、ほんの少し上等な服を着ただけで、人はこうも変わるのかと思う。
「……いや。体は大丈夫か?」
そう、つぶやいた。
正直に言うのなら、嬉しかった。こうして会えて、笑顔を向けてくれることが。
けれど、彼女はもう『ハトリ』ではない。そう呼んではいけない。
そのことが彼女にも伝わったのだろう、先に言われてしまった。
「あのね、これからもハトリって呼んで」
ハトリは、ハトリという名で人生の大半を過ごしたのだ。親がつけてくれた名前よりも長く、その名に親しんできた。今さら変えられないのかもしれない。ノギは少しだけほっとした。違う名では呼びたくなかったのだ。
「わかった。入れよ」
ハトリが来たと気配でわかったのか、奥からユラがやってくる。ユラは、体調の悪さなど感じさせない笑顔でハトリを迎えた。無理をしているとノギにはわかるけれど、ハトリは久し振りの再会に感極まったようで、そこまで気づけない。
「ユラ!」
涙目でユラに抱きつく。自分よりも背の高いハトリを、ユラは宥めるように背を撫でながら優しく言った。
「ノギに聞いたよ。大変だったね。でも、無事でよかった」
「あたし……」
何故、ハトリがボロボロと泣き始めたのか、ノギにはわからなかった。




