⑨矢絣の滝〈7〉
皆の力を借り、ノギは二人を連れて自宅に戻った。病院施設へ向かうことも考えたのだが、ユラをそういった場所へは連れていきたくない。ハトリだけでもと思うけれど、今のノギはどちらについてよいのかわからなかった。
仮に連れていったとしても、ハトリは助からないかもしれない。それが判明すると思うと、どうしようもなく怖かった。
血まみれだけれど、着替えさせたり変に動かすのは怖くて、ノギはハトリのベッドに毛布を重ね、その上にハトリを下ろす。
セオはここまで術者に来てもらうと言って去った。イルマもセオについていく。
この傷を癒せるような術者に心当たりがあるのだろうか。
もしあるのだとしたら、ありがたいけれど――。
タミヤは、セオから託された触媒『赤鉄』を使い、ほんの少しハトリに血を戻してくれた。それ以外にも汚れを拭いたり、できることを探して懸命に尽くしていた。
ハトリをタミヤにまかせつつ、ノギは別室に移る。そして、ユラが横たわる枕元でつぶやいた。
「ごめん」
ユラはそっとかぶりを振る。
「私は大丈夫だから」
大丈夫という顔色ではない。いつも無理ばかりさせている。そのことをもっと自覚するべきだった。
「ユラ、俺は――」
すると、ユラはその先を遮るようにして言葉を被せた。
「少し眠るから、ハトリちゃんについていてあげて。彼女をお願いね」
これ以上、ノギが謝る声を聞きたくなかったのかもしれない。静かにまぶたを下ろしたユラの部屋を、ノギは後にした。
どうやら、タミヤも限界のようだ。
あれだけのことがあった後で、ハトリに高度な術を施している。疲労困憊であっても不思議はなかった。
彼女もまた責任を感じているのか、泣き言は言わない。顔にも出さない。けれど、その疲れは隠せなかった。
ハトリのベッドのそばでグラグラと揺れているタミヤに、ノギが声をかけようとした瞬間に、戸口の開く音がした。セオたちが戻ってきたのだろう。
事実、そうだった。セオは術者とやらを連れて戻った。
ただ、その人物とは――。
「邪魔するよ、ノギ」
この手狭な家にはまったくそぐわない高貴な姿は、皇帝キリュウである。背後にはいつものごとく宰相のヤナギが控えていた。
瞠目するノギに、キリュウは微笑む。
「私の依頼の品を入手したが、重症を負った者がいる、と。彼女がそうか」
キリュウは、裾を捌いて前に進む。ヤナギも厳しい面持ちだった。キリュウはハトリの容態を一見して小さくうなずいた。
「治癒の魔術は高度であるけれど、私ならば可能だ」
その一言が聞きたかった。
大丈夫だと、助かると、誰かに言ってほしかった。
この際、お前の依頼のせいでこなったとか、そんなことは言わない。助けてくれるなら細かいことなんてどうだっていい。
ノギはほっと息をつく。けれど、そんな彼のことを嘲笑うかのように、キリュウは冷徹な目をした。微笑んでいるというのに、その目は冷え冷えとしている。
そのことに唖然とした。
「ねえ、ノギ、君は私が無条件で彼女を助けると思っているのかな?」
「っ……」
言葉に詰まった。
傍観していたセオが思わず声をあげる。
「こ、皇帝陛下! どうか――」
けれど、それをヤナギが遮る。
「口を挟まぬように」
そう言われてしまえば、最早何もできない。セオは唇を噛んでうつむいた。
キリュウはさらに問う。
「どうする? 『あれ』を諦めてみるかい?」
「それは……」
大金を支払って、ずっと乞い続けているもの。諦めることは、絶対にできない。
けれど、そのためにハトリを犠牲にするのかと言えば、それも嫌だ。ハトリは何も悪くないから。
すると、キリュウはクスクスと笑った。
「面白いね」
「え……」
「君がそうして悩み、他者を案ずるようになったことがね。これ以上君を苛めるとユラに嫌われてしまうから、戯言はここまでだ」
冗談だと言うのか。けれど、とキリュウは最後に言った。
「けれどね、貴重な触媒と皇帝である私の魔力を使うのだから、それ相応の礼は尽くしてもらうよ」
ノギは膝を折ると、両手を床について頭を下げた。姿勢を低く、二心はなく、ただひたすらに強く願う。
「どうか、お願い申し上げます」
誰が見ていようと、どうだっていい。屈辱なんて、些細なことだ。
ハトリの命を繋ぎ止めることができるなら――。
それを強く願う自分に驚きながらも、この時は素直に受け入れた。
キリュウはそんなノギに、ようやくあたたかな声をかける。
「承知した。君の心、確かに受け取ったよ」
そうして、キリュウは詠唱することもなく、パリンと小さな音を立て、身につけている触媒のひとつを消費した。その光が、狭い部屋の中で煌く。
小さな光は、何にも勝る強い輝きを放っていた。その眩さは、間違いなく神聖なもの。
それは、治癒のための術というよりも、奇跡を起こす、そんな力に思えた。
その明るい光にノギは自然と涙が滲んでうつむいた。
「……これでいい。すぐに目を覚ますだろう」
小柄ながらに悠然と微笑むキリュウに、ノギは再び感謝した。
「ありがとう、ございます」
その殊勝な姿に、キリュウはうなずく。
「水龍の逆鱗の入手、ご苦労だったね。後日、代金を支払いに寄越す。今はゆっくりと休むといい」
「はい」
「ユラを大切にね」
キリュウのひと言に、ノギはまた表情を歪めた。ちくり、と胸に棘が刺さる。
「……はい」
そうして、キリュウは身を翻して去った。その後にヤナギが続く。ヤナギは、穏やかな顔をして眠るハトリを最後まで気にしていた。
☆ ★ ☆
キリュウはハトリの部屋を後にすると、導かれるままにとある部屋の前に立った。扉をノックするつもりもない。ただ、その場所に確かにいるのだという気配だけを感じ、ほっと息をついた。
そうして、扉に寄りかかるように頭をつけて、僅かに目を閉じた。
ただ、その身を案じる。
「……さあ、行こうか」
小さくつぶやいて、キリュウは歩き出す。小さなその家を後にする時、ヤナギはキリュウの背に向かって躊躇いがちに言った。
「あのハトリという娘、まさかとは思うのですが――」
その後に続いた言葉に、キリュウは口元を緩めた。
「彼女は稀少なホノレスだ。そう考えると、可能性はなくもないのかな。そうであるといいね」
「ええ、一度会わせてみてもよいかと」
当の本人は深い眠りの中である。
与り知らぬところで、運命は動き出す。
【 第9章 ―了― 】
以上で第9章終了です。
ここら辺から雲行きが怪しくなっております。
あと3章です。よろしければお付き合い下さい。
では、ありがとうございました!




