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魔法のおしごと。  作者: 五十鈴 りく
✡第9章✡

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⑨矢絣の滝〈4〉

「ユラ」


 ノギは短く言うと、ハトリをユラに押しつけるようにして手を放した。ハトリの様子はまだおかしかったけれど、あまり気にしてもいられない。

 そうして、うなずくユラから力を本格的に借り受ける。


「ノギ、気をつけて。絶対に無理しちゃ駄目よ」


 ピリピリと、痛いほど空気が張り詰めていた。


「ああ、わかってる」


 気を抜くつもりはない。余裕など微塵もないのだから。

 ノギはイルマを振り返った。


「おい、イルマ!」


 その声でイルマもようやく我に返った。それまで、イルマもタミヤも同じように水龍に圧倒されていた。

 イルマは背負っていた愛剣ステルラを抜く。赤く燃える星の輝きが、今はほんの少し頼もしく思えた。


 それほどまでに水龍の威圧感は重厚だった。正直に言って、これほどまでに何かを怖いと思ったのは初めてかもしれない。

 ノギは、微かに震える指先をごまかすようにして拳を握り締めた。


 水龍はノギたちを威嚇しているのか、上空を旋回する。

 ハトリはまだ水龍を恍惚と見上げていた。その目が危うい。ノギは目を覚まさせるためにハトリの頬を軽く張る。


「ぼさっとすんな」

「あ……ごめん」


 惚けていたハトリは気を取り直すと、ぼそりと零す。


「あのね……水龍の鱗、あたしもほしいって言ったら怒る?」

「は?」

逆鱗げきりんじゃなくていいの。ううん、鱗でなくても、なんでもいい」

「そんなの、構ってるゆとりなんてない!」


 逆鱗一枚で精一杯だ。それだって命懸けだ。

 ノギはハトリが言い出した戯言を一蹴して水龍に備える。


「ハトリちゃん、タミヤちゃん、こっち!」


 ユラが二人を一箇所に集めた。いざという時、ノギがユラの力を借りていなければ、ユラは自分で防御壁を張る。ハトリとタミヤくらいならば同時に護れるだろう。


「さ、戦闘開始だな」


 そう言って剣を構えるイルマにもいつもの軽薄さはなく、真剣な表情だった。ノギもうなずく。

 ヒュゥゥ、と風を切って飛ぶ水龍の長い体は、横をすり抜けるだけで凄まじい風圧を与えてくる。ノギたちはそれぞれに近くの木につかまってそれを凌いだ。

 水龍はその勢いのまま、滝の下流から空へ昇るようにして逆さに飛翔する。水龍の体が滝にかすった水飛沫が、豪雨のようにノギたちに降り注いだ。


「ぶぁ!」


 地味に嫌な攻撃だった。

 ノギはずぶ濡れになりながら、顔にかかった水を肩口で拭う。その次の瞬間には、水龍の鋭い牙が目前に迫っていた。


「!!」


 考えるよりも先に、つかまっていた木から飛びずさると、水龍の大きな口が数本の木をまとめて噛み砕いた。ボキボキ、と木を咀嚼する音が耳に残る。これにはさすがに、ノギもゾッとした。


 けれど、その瞬間に、果敢にもイルマが龍の横顔に一閃を放った。

 キィン、と金属音が響く。その硬い鱗に傷はつかない。それでも、水龍は動きを止め、ギョロリとイルマを睨む。その眼力だけでショック死してしまいそうなものだが、イルマは青ざめるだけで踏みとどまった。

 数歩下がると、水龍はその強靭な体を辺りに擦りつけながら身をくねらせる。ノギたちが大騒ぎしながら逃げ惑う間にも、木は倒れ、岩も砕けた。


「なんだよ、あれ! どうすんだよ!」


 逃げながらも、ノギは喚いていた。正直なところ、桁違いである。簡単に採取できるような触媒ではない。


「オレに言うなよ!」


 イルマの方もゆとりはないようだ。顔面蒼白で息も荒い。使えないやつだ、とノギは舌打ちした。

 さて、どうするべきか――。



 ハトリたちも避難しているとはいえ、荒れ狂う水龍の影響を受けないわけではなかった。降り注ぐ水をかぶり、びしょ濡れである。ただ、水龍は今のところノギとイルマを追い回している。だから、多少は安全だった。

 けれど、このままではどうにもならない。触媒の採取どころか、生きて帰れない気がする。


 まずは水龍の動きを止めなければ。

 ノギが逃げ回りつつもユラたちのことを気にしていると、ハトリがとっさに前に出た。

 腰のポシェットに手をやり、中を探る。いくつかの触媒の中から、セオにもらった虹珊瑚を取り出した。七色の、美しい光沢のある球体。宝石としての価値も高い触媒だ。


 タミヤもその後ろで同じように影縫い針を握り締めていた。セオがくれた、黒く細い釘のような触媒だ。

 ただし、タミヤの方が激しく震えているのがわかった。大人しいタミヤだから、ハトリほど肝は据わっていないのだ。

 ハトリは大きく息を吸い、向こうで暴れている水龍を見据えた。そして、声を張る。


「ウル・レテル・ソエル・イプシュ――」


 ハトリの手の平の虹珊瑚からルクスが滲み出す。曇り空の下、その光で紋様を描く。光は、雨間の虹のように細く長く延びた。

 それから遅れて、タミヤが詠唱する。


「セル・トヘル・アル・ガダル・フィー・レゼット――」


 先に詠唱を終え、魔術を展開するのはハトリだった。まばゆい虹色のプリズムが、群生する珊瑚のように周囲に水龍の周囲を囲む。

 ノギとイルマは水龍と少し距離を保つようにしていた。まず、その術がもたらす状況を見守っている。


 強い光が集中する。虹珊瑚の術の効果か、水龍は一定の場所をぐるぐると回るのみとなった。時折、地面を震わせるような声を発する。苛立ちがそこに現れていた。


 ただ、次第に水龍の動きが緩慢になる。術が切れかかっている。そう、長くは持たない。

 そうして、ハトリの使用した虹珊瑚が灰と化して散る中、タミヤの支度が整った。


「――ヴィア・ロトス!」


 禍々しい黒い光が筋となって水龍の翼を射抜いた。その咆哮が、滝を駆け上る。悶える水龍の爪が岩に食い込んだ。水龍の雄叫おたけびに放心していたノギは、ようやく我に返るとすぐさま飛び出した。

 足もとに白光を灯し、水龍の腕を駆け上がる。地を離れた水龍の腕を蹴り、のど元へ跳躍する。その瞬間に、手に力を込めて水龍の鱗につかまった。逆鱗は、すぐそばにある。ノギは腕だけでぶら下がって鱗を渡ると、飛べない水龍が首を振るごとに、振り落とされそうになりながらもなんとか逆鱗に手を伸ばした。


「くっ……」


 指先に力を込め、その光り輝く鱗をむしり取った。雫型をした逆鱗は、いつも使っている鍋のふたくらいの大きさだった。他の鱗よりも小さい。ノギはイルマに向けて逆鱗を投げつける。


「イルマ、受け取れ!」

「げ!」


 弧を描いて飛んだ逆鱗は、回転が利いていて危ないことこの上ない。金属ほどに硬質な鱗を、イルマは辛うじて剣で止めた。ガラン、と逆鱗が地面に落ちる音が響く。ノギはそれを見届けると、もう一度だけ手に力を込めた。ノギが握り締めたため、バリンと鱗が欠ける。その欠片を手にしたまま、ノギは荒れ狂う龍の腹を蹴って離れた。飛び上がった先で体を回転させ、着地した岩場をさらに蹴って上に登る。

 そうして戻ると、イルマが逆鱗を抱えて水龍を見据えていた。その顔は、青い。


 逆鱗は入手した。

 けれど、それは、触れてはならないものだった。

 

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