⑨矢絣の滝〈3〉
近づくにつれて、その清冽な滝の水音がする。遠くを見遣れば、白く雄大でそのものが龍のような滝がある。上がる水飛沫は、放たれた矢のようだった。
幅はそう広くはないけれど、高さは相当にある。上が見通せない。高所から降り注ぐ水が細かな霧となって岩場を覆っている。陽光を浴びてうっすらと虹がかかっていた。
時折、紅葉した葉が舞い散り、はっと息を飲むほどに美しい。
吹き抜ける風も、どこか神聖な冷たさがある。
ここは人が立ち入るべきではない場所なのだと思えた。
ここを侵したなら、なんらかの神罰が下るのではないかと。
いつもなら、そんな迷信に唾棄するようなノギだ。けれど、今、不安になってしまうのはユラのせいかもしれない。ユラに何かあったらどうしよう、と。
ちらりとユラを見遣ると、ユラはそっと微笑んだ。
「うん、頑張ろう」
ノギは不安を悟られないようにうなずいた。それから、イルマに向けて言う。
「水龍の逆鱗は顎の下だ。ってことは、俺が取りに行った方が速い。お前は上手く隙を作るか囮になれ」
年上のイルマに向かって上から目線でものを言う。
身の軽いノギの方が水龍に接近するには向いている。それは確かなのだが、言い方が悪いから素直に収まらない。
イルマはイライラしながら吐き捨てる。
「オレに指図すんな」
ノギもその返答にカチンと来た。
「お前が他になんの役に立つって?」
再び、ぎゃあぎゃあと口論になる。
ユラは見て見ぬ振りを決め込んだ。頻発するので面倒になったのだろう。
女子たちは遠くを見ている。
「見て、紅葉がきれいねぇ」
「あ、うん……」
「……」
小競り合いはしばらく続いた。
結局、話し合いは決裂した。ノギとイルマは距離を保って歩き始める。ノギはユラとハトリを左右に歩く。
清流は美しく、自然の心地よさが身に染みた。隣でハトリが大きく深呼吸をしている。ここの空気は美味しいとでも言いたげだ。
けれどその時、草むらに何かを見つけたらしく、ハトリはいきなりノギの袖を引いた。
「ノギ! ウサギがいるよ!」
ウサギだそうだ。そんなもの、珍しくもなんともない。触媒にすらならない。
はしゃぐハトリに対し、ノギは淡白だった。
「そりゃ、いてもおかしくないだろ」
「そうだけど……」
喜びに水を差されたような形になったハトリは、ぼやきながら再びウサギを見遣る。ノギもふと目を向けると、そのウサギは大きく飛び跳ねた。ウサギなのだから、飛び跳ねたとしても不思議はない。
ウサギはパシャン、と水音を立てて清流に飛び込んだのだ。しかも、その飛び込んだ瞬間を思い起こすと、ウサギの下半身は鱗に覆われていた。あの青い尾びれは一体なんであったのか――。
「ノ、ノギ! ウサギが! ウサギが!!」
錯乱するハトリに、ノギはため息で返した。
「気のせい。目の錯覚だ」
あんなウサギ、見たことも聞いたこともない。それなら、目の錯覚だ。
今は余分なことなど考えていられない。
ここは龍の棲む神聖な場所だ。あのウサギもきっと悪いものではないはず。もしかすると幸運のウサギかもしれない。――そう思うことにした。
☆ ★ ☆
上流に向け、徐々に徐々に進んでいく。
時間はまだ正午を過ぎてはいない。天候は晴れていたはずだ。
それが突如、分厚い雲に覆われて陽の光が遮られる。どこかでゴロゴロと稲妻の音がした。
近づいてはいけない。
ここにいた誰もがきっと、同じことを思っただろう。それでも、ノギとユラには大金が必要なのだ。
それも今回の依頼は皇帝キリュウからのもの。断れるはずもない。
ノギは上流を見上げた。
「……来たな」
「!」
水を巻き込んだ突風が、紅く色づく葉を散らせてゴウと吹いた。よろけて飛ばされそうになるユラとハトリを、ノギがとっさに抱き込むようにして繋ぎ止めた。
ノギはユラと目を合わせ、お互いにうなずき合う。ノギとユラの体がポゥッと光をまとった。
イルマはタミヤを庇いつつ、ノギたちよりも少し後ろで木にしがみついている。
ハトリは龍の荘厳な姿を目にし、ただ震えていた。
枝分かれした角。太くしなる髭。揺らめく鬣。蝙蝠のような翼。炯々と鋭い眼。曇り空にも輝く鱗は、自身が持つ輝きだろう。うねる体にびっしりと生えそろっている。その手足には尖った爪があり、あれで引き裂かれたらひとたまりもない。
けれど、ハトリは目をそらさなかった。どこか恍惚として見えた。
人が触れてはならない存在だからこそ、禁忌だからこそ、人は惹かれてしまう。
胸を押さえながらハトリはつぶやいた。
「あたしが求めているのは、あの――」
ハトリが求める触媒があの龍だとでもいうのか。
多分、言うのだろう。
ノギでさえも眩暈がするほどに強力なルクスを感じ取れる。龍のあの体のすべてが触媒となる。
魔術師としてハトリが惹かれるのも無理はない。けれど、今はそれどころではなかった。
伝説の鯉ウサギです(笑)
わかる人にしかわからないネタを挟んでしまいました。




