番外編 〈 Partner 〉
きっかけは、ただの偶然だった――。
タミヤは中流家庭に生まれ育った。特別裕福というわけではなかったが、貧しくもない。
魔術の才能も適度にあり、特別自分が希望したわけでもなかったけれど、気づけば出来上がっていた流れに逆らわずに学院に入学した。
勧められるがまま、魔術工学クラスに入った。そこは、魔術アイテムの製造開発に関する知識を学ぶ学課である。純粋に魔力のみで勝負するような特選クラスよりは、競争も緩やかでよいだろうということだった。
それでもシャトルーズ魔術専門学院は、魔術の素養を競い合い、高める場であった。そんなことは最初からわかっていたし、学ぶことは嫌いではなかった。
けれど。
タミヤは人一倍、協調性がなかった。
クラスメイトたちと話などできなかったし、教室にいるだけで息が詰まった。
見ず知らずの赤の他人に囲まれて学校にいることを、次第に苦痛だと感じるようになった。
タミヤは存在感もなく、学校から足が遠退いたとしても、誰も気に止めなかった。ひとつの机が寂しく置かれている。ただ、それだけのこと。
家に引きこもるばかりの娘に、両親は何も言わなかった。もともと、ああした場には合わないのではないかと危惧していたのだろう。腫れ物を触るかのように接してきた。
タミヤ自身、このままではいけないと思う。けれど、この状態が長引けば長引くほど、恐ろしくなった。
再びあの場所へ向かう勇気がどうしても持てない。
それでも、毎日家に閉じこもって、そうして自分はどうするつもりなのか。考えるのも嫌になって、タミヤは頭を空にして外に出た。
久し振りの外出。太陽の光が目にしみた。
タミヤはローブについたフードを目深にかぶる。長い髪も顔を隠すためのもの。
このふたつの帳があって初めて、タミヤは外へ行けるのだ。
あてもなく、ふらりと歩いた。時折視線を感じたけれど、そちらに顔を向ける気にはなれない。
どうせ、ろくな噂なんてない。近所の人たちのお喋りにつき合う気はなかった。
このウィスタリアの町にも自分にできることはあるのだろうか。学校になど行かず、自分ができることがあればいいけれど、そんなものが都合よく見つかるはずもない。
タミヤはただ、町をさまよう。
日差しが強かった。この夏の最中、こんなにも厚着をしている方がおかしいのかもしれない。
それでも、タミヤは開放的な格好などできない。薄着すればするほどに、周囲のすべてが恐ろしくなる。
少しだけ眩暈がした。くらり、と目がかすむ。
そう気づいた時には、足がもつれていた。
こんな時でも、タミヤは悲鳴も上げない。とっさに声を出すことに慣れていないのだ。ただ無言で、地面にぶつかる衝撃に備えるだけだ。
けれど、予測していた痛みはなかった。驚いたような男性の声と共に、腕の一本で体を支えられた。
「危なかったな。大丈夫か?」
声はまだ若かった。けれど、タミヤにはそれが恐ろしかった。
自分と歳の近い男の子が怖い。他人が怖い。接するのが嫌だ。
それでも、頼んだつもりはないが、助けてもらったのだから礼のひとつくらいは言わなければならないだろう。
タミヤは、その顔を見上げることもなく、うつむいたままでつぶやく。
「……ありがとう」
そう言って彼の脇を通り過ぎようとした。それを、その少年が袖をつかんで引き止める。
「おい、倒れかけたんだから一人でフラフラするな。家まで送ってやるから」
その言葉に、タミヤの頬が引きつった。
「け、結構です」
恩人ではあるが、すげなく断る。そうすると、彼は急にタミヤの頭に手を載せた。そこで、弾むような動きを繰り返す。うつむいているせいで、眉間のしわには気づかれなかった。
「子供が遠慮なんてするな。ほら、行くぞ」
子供。
タミヤは小柄で細身である。だから、実年齢よりも下に見られることが多かった。
この時、十五歳であったのだが、多分三つ四つは下に思われたのだろう。腹は立つが、説明するのも億劫だった。
親切心かどうだか知らないが、面倒だった。だから、素直に言葉に従って家まで送り届けてもらうしかなかった。そうしないと、いつまでも解放されそうにない。
途中、タミヤはほとんど口を利かなかった。彼が一方的に喋るばかりで、適当にうなずくかかぶりを振るかのどちらかの反応しかしなかったというのに、彼はそれでもよく喋った。
そうして家まで着いた時に、タミヤはうんざりとしていた。初対面の人間といると疲れる。こうも喋る相手ならば尚さらだ。
やっと解放されると思った。だから、タミヤはその嬉しさからようやく顔を上げてうっすらと笑顔を浮かべ、建前の礼を言った。
「ここが私の家です。ありがとうございました」
その時になって初めて、タミヤは彼の顔を目にしたのだった。整ってはいるけれど、軽薄さが拭えないというのだろうか。顔にかかる金髪のひと房さえもが気障だと思えた。バランスのよい体に沿った服装も、よく見ると軟派だ。
まあいい。二度と会うことはないのだから。
そう思ったタミヤの頭に、再び彼の手が載る。
「今日のお礼は、お嬢ちゃんがもう少し大きくなったら返してくれるかな?」
ぞわ。
一瞬にして全身に鳥肌が立った。甘い笑顔のつもりなのだろうけれど、タミヤにとっては全力で忌避したいものでしかなかった。
返事もせず、タミヤは慌てて家の中に駆け込んだ。階段を駆け上り、二階の自室の窓のカーテンの隙間から下を覗き見ると、そこから彼は手を振っていた。見ているのがバレている。
タミヤは慌ててベッドの中に隠れて今日の出来事を忘れ去ろうとした。
けれど、あの派手な青年は頑固な油汚れのように脳裏にこびりついて離れなかった。
――それが、イルマとの出会いであった。
その後、ひと月の間、タミヤは外に出なかった。もちろん、彼と顔を合わせたくないからである。
けれど、ひと月も経ってしまえば、彼も自分のことなど忘れただろうと思えた。
そうして外へ出ると、あっさりと再会してしまったのである。二度と会わない予定だったというのに、どういうわけだろうか。
それから、顔を合わせるたびに必死で逃げるタミヤを、彼――イルマは面白半分でからかうのだった。彼はあの野蛮な『触媒屋』だという。間違ってもお近づきになるべきではない。
なのに、気づけばタミヤは家族よりも多くイルマと会話を交わしていた。楽しい会話ではなく、近づかないで、うるさい、あっち行って、が主であるけれど。
イルマはどこで聞きつけたのか、タミヤが学院に通っていたことを知っていた。登院拒否中であることも。
そうして、どうせ暇なら仕事を手伝ってくれと言い出したのだ。一度だけでいいから、手伝ってくれたらもうつきまとわないからという言葉を信じ、手伝った自分が馬鹿なのだと今でも思う。
こんな軽薄な人間の言葉をどうして信じたのだろう、と後悔してももう遅い。
イルマはことあるごとにタミヤを迎えに来るのだった。家を知られているだけに逃げられない。
最初は難色を示していたはずの両親、特に母親が気づけば丸め込まれていた。いつもお綺麗ですね、なんて安っぽい言葉で気をよくするのだから呆れてしまう。
そうして、いつの間にやらタミヤは触媒屋のイルマの相棒として周囲に認識されるようになってしまったのだ。迷惑な話であるが。
数々の依頼をこなし、イルマと組むようになって二年もの歳月が流れてしまった。学院はやはり足を向けないまま、中退。これはイルマのせいというよりもタミヤ自身のせいであったけれど。
色々なことがあったと思う。
イルマと同じ触媒屋である少年と依頼品を奪い合ったり、共闘したりすることもあった。
その少年、ノギのことがタミヤは苦手だった。見た目は優しげなのに驚くほど力が強く、厄介なことに女子供にも容赦がない。タミヤも突き飛ばされて気を失ったこともあった。
ただ、最近は少し感じが変わったように見える。
相棒のユラと、それから仲間になったハトリの影響だ。二人がいると、前ほどノギのことを怖いとは思わなくなった。
学院に通っていた頃とはまったくもって変わってしまったタミヤの日常だが、このところは少しばかり不安を感じている。
このままでいいのだろうか、と。
この先に、自分はどうするべきなのだろうか、と。
大衆食堂で食事を取っている今、特にそう思う。この賑わいの中、自分だけが浮いている。
遠くの方で美人のウェイトレスの腰に手を回し、楽しげに会話するイルマがいた。相手も満更ではないのだろう。すらりとした女性らしい体つきが魅力的で、イルマの隣にいるとそれが際立って見えた。
それはいいのだけれど、ふと思う。
イルマのことだから、いつ気が変わってタミヤに声をかけなくなるかわからないのだ。
そうした時、自分は何をするべきなのか。窓の外を眺めながら考えた。
他の触媒屋の相棒を探し、共に働く道を選ぶのか。それとも、学院に入り直して学ぶか。
自分は何をしたいのか、結局のところそれがよくわからない。
何もしたくないというのが本当のところなのかもしれない。
そっと、静かに過ごしていたい。誰にも関わりたくない。
そんなことを考えていると、頭を小突かれた。いつの間にかイルマがそばにいた。
「まだ食べてなかったのか?」
タミヤの目の前に置かれた皿の上には、半分以上残ったシチューがある。
「もういい」
ぼそりと言うと、イルマはため息をついた。
「お前な、食細すぎだ。だからいつまで経ってもちっさいままで、出るとこも出てない幼児体型なんだよ」
ズキ、と心が痛む。
けれど、そんな何気ないひと言に傷ついたなんて、死んでも言いたくない。無言で顔を背けた。
すると、後ろの席に座っていた男性が声をかけてきた。
「女の子にデリカシーのないこと言っちゃいけないな」
すごく、まともな発言だった。タミヤの心中を察してくれたひと言に、タミヤは嬉しくなって振り返った。その人物は、温和そうな青年だった。真面目で実直そうな、イルマとは正反対のタイプと言える。地味だけれど、安心感がある。
イルマは小馬鹿にしたような声を上げた。
「いいんだよ、こいつには」
まったくもってよくない。タミヤは無言でイルマを睨んだ。けれど、そんなタミヤに見向きもしない。
青年は嘆息した。
「そこで少し小耳に挟んだんだけど、君達、触媒屋の相棒同士だろ? そんなことばっかり言ってると愛想尽かされるよ?」
途端に、イルマは呆れたような顔をした。
「は? 何言ってんの、アンタ?」
気分が悪い。
タミヤは無言で立ち上がった。イルマはそれ以上タミヤが食事を続けることがないと判断して席を離れた。
イルマが支払いを済ませている時、消えるように音を立てずに店を出る。
イルマが追ってくる気配はない。別に、来なくてもいい。
さっきのウェイトレスの連絡先を聞き出していた。きっと、今日は彼女と過ごすはずだ。
外は薄暗いけれど、店の明かりと喧騒が、タミヤの背に眩しかった。
ぽつりと歩き始めると、すれ違う人たちはいるというのに、自分はこの世でただ独りのような気がした。家に帰れば優しい両親が待っているのだから、贅沢なことだけれど。
そうは思うのに、何故かじわりと涙が滲んだ。
フードと長い前髪が自分を隠し、護ってくれる。けれど、それでは心まで強くはなれない。
ユラやハトリのように溌溂と魅力的な女性でいられたなら、イルマはタミヤのことをもう少しくらいは大事に扱ってくれただろうか。
そうして歩いていたけれど、このまままっすぐ家に帰れなかった。両親に声をかけられた時、様子がおかしいと思われてしまいそうだった。少しだけ気持ちが落ち着くまで歩いていたいと思った。
だから、わざと違う道を進んだ。
辺りは暗いけれど、街灯もある。歩くには困らなかった。もともと住み慣れた町なのだから、それもそのはずだ。
ふらりふらりと歩いていると、突然呼び止められた。
「君、こんな夜道を一人で歩いてちゃ危ないよ。送っていこうか?」
それは、先ほどの男性だった。タミヤが同じ道をぐるぐると徘徊していたせいでかち合ったのだろう。
そのセリフに、タミヤは昔を思い出した。無償の親切なんてないということを、イルマのせいで学んでしまった。だから、かぶりを振る。
「家はすぐそこなので、大丈夫です」
本当に、そう遠いわけではない。だから、そろそろ帰ってもいい。
けれど、彼は苦笑した。
「すぐそこでも、遠慮しないでいいよ。……君も大変だね」
「え?」
首をかしげたタミヤの正面に、男性は歩み寄る。
「だって、そうだろ? 彼みたいに敵の多い人間と共にいたら、ろくなことがない。その上、少しも大事にされていないし、少し身の振り方を考え直した方がいいんじゃないか?」
この男性の言うことは正しい。
タミヤ自身が悩んでいることでもある。
もう手伝えないと言ったなら、イルマはあっさりと諦めるだろう。他の人を簡単に見つけて、タミヤのことなどすぐに忘れるはずだ。
そんなことはわかりきっていて、今さら発覚した事実ではない。なのに、いちいち傷つく自分が嫌だ。
タミヤはうつむき、黙り込んだ。すると、急に視界が少し明るくなった。フードが払い落とされたのだと気づいた瞬間、タミヤの髪が力一杯つかまれた。その痛みに呻くと、ガクガクと頭を揺さぶられた。
「無視するなよ」
「……っ」
「なあ。なんとか言えよっ」
温和だった顔を歪ませ、男性は唾を飛ばしながらがなる。
その豹変振りに、タミヤは恐ろしくて声が出なくなった。それでも、彼は容赦しなかった。突然、頬を叩かれる。
痛みと驚きに目を見張ると、彼は血走った目を向けて言った。
「ほんっとに、あの男の相棒なんて大変だなぁ? 今頃、彼女とよろしくやってて、君がこんな目に遭ってても助けにも来ない」
カタカタと震えるタミヤに、彼は嘲笑する。
「魔術師なんて言っても、こうして接近してしまえば無力なもんだ。あいつのせいでむしゃくしゃしてることだし、このまま君に責任とってもらおうかなぁ?」
ぐい、と手を引かれた。どこへ連れていかれるのかもわからない。
タミヤは抵抗したけれど、小柄な彼女は簡単に抱え上げられてしまった。手足をじたばたと動かしてもがいても駄目だった。
そんな時、遠くでほのかな赤い光が灯った。見慣れた、あの明かりは――。
シュン、と空気を切る音がしたかと思うと、そばにあった街灯が真ん中で切断されて崩れ落ちた。ガラスが割れて飛び散り、その異変に気づいた周囲の家々から住人が顔を覗かせる。男はとっさにタミヤを放した。
その途端、彼は横っ面を殴られてレンガの壁に激突した。殴ったのは――イルマだった。
イルマは何かを言うでもなく、厳しい面持ちのまま放心状態のタミヤを担いでその場を駆け去った。
それから、イルマは用水路のほとりまで駆けた。その橋の下に落ち着くと、イルマはようやくタミヤを下し、ひと息ついた。荒く呼吸を整え、それからようやく目が慣れた暗がりの中できつくタミヤを睨みつける。
その鋭さに、思わず体が震えた。
「あんな時くらい悲鳴のひとつは上げろ。思い切り叫んで助けを呼べよ。そうしたら、あんな気の小さいやつはすぐに逃げたんだ。お前が意固地に我慢するから――」
さっきまでウェイトレスを口説いていた口で、そんなもっともらしい説教をしてくる。
大体、誰のせいで怖い思いをしたと思っているのだろう。そう思ったら腹が立って、感情が抑え切れずに涙が再び滲んだ。それがこぼれてしまわないよう、うつむくのはやめて瞬きもしなかった。
ただ、イルマのことを無言で睨み返す。
すると、イルマもさすがにたじろいだ。そうして、小さくため息をついて頭をかきながら零す。
「……あのウェイトレスの娘に頼まれたんだ。自分目当てでしつこく通ってくる客がいて困ってるから助けてほしいって。その困った客ってのがオレたちの後ろに座ってるなんてことまでは、あいつが出ていくまで教えてくれなかったんだからひどいよな」
あれが虫除けのつもりだったと言うのか。
だとするなら、本当にタミヤは完全なとばっちりだ。沸々と怒りが湧く。
イルマは不意に、自分を見上げているタミヤの頬を人差し指の背で撫でた。その冷たい指の感覚にドキリとする。
「少し、腫れてるな」
押し殺した声でつぶやく。その指先が震えていた。
震えていたのはタミヤの方だったのか、よくわからなかった。
「悪かった。また、護ってやれなかった」
そう、謝る。驚いて涙が引っ込んだ。
またとはなんなのことなのか、すぐにはわからなかった。眉根を寄せて小首を傾げると、イルマはつぶやく。
「ノギと対峙した時も……」
タミヤがノギに昏倒させられたあのことを言うのだ。あの時、イルマはズタズタで骨折までしていて、人の心配をしている場合ではなかった。
なのに、それをずっと気に病んでいたらしい。
イルマは寂しげで、もういいと言ってあげたいけれど、口下手なタミヤには適切な言葉が見つけられなかった。無言のままのタミヤに、イルマはさらに言った。
「愛想、尽きたか?」
ここで尽きたと言ったなら、イルマはただ、そうかと言って離れる。未練を感じるのは多分、タミヤの方だけ――そう、思っていた。
けれど、イルマはいつもの軽薄な顔に翳りを見せた。
「それでもオレは、今さらお前がいないとか、考えられない」
呆然として思わず口を開けたタミヤに、イルマは苦笑する。
「これからも頼むよ」
――軽薄なイルマ。
けれど、それだけでもない。
微々たる魔力しか持たないイルマは、魔術師としての道は歩めなかった。両親の望み通り育たなかった兄と弟は、家族との折り合いが悪い。
イルマはイルマなりに、自分の生きる道を必死で模索して生きてきたのだ。
ある意味孤独で、寄りかかれる場所を探していたのは、イルマの方だったのかもしれない。いつ愛想が尽きたと捨てられるのではないかと怯えていたのもお互い様だったのか。
中途半端な二人。
だからこそ、寄り添う意味がある。
今はそう思うことにした。
「仕方ないな」
そうつぶやくと、イルマは笑った。ぐりぐりと、タミヤの頭を撫でる。
いつまでも子供扱いするのはやめてほしいけれど、こうしている今は居心地がいい。もう少し踏み込んでしまったら、また別の苦悩があるのかもしれない。
いつかは――それは避けて通れないことなのだと気づきながらも、今は頭を撫でる手に身を委ねた。
【 Partner ―了― 】
ちなみに、手加減しなかったノギはユラに怒られました(大丈夫かこの主人公……)




