⑨矢絣の滝〈1〉
秋も半ば。柴染の月の朔日。
魔術帝国ライシンの帝都ヘリオトロープの北に、それはそれは美しい滝があった。激しい水音さえも耳に心地よく、澄みきった水の飛沫が煌く。そこは七宝の森の深部と同じように、一般人の立ち入りを規制された場所であった。
その美しい自然が荒らされることを危惧したためではない。無闇に立ち入れば、神にも等しい龍の怒りに触れる。侵入者が命を落とさないための処置と言えるだろう。
龍は永い時を生き、その体のすべてが魔術のもとになるという。
ただし、その爪は鋭く、息のひとつで竜巻さえも起こす。近寄るには危険な存在だった。
できることならば近寄りたくない。
けれど、魔術のもと、触媒を採取する仕事に就く少年ノギは、その龍の逆鱗を手に入れるため、『矢絣の滝』まで向かわなければならないのであった。
ノギの相棒、不思議な力を持つ太古の民のユラと、高位魔術師ホノレスのハトリが同行するのはいつものこと。
今回はそれに加え、あと二人が同道する。
ノギと同職である触媒屋のイルマと、その相棒のタミヤである。実力のある二人なのだが、ノギにとイルマの相性は悪い。
イルマと来たら、金髪に赤と青のメッシュ。いかにもチャラい青年だ。その相棒だというのに、タミヤは根暗な魔術師の少女。
足の引っ張り合いになるのではないか、と正直に言って皆が思っている。
「――いい? ちゃんと協力し合って水龍の逆鱗を持ち帰るのよ?」
自身の店の前で、触媒仲買人のセオは言った。妖艶な美人、である。
セオはイルマの――きょうだい。
集合した面々を前に、ノギとイルマは顔を背けた。息が合うのか合わないのか、お互いにケッと吐き捨てている。セオはこめかみに青筋を立てると、二人の頭を鷲づかんで衝突させた。結構な馬鹿力だった。とっさのことに油断していた二人は、目の前に火花が散った。
「わ・か・っ・た?」
「……」
「……」
それでも、二人は毛を逆立てた猫のようだった。セオが呆れていると、店の前に二人の粗野な男がやってきた。一人は剣を帯び、一人は槍を携えている。彼らもまた、触媒屋なのだろう。
「セオ――なんだ、このガキどもは?」
ガキと言われ、ノギとイルマはカチンと来ていた。
「アンタたちと同じ、触媒屋よ」
見栄えのしない粗野な男たちに、セオは冷ややかである。けれど、彼らはそれに気づかない。耳障りな大声で笑った。
「触媒屋! このお嬢ちゃんたちが?」
明らかな侮蔑の言葉と視線にノギは拳を握り締めたが、それをすぐに解いた。相手のレベルに合わせて会話をしてやる義理はない。そう、怒ったら同類だ。
「ハッ。生憎、俺はお前らの相手なんてしてられるほど暇じゃない」
ノギのセリフに、男はさらに笑った。
「そうかそうか。道端の草でも摘んで稼がないとな。たくさん採らないと、メシ食えないぞ?」
男は自分で言って爆笑した。連れも同様だ。
イルマもスッと目を細める。
「面倒くせぇ」
「あぁ?」
「面倒くせぇゲス野郎だなと思って」
イルマのひと言に、男たちの顔色が変わる。セオがそこに割って入った。
「あのね、この子たちはこれから水龍の逆鱗を取りに行くの。絡まないで頂戴」
「水龍!? こんなガキどもにむちゃくちゃな! できるわけねぇだろ!」
「できるわよ。ね? 二人とも?」
そう、セオが振り返って問う。ノギとイルマは異口同音に叫んだ。
「当ったり前だろ!」
認めたくはないが、要するに似た者同士なのだ。根っこは同じ。だから気が合わない。わかりやすい二人だった。
そうして、男たちはセオに追い払われてしまった。そんな光景を、三人の少女は遠巻きに眺めている。
「先が思い遣られるね?」
「大丈夫なの?」
ささやき合うユラとハトリのそばで、タミヤは嘆息した。
そんな女子たちに、セオは歩み寄る。タミヤは少し身構えたが、セオは二人の魔術師に向かってそれぞれに『あるもの』を差し出した。
それは、触媒である。
「ハトリには『虹珊瑚』、タミヤには『影縫い針』」
ハトリは目を瞬かせてセオを見上げた。セオは苦笑する。
「だって、皇帝陛下のご依頼よ? それにしたって、水龍だもの。万全に準備は整えておかなくっちゃ」
多少の価値がある触媒を使ったとしても、成功させなければならない依頼だ。そう考えると不思議でもなかった。
「ありがとう、セオ」
礼を言って受け取るハトリと、無言で頭を下げるタミヤ。
よかったね、と隣で和んでいるユラにもセオは下げていた袋を手渡す。ユラは魔術師ではない。皆が不審に思って眺めていると、その袋を開いたユラが歓喜の声をあげた。
「お菓子!」
「それ食べて頑張って?」
「うん!」
ユラも俄然やる気が出たようだ。
抜かりのない手腕である。




